気分
爽快感、不機嫌、落ち着いている、興味津々、活力がみなぎっ ている、退屈や倦怠など、恒常的な内受容感覚が気分である。気分は、快・不快の感情価と、覚醒度の属性を持つ。(リサ・フェルドマン・バレット(1963-))
(リサ・フェルドマン・バレット(1963-),『情動はこうしてつくられる』,第4章 情動の指源泉,pp.126-127,紀伊國屋書店 ,2019,高橋洋(訳))
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(リサ・フェルドマン・バレット(1963-),『情動はこうしてつくられる』,第4章 情動の指源泉,pp.126-127,紀伊國屋書店 ,2019,高橋洋(訳))
(リサ・フェルドマン・バレット(1963-),『情動はこうしてつくられる』,第4章 情動の指源泉,pp.119-122,紀伊國屋書店 ,2019,高橋洋(訳))
「生きている限り、脳はつねに概念を用いて外界をシミュレートしている。 概念を欠けば、ミツバチ が不定形のかたまりに見えたときのように経験盲の状態に置かれる。 脳は、概念を用いて本人が 気づかぬうちに自動的にシミュレートするため、視覚や聴覚をはじめとする感覚作用は、構築ではなく反射であるように思える。
さて今度は、次の問いを考えてみよう。 脳がそれと同じ手順を用いて、心拍、呼吸、内臓の動きなど、体内から得られた感覚刺激の意味も作り出していたとしたらどうだろう? 脳の観点からすれば、自分の身体は感覚入力の源泉のうちの一つにすぎない。心臓や肺、代謝作用、 体温の変化などに由来する感覚刺激は、図21に示されている不定形のかたまりのようなものだ。 これら純然たる身体由来の感覚刺激には、客観的な心理的意味などまったく含まれていない。しかし ひとたび概念が関与し始めると、追加の意味が感覚刺激に付与される。食卓にすわっているときに感 じた胃の痛みは、空腹として経験されるだろう。インフルエンザが流行っていたら、同じ痛 まは吐き として経験するだろう。 あるいは判事なら、被告を信用してはならないという虫の知らせ としてこの種の痛みを受け取るかもしれない。このように、脳は時と場合に応じて、概念を用いて、 外界の感覚刺激と体内に由来する感覚刺激の両方に同時に意味を付与するのだ。こうして脳は、 空腹、吐き気、疑いなどのインスタンスを生成する。」
(リサ・フェルドマン・バレット(1963-),『情動はこうしてつくられる』,第2章 情動は構築される,pp.60-61,紀伊國屋書店 ,2019,高橋洋(訳))
(リサ・フェルドマン・バレット(1963-),『情動はこうしてつくられる』,第2章 情動は構築される,p.58,紀伊國屋書店 ,2019,高橋洋(訳))
「数百の実験を要約した四つのメタ分析が、各情動に対応する自律神経系の独自の指標を一貫して見 出すのに失敗したというのはいったいどういうことか? それは、情動が幻想にすぎないことを意味 するのでもなければ、身体反応が任意であることを意味するのでもなく、状況や文脈によって、ある いは研究によって、同一人物であろうが個人間であろうが、同じ情動カテゴリーに、異なる身体反応 が関与しうることを意味する。画一性ではなく、多様性が標準なのだ。これらの実験結果は、おのお のの行動にはそれ独自の動きを維持するために、それぞれに異なる心拍、呼吸などのパターンがともなうという生理学者たちの半世紀以上前からの知見とも合致する。
このように、膨大な時間と資金が投入されてきたにもかかわらず、いかなる情動に関しても、それ に対応する一貫した身体的指標は見出されていないのである。」
(リサ・フェルドマン・バレット(1963-),『情動はこうしてつくられる』,第1章 情動の指標の探求,p.38,紀伊國屋書店 ,2019,高橋洋(訳))