2022年3月13日日曜日

人びとが自由に自分たちの生活を統治し得る世界を実現する助けになる社会理論の条件の第二は、その理論の役割が、大衆を正しく戦略的に導くというようなことではなく、実現性のある代案を創出しようとしてい る人々が既にやっていることの真の意味を解明して、彼らに贈与として返すことである。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))

人々が既にやっていることの意味

人びとが自由に自分たちの生活を統治し得る世界を実現する助けになる社会理論の条件の第二は、その理論の役割が、大衆を正しく戦略的に導くというようなことではなく、実現性のある代案を創出しようとしてい る人々が既にやっていることの真の意味を解明して、彼らに贈与として返すことである。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))


(a)人類学の諸成果
 世界に実在する自己統治 的共同体と非市場的経済が、社会学者や歴史家によってではなく、人類学者によって探査された。

(b)人類学、民俗学の方法
 民俗学を実践するとき、人は人びとがすることを観察し、その行動の根底にある隠された象徴的、 道徳的、実用的(pragmatic)な論理を誘い出そうと試みる。つまり人びとが自ら完全に意識 していないような、彼らの習慣や行動の意味づけ方を理解しようとする。



「第二は、どのようなアナーキストの社会理論も、自覚的にあらゆる前衛主義の証跡を拒絶 せねばならない、ということである。ここでは知識人の役割は、正しい戦略的分析を導き出 し、そのことで大衆を始動する特権階級を形成することにはない。そうでないなら一体何 か? ここに私がこの小著を『アナーキスト人類学のための断章』と呼ぶ理由の一つがある。 これこそ、「人類学」が、有効になりうる領域なのである。それは、世界に実在する自己統治的共同体と非市場的経済が、社会学者や歴史家によってではなく、人類学者によって探査され たからばかりではない。民俗学の実践は「非前衛主義的=革命的知識人」の実践がどのように 機能しうるか、大雑把であるにせよ、少なくとも発端的なモデルを提供するからである。民俗 学を実践するとき、人は人びとがすることを観察し、その行動の根底にある隠された象徴的、 道徳的、実用的(pragmatic)な論理を誘い出そうと試みる。つまり人びとが自ら完全に意識 していないような、彼らの習慣や行動の意味づけ方を理解しようとする。ラディカルな知識人 のひとつの明白な役割は、まさにそれである。つまり実現性のある代案を創出しようとしてい る人びとを見つめて、彼らが〈すでに〉やっていることのより大きな含蓄を把握しようと努 め、その成果を、処方箋としてでなく、寄与として、可能性として、つまり贈与として、彼ら に返すことである。これはまさに私が二、三段落前に、社会理論が直接民主主義的な過程に 則って自らを作り替えることを提案しつつ、試みたことであった。そしてその例が明示するよ うに、こうした企画は、実際に二つの様相あるいは契機を持たねばならない。ひとつは「民俗学的」なもので、もうひとつは「ユートピア的」なものであり、そしてそれらは恒常的な対話 の状態に留め置かれねばならない。  以上のどれも、人類学が――ラディカルな人類学さえもが――過去百年そこらの間にやってきた ことと直接的なかかわりはない。だがそれでもなお、人類学とアナーキズムの間には奇妙な近 親性が成長してきており、そのこと自体が意義深いのだ。」
(デヴィッド・グレーバー(1961-2020),『アナーキスト人類学のための断章』,どうして学問 世界にはアナーキストがかくも少ないのか,pp.48-49,以文社(2006),高祖岩三郎(訳))

アナーキスト人類学のための断章 [ デヴィッド・グレーバー ]





デヴィッド・グレーバー
(1961-2020)






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