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2018年6月20日水曜日

02.論理法則は、基本的な諸法則に還元することが可能だが、それらは、何か「我々の本性及び外的事情」によって強制されているように思われる。(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))

真理と論理法則

【論理法則は、基本的な諸法則に還元することが可能だが、それらは、何か「我々の本性及び外的事情」によって強制されているように思われる。(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))】
(a) 論理学は、いくつかの基本的な論理諸法則に還元することが可能である。
(b) 論理学は、(a)以外には、その真であることの基礎に対しては、回答を与えることはできない。
(c) 論理学の外に出るなら、「我々の本性及び外的事情によってこの判断を下すよう我々は強制される」と言える。すなわち、もし我々が思考を混乱させ判断を一切断念してしまうことを望まないならば、我々はその法則を承認しなければならないようなものなのである。

 「さて、何故またいかなる権利をもって我々がある論理法則を真と承認しうるのかという問いに対し、論理学はただ、論理学が当の法則を他の論理諸法則に還元することによってのみだと答えうる。これが可能でない場合には、論理学は回答を出さないままにする他はない。論理学の外に出るなら、次のように言いうる。即ち、我々の本性及び外的事情によってこの判断を下すよう我々は強制されるのであり、そして判断を下す場合には我々はこの法則―――例えば同一性の法則―――を斥けることはできず、もし我々の思考を混乱させ結局判断を一切断念してしまうことを望まないならば、我々はその法則を承認しなければならない、と。私はこの見解を論駁しようとも確証しようとも思わない。」
(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925)『算術の基本法則』序言 XVII、フレーゲ著作集3、p.21、野本和幸)
(索引:真理、論理法則)

フレーゲ著作集〈3〉算術の基本法則


(出典:wikipedia
ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「1. 思考の本質を形づくる結合は、表象の連合とは本来異なる。
2. 違いは、[思考の場合には]結合に対しその身分を裏書きする副思想(Nebengedanke)が存在する、ということだけにあるのではない。
3. 思考に際して結合されるものは、本来、表象ではなく、物、性質、概念、関係である。
4. 思想は、特殊な事例を越えてその向こう側へと手を伸ばす何かを常に含んでいる。そして、これによって、特殊な事例が一般的な何かに帰属するということに気づくのである。
5. 思想の特質は、言語では、繋辞や動詞の人称語尾に現われる。
6. ある結合[様式]が思想を形づくっているかどうかを識別するための基準は、その結合[様式]について、それは真であるかまたは偽であるかという問いが意味を持つか否かである。
7. 真であるものは、私は、定義不可能であると思う。
8. 思想を言語で表現したものが文である。我々はまた、転用された意味で、文の真理についても語る。
9. 文は、思想の表現であるときにのみ、真または偽である。
10.「レオ・ザクセ」が何かを指示するときに限り、文「レオ・ザクセは人間である」は思想の表現である。同様に、語「この机」が、空虚な語でなく、私にとって何か特定のものを指示するときに限り、文「この机はまるい」は思想の表現である。
11. ダーウィン的進化の結果、すべての人間が 2+2=5 であると主張するようになっても、「2+2=4」は依然として真である。あらゆる真理は永遠であり、それを[誰かが]考えるかどうかということや、それを考える者の心理的構成要素には左右されない
12. 真と偽との間には違いがある、という確信があってはじめて論理学が可能になる。
13. 既に承認されている真理に立ち返るか、あるいは他の判断を利用しないかのいずれか[の方法]によって、我々は判断を正当化する。最初の場合[すなわち]、推論、のみが論理学の対象である。
14. 概念と判断に関する理論は、推論の理論に対する準備にすぎない。
15. 論理学の任務は、ある判断を他の判断によって正当化する際に用いる法則を打ち立てることである。ただし、これらの判断自身は真であるかどうかはどうでもよい。
16. 論理法則に従えば判断の真理が保証できるといえるのは、正当化のために我々が立ち返る判断が真である場合に限る。
17. 論理学の法則は心理学の研究によって正当化することはできない。
」 (ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925)『論理学についての一七のキー・センテンス』フレーゲ著作集4、p.9、大辻正晴)

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2018年6月19日火曜日

01.「真であることの法則」と論理法則は、人がそれを「真とみなす」かどうかの心理法則ではなく、何か動かしがたい永遠の基礎に依存しているに違いない。(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))

真理と論理法則

【「真であることの法則」と論理法則は、人がそれを「真とみなす」かどうかの心理法則ではなく、何か動かしがたい永遠の基礎に依存しているに違いない。(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))】
(1) 論理法則は、「真とみなす」ことに関する心理法則ではない。論理法則が真であることは、以下のすべての状況と矛盾するものではない。それは、「真であることの法則」である。
 (a) 全ての人によって真とみなされる。
 (b) 多数の人によって真とみなされる。
 (c) 一人の人によって真とみなされる。
 (d) 全ての人によって偽とみなされる。
(2) 真であることは、誰かによって承認されるということに依存しない。従って、「真であることの法則」も、心理法則ではない。
(3) 我々の思考が、「真であることの法則」を逸脱することはあり得るとしても、その法則は何か「動かすことのできない永遠の基礎」を持っているに違いない。
 「真理は、一人によってであれ多数のひとによってであれ、すべてのひとにおいてであれ、真と見なされることとは何か別のことであり、真と見なされることには決して還元できない、と。真であるということは、すべてのひとによって偽と見なされることとはなんら矛盾しない。私は論理法則を、真と見なすことに関する心理法則ではなく、真であることの法則であると解する。戸外で風がうなっている間に私はこれを一八九三年七月一三日に私の部屋で書いているということが真であるならば、すべての人間がそれを後刻偽と見なしたとしても、それは真であり続ける。もしこのように真であることが誰かによって承認されるということに依存しないのならば、真であることの法則もまた心理法則ではないのであり、それら[真であることの法則]は、我々の思考が[それを]逸脱することがありうるとしても、動かすことのできない永遠の基礎のうちに境界石を固定しているのである。真であることの法則はこうしたものであるが故に、我々の思考が真理に到達しようとする場合に、それら[の法則]は我々の思考にとって規準となるのである。」
(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925)『算術の基本法則』序言 XVI、フレーゲ著作集3 、pp.18-19、野本和幸)
(索引:真理、論理法則)

フレーゲ著作集〈3〉算術の基本法則


(出典:wikipedia
ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「1. 思考の本質を形づくる結合は、表象の連合とは本来異なる。
2. 違いは、[思考の場合には]結合に対しその身分を裏書きする副思想(Nebengedanke)が存在する、ということだけにあるのではない。
3. 思考に際して結合されるものは、本来、表象ではなく、物、性質、概念、関係である。
4. 思想は、特殊な事例を越えてその向こう側へと手を伸ばす何かを常に含んでいる。そして、これによって、特殊な事例が一般的な何かに帰属するということに気づくのである。
5. 思想の特質は、言語では、繋辞や動詞の人称語尾に現われる。
6. ある結合[様式]が思想を形づくっているかどうかを識別するための基準は、その結合[様式]について、それは真であるかまたは偽であるかという問いが意味を持つか否かである。
7. 真であるものは、私は、定義不可能であると思う。
8. 思想を言語で表現したものが文である。我々はまた、転用された意味で、文の真理についても語る。
9. 文は、思想の表現であるときにのみ、真または偽である。
10.「レオ・ザクセ」が何かを指示するときに限り、文「レオ・ザクセは人間である」は思想の表現である。同様に、語「この机」が、空虚な語でなく、私にとって何か特定のものを指示するときに限り、文「この机はまるい」は思想の表現である。
11. ダーウィン的進化の結果、すべての人間が 2+2=5 であると主張するようになっても、「2+2=4」は依然として真である。あらゆる真理は永遠であり、それを[誰かが]考えるかどうかということや、それを考える者の心理的構成要素には左右されない
12. 真と偽との間には違いがある、という確信があってはじめて論理学が可能になる。
13. 既に承認されている真理に立ち返るか、あるいは他の判断を利用しないかのいずれか[の方法]によって、我々は判断を正当化する。最初の場合[すなわち]、推論、のみが論理学の対象である。
14. 概念と判断に関する理論は、推論の理論に対する準備にすぎない。
15. 論理学の任務は、ある判断を他の判断によって正当化する際に用いる法則を打ち立てることである。ただし、これらの判断自身は真であるかどうかはどうでもよい。
16. 論理法則に従えば判断の真理が保証できるといえるのは、正当化のために我々が立ち返る判断が真である場合に限る。
17. 論理学の法則は心理学の研究によって正当化することはできない。
」 (ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925)『論理学についての一七のキー・センテンス』フレーゲ著作集4、p.9、大辻正晴)

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