ラベル 自由市場 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 自由市場 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2022年2月24日木曜日

16. 「自由貿易」や「自由市場」とは実際には投資家にとっての利潤取得の保障を主要に狙う、グローバルな行政機構の形成のことであり、「グローバリゼーション」の本当の意味は官僚制化である。このシステムの諸基礎は1940年代に構築され、冷戦の衰退とともに真に実効的となった。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))

自由貿易、自由市場とは何か

 「自由貿易」や「自由市場」とは実際には投資家にとっての利潤取得の保障を主要に狙う、グローバルな行政機構の形成のことであり、「グローバリゼーション」の本当の意味は官僚制化である。このシステムの諸基礎は1940年代に構築され、冷戦の衰退とともに真に実効的となった。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))


 
(a)国際機関、官僚組織
 頂点には、NAFTAのような条約機構やEUとともに、 IMF、世界銀行、WTO、そしてG8諸国のような貿易にかかわる官僚組織がある。グローバルサウスのいわゆる民主的な政府も従っている経済政策、社会政策を展開させているのは、これらの組織である。
(b)金融会社
 トップのすぐ下には、ゴールドマン・サックス、リーマンブラ ザース、アメリカ保険グループのようなグローバルに展開する大規模金融会社、それに加え て、スタンダード&プアーズのような諸組織がある。
(c)超国家的巨大企業
 その下には、超国家的巨大企業がやってくる。「国際貿易」と呼ばれるものの多くが、実際には、同じ企業のさまざまな部門のあい だの、物資のやりとりを意味している。
(d)NGO
 最後に、NGOがあって、世界のさまざまな場所で、 かつては政府によっていた社会的サーヴィスの多くを担うようになった。その結果、ネパール にある市街の都市計画とかナイジェリアのある小さな町の保健政策が、チューリッヒやシカゴ の事務所で練られることになるわけである。


「グローバリゼーションとは、新テクノロジーによって拓かれた平和的貿易という自然のプ ロセスではない。

「自由貿易」とか「自由市場」といった用語でもって語られてきたものの内 実は、地球規模の行政官僚システムの世界初の実質的な完成であり、それも自覚的にもくろま れたくわだてであった。

このシステムの諸基礎が構築されたのは1940年代であるが、真に実効 的となったのは冷戦の衰退とともにはじめてである。

この過程のなかで、それらはしばしば概 念上においてすらまったく区別できない、公的要素と私的要素の徹底した絡み合いからなるよ うになった。同時期に形成された、それ以外のほとんどのより小規模の官僚制システムも同様 であった。

次のように考えてみよう。頂点には、NAFTAのような条約機構やEUとともに、 IMF、世界銀行、WTO、そしてG8諸国のような貿易にかかわる官僚組織がある。グローバルサ ウスのいわゆる民主的な政府もしたがっている経済政策――社会政策すらも――を展開させている のは、これらの組織である。

トップのすぐ下には、ゴールドマン・サックス、リーマンブラ ザース、アメリカ保険グループのようなグローバルに展開する大規模金融会社、それに加え て、スタンダード&プアーズのような諸組織がある。

その下には、超国家的巨大企業がやって くる(「国際貿易」と呼ばれるものの多くが、実際には、おなじ企業のさまざまな部門のあい だの、物資のやりとりを意味している)。

最後に、NGOがあって、世界のさまざまな場所で、 かつては政府によっていた社会的サーヴィスの多くを担うようになった。その結果、ネパール にある市街の都市計画とかナイジェリアのある小さな町の保健政策が、チューリッヒやシカゴ の事務所で練られることになるわけである。  

当時、わたしたちは、事態について、まったくこうした観点から把握してはいなかった。

つ まり、「自由貿易」や「自由市場」とは実際には投資家にとっての利潤取得の保障を主要に狙 うグローバルな行政機構の形成のことである、とか、「グローバリゼーション」の本当の意味 は官僚制化である、という観点である。

ときに、その地点にまで接近はした。しかし、それを 明確に理解し、表現することはめったになかったのである。」
(デヴィッド・グレーバー(1961-2020),『官僚制のユートピア』,序 リベラリズムの鉄則と 全面的官僚制化の時代,pp.41-42,以文社(2017),酒井隆史(訳),芳賀達彦(訳),森田和樹 (訳))

官僚制のユートピア テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則 [ デヴィッド・グレーバー ]


デヴィッド・グレーバー
(1961-2020)








2022年2月15日火曜日

2.人間観、社会観、政治理念には、数多くの矛盾する理念がある。しかし金融、政治エリートたちは、資本主義の理念に疑問を抱くことが不可能な世界を創出するために、経済的人間と自由市場の理念の常識化に多大な時間と精力を注いできた。従って、真の革命は、人々の常識を揺さぶるようなものでなければ、前進は不可能である。 (デヴィッド・グレーバー(1961-2020))

疑問を抱くことが不可能な世界の革命

人間観、社会観、政治理念には、数多くの矛盾する理念がある。しかし金融、政治エリートたちは、資本主義の理念に疑問を抱くことが不可能な世界を創出するために、経済的人間と自由市場の理念の常識化に多大な時間と精力を注いできた。従って、真の革命は、人々の常識を揺さぶるようなものでなければ、前進は不可能である。 (デヴィッド・グレーバー(1961-2020))


(1)人間観、社会観、政治理念
 政治とは何か、もしくは政治とはどのようなものであるべきか、社会とは何か、人々の基本的なあり方とは何か、そし て人々が世界から求められているのは何かといった、きわめて原理的な想定がある。
 (a)ここには絶対的な合意はない。多くの人々は、これらの問いをめぐる数多くの矛盾する考え方を抱いて いる。
(2)経済的存在としての人間と自由市場のイデオロギー
 人は基本的に経済的な存在である。すなわち民主主義とは市場であり、自由とは市場に参入する権利のことであり、消費者がますます豊かになることが、国 家的成功の尺度である。
 (a)それは常識であるという説得
 アメリカのメディアは、アメリカ人が既存の政治システムの諸条件を受け入れるよう説得するよりも、あらゆる人がそうしていると説得するようになってい る。
 (b)資本主義の理念に疑問を抱くことが不可能な世界の創出
  この国を動かしている金融エリート、政治エリートたちはこのイデオロギー的ゲームにすべてを賭けている。かれらは、実際に存続可能 な資本主義の形式を創出することよりも、資本主義という理念に疑問を抱くことをほぼ不可能 にする世界を創出することに多大な時間と精力を注いできた。
 


「真の革命の目的は、政治的・経済的関係の単なる再配置ではない。

真の革命は、つねに 人々の常識的水準に働きかけるものでなければならない。

アメリカではこれ以外のいかなる方 法でも前進は不可能であった。

説明しよう。  これまで論じてきたように、アメリカのメディアは、アメリカ人が既存の政治システムの諸 条件を受け入れるよう説得するよりも、あらゆる人がそうしていると説得するようになってい る。

ただこのことは特定のレベルにのみ当てはまる。より深層には、政治とは何か、もしくは政治とはどのようなものであるべきか、社会とは何か、人々の基本的なあり方とは何か、そし て人々が世界から求められているのは何かといった、きわめて原理的な想定がある。

ここには 絶対的な合意はない。多くの人々は、これらの問いをめぐる数多くの矛盾する考え方を抱いて いる。

それでもやはり重心は明確にある。深く埋め込まれた数多くの想定がある。 

 事実、世界の多くで、アメリカは政治的生活についてのある哲学の本拠地だといわれてい る。その哲学とは、何よりも人は基本的に経済的な存在であること、すなわち民主主義とは市 場であり、自由とは市場に参入する権利のことであり、消費者がますます豊かになることが国 家的成功の尺度であるというものである。

世界の大半でこれは「新自由主義」として知られて おり、数多くある哲学のなかのひとつとみなされ、その評価については国民的議論になってい る。

アメリカではこの単語はまったく使われない。われわれはこれらの事柄についてはただ 「自由」「自由市場」「自由貿易」「自由企業」「アメリカ的な生活」といったプロパガンダ 用語を通してしか語ることができない。

このような発想を冷笑はできるし、実際アメリカ人も そうすることはある。だがその基底にあるものに挑むためには、アメリカ人であることの意味 を根本から問い直さなければならない。

それは、必然的に革命的なプロジェクトたらざるをえ ない。そしてそれは同時にきわめて難しいことだ。

この国を動かしている金融エリート、政治 エリートたちはこのイデオロギー的ゲームにすべてを賭けている。かれらは、実際に存続可能 な資本主義の形式を創出することよりも、資本主義という理念に疑問を抱くことをほぼ不可能 にする世界を創出することに多大な時間と精力を注いできた。

その結果、われわれの帝国と経 済システムが窒息しよろめき、周囲のあらゆるものが崩壊する兆しが見えても、われわれの多 くは茫然としたまま、なにか別の可能性が存在することに思い至らなくなってしまったのであ る。」
 (デヴィッド・グレーバー(1961-2020),『デモクラシー・プロジェクト』,第II章 なぜうま くいったのか,pp.137-138,航思社(2015),木下ちがや(訳),江上賢一郎(訳),原民樹(訳)) 


デヴィッド・グレーバー
(1961-2020)






人気の記事(週間)

人気の記事(月間)

人気の記事(年間)

人気の記事(全期間)

ランキング

ランキング


哲学・思想ランキング



FC2