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2022年2月15日火曜日

3.議員に影響力を行使しようとして金銭を渡すことが賄賂なら、選挙キャンペーンの資金調達とロビー活動の組み合わせは、実質的には贈収賄である。この事実への言及を避ける狡猾な方法は、金銭の受け取りによって政治家が、法案の何らかの部分について立場を変えたと証明できるとき「本当の」贈収賄であると決めることだ。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))

贈収賄を合法化する狡猾な方法

議員に影響力を行使しようとして金銭を渡すことが賄賂なら、選挙キャンペーンの資金調達とロビー活動の組み合わせは、実質的には贈収賄である。この事実への言及を避ける狡猾な方法は、金銭の受け取りによって政治家が、法案の何らかの部分について立場を変えたと証明できるとき「本当の」贈収賄であると決めることだ。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))


(a)実質的な贈収賄
 今では、賄賂を要求することには「資金調達」、贈収賄そのものには「ロビー活動」という新たな名称がつけられている。自分の選挙キャンペーンの資金調達を銀行に依存している政治家が、銀行のロビイストに対し、銀行を「規制」することになる法律を作成あるいは執筆することすら認めているのであ れば、銀行が政治家に特定の便宜を図るよう依頼する必要などほぼないのである。
(b)「本当の」贈収賄
 カネの受け取りによって政治家が、法案の何らかの部分について立場を変えたと証明できない限り、それは「贈収賄」ではないとする政治学者たちのお馴染みのセ リフに留意しておきたいと思う。このロジックでは、もし政治家がある法案に賛成票を投じようという気になり、カネを受け取り、後に自身の気が変わり反対票を投じる場合が贈収賄にな るのだ。
(c)贈収賄とはされない行為
 もし政治家が初めから、ある法案に対する自分の見解を、見返りとしてカネを くれる人間の目線でつくりあげる、あるいは資金提供者のロビイストたちに法案を書いてもら う場合には、贈収賄とはみなされない。
(d)対価を支払って影響力を行使することが悪でないとする考え
 何かを やらせるためにカネを払うことはそれ自体は悪ではないなどと、カネで影響力を行使することを大筋で認めれば、市民の一般生活の道徳はまったく異なった様相を呈しはじめる。



「だがやはり、アメリカ最大のタブーは、自らの腐敗について語ることである。

かつて、議 員に影響力を行使しようとしてカネを渡すことが「賄賂」とみなされ、違法とされた時代が あった。

それはカネを詰めたカバンを運び、特別な依頼――土地区画法の変更、建築契約の決 定、犯罪事件の起訴取り下げ等々――をする裏稼業が蔓延したからだ。

今では、賄賂を要求することには「資金調達」、贈収賄そのものには「ロビー活動」という新たな名称がつけられてい る。

自分の選挙キャンペーンの資金調達を銀行に依存している政治家が、銀行のロビイストに 対し、銀行を「規制」することになる法律を作成あるいは執筆することすら認めているのであ れば、銀行が政治家に特定の便宜を図るよう依頼する必要などほぼないのである。

この点にお いて、贈収賄はわれわれの政府のシステムのまさに土台になってしまっている。

この事実への 言及を避けるために、さまざまなレトリカルな策が弄される――〔したがって〕最も重要なの は、ある特定の行為(たとえば具体的には土地区画法を変更してもらう見返りにカネを差し出 すこと)を非合法のままにしておくことで、本当の「贈収賄」とは、政治的便宜を図るのと引 き換えに《別の》何らかの方法でカネを受け取ることだ、と主張するできるようにすることで ある。

ここで、こうしたカネの受け取りによって政治家が、法案の何らかの部分について立場 を変えたと証明できない限り、それは「贈収賄」ではないとする政治学者たちのお馴染みのセ リフに留意しておきたいと思う。

このロジックでは、もし政治家がある法案に賛成票を投じよ うという気になり、カネを受け取り、後に自身の気が変わり反対票を投じる場合が贈収賄にな るのだ。しかしもし政治家が初めから、ある法案に対する自分の見解を、見返りとしてカネを くれる人間の目線でつくりあげる、あるいは資金提供者のロビイストたちに法案を書いてもら う場合には、贈収賄とはみなされない。

このような区別が本来の目的に対して意味をなさない のはいうまでもない。

だが、ワシントンの平均的な上院議員や下院議員が再選を望むならば、 就任時から週におよそ1万ドルは調達しなければならないという事実は依然としてある。かれ らが調達するカネのほとんどは、1%の最富裕層からのものだ。

その結果、選出された議員 は、在任中のおよそ3割の時間を賄賂の要求に費やしている。  

こうしたことの一切はこれまでにも指摘され、論じられてきたこと――たとえ適切に名指され ないというタブーがあるにしても――である。

だが、あまり指摘されてこなかったのは、何かを やらせるためにカネを払うこと――従業員だけではなく、名誉も権力も最も持っている者も含め たあらゆる人に対して――はそれ自体は悪ではないなどと、カネで支配(影響力)を行使するこ とを大筋で認めれば、市民の一般生活の道徳はまったく異なった様相を呈しはじめることであ る。

誰かが都合のよい地位を得るために公務員に賄賂を渡していいならば、学者、科学者、 ジャーナリスト、そして警察はどうなるだろうか。」
(デヴィッド・グレーバー(1961-2020),『デモクラシー・プロジェクト』,第II章 なぜうま くいったのか,pp.142-144,航思社(2015),木下ちがや(訳),江上賢一郎(訳),原民樹(訳)) 


デヴィッド・グレーバー
(1961-2020)






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