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2018年11月27日火曜日

12.問題:任意の意義のいずれもが我々の二次元の文字で表現可能である、という我々の確信の根拠は、どこにあるのか?(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951))

2次元の文字

【問題:任意の意義のいずれもが我々の二次元の文字で表現可能である、という我々の確信の根拠は、どこにあるのか?(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951))】

 「一九一四年九月二六日
 任意の意義のいずれもが我々の二次元の文字で表現可能である、という我々の確信、―――この確信には必ずきちんとした根拠があるのだろうが―――、この確信の根拠はどこにあるのか?」
(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951)『草稿一九一四~一九一六』一九一四年九月二六日、全集1、p.135、奥雅博)
(索引:2次元の文字)

ウィトゲンシュタイン全集 1 論理哲学論考


(出典:wikipedia
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「文句なしに、幸福な生は善であり、不幸な生は悪なのだ、という点に再三私は立ち返ってくる。そして《今》私が、《何故》私はほかでもなく幸福に生きるべきなのか、と自問するならば、この問は自ら同語反復的な問題提起だ、と思われるのである。即ち、幸福な生は、それが唯一の正しい生《である》ことを、自ら正当化する、と思われるのである。
 実はこれら全てが或る意味で深い秘密に満ちているのだ! 倫理学が表明《され》えない《ことは明らかである》。
 ところで、幸福な生は不幸な生よりも何らかの意味で《より調和的》と思われる、と語ることができよう。しかしどんな意味でなのか。
 幸福で調和的な生の客観的なメルクマールは何か。《記述》可能なメルクマールなど存在しえないことも、また明らかである。
 このメルクマールは物理的ではなく、形而上学的、超越的なものでしかありえない。
 倫理学は超越的である。」
(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951)『草稿一九一四~一九一六』一九一六年七月三〇日、全集1、pp.264-265、奥雅博)

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951)
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