2022年5月3日火曜日

言葉を使って、人間が何を為すことができるのかを調べるために、辞書に記載のある動詞を分類してみた。これらいずれの型に関しても、極端な事例や、相互重複の可能性がなお広汎に存在するだろう。しかし、言明に関する真/偽の二分法と、価値/事実の二分法という呪物信仰に対する問題提起にはなろう。(ジョン・L・オースティン(1911-1960))

言葉で為すことができること

言葉を使って、人間が何を為すことができるのかを調べるために、辞書に記載のある動詞を分類してみた。これらいずれの型に関しても、極端な事例や、相互重複の可能性がなお広汎に存在するだろう。しかし、言明に関する真/偽の二分法と、価値/事実の二分法という呪物信仰に対する問題提起にはなろう。(ジョン・L・オースティン(1911-1960))


(0)5つの型

判定宣言型(Verdictives) 
権限行使型(Exercitives) 
行為拘束型(Commissives) 
態度表明型(Behabitives)
言明解説型(Expositives)  

(1)判定宣告型
(a)事実あるいは価値について、さまざまな理由から確信のもてない判定を伝える。
(b)陪審員、調停員、あるいは審判員による判定の宣告にその典型例をみることができる。
(c)推定、算定、評価など。


(2)権限行使型
(a)権力、権利、影響力の行使である。
(b)指名する、投票する、命令する、催促する、助言する、警告する等である。  

(3)行為拘束型
(a)約束する、あるいは、引き受けるなどに典型例をみることができる。
(b)この種の発言は、本来、人に何ごとかを余儀なくさせるものである。
(c)意図の宣言あるいは通告というように約束でないものも含む。
(d)加担する(siding with)のような、支持表明(espousal)とも呼ぶべきかなり曖昧なものまでも含んでいる。
(e)この種の発言が、判定宣告型と権限行使型に関連していることは明白である。

(4)態度表明型
(a)非常に雑多な一群のものであり態度および社会的行動(social behavior)に関係している。
(b)陳謝する、お祝いする、推奨する(commending)、慰める(condoling)、のろう(cursing)、挑戦する(challenging)などである。  

(5)言明解説型
(a)この型の発言は、いかなる仕方で発言が議論ないし会話の進行に適合しているかということや、いかにわれわれが言葉を使っているかということを明確にするものである。
(b)一般的に言えば、解説的(expository)なものである。
(c)例は、「私は返答する」「私は議論する」「私は譲歩する」「私は例示する」「私は想定する」「私は要請する」である。



 「さて、第一人称・単数・直接法・能動・現在形という単純な判定基準を(注意深く)使い、辞書(簡略なもので十分であろう)を自由な気持ちで通覧することによって、われわれは、10の3乗のオーダーの動詞の一覧表を得ることができる。私は以前に、一般的、暫定的な分類を試み、そしてそこで提案された分類項についてなんらかの指摘を行うつもりであると述べた。今や、われわれはまさにそれを行うところに来た。しかし、私は、諸君に対し、至極あいまいな言辞を弄し、そして、むしろ私のあがきを伝えるだけのことに終わるであろう。  私は、ここでより一般的な五つのクラスを区別する。しかし、けっして、それらのすべてについて等しく満足しているわけではない。にもかかわらず、これらのものは、例の二つの呪物信仰を、私の望み通りに、徹底的に混乱させるに十分である。その二つの呪物信仰とはすなわち、(1)真/偽の二分法に対する信仰と、(2)価値/事実の二分法に対する信仰である。以下、私は、発言内の力に応じて分類された5種類の発言を次のような、あまり人好きのしないかもしれない名称をもって呼ぶことにしたい。 (1)判定宣言型(Verdictives) (2)権限行使型(Exercitives) (3)行為拘束型(Commissives) (4)態度表明型(Behabitives)(これは不愉快な名だ) (5)言明解説型(Expositives)  以下これらを順を追ってとりあげることとしよう。ただそのまえに、それぞれについての大雑把な考えを示しておきたい。  第一の判定宣告型は、まさにその名が示すように、陪審員、調停員、あるいは審判員による判定の宣告にその典型例をみることができる。しかし、この種の発言に限られるものである必要はない。たとえば、推定、算定、評価であってもよいのである。ただし、その場合には、何ものか――事実あるいは価値――について、さまざまな理由から確信のもてない判定を伝えるということが本質的に含まれることとなる。  第二の権限行使型は、権力、権利、影響力の行使である。その例は、指名する、投票する、命令する、催促する、助言する、警告する等である。  第三の、行為拘束型は、約束する、あるいは、引き受けるなどに典型例をみることができる。この種の発言は、本来、人に何ごとかを《余儀なくさせる》ものであるが、それだけでなく、意図の宣言あるいは通告というように約束でないものも含み、さらには、たとえば加担する(siding with)のような、支持表明(espousal)とも呼ぶべきかなり曖昧なものまでも含んでいる。この種の発言が、判定宣告型と権限行使型に関連していることは明白である。  第四の、態度表明型は、非常に雑多な一群のものであり態度および《社会的行動》(social behavior)に関係している。例は、陳謝する、お祝いする、推奨する(commending)、慰める(condoling)、のろう(cursing)、挑戦する(challenging)などである。  第五の、言明解説型は、定義が困難である。この型の発言は、いかなる仕方で発言が議論ないし会話の進行に適合しているかということや、いかにわれわれが言葉を使っているかということを明確にするものである。すなわち、一般的に言えば、解説的(expository)なものである。例は、「私は返答する」「私は議論する」「私は譲歩する」「私は例示する」「私は想定する」「私は要請する」である。このいずれの型に関しても、極端な事例や扱いにくい事例や、相互重複の可能性がなお広汎に存在するということをわれわれは最初から明確に理解しておかなければならない。」
(ジョン・L・オースティン(1911-1960),『いかにして言葉を用いて事を為すか』(日本語書籍名『言語と行為』),第12講 言語行為の一般理論Ⅵ,pp.251-255,大修館書店(1978),坂本百大(訳))
(索引:)









(出典:wikipedia
ジョン・L・オースティン(1911-1960)の命題集(Propositions of great philosophers) 「一般に、ものごとを精確に見出されるがままにしておくべき理由は、たしかに何もない。われわれは、ものごとの置かれた状況を少し整理したり、地図をあちこち修正したり、境界や区分をなかり別様に引いたりしたくなるかもしれない。しかしそれでも、次の諸点を常に肝に銘じておくことが賢明である。
 (a)われわれの日常のことばの厖大な、そしてほとんどの場合、比較的太古からの蓄積のうちに具現された区別は、少なくないし、常に非常に明瞭なわけでもなく、また、そのほとんどは決して単に恣意的なものではないこと、
 (b)とにかく、われわれ自身の考えに基づいて修正の手を加えることに熱中する前に、われわれが扱わねばならないことは何であるのかを突きとめておくことが必要である、ということ、そして
 (c)考察領域の何でもない片隅と思われるところで、ことばに修正の手を加えることは、常に隣接分野に予期せぬ影響を及ぼしがちであるということ、である。
 実際、修正の手を加えることは、しばしば考えられているほど容易なことではないし、しばしば考えられているほど多くの場合に根拠のあることでも、必要なことでもないのであって、それが必要だと考えられるのは、多くの場合、単に、既にわれわれに与えられていることが、曲解されているからにすぎない。そして、ことばの日常的用法の(すべてではないとしても)いくつかを「重要でない」として簡単に片付ける哲学的習慣に、われわれは常にとりわけ気を付けていなければならない。この習慣は、事実の歪曲を実際上避け難いものにしてしまう。」
(ジョン・L・オースティン(1911-1960),『センスとセンシビリア』(日本語書籍名『知覚の言語』),Ⅶ 「本当の」の意味,pp.96-97,勁草書房(1984),丹治信春,守屋唱進)


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