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2019年4月6日土曜日

5.(a)法を基礎づける人間本性の原理、(b)目的と手段の体系、(c)解釈、修正、改善に必要な情報を完全に含む法典の体系化方法、(d)細部に及ぶ明確、正確な議論、具体的な改善案、(e)その適応例として訴訟法。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))

ベンサムの法哲学

【(a)法を基礎づける人間本性の原理、(b)目的と手段の体系、(c)解釈、修正、改善に必要な情報を完全に含む法典の体系化方法、(d)細部に及ぶ明確、正確な議論、具体的な改善案、(e)その適応例として訴訟法。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))】

(2.7)追加。

(2)ベンサムの考え
 (2.1)有害なものを避け、幸福を願う欲求(a)は、それ自体として望ましい唯一のものである。
 (2.2)上記の目的を実現するものが、望ましい、正しいものである。
 (2.3)これらは、人類だけでなく、感覚を持つあらゆる存在についても当てはまる。
 (2.4)社会は、個々の利益や快をそれぞれに追求している個々人からなっている。
  (2.4.1)社会は、以下の3つの強制力によって、人々がやむをえない程度を超えて互いに争いあうことが防止されている。
   (i)民衆的強制力(道徳的強制力)
    同胞の好意や反感から生じてくる苦と快を通じて作用する。
   (ii)政治的強制力
    法律の与える賞罰によって作用する。
   (iii)宗教的強制力
    宇宙の支配者から期待される賞罰によって作用する。
 (2.5)人間が持っている、その他さまざまな欲求と感情(b)は、それ自体としては善でも悪でもなく、それらが有害な行為を引き起こす限りにおいて、道徳論者や立法者の関心の対象となる。
  (i)共感は、有徳な行為を保証するものとしては不十分なものである。
  (ii)個人的愛情は、第三者に危害をもたらしがちであり、抑制される必要がある。
  (iii)博愛は大切な感情であるが、あらゆる感情のなかで最も弱く、不安定なものである。
 (2.6)人間が持っている、その他さまざまな欲求と感情(b)に対して、人があるものに対して快や不快を感じるべきだとか、感じるべきでないとか言ったりすることは、他人が侵害できない個々人独自の感性に対する不当で専制的な干渉である。
 (2.7)ベンサムの法哲学
  (2.7.1)法律の規定を検証するための、人間本性の原理を体系的に考察すること。
  (2.7.2)法哲学から神秘主義を駆遂し、ある明白で正確な目的に対する手段として、実際的な見地から法律を見ることの模範を示すこと。
  (2.7.3)法観念一般、法体系の観念やそれらの中に含まれている様々な一般的観念に付随している混乱や曖昧さを一掃すること。
   (i)曖昧さは、明確さと正確さによって対処すること。
   (ii)細部は、一般論によってではなく細部によって論ずること。
   (iii)既存のものが悪いことを示すだけではなく、具体的な改善案を提示すること。
  (2.7.4)すべての法律を、体系的に配列された一法典に転換すること。
   (a)従来の法典
    (a.1)専門用語が明確に定義されていない。
    (a.2)その結果、専門用語の意味を知るために、絶え間なく過去の判例を参照する必要がある。
   (b)体系的な法典
    (b.1)解釈のために必要なものを、すべて含む。
    (b.2)法典の修正や改善に必要な情報が、つねに整えられている。
    (b.3)法典の構成要素、諸要素間の関係、命名法、配列の仕方等、体系化方法を明確にする。
    (b.4)体系の全体構成において、不足要素が明確にされており、追加が容易にできる。
  (2.7.5)「司法制度や証拠に関する哲学も含めた訴訟手続に関する哲学が法哲学の他のいかなる部門よりも悲惨な状態にあることを発見し、それを一挙にほとんど完成の域にまでもっていった」。

 「栄誉はすべて彼のものである――彼の特別な資質以外には何もこれを成し遂げることはできなかっただろいう。

彼の不屈の忍耐力、他の人の意見によって支援されることを必要としない自立心、きわめて実際的な性分、総合的な習性――そして、とりわけ独自の方法が必要であった。

形而上学者は曖昧な一般論を武器としてこの主題にしばしば取り組んだが、自分たちが見いだしたままで進展させることはなかった。

法律は実際的な問題である。そこで検討されなければならないものは手段と目的であって、抽象観念ではなかった。

曖昧さは曖昧さによってではなく、明確さと正確さによって対処された。

細部は一般論によってではなく細部によって論じられた。

このような主題においては、既存のものが悪いことを示すだけでは何らかの進展を図ることはできず、どのようにすればそれらを良いものにできるかを示すことも必要であった。

ベンサム以外には、私たちが読んだことのあるどのような偉人もこのことをするのに適任ではなかった。彼はそれを決定的に成し遂げた。これらの著作[著作集]とこれから続いて出版される巻を見ていただきたい。

 ベンサムが成し遂げたことの詳細については立ち入ることはできない。ある程度の要約を作るだけでも数百頁が必要になるだろう。

私たちの評価を少数の項目のもとにまとめておくことにしよう。第一に、彼は法哲学から神秘主義を駆遂し、ある明白で正確な目的に対する手段として実際的な見地から法律を見ることの模範を示した。

第二に、彼は法観念一般、法体系の観念やそれらのなかに含まれているさまざまな一般的観念に付随している混乱や曖昧さを一掃した。

第三に、彼は《法典化》(codification)、言い換えれば、すべての法律を成文の体系的に配列された一法典に転換することの必要性と実現可能性を実証した。

それは、単一の定義を含んでおらず、あらゆる専門用語の意味を知るために絶え間なくそれまでの判例を参照しなければならないナポレオン法典のような法典ではなく、解釈のために必要なものをすべてその中に含み、法典そのものを修正したり改善したりするための準備がつねに整えられているような法典である。

彼はそのような法典がどのような部分から成り立っているか、そして部分同士はどのような関係にあるかを示し、彼らしい区別と分類によって、その命名法と配列の仕方はどのようなものでなければならないか、あるいはどのようなものになりうるかを示すために多くのことをなした。

彼がやり残したことについても、彼は他の人が多少とも簡単にできるようにしておいた。

第四に、彼は民法が備えようとしている社会の緊急事態や民法のもろもろの規定を検証する人間本性の原理を体系的に考察した。この考察は、精神的利益が考慮されなければならないときはつねに(私たちがすでにほのめかしたように)不完全なものであるが、物質的利益を保護するために策定されるあらゆる国の法律にとっては優れたものである。

第五に、(注目すべき仕事がすでになされていた刑罰という主題については言うまでもないことだが)彼は、司法制度や証拠に関する哲学も含めた訴訟手続に関する哲学が法哲学の他のいかなる部門よりも悲惨な状態にあることを発見し、それを一挙にほとんど完成の域にまでもっていった。

彼がその原理をひとつ残らず確立させたので、実際の制度を示そうとするときでさえするべきことはほとんど残されていない。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『ベンサム』,集録本:『功利主義論集』,pp.141-142,京都大学学術出版会(2010),川名雄一郎(訳),山本圭一郎(訳))
(索引:ベンサムの法哲学,法律,人間本性,目的と手段,法典)

功利主義論集 (近代社会思想コレクション05)


(出典:wikipedia
ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「観照の対象となるような事物への知的関心を引き起こすのに十分なほどの精神的教養が文明国家に生まれてきたすべての人に先験的にそなわっていないと考える理由はまったくない。同じように、いかなる人間も自分自身の回りの些細な個人的なことにしかあらゆる感情や配慮を向けることのできない自分本位の利己主義者であるとする本質的な必然性もない。これよりもはるかに優れたものが今日でもごく一般的にみられ、人間という種がどのように作られているかということについて十分な兆候を示している。純粋な私的愛情と公共善に対する心からの関心は、程度の差はあるにしても、きちんと育てられてきた人なら誰でももつことができる。」(中略)「貧困はどのような意味においても苦痛を伴っているが、個人の良識や慎慮と結びついた社会の英知によって完全に絶つことができるだろう。人類の敵のなかでもっとも解決困難なものである病気でさえも優れた肉体的・道徳的教育をほどこし有害な影響を適切に管理することによってその規模をかぎりなく縮小することができるだろうし、科学の進歩は将来この忌まわしい敵をより直接的に克服する希望を与えている。」(中略)「運命が移り変わることやその他この世での境遇について失望することは、主として甚だしく慎慮が欠けていることか、欲がゆきすぎていることか、悪かったり不完全だったりする社会制度の結果である。すなわち、人間の苦悩の主要な源泉はすべて人間が注意を向け努力することによってかなりの程度克服できるし、それらのうち大部分はほとんど完全に克服できるものである。これらを取り除くことは悲しくなるほどに遅々としたものであるが――苦悩の克服が成し遂げられ、この世界が完全にそうなる前に、何世代もの人が姿を消すことになるだろうが――意思と知識さえ不足していなければ、それは容易になされるだろう。とはいえ、この苦痛との戦いに参画するのに十分なほどの知性と寛大さを持っている人ならば誰でも、その役割が小さくて目立たない役割であったとしても、この戦いそれ自体から気高い楽しみを得るだろうし、利己的に振る舞えるという見返りがあったとしても、この楽しみを放棄することに同意しないだろう。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『功利主義』,第2章 功利主義とは何か,集録本:『功利主義論集』,pp.275-277,京都大学学術出版会(2010),川名雄一郎(訳),山本圭一郎(訳))
(索引:)

ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)
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