別の世界は可能である
人びとが自由に自分たちの生活を統治し得る世界を実現する助けになる社会理論の条件は第 一に、「別の世界は可能なのだ」という想定から出発することだ。現行制度は、不可避のものではない。そのような世界が可能でないということもあり得る。だが同時にその不可能性が証明されているわけでもない。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
「するとこの場合、設問は以下のようになるだろう。人びとが自由に自分たちの生活を統治 しうる世界を実現する助けになろうとしている者たちにとって、一体どのような社会理論が有 効なのか? そしてこれこそがこの小著の主題となっていく。 まずそのような理論の出発点となる前提がある。たくさんはない。おそらく二つだけだ。第 一にその理論は、ブラジルの民謡が歌うように「別の世界は可能なのだ(another world is possible)!」という想定から出発する。国家、資本主義、人種差別、男性支配といった 制度は、不可避のものではないということ、それらが存在していない世界を形成することは可 能であるということ、そのような世界の方がわれわれにとって良いのだ、ということ。こう いった原理に貢献することは、ほとんど信仰による行為である。というのも、一体だれがそのような保証を持っているだろう? そのような世界が「可能でない」ということもありうるの だ。だが同時に「その不可能性についての絶対知がない以上、それについて楽天主義に賭ける ことに道徳的規範がある」と主張することが可能である。より良い世界が可能かそうでないか 知りようがない以上、今日の惨状を正当化し、それを再生産することによって、われわれは万 人に裏切り行為を働いているのではないか? それが間違っていたとしても、それにできる限 り近づいた方がいいのだ。」
(デヴィッド・グレーバー(1961-2020),『アナーキスト人類学のための断章』,どうして学問 世界にはアナーキストがかくも少ないのか,pp.45-46,以文社(2006),高祖岩三郎(訳))
アナーキスト人類学のための断章 [ デヴィッド・グレーバー ]
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