生命の起源、生命の進化
生命の起源とは問題の起源である。問題の発現を、物理学的に説明できるだろうか。生命とは、問題を解決しつつある物理的構造体である。問題は、その存在が生物学的諸効果を生みだす原因となりうるという意味において実 在的であるが、それは何なのか。(カール・ポパー(1902-1994))
(a)物理的過程との相関、累進的な単称的分析
物理学的過程と細微にわたって相関しているとみなせないような、あるいは物理化学的 見地から累進的に分析できないような生物学的過程は存在しない。
(b)問題(あるいは情報)は実在的なものである
生物体のもろもろの問題は、物理学的なものではない。それらの問題は物的事物でもなけれ ば物理的法則でもなく、物理的事実でもない。それらの問題は特殊な生物学的実在である。こ れらの問題は、その存在が生物学的諸効果を生みだす原因となりうるという意味において「実 在的」である。
(c)生命の起源
生命の起源とは、問題の起源である。問題の発現を、物理学的に説明できるだろうか、これが問題である。
(d)自己増殖、適応、変異
増殖できると仮定してみよう。しかしそれでもなお、これら の物体は、もし適応ができないとすれば「生き」てはいないであろう。これを達成するためには、それらの物体は増殖に加えて正真正銘の変異性を必要と する。
(e)問題解決方法も、問題であった
生命とは、問題を解決しつつある物理的構造体である。問題を解決するすべを、様々な種は自然淘汰によって、つまり増殖と変異の方法によって「学ん」だ。そしてこの方法そのものも、同じ方法によって学びとられたも のである。
「生命の起源と《問題》の起源とは一致していると私は推測する。これは、生物学を化学 に、さらには物理学に還元しうるようになると期待できるかどうかという問題と無縁でない。 われわれがいつの日か無生物から生物を作り出せるであろうことは、単にありうるばかりでな く確からしいと私は考える。無生物から生物を作り出すことは、いうまでもなく(還元主義者 の見地からのみならず)それ自体としてきわめて興味をそそるものだが、それは生物学が物理 学または化学に「還元」できるということを《確定》しはしないであろう。なぜならば、それ は――物理的手段によって化学的化合物を作り出すわれわれの能力が、化学的結合の物理学的理 論を確立したり、あるいはそのような理論が存在するということさえ立証しないのと同様に―― 問題の発現の物理学的説明を確立しないだろうからである。 したがって、私の立場は《還元不可能性と創発》の理論を支持する立場だといえよう。そし てこの立場は次のような仕方でおそらく最もよく要約できるであろう。 (1)物理学的過程と細微にわたって相関しているとみなせないような、あるいは物理化学的 見地から累進的に分析できないような生物学的過程は存在しない、と私は推測する。しかし、 いかなる物理化学的理論も新しい問題の発現を説明できないし、またいかなる物理化学的過程 もそれ自体では《問題》を解決できない。(最小作用の原理とかフェルマの原理といった物理 学における変分原理は、おそらくこれに類したものであろうが、しかしそれらは問題への解決 にならない。アインシュタインの有神論的方法は、同じような目的のために神を用いようとす る。) (2)もしこの推測が支持できるとすれば、この推測は多くの区別に進んでいく。われわれは 次のものを互いに区別しなければならない。
物理学的問題=物理学者の問題
生物学的問題=生物学者の問題
生物体の問題=どのようにして生き残るか、どのようにして子孫を殖やすか、どのように変 化するか、どのように適応するか、といった問題
人間の作った問題=どのようにして浪費を抑制するか、といった問題
これらの区別から次のテーゼがもたらされる。
《生物体のもろもろの問題は物理学的なものではない。それらの問題は物的事物でもなけれ ば物理的法則でもなく、物理的事実でもない。それらの問題は特殊な生物学的実在である。こ れらの問題は、その存在が生物学的諸効果を生みだす原因となりうるという意味において「実 在的」である》。
(3)ある物体が自己増殖の問題を「解決」したと、つまり、それらの物体がみずからをまっ たく同じようにか、さもなければ結晶のように化学的に(あるいは機能的にさえ)《非本質 的》なわずかの欠損しかなくて、増殖できると仮定してみよう。しかしそれでもなお、これら の物体は、もし適応ができないとすれば、(十分な意味においては)「生き」てはいないであろう。これを達成するためには、それらの物体は増殖《に加えて》正真正銘の変異性を必要と する。 (4)事柄の「本質」は《問題解決》であると私はいいたい。(しかしわれわれは「本質」に ついて云々すべきでない。この言葉は、ここでは本気で使われていない。)われわれが知って いるような生命は、問題を解決しつつある物理的「物体」(より正確にいうと構造)から成り 立っている。問題を解決するすべを、さまざまな種は自然淘汰によって、つまり増殖プラス変 異の方法によって「学ん」だ。そしてこの方法そのものは、同じ方法によって学びとられたも のである。この遡及は必ずしも無限後退ではない――実際、それはかなりはっきりしたある発現 時にたどりつける。」
(カール・ポパー(1902-1994),『果てしなき探求』,37 形而上学としてのダーウィン主義, (下),pp.147-149,岩波書店(1995),森博(訳))
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カール・ポパー(1902-1994) |