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2019年11月4日月曜日

違憲の疑いが極めて大きく、法律制定手続の瑕疵も疑われるような法律について、もし裁判所が政治的問題であるとの理由で憲法判断を避けるとしたら、そのこと自体が、極めて政治的な判断であることになる。(伊藤真(1958-))

政治的問題とは何か

【違憲の疑いが極めて大きく、法律制定手続の瑕疵も疑われるような法律について、もし裁判所が政治的問題であるとの理由で憲法判断を避けるとしたら、そのこと自体が、極めて政治的な判断であることになる。(伊藤真(1958-))】

「次に、イラク訴訟等と異なり、法律制定手続自体の瑕疵をも問題にしている訴訟である。法律制定手続の異常さ、すなわち十分な議論も国民への説明もなされないままに、これまでとは全く違う国柄になってしまうような前代未聞の事態が起こった。民主主義というプロセスそのものが傷つけられたことを国家行為の違法性の根拠としている。そして何よりも、政治的に意見が分かれる問題について政治的敗者が不満を述べているようなものではまったくない。圧倒的多数の有識者や法律専門家が違憲と指摘する法律が、国民の半数以上が十分な議論を経たとはいえないとする中で、単なる数の力によって成立させられてしまったという法的にはクーデターとも評される事態を問題にしているのである。
 以上の諸点からもこれまでの9条裁判とは全く異なる性質を持った訴訟であり、裁判所の役割が、これまでの9条裁判よりも格段に強く求められていることを忘れてはならない。
 もちろん安全保障政策に関する国民の意思は多様である。具体的な安全保障政策の実現や外交交渉の内容などは政治部門の判断に委ねられている。
 しかし、そうだとしても、内閣、国会が最低限遵守しなければならない枠組みは憲法によって規定されている。政策の当不当の判断ではなく、こうした憲法の枠組みを逸脱した立法か否かの判断こそは司法の役割に他ならない。本件訴訟は、新安保法制法の安全保障政策上の当否の判断を裁判所に求めているものではない。あくまでも、新安保法制法が、憲法が許容している枠組みを逸脱しているか否かの判断を求めているだけである。それにもかかわらず、この問題を政治の場で解決するべき問題であるとして、裁判所が憲法判断を避けるようなことがあれば、すなわち、政治部門の行為が憲法の枠組みを逸脱しているか否かの判断をすることすら放棄してしまうことがあるとすれば、それこそ司法による政治部門への追随であり、極めて政治的な判断をしたと評価されることになろう。今回の事件は、憲法判断を避けること自体が極めて政治的な判断であることを意味する事案なのである。
 仮に、憲法判断を避けるとしたら、それは司法が政治に関わらない方がいいという話ではなく、司法はときの政権与党という特定の政治グループや政治家には逆らわない方がいいというだけの話に成り下がる。それを人は保身という。政治的判断に踏み込みたくないという裁判所の意図とはまったく逆に、裁判所が極めて政治的な対応をしたと国民は評価するであろう。その結果、裁判所に対する国民の信頼は失墜するであろう。」
(出典:国家賠償請求訴訟 平成28年(ワ)13525号 2018年5月11日 第7回 口頭弁論  報告集会資料(代理人意見陳述及び原告本人尋問証拠申出書より「証すべき事実」と「尋問事項」)裁判資料・国家賠償請求訴訟安保法制違憲訴訟の会
(索引:政治的問題)

(出典:安保法制違憲訴訟の会
安保法制違憲訴訟の会(2016-)(Collection of propositions of great philosophers)
安保法制違憲訴訟の会(2016-)
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アメリカやフランス、ドイツでは「人権保障」のために裁判所が積極的に違憲審査権を行使し、憲法違反との判決を下す。アメリカの政治問題の法理、フランスの「転轍手」理論、ドイツの連邦憲法裁判所である。(伊藤真(1958-))

違憲審査権

【アメリカやフランス、ドイツでは「人権保障」のために裁判所が積極的に違憲審査権を行使し、憲法違反との判決を下す。アメリカの政治問題の法理、フランスの「転轍手」理論、ドイツの連邦憲法裁判所である。(伊藤真(1958-))】

「4 外国の違憲審査制
 日本国憲法の違憲審査制のあり方について考える際に、日本と同様に立憲主義、法の支配、権力分立、民主主義、司法権の独立、そして基本的人権の保障などの憲法価値を重視している外国の違憲審査制のあり方が参考になる。
 まず、アメリカでは裁判所が積極的に違憲審査権の行使に踏み切ってきた事実を指摘できる。権力分立が機能してきたといえ、1986 年に連邦最高裁は、外交関連の問題がすべて政治問題となるわけではなく、政治問題となるのは政策の選択等であって、法律の解釈の問題は政治問題にはならないとしている。本件訴訟は、新安保法制法が違憲であるか否かという憲法問題を問うものであり、こうした重要な法律問題を解決するために裁判所が積極的にその権限を行使するべき事案であることは、アメリカの政治問題の法理の展開を見ても明らかである。
 なお、日本において、司法消極主義の根拠として、民主的基盤を持たない裁判所は民主的基盤を持つ政治部門の判断に対しては謙抑的であるべきだと主張されることがある。しかし、フランスの「転轍手」理論によれば、裁判所の判断はたとえ違憲判断であっても最終的には憲法改正国民投票を含めた国民の判断に委ねることになるのであるから、民主主義という観点からは全く問題がない。裁判所は政治部門と比較した際の自らの民主的基盤の弱さを理由に、積極的に憲法判断、違憲判断を下すことを躊躇する理由は一切ないといえる。
 ドイツでは憲法擁護のための機関として、連邦憲法裁判所が憲法に明記された。議会の決定がファシズムへの道を開いた歴史的事実から、かつての議会への信頼感が失われ、それを統制する必要性が広く共有されたからであった。アメリカやフランス、ドイツでは「人権保障」のために裁判所が積極的に違憲審査権を行使し、憲法違反との判決を下すことに躊躇しない現実がある。フランスの「転轍手」理論が示すように、違憲審査権は民主主義に反するどころか、主権者である国民に対して国政の最終決定権に関する意見表明の場を提供する可能性があるという点で、決して民主主義に反するものでないという主張が受け入れられている。フランスやドイツでも、「憲法院」や「連邦憲法裁判所」の積極的な人権擁護の判断は、多くの国民の支持を得ている。」
(出典:国家賠償請求訴訟 平成28年(ワ)13525号 2017年9月28日 第5回 口頭弁論 市民集会プログラムより抜粋裁判資料・国家賠償請求訴訟安保法制違憲訴訟の会
(索引:違憲審査権,政治問題の法理,転轍手理論,連邦違憲裁判所)

(出典:安保法制違憲訴訟の会
安保法制違憲訴訟の会(2016-)(Collection of propositions of great philosophers)
安保法制違憲訴訟の会(2016-)
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