概念によるシミュレーション
心拍、呼吸、内臓の動きなど、体内から得られた感覚刺激には、客観的な心理的意味など全く含まれていない。脳はつねに概念を用いてこれらの刺激をシミュレートしており、概念が関与し始めると、追加の意味が感覚刺激に付与される。(リサ・フェルドマン・バレット(1963-))
「生きている限り、脳はつねに概念を用いて外界をシミュレートしている。 概念を欠けば、ミツバチ が不定形のかたまりに見えたときのように経験盲の状態に置かれる。 脳は、概念を用いて本人が 気づかぬうちに自動的にシミュレートするため、視覚や聴覚をはじめとする感覚作用は、構築ではなく反射であるように思える。
さて今度は、次の問いを考えてみよう。 脳がそれと同じ手順を用いて、心拍、呼吸、内臓の動きなど、体内から得られた感覚刺激の意味も作り出していたとしたらどうだろう? 脳の観点からすれば、自分の身体は感覚入力の源泉のうちの一つにすぎない。心臓や肺、代謝作用、 体温の変化などに由来する感覚刺激は、図21に示されている不定形のかたまりのようなものだ。 これら純然たる身体由来の感覚刺激には、客観的な心理的意味などまったく含まれていない。しかし ひとたび概念が関与し始めると、追加の意味が感覚刺激に付与される。食卓にすわっているときに感 じた胃の痛みは、空腹として経験されるだろう。インフルエンザが流行っていたら、同じ痛 まは吐き として経験するだろう。 あるいは判事なら、被告を信用してはならないという虫の知らせ としてこの種の痛みを受け取るかもしれない。このように、脳は時と場合に応じて、概念を用いて、 外界の感覚刺激と体内に由来する感覚刺激の両方に同時に意味を付与するのだ。こうして脳は、 空腹、吐き気、疑いなどのインスタンスを生成する。」
(リサ・フェルドマン・バレット(1963-),『情動はこうしてつくられる』,第2章 情動は構築される,pp.60-61,紀伊國屋書店 ,2019,高橋洋(訳))