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2020年6月17日水曜日

34.背景的情動は,内的状態の指標であり,中核意識と密接に結びついている. 疲労,やる気,興奮,好調,不調,緊張,リラックス,高ぶり,気の重さ,安定,不安定,バランス,アンバランス,調和,不調和などがある。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

背景的情動

【背景的情動は,内的状態の指標であり,中核意識と密接に結びついている. 疲労,やる気,興奮,好調,不調,緊張,リラックス,高ぶり,気の重さ,安定,不安定,バランス,アンバランス,調和,不調和などがある。(アントニオ・ダマシオ(1944-))】

全般的に追記。

  (2.4.1)背景的情動
   (2.4.1.1)背景的情動の例
    疲労、やる気、興奮、好調、不調、緊張、リラックス、高ぶり、気の重さ、安定、不安定、バランス、アンバランス、調和、不調和などがある。
   (2.4.1.2)内的状態の指標
    (a)血液などの器官の平滑筋系や、心臓や肺の横紋筋の時間的、空間的状態。
    (b)それらの筋肉繊維に近接する環境の化学特性。
    (c)生体組織の健全性に対する脅威か、最適ホメオスタシスの状態か、そのいずれかを意味する化学特性のあり、なし。
   (2.4.1.3)背景的情動の表出
     狭義の情動の一つに「背景的情動」がある。エネルギーや熱意、わずかな不快、興奮、いらいら、落ち着き。四肢や体全体の動きの状態、顔の表情、声の中にある調べ、韻律によって知られる。(アントニオ・ダマシオ(1944-))
   (2.4.1.4)背景的情動と欲求や動機との関係
    欲求は、背景的情動の中に直接現れ、最終的に背景的情動により、われわれはその存在を意識するようになる。
   (2.4.1.5)背景的情動とムードとの関係
    ムードは、調整された持続的な背景的情動と、一次の情動との調整された持続的な感情とからなっている。たとえば、落ち込んでいる背景的情動と悲しみとの調整された持続的感情。
   (2.4.1.6)背景的情動と意識の関係
    背景的情動と中核意識は極めて密接に結びついているので、それらを容易には分離できない。

「顕著な背景的感情には、たとえば、疲労、やる気、興奮、好調、不調、緊張、リラックス、高ぶり、気の重さ、安定、不安定、バランス、アンバランス、調和、不調和などがある。背景的感情と欲求や動機との関係は密接だ。欲求は背景的情動の中に直接現れ、最終的に背景的感情によりわれわれはその存在を意識するようになる。背景的感情とムードとの関係も密接だ。ムードは、調整された持続的な背景的感情と、一次の情動――たとえば、落ち込んでいる場合は悲しみ――の、やはり調整された持続的な感情とからなっている。さらに、背景的感情と意識の関係も密接だ。背景的感情と中核意識はひじょうに密接に結びついているので、それらを容易には分離できない。
 たぶん背景的感情は、有機体のその瞬間の内的状態に対する忠実な指標と言っていいだろう。そして以下がその指標の中核的要素だ。
(1) 血液などの器官の平滑筋系や、心臓や肺の横紋筋の時間的、空間的状態。
(2) それらの筋肉繊維に近接する環境の化学特性。
(3) 生体組織の健全性に対する脅威か、最適ホメオスタシスの状態か、そのいずれかを意味する化学特性のあり、なし。
 このように、背景的感情のような単純な現象でさえ、さまざまなレベルの表象に依存している。たとえば、内的環境ならびに内臓と関係がある背景的感情の中には、脊髄の各分節の膠様質と中間質や、三叉神経核の下核のような、早期の信号に依存しているものもある。また、心臓機能における横紋筋の周期的作用や、孤束核や結合腕傍核のような特定の脳幹核における表象を必要としている平滑筋の収縮と拡張のパターンと関係する背景的感情もある。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『起こっていることの感覚』(日本語名『無意識の脳 自己意識の脳』)第4部 身体という劇場、第9章 情動と感情の基盤は何か、pp.342-343、講談社(2003)、田中三彦(訳))
(索引:)

無意識の脳 自己意識の脳


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

アントニオ・ダマシオ(1944-)
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33.必ずしも意識化されない情動誘発因が情動誘発部位を活性化し、身体と脳の多数の部位へ波及することで原自己が変化する。これら対象と原自己の変化が2次構造にマッピングされ、中核自己を構成する諸感情が発現する。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

情動と中核自己の発現

【必ずしも意識化されない情動誘発因が情動誘発部位を活性化し、身体と脳の多数の部位へ波及することで原自己が変化する。これら対象と原自己の変化が2次構造にマッピングされ、中核自己を構成する諸感情が発現する。(アントニオ・ダマシオ(1944-))】

(3)中核自己の発現の要約的記述
 参照: 「中核自己」の発現(アントニオ・ダマシオ(1944-))

 (3.1)対象の感覚的処理(1次マップ)
  (a)生命体が、ある対象に遭遇する。
   (i)情動誘発因
    対象に対する意識も、対象の認知も、このサイクルの継続に必ずしも必要ではない。
  (b)ある対象が、感覚的に処理される。
   (i)情動誘発部位
    対象のイメージの処理に伴う信号が、その対象が属している特定の種類の誘発因に反応するようプリセットされている神経部位(情動誘発部位)を活性化する。
 (3.2)原自己の変化(1次マップ)
  (a)対象からの関与が、原自己を変化させる。
  (b)身体と脳の多数の部位の反応
   情動誘発部位は、身体と他の脳の部位に向けての多数の反応を始動させ、情動を構成する身体と脳の反応を全面的に解き放つ。
  (c)身体と脳の状態変化の表象
   皮質下ならびに皮質部における一次のニューラル・マップは、それが「身体ループ」によるものか、「あたかも身体ループ」によるものか、あるいは両者の組合せによるものかには無関係に、身体状態の変化を表象する。こうして感情が浮上する。
 (3.3)情動誘発部位と原自己の2次マッピング
  情動誘発部位における神経活動のパターンと原自己の変化が、二次の構造にマッピングされる。かくして、情動対象と原自己の関係性についての説明が二次の構造においてなされる。
  (a)原初的感情が変化し、「その対象を知っているという感情」が発生する。(2次マップ)
  (b)知っているという感情が、対象に対する「重要性」を生み出し、原自己を変化させた対象へ関心/注意を向けるため、処理リソースを注ぎ込むようになる。(1次マップへのフィードバック)
  (c)「ある対象が、ある特定の視点から見られ、触られ、聞かれた。それは、身体に変化を引き起こし、その対象の存在が感じられた。その対象が重要とされた。」こうしたことが、起こり続けるとき、対象によって変化させられたもの、視点を持っているもの、対象を知っているもの、対象を重要だとし関心と注意を向けているもの、これらを担い所有する主人公が浮かび上がってくる。これが「中核自己」である。

《説明図》

対象→原自己→変調された原初的感情
↑  の変化 変調されたマスター生命体
│       │    ↓
│       │  視点の獲得
│       ↓
│     知っているという感情
│       ↓     │
└─────対象の重要性  ↓
             所有の感覚
             発動力


「情動の反応には少しもあいまいなもの、表現しがたいもの、不明確なものはない。また情動の感情になりうる表象にも、あいまいなもの、表現しがたいもの、不明確なものはない。情動の感情に対する基盤は、特定の構造のマップの中の、きわめて具体的な一連のニューラル・パターンである。
 要約すると、情動、感情、そして感情の感情まで、事象の推移はつぎの五段階に分けることができよう。ちなみに、最初の三つについては、情動に関する章でその概略を述べている。
(1) 情動誘発因と関わる有機体。誘発因とは、たとえば視覚的に処理され、視覚的表象をもたらす特定の対象。その際、その対象が意識化されることもあるし、されないこともある。認知されることもあるし、されないこともある。対象に対する意識も、対象の認知も、このサイクルの継続に必要ではないからだ。
(2) 対象のイメージの処理に伴う信号が、その対象が属している特定の種類の誘発因に反応するようプリセットされている神経部位(情動誘発部位)を活性化する。
(3) 情動誘発部位は、身体と他の脳の部位に向けての多数の反応を始動させ、情動を構成する身体と脳の反応を全面的に解き放つ。
(4) 皮質下ならびに皮質部における一次のニューラル・マップは、それが「身体ループ」によるものか、「あたかも身体ループ」によるものか、あるいは両者の組合せによるものかには無関係に、身体状態の変化を表象する。こうして感情が浮上する。
(5) 情動誘発部位における神経活動のパターンが、二次の神経構造にマッピングされる。これらの事象のために原自己が変化する。そして原自己の変化もまた、二次の構造にマッピングされる。かくして、「情動対象」(情動誘発部位における活動)と原自己の関係性についての説明が二次の構造においてなされる。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『起こっていることの感覚』(日本語名『無意識の脳 自己意識の脳』)第4部 身体という劇場、第9章 情動と感情の基盤は何か、pp.338-339、講談社(2003)、田中三彦(訳))
(索引:情動誘発因,原自己,中核自己,情動,感情)

無意識の脳 自己意識の脳


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

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2020年5月14日木曜日

32.情動は,対象の感知による一時的変化が,体液性信号と神経信号を通じ全身に伝播し,内部環境,内臓,筋骨格の状態,身体風景の表象を変化させ,脳状態の変更を通じて,特定行動誘発,認知処理モードの変化等を引き起こす。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

情動が引き起こす身体変化と脳変化

【情動は,対象の感知による一時的変化が,体液性信号と神経信号を通じ全身に伝播し,内部環境,内臓,筋骨格の状態,身体風景の表象を変化させ,脳状態の変更を通じて,特定行動誘発,認知処理モードの変化等を引き起こす。(アントニオ・ダマシオ(1944-))】

  (2.3.5)「脳や身体の状態を一時的に変更する」情動の身体過程
   (a)情動対象を感知する。
    (a.1)感覚で与えられた対象や事象を感知し、評価する。
    (場所:感覚連合皮質と高次の大脳皮質)
    (a.2)「あたかも身体ループ」:想起された対象や事象を感知し、評価する。
     この「あたかも」機構は、単に情動と感情にとって重要なだけでなく、「内的シミュレーション」とも言える一種の認知プロセスにとっても重要である。
   (b)有機体の状態が一時的に変化する。
    (b.1)身体状態と関係する変化:「身体ループ」または「あたかも身体ループ」
     (i)自動的に、神経的/化学的な反応の複雑な集まりが、引き起こされる。
     (場所:例えば「恐れ」であれば扁桃体が誘発し、前脳基底、視床下部、脳幹が実行する。)
     (ii)2種類の信号が変化を伝播する。
      (1)体液性信号:血流を介して運ばれる化学的メッセージ
      (2)神経信号:神経経路を介して運ばれる電気化学的メッセージ
     (iii)身体の内部環境、内蔵、筋骨格システムの状態が一時的に変化する。
      情動的状態は、身体の化学特性の無数の変化、内臓の状態の変化、そして顔面、咽喉、胴、四肢のさまざまな横紋筋の収縮の程度を変化させる。
     (iv)身体風景の表象が変化する。
      二種類の信号の結果として身体風景が変化し、脳幹から上の中枢神経の体性感覚構造に表象される。
    (b.2)認知状態と関係する変化
     脳構造の状態も一時的に変化し、身体のマップ化や思考へも影響を与える。
     次項目「思考や行動に影響を与える」へ。
   (c)有機体の一次的変化の表象
    一次的に変化した有機体の状態は、イメージとして表象される。
   (d)対象の意識化と自己感の発生
    有機体の一時的変化の表象は、情動の対象を強調し意識的なものに変化させる。同時に、対象を認識している自己感が出現する。
  (2.3.6)「思考や行動に影響を与える」:認知状態と関係する変化
   (a)情動のプロセスによって前脳基底部、視床下部、脳幹の核にいくつかの化学物質が分泌される。
   (b)分泌された神経調節物質が、大脳皮質、視床、大脳基底核に送られる。
   (c)その結果、以下のような重要な変化が多数起こる。
    (i)特定の行動の誘発
     たとえば、絆と養育、遊びと探索。
    (ii)現在進行中の身体状態の処理の変化
     たとえば、身体信号がフィルターにかけられたり通過を許されたり、選択的に抑制されたり強化されたりして、快、不快の質が変化することがある。
    (iii)認知処理モードの変化
     たとえば、聴覚イメージや視覚イメージに関して、遅いイメージが速くなる、シャープなイメージがぼやける、といった変化。この変化は情動の重要な要素である。
    (iv)引き起こされた特有な身体的パターン、行動パターンの種類がいくつか存在する。

「ある感情の基盤を構成する一連のニューラル・パターンは、二種類の生物学的変化の中で生じる。身体状態と関係する変化と、認知状態と関係する変化である。身体状態と関係する変化は、二つの機構によって実現される。一つの機構は、私が「身体ループ」と呼ぶもの。それは体液性信号(血流を介して運ばれる化学的メッセージ)と神経信号(神経経路を介して運ばれる電気化学的メッセージ)の双方を使う。二種類の信号の結果として身体風景が変化し、それは脳幹から上の中枢神経の体性感覚構造に表象される。
 身体風景の表象の変化は、部分的に「あたかも身体ループ」という別の機構によってもなされる。この代替的な機構では、身体関係の変化の表象が、たとえば前頭前皮質などにある他の神経部位の制御のもとで、直接、感覚身体マップの中につくられる。「あたかも」本当に身体が変化したかのようだが、実際にはそうではない。この「あたかも身体ループ」の機構は、部分的ないし全面的に身体をバイパスするようになっている。私はこれまで、身体をバイパスすることは時間とエネルギーを節約し、状況によってそれはひじょうに有用なものだと言ってきた。この「あたかも」機構は、単に情動と感情にとって重要なだけでなく、「内的シミュレーション」とも言える一種の認知プロセスにとっても重要だ。
 一方、認知状態と関係する変化が生み出されるのは、情動のプロセスによって前脳基底部、視床下部、脳幹の核にいくつかの化学物質が分泌され、それらの物質が他のいくつかの脳部位に送られるときだ。これらの核が大脳皮質、視床、大脳基底核に神経調節物質を放つと、それにより脳の作用に重要な変化が多数起こる。私が考えているもっとも重要な変化には以下のものがある。
(1) 特定の行動(たとえば、絆と養育、遊びと探索)の誘発。
(2) 現在進行中の身体状態の処理の変化(たとえば、身体信号がフィルターにかけられたり通過を許されたり、選択的に抑制されたり強化されたりして、快、不快の質が変化することがある)。
(3) 認知処理モードの変化(たとえば、聴覚イメージや視覚イメージに関して、遅いイメージが速くなる、シャープなイメージがぼやける、といった変化。この変化は情動の重要な要素である)。」(中略)
「要するに、情動的状態は身体の化学特性の無数の変化、内臓の状態の変化、そして顔面、咽喉、胴、四肢のさまざまな横紋筋の収縮の程度の変化によってきまる。しかし情動的状態はまた、そうした変化を引き起こすとともに脳そのものの中のいくつかの神経回路の状態に、重要な変化をもたらしている一連の神経構造における変化によってもきまる。
 情動とは具体的に生じた有機体の状態の一時的変化、と単純に定義するなら、情動を感じるとは、つぎのように単純に定義できる。つまり、情動を感じるとは、有機体の状態のそうした一時的変化を、ニューラル・パターンとそれがもたらすイメージで表象することだ。そして、それらのイメージにただちに認識中の自己感が伴い、それらのイメージが強調されると、それらは意識的なものとなる。真の意味で、それらのイメージは「感情の感情」(feeling of feelings)である。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『起こっていることの感覚』(日本語名『無意識の脳 自己意識の脳』)第4部 身体という劇場、第9章 情動と感情の基盤は何か、pp.336-338、講談社(2003)、田中三彦(訳))
(索引:身体,情動,感情,体液性信号,神経信号,内部環境,身体風景)

無意識の脳 自己意識の脳


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

アントニオ・ダマシオ(1944-)
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2018年11月22日木曜日

31.集中的な注意,延長意識,中核意識,情動,低いレベルの注意,覚醒,精神分析的無意識,意識化されないイメージ,イメージ化以前のニューラル・パターン,ニューラル・パターン以前の獲得された傾性とその改編,生得的傾性。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

集中的な注意から無意識への系列

【集中的な注意,延長意識,中核意識,情動,低いレベルの注意,覚醒,精神分析的無意識,意識化されないイメージ,イメージ化以前のニューラル・パターン,ニューラル・パターン以前の獲得された傾性とその改編,生得的傾性。(アントニオ・ダマシオ(1944-))】

(7)、(8)追加記載。

(1)集中的な注意
 ・集中的な注意は、意識が生まれてから生じる。
(2)延長意識:「わたし」という自己感を授け、過去と未来を自覚させる。
 ・言語、記憶、理性は、延長意識の上に成立する。
(3)中核意識:「いま」と「ここ」についての自己感を授けている。
 ・中核意識は、言語、記憶、理性、注意、ワーキング・メモリがなくても成立する。
 ・統合的、統一的な心的風景を生み出すことそのものが、意識ではない。統合的、統一的なのは、有機体の単一性の結果である。
 ・意識のプロセスのいくつかの側面を、脳の特定の部位やシステムの作用と関係づけることができる。
(4)情動
 ・意識と情動は、分離できない。
 ・意識に障害が起こると、情動にも障害が起こる。
(5)低いレベルの注意
 ・生得的な低いレベルの注意は、意識に先行して存在する。
 ・注意は、意識にとって必要なものだが、十分なものではない。注意と意識とは異なる。
(6)覚醒
 ・正常な意識がなくても、人は覚醒と注意を維持できる。
(参照: 意識に関する諸事実:(a)特定脳部位との関係付け。(b)意識、低いレベルの注意、覚醒。(c)意識と情動の非分離性。(d)中核意識、延長意識の区別。(e)中核意識の成立条件。(f)統合的な心的風景について。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

(7)精神分析的無意識
 自伝的記憶を支えている神経システムにそのルーツがある。
(8)中核意識においても延長意識においても認識されず、非意識的なままとどまっている大量のプロセスとコンテンツ。
 (8.1)意識化されないイメージ
  われわれが注意を向けていない、完全に形成されたすべてのイメージ。
 (8.2)イメージ以前のニューラル・パターン
  決してイメージにはならない全てのニューラル・パターン。
 (8.3)ニューラル・パターン以前の獲得された傾性
  経験をとおして獲得されるが、休眠したままで、恐らく明示的ニューラル・パターンにはならない全ての傾性。
 (8.4)獲得された傾性の改編
  そのような傾性の静かなる改編の全てと、それら全ての静かなる再ネットワーク化。
 (8.5)生得的傾性
  自然が生得的、ホメオスタシス的傾性の中に具現化した、すべての隠れたる知恵とノウハウ。

「精神分析的無意識の世界は自伝的記憶を支えている神経システムにそのあたりルーツがあり、ふつう精神分析は、自伝的記憶の中の複雑に絡み合った心理学的結びつきを調べる手段とみなされている。

しかし、必然的にその世界は、私がいま概略を述べた他の種類の結びつきとも関係している。

 われわれの文化の中で言われてきた狭い意味での「無意識」は、中核意識においても延長意識においても認識されず、非意識的なままとどまっている大量のプロセスとコンテンツのうちの、ほんの一部でしかない。実際、「認識されていない」もののリストは仰天するほどである。どんなものがそれに含まれるかを考えると、

(1) われわれが注意を向けていない完全に形成されたすべてのイメージ。

(2) けっしてイメージにはならないすべてのニューラル・パターン。

(3) 経験をとおして獲得されるが、休眠したままで、おそらく明示的ニューラル・パターンにはならないすべての傾性。

(4) そのような傾性の静かなる改編のすべてと、それらすべての静かなる再ネットワーク化――たぶん明示的に認識されない。

(5) 自然が生得的、ホメオスタシス的傾性の中に具現化した、すべての隠れたる知恵とノウハウ。 われわれがいかにわずかしか認識していないかに驚かされる。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『起こっていることの感覚』(日本語名『無意識の脳 自己意識の脳』)第3部 意識の神経学、第7章 延長意識とアイデンティティ、pp.280-281、講談社(2003)、田中三彦(訳))
(索引:精神分析的無意識,意識化されないイメージ,イメージ化以前のニューラル・パターン,ニューラル・パターン以前の獲得された傾性とその改編,生得的傾性。)

無意識の脳 自己意識の脳


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

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2018年9月23日日曜日

30.延長意識がもたらす諸能力:(a)自己、他者、集団の生存に関係する能力、(b)(a)を超越して、善・悪、美を感じとる能力、(c)不調和を嗅ぎつける能力、(d)(b)と(c)により事実、真理の探究、行動規範の構築をする能力。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

延長意識がもたらす諸能力

【延長意識がもたらす諸能力:(a)自己、他者、集団の生存に関係する能力、(b)(a)を超越して、善・悪、美を感じとる能力、(c)不調和を嗅ぎつける能力、(d)(b)と(c)により事実、真理の探究、行動規範の構築をする能力。(アントニオ・ダマシオ(1944-))】

延長意識がもたらす諸能力
(a)生存と関係する傾性によって下される利益と不利益の指令
 ・生を重んじる能力
 ・有用な人工物を創造する能力
 ・他人の心について考える能力
 ・自分と他人に死の可能性を感じ取る能力
 ・他人や集団の利益を斟酌する能力
 ・集団の心を感じ取る能力
(b)(a)を超越する能力
 ・痛みを辛抱する能力
 ・快と苦とは異なる、善と悪の感覚を構築する能力
 ・ただ快を感じるのではなく、美を感じとる能力
(c)不調和を嗅ぎつける能力
 ・感情の不調和を感じとる能力
 ・抽象的な概念の不調和を感じとる能力
(d)(b)と(c)は、以下のような真に人間的な作用をもたらすゆえに「良心」という一語で表現したい。
 ・事実分析のための概念の構築、真実の探究
 ・行動のための規範を構築

 「延長意識があるから、人間の有機体はその心的能力の極みに達することができる。以下のようなことを考えてみよう。

有用な人工物を創造する能力。他人の心について考える能力。集団の心を感じ取る能力。ただ痛みを感じてそれに反応するのとは反対に痛みを辛抱する能力。自分と他人に死の可能性を感じ取る能力。生を重んじる能力。

快と苦とは異なる、善と悪の感覚を構築する能力。他人や集団の利益を斟酌する能力。ただ快を感じるのとは反対に美を感じとる能力。はじめに感情の不調和を、そのあと抽象的な概念の不調和を感じとる能力(これは真実の感覚の源)。

 延長意識ゆえに可能なこうした一連の著しい能力には、強調に値する二つのことがある。

第一は、生存と関係する傾性によって下される利益と不利益の指令を超越する能力、第二は、不調和を嗅ぎつける重要な能力で、これが真実の探究をもたらし、また行動のための、事実分析のための、規範と概念を構築したいという願望をもたらす。

 私はこれら二つの能力を、単に人間の特質の極みとしてだけでなく、「良心」という一語で完全に表現される真に人間的な作用をもたらすものとして、位置づけられるのではないかと思っている。

中核のレベルにおいてであれ延長のレベルにおいてであれ、私は意識を人間の特質の頂点には置かない。現在の頂点に達するには意識は必要だが、十分ではない。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『起こっていることの感覚』(日本語名『無意識の脳 自己意識の脳』)第3部 意識の神経学、第7章 延長意識とアイデンティティ、pp.282-283、講談社(2003)、田中三彦(訳))

(索引:延長意識がもたらす諸能力)

無意識の脳 自己意識の脳


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

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2018年9月9日日曜日

29.中核自己を発現させた2次のマップに対応する内的経験は、抑制不可能で自動的な方法で直ちに言語に変換される。また、分離脳研究の知見によると、左大脳半球は必ずしも事実と一致しない作話をする。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

意識と言語の関係

【中核自己を発現させた2次のマップに対応する内的経験は、抑制不可能で自動的な方法で直ちに言語に変換される。また、分離脳研究の知見によると、左大脳半球は必ずしも事実と一致しない作話をする。(アントニオ・ダマシオ(1944-))】

((a),(b)再掲、(b4)(c)追加記載)

(a) 1次のマップに対応する内的経験
 (a1) 対象のマップの内的経験
  形成されたイメージである「対象」、例えば、顔、メロディ、歯痛、ある出来事の記憶など。
  対象は、実際に存在するものでも、過去の記憶から想起されたものでもよい。
  対象はあまりにも多く、しばしば、ほとんど同時に複数の対象が存在する。
 (a2) 原自己のマップの内的経験
 (a2.1) マスター内知覚(器官、組織、内臓、その他内部環境の状態に由来する知覚)
 (a2.2) マスター生命体(身体の形、身体の動き)
 (a2.3) 外的に向けられた感覚(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、平衡覚の〈特殊感覚〉と、マスター生命体の一部である目、耳、鼻、舌を収めている身体領域とその動きの知覚)
(b) 2次のマップに対応する内的経験(イメージ的、非言語的なもの)
 (b1) 何かしら対象が存在する。その対象を、知っている。
 (b2) その対象が、影響を及ぼして、何かしら変化させている。その対象は注意を向けさせる。
 (b3) 何かしら変化するものが存在する。それは、ある特定の視点から、対象を見て、触れて、聞いている。
 (b4) 一つの対象に向けられる「注意」の程度は変化するが、ある対象から別の対象へと気をそらされても、全体的な意識のレベルが識閾より下に落ちることはない。つまり、無意識状態になることはないし、発作を起こしているように見えることもない。
(c) 3次の言語的翻訳
 (c1)2次の非言語的、イメージ的なものは、直ちに言語に変換される。
 (c2)この翻訳は、抑制不可能で自動的なものである。ただし、付随しないこともままあって、かなり気ままになされる。言葉や文が無くても、「意識」が失われることはない。あなたは、ただ耳を澄まし、じっと見ているのだ。
 (c3)対象の認識や、原自己、中核自己は、2次の非言語的なものとしても存在するし、言語的にも存在する。非言語的なものが「概念」であり、概念は言葉や文に先行して存在する。
  (c3.1)概念は、実在、動作、事象、関係性に対する非言語的理解からなっている。
  (c3.2)言葉や文は、概念を翻訳し、実在、動作、事象、関係性を指示している。
 (c4)「言語的」創造心は、フィクションに耽りやすい。すなわち、人間の左大脳半球は、必ずしも事実と一致しない言語的な話をつくりやすい。これは、分離脳研究における重要な知見である。


 「人間の場合、二次の非言語的な意識の話は、ただちに言語に変換されるだろう。それを「3次」と呼んでもいいかもしれない。

認識作用は新しく生み出された中核自己によるという話に加え、人間の脳は自動的に、その話の言語版も生み出す。だれもその言語的翻訳を止めることはできない。われわれの心の非言語的トラックでなされているものが、即座に言葉と文に翻訳される。それが言語をもつ生き物である人間の本質だ。

この抑制不可能な翻訳、つまり、認識と中核自己が心の中で言語的「にも」存在するようになるという事実こそ、意識を言語だけで説明できるとする考え方の大本ではないだろうか。言語がわれわれのために心的状況についてコメントするとはじめて意識が生まれる、とずっと考えられてきた。

前に述べたように、意識に対するこのような見解は、言語という道具を使いこなす人間だけが意識状態を有するとしている。だとすると、非言語的な動物や人間の赤子は、不幸にも、永久に無意識である。

 意識を言語で説明することはできそうにない。われわれは言語に惑わされることなく、もっと説得力のある考え方を見いだす必要がある。

興味深いことに、言語の本質それ自体が、言語が意識において基本的役割を担うことと相容れない。

言葉や文は、実在、動作、事象、関係性を指示している。言葉や文は概念を翻訳し、概念は、実在、動作、事象、関係性に対する非言語的理解からなっている。必然的に、概念は、種の進化においてであれ、われわれの日常的経験においてであれ、言葉や文に先行する。

健康で正気の人間の言葉や文は無からは生まれないし、無の翻訳であるはずもない。だから、私の心が「私は」とか「私に」と言うとき、私の心は、私という有機体の、私という自己の、非言語的概念を、さらりと翻訳しているのだ。

もしそこに中核自己という間断なく活性化される構成概念がなかったら、心はたぶんそれを「私は」とか「私に」とか翻訳することはできないだろう。適切な言葉への翻訳が生み出されるには、中核自己が存在しなければならない。」(中略)

「言語的翻訳は抑制されえないが、付随しないこともままあって、かなり気ままになされる(創造的な心は、判で押したような仕方ではなく、かなり変化に富んだ仕方で心的事象を翻訳する)。

さらに、「言語的」創造心はフィクションに耽りやすい。たぶん、人間の分離脳研究におけるもっとも重要な知見はまさにつぎの点にある。人間の左大脳半球は、かならずしも事実と一致しない言語的な話をつくりやすい。

 私は意識が突飛な言語的翻訳に、そしてそれに払われる予測不可能なレベルの注意に依存しているようには思えない。

もし意識がその存在を言語的翻訳に頼っているなら、たぶん人間には事実に即したものから即さないものまで、さまざまな種類の意識があるだろうし、効率的なものからそうでないものまで、さまざまなレベルや強さの意識があるだろう。

また最悪なものとして、意識の消滅というのもあるだろう。だが、こうしたことは健康で正気の人間に起きていることではない。

自己と認識についての根源的な話は、一貫性をもって語られる。一つの対象に向けられるあなたの「注意」の程度は変化するが、あなたがある対象から別の対象へと気をそらされても、あなたの全体的な意識のレベルが識閾より下に落ちることはない。

つまり、あなたが無意識状態になることはないし、発作を起こしているように見えることもない。あなたは別のことを意識していて、何も意識していないのではない。

識閾はあなたが目覚めると満たされ、その後はそれが「オフ」になるまで、意識は「オン」である。言葉や文がなくなると、あなたは眠るのではない。ただ耳を澄まし、じっと見ているのだ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『起こっていることの感覚』(日本語名『無意識の脳 自己意識の脳』)第3部 意識の神経学、第6章 中核意識の発見――無意識と意識の間、pp.232-235、講談社(2003)、田中三彦(訳))
(索引:意識,言語,意識と言語の関係)

無意識の脳 自己意識の脳


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

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2018年9月3日月曜日

28.身体と外界のすべてを反映している意識されない「原自己」、対象と原自己の変化を知り、自伝的記憶を意識化する「中核自己」、自伝的記憶の担い手である「自伝的自己」。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

原自己、中核自己、自伝的自己

【身体と外界のすべてを反映している意識されない「原自己」、対象と原自己の変化を知り、自伝的記憶を意識化する「中核自己」、自伝的記憶の担い手である「自伝的自己」。(アントニオ・ダマシオ(1944-))】

(1)原自己(proto-self)
 生命体の物理構造の最も安定した側面を、一瞬ごとにマッピングする別個の神経パターンを統合して集めたもの。原自己は、意識されない。
以下の構造からなる。
 (1.1)マスター内知覚マップ(器官、組織、内臓、その他内部環境の状態に由来する知覚)
 (1.2)マスター生命体マップ(身体の形、身体の動き)
 (1.3)外的に向けられた感覚ポータルのマップ(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、平衡覚の〈特殊感覚〉と、マスター生命体マップの一部である目、耳、鼻、舌を収めている身体領域とその動きの知覚)
  参照:原自己(アントニオ・ダマシオ(1944-))

(2)中核自己(core self)
 (2.1) 1次のマップに対応する内的経験
  (2.1.1)対象のマップの内的経験
   形成されたイメージである「対象」、例えば、顔、メロディ、歯痛、ある出来事の記憶など。
   対象は、実際に存在するものでも、過去の記憶から想起されたものでもよい。
   自伝的記憶も再活性化され、中核自己において意識化される。
   対象はあまりにも多く、しばしば、ほとんど同時に複数の対象が存在する。
  (2.1.2)原自己のマップの内的経験
 (2.2) 2次のマップに対応する内的経験(イメージ的、非言語的なもの)
  (2.2.1)何かしら対象が存在する。その対象を、知っている。
  (2.2.2)その対象が、影響を及ぼして、何かしら変化させている。その対象は注意を向けさせる。
  (2.2.3)何かしら変化するものが存在する。それは、ある特定の視点から、対象を見て、触れて、聞いている。
  参照:中核自己の誕生(アントニオ・ダマシオ(1944-))
(3)自伝的自己(autobiographical self)
 自伝的自己の基盤は自伝的記憶である。必要なときは、再活性化されてイメージとして、中核自己において意識される。
 (3.1)過去
 (3.2)予期される未来
 (3.3)アイデンティティや人格を記述している一連の記憶

「自伝的自己(autobiographical self)
 自伝的自己の基盤は自伝的記憶である。その自伝的記憶は、過去と予期される未来の個人的経験についての多数の内在的記憶からなる。

個人的伝記の不変的特徴が自伝的記憶の基盤を構成する。自伝的記憶は生活経験とともに連続的に増大するが、新しい経験を反映するために部分的に改編することができる。
 
アイデンティティや人格を記述している一連の記憶は、必要があるときはいつでもニューラル・パターンとして再活性化して、イメージとして明示的なものにすることができる。

再活性化された各記憶は「認識されるべきもの」として機能し、それ自身の中核意識のパルスを生み出す。その結果、われわれは自伝的自己を意識している。

中核自己(core self)
 中核自己は、ある対象が原自己を修正すると生じる、二次の非言語的説明の中にある。中核自己はいかなる対象によっても引き起こされる。中核自己を生み出す機構は一生涯ほとんど変化しない。われわれは中核自己を意識している。

原自己(proto-self)
 原自己は、脳の複数のレベルで有機体の状態を刻々と表象している、相互に関連しあった、そして一次的に一貫性のある、一連のニューラル・パターン。われわれは原自己を意識して「いない」。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-),『起こっていることの感覚』,(日本語名『無意識の脳 自己意識の脳』),第3部 意識の神経学,第6章 中核意識の発見――無意識と意識の間,p.219,講談社(2003),田中三彦(訳))
(索引:自己の種類,自伝的自己,中核自己,原自己)

無意識の脳 自己意識の脳


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

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2018年7月30日月曜日

22.中核自己の誕生(アントニオ・ダマシオ(1944-))

中核自己

【中核自己の誕生(アントニオ・ダマシオ(1944-))】

(a) 1次のマップに対応する内的経験
 (a1) 対象のマップの内的経験
  形成されたイメージである「対象」、例えば、顔、メロディ、歯痛、ある出来事の記憶など。
  対象は、実際に存在ものでも、過去の記憶から想起されたものでもよい。
  対象はあまりにも多く、しばしば、ほとんど同時に複数の対象が存在する。
 (a2) 原自己のマップの内的経験
 (a2.1) マスター内知覚(器官、組織、内臓、その他内部環境の状態に由来する知覚)
 (a2.2) マスター生命体(身体の形、身体の動き)
 (a2.3) 外的に向けられた感覚(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、平衡覚の〈特殊感覚〉と、マスター生命体の一部である目、耳、鼻、舌を収めている身体領域とその動きの知覚)
(b) 2次のマップに対応する内的経験(イメージ的、非言語的なもの)
 (b1) 何かしら対象が存在する。その対象を、知っている。
 (b2) その対象が、影響を及ぼして、何かしら変化させている。その対象は注意を向けさせる。
 (b3) 何かしら変化するものが存在する。それは、ある特定の視点から、対象を見て、触れて、聞いている。
(再掲)
(a) 1次のマップ
 (a1) 対象のマップ:原因的対象の変化を表象する神経構造
 (a2) 原自己のマップ:原自己の変化を表象する神経構造
(b) 2次のマップ:(a1)と(a2)の双方の時間的関係を再表象する神経構造(仮説)
 (b1) はじめの瞬間の原自己の状態(a1)が反映される。
 (b2) 感覚されている対象の状態(a2)が反映される。
 (b3) 対象によって修正された原自己の状態(a1)が反映される。
 (b4) (b1)~(b3)を時間順に記述してゆくような、神経パターンが作られる。
 (b5) (b4)から直接的、または間接的に、流れる意識のイメージが作られる。
 (b6) 対象のイメージを強調するような信号が、直接的、または間接的に(a1)に戻される。
(b)のような2次のマップが複数あり、相互に信号をやり取りしている(仮説)。

   原自己のマップ
     │
対象X の │
マップ  │
  │  ├→はじめの瞬間の
  │  │   原自己のマップ
  ├───→対象X のマップ
  │  ├→修正された
  │  │   原自己のマップ
  │  │   ↓
  │  │(2次マップの組み立て)
  │  │   ↓
  │  │(イメージ化された
  │  │   │  2次マップ)
強調された←───┘
対象X の │
マップ  │
  │  │
  ↓  ↓


(1)生命体が、ある対象に遭遇する。
(2)ある対象が、感覚的に処理される。
(3)対象からの関与が、原自己を変化させる。
(4)原初的感情が変化し、「その対象を知っているという感情」が発生する。
(5)知っているという感情が、対象に対する「重要性」を生み出し、原自己を変化させた対象へ関心/注意を向けるため、処理リソースを注ぎ込むようになる。
(6)「ある対象が、ある特定の視点から見られ、触られ、聞かれた。それは、身体に変化を引き起こし、その対象の存在が感じられた。その対象が重要とされた。」こうしたことが、起こり続けるとき、対象によって変化させられたもの、視点を持っているもの、対象を知っているもの、対象を重要だとし関心と注意を向けているもの、これらを担い所有する主人公が浮かび上がってくる。これが「中核自己」である。

対象→原自己→変調された原初的感情
↑      変調されたマスター生命体
│       │    ↓
│       │   視点
│       ↓
│     知っているという感情
│       ↓     │
└─────対象の重要性  ↓
             所有の感覚
             発動力

「私が引き出した具体的な答えは、以下の仮説の中にある。

 〈対象を処理する有機体のプロセスによって有機体自身の状態がどう影響されるかについて、脳の表象装置がイメージ的、非言語的説明を生成し、かつ、このプロセスによって原因的対象(有機体の状態に影響を及ぼす対象)のイメージが強調され、時間的、空間的に顕著になると、中核意識が生じる〉

 この仮説は、二つの要素的機構について述べている。

 一つは、対象と有機体の関係についてのイメージ的、非言語的説明の生成――これが「認識中の自己感」の源である――で、もう一つは、対象のイメージの強調である。このうち自己感の要素に関して言えば、この仮説は以下の前提をよりどころとしている。

(1) 意識は、有機体とある対象との相互作用に関する新しい知識の内的な構築と提示に依存している。

(2) 一個のユニットとしての有機体は、その有機体の脳の中に、つまり有機体の命を調節し有機体の内的状態を継続的に信号化している構造の中にマッピングされる。

また対象も脳の中に、つまり有機体と対象との相互作用によって活性化した感覚構造と運動構造の中にマッピングされる。

結局、有機体も対象も、ニューラル・パターンとして一次のマップにマッピングされる。これらのニューラル・パターンはすべてイメージになりうる。

(3) 対象に関する感覚運動マップが、有機体に関するマップに変化を引き起こす。

(4) (3)で述べた変化は別のマップ(二次のマップ)に再表象される。それは対象と有機体の関係性を表象している。

(5) 二次のマップに一時的に形成されるニューラル・パターンは、一次のマップのニューラル・パターン同様、心的イメージになりうる。

(6) 有機体のマップも二次のマップも本質的に身体に関係しているから、その関係性を記述する心的イメージは感情である。

 繰り返せば、ここでの問題の焦点はマップ中のニューラル・パターンがどのようにして心的パターンやイメージになるか、ではない。第1章で概要を述べたように、それは意識の「第1の」問題であって、われわれがいま問題にしているのは意識の「第2の」問題、つまり自己の問題である。

 脳に関して言えば、この仮説における有機体は原自己により表象されている。そして、「説明」の中で注意が向けられている有機体の重要な側面は、前に私が原自己に授けられていると指摘したもの、すなわち、内部環境、内臓、前庭システム、筋骨格の各状態である。

その説明は、いま変化しつつある原自己と、そうした変化を引き起こす対象の感覚運動マップとの関係性を描写している。

 要するに、脳が、ある対象――たとえば、顔、メロディ、歯痛、ある出来事の記憶――のイメージを形成し、その対象のイメージが有機体の状態に「影響を及ぼす」と、別のレベルの脳構造が、対象と有機体の相互作用によって活性化したさまざまな脳領域でいま起きている事象について、素早く、非言語的な説明をする。

対象と関係する結果のマッピングは、原自己と対象を表象する一次のニューラル・マップに生じ、対象と有機体の「因果的関係」に対する説明は、唯一、二次のニューラル・マップに取り込まれる。

これを、大胆な比喩を使って言うと、素早い非言語的説明が語るストーリーとは、〈何か別のものを表象しつつみずからの変化を表象しているところを捕まえられた有機体の話〉ということになる。しかしここで驚くべきは、捕まえるほうの認識可能な実在が、その捕獲プロセスの話の中で生み出されているという事実である。

 このプロットは、脳が表象する対象一つひとつに対して、間断なく繰り返される。その場合、対象は実際に存在し有機体と相互作用しようが、いま過去の記憶から甦りつつあろうが、どちらでもよい。
また、その対象は何でもよい。

健康な人間なら、脳が覚醒していて、イメージ生成機構と意識の機構が「オン」であるかぎり、そして瞑想のようなもので自分の心の状態を操作していないかぎり、「本物の」対象も「思考上の」対象も尽きることはなく、したがって中核意識と呼ばれる産物も潤沢で尽きることはない。

本物であれ、想起されたものであれ、対象はあまりにも多く、しばしば、ほとんど同時に複数の対象が存在する。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『起こっていることの感覚』(日本語名『無意識の脳 自己意識の脳』)第3部 意識の神経学、第6章 中核意識の発見――無意識と意識の間、pp.213-215、講談社(2003)、田中三彦(訳))
(索引:中核自己)

無意識の脳 自己意識の脳


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

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2018年7月29日日曜日

21.情動の内観的特徴、物質的、身体的、生物学的特徴のまとめ(アントニオ・ダマシオ(1944-))

情動

【情動の内観的特徴、物質的、身体的、生物学的特徴のまとめ(アントニオ・ダマシオ(1944-))】
(1)情動の内観的特徴
 (1.1)意識的熟考なしに自動的に作動する。
 (1.2)情動は有機体の身体(内部環境、内臓システム、前庭システム、筋骨格システム)に起因する。
 (1.3)情動反応は、多数の脳回路の作動様式にも影響を与え、身体風景と脳の風景の双方に変化をもたらす。
 (1.4)これら一連の変化が、感情と思考の基層を構成することになる。
 (1.5)情動誘発因の形成においては、文化や学習の役割が大きく、これにより情動の表出が変わり、情動に新しい意味が付与される。
 (1.6)その結果、個的な差もかなりある。
(2)情動の物質的、身体的、生物学的特徴
 (2.1)情動は、一つのパターンを形成する一連の複雑な化学的、神経的反応である。
 (2.2)情動は生物学的に決定されるプロセスであり、生得的に設定された脳の諸装置に依存している。
 (2.3)情動を生み出すこれらの装置は、脳幹のレベルからはじまって上位の脳へと昇っていく、かなり範囲の限定されたさまざまな皮質下部位にある。これらの装置は、身体状態の調節と表象を担う一連の構造の一部でもある。
 (2.4)すべての情動はなにがしか果たすべき調節的役割を有し、有機体の命の維持を助けている。
 (2.5)長い進化によって定着したものであり、有機体に有利な状況をもたらしている。

「こういったすべての現象の根底には生物学的に共通する中核があり、それはおよそつぎのようなものである。

(1) 情動は、一つのパターンを形成する一連の複雑な化学的、神経的反応である。すべての情動はなにがしかはたすべき調節的役割を有し、なにがしかの形で、情動現象を示す有機体に有利な状況をもたらしている。情動は有機体の命――正確に言えばその身体――に「関する」ものであり、その役割は有機体の命の維持を手助けすることである。

(2) 学習や文化により情動の表出が変わり、その結果、情動に新しい意味が付与されるのは事実だが、情動は生物学的に決定されるプロセスであり、長い進化によって定着した、生得的にセットされた脳の諸装置に依存している。

(3) 情動を生み出すこれらの装置は、脳幹のレベルからはじまって上位の脳へと昇っていく、かなり範囲の限定されたさまざまな皮質下部位にある。これらの装置は、身体状態の調節と表象を担う一連の構造の一部でもある。これについては第5章で議論する。

(4) そのすべての装置が、意識的熟考なしに自動的に作動する。個的な差もかなりあるし、誘発因の形成において文化が一役はたすという事実もあるが、それによって情動の基本的な定型性、自動性、調節的目的が変わることはない。

(5) すべての情動は身体(内部環境、内臓システム、前庭システム、筋骨格システム)を劇場として使っているが、情動はまた多数の脳回路の作動様式にも影響を与える。すなわち、さまざまな情動反応が身体風景と脳の風景の双方に変化をもたらす。これら一連の変化が、最終的に感情になるニューラル・パターンの基層を構成している。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『起こっていることの感覚』(日本語名『無意識の脳 自己意識の脳』)第2部 すべては情動と感情から、第2章 外向きの情動と内向きの感情、pp.76-77、講談社(2003)、田中三彦(訳))
(索引:情動)

無意識の脳 自己意識の脳


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

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2018年6月24日日曜日

13.2次のニューラルマップとは?(アントニオ・ダマシオ(1944-))

2次のニューラルマップ

【2次のニューラルマップとは?(アントニオ・ダマシオ(1944-))】

(a) 1次のマップ
 (a1) 対象のマップ:原因的対象の変化を表象する神経構造
 (a2) 原自己のマップ:原自己の変化を表象する神経構造
(b) 2次のマップ:(a1)と(a2)の双方の時間的関係を再表象する神経構造(仮説)
 (b1) はじめの瞬間の原自己の状態(a1)が反映される。
 (b2) 感覚されている対象の状態(a2)が反映される。
 (b3) 対象によって修正された原自己の状態(a1)が反映される。
 (b4) (b1)~(b3)を時間順に記述してゆくような、神経パターンが作られる。
 (b5) (b4)から直接的、または間接的に、流れる意識のイメージが作られる。
 (b6) 対象のイメージを強調するような信号が、直接的、または間接的に(a1)に戻される。
(b)のような2次のマップが複数あり、相互に信号をやり取りしている(仮説)。

   原自己のマップ
     │
対象X の │
マップ  │
  │  ├→はじめの瞬間の
  │  │   原自己のマップ
  ├───→対象X のマップ
  │  ├→修正された
  │  │   原自己のマップ
  │  │   ↓
  │  │(2次マップの組み立て)
  │  │   ↓
  │  │(イメージ化された
  │  │   │  2次マップ)
強調された←───┘
対象X の │
マップ  │
  │  │
  ↓  ↓

(再掲)
上記の神経構造における過程から、「中核自己」が発現する様子。

(1)生命体が、ある対象に遭遇する。
(2)ある対象が、感覚的に処理される。
(3)対象からの関与が、原自己を変化させる。
(4)原初的感情が変化し、「その対象を知っているという感情」が発生する。
(5)知っているという感情が、対象に対する「重要性」を生み出し、原自己を変化させた対象へ関心/注意を向けるため、処理リソースを注ぎ込むようになる。
(6)「ある対象が、ある特定の視点から見られ、触られ、聞かれた。それは、身体に変化を引き起こし、その対象の存在が感じられた。その対象が重要とされた。」こうしたことが、起こり続けるとき、対象によって変化させられたもの、視点を持っているもの、対象を知っているもの、対象を重要だとし関心と注意を向けているもの、これらを担い所有する主人公が浮かび上がってくる。これが「中核自己」である。

対象→原自己→変調された原初的感情
↑      変調されたマスター生命体
│       │    ↓
│       │   視点
│       ↓
│     知っているという感情
│       ↓     │
└─────対象の重要性  ↓
             所有の感覚
             発動力

 「有機体が対象と相互作用することで生じる原自己の変化。

その変化のストーリーを語るには、そのためのプロセス、そのための神経基盤が必要だ。

ごく単純に言えば、原因的対象と原自己の変化を別々に表象する多くの神経構造のほかに、原自己と対象の双方を時間的関係で「再表象」し、そうすることでいまその有機体に実際に起きていること――「はじまりの瞬間における原自己」、「感覚的表象になる対象」、「はじまりの原自己から対象によって修正された原自己への変化」――を表象できるような別の構造が、少なくとも一つは必要だ。


 私は、人間の脳には、一次の事象を二次のニューラル・パターンとして再表象できる構造がいくつかあると思う。

有機体と対象との関係についての非言語的、イメージ的説明に対する二次のニューラル・パターンは、たぶん、いくつかの「二次の」構造の間の複雑な信号のやりとりをもとにしている。どこか一つの脳部位に絶対的な二次のニューラル・パターンがある可能性は低い。

 相互作用によって二次のマップを生むそうした二次の構造の主たる特徴は、以下のごとくである。どの二次の構造も、

(1) 原自己の表象に関わっている部位からの信号、そして対象を表象しうる部位からの信号、その「双方を」軸索を介して受け取ることができなければならない。

(2) 一次のマップで生じている事象を、時間順に「記述」していくニューラル・パターンを生み出すことができなければならない。

(3) そのニューラル・パターンから生じるイメージを、直接的ないしは間接的に、われわれが思考と呼ぶイメージの流れの中にもち込むことができなければならない。

(4) 対象のイメージが強調されるよう対象を処理している構造に、直接的ないしは間接的に、信号を戻すことができなければならない。」

   原自己のマップ
     │
対象X の │
マップ  │
  │  ├→はじめの瞬間の
  │  │   原自己のマップ
  ├───→対象X のマップ
  │  ├→修正された
  │  │   原自己のマップ
  │  │   ↓
  │  │(2次マップの組み立て)
  │  │   ↓
  │  │(イメージ化された
  │  │   │  2次マップ)
強調された←───┘
対象X の │
マップ  │
  │  │
  ↓  ↓

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『起こっていることの感覚』(日本語名『無意識の脳 自己意識の脳』)第3部 意識の神経学、第6章 中核意識の発見――無意識と意識の間、pp.223-225、講談社(2003)、田中三彦(訳))
(索引:2次のニューラルマップ)

無意識の脳 自己意識の脳


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

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