歴史に由来する出来事の新奇性
自然科学における典型的な実験では、人為的な実験環境を準備し、理想的な条件の元で現象を再現させる。しかし社会には歴史があり、全ての出来事には新奇性があるため、科学的な方法が使えないのではないかという主張がある。これは事実だろうか。(カール・ポパー(1902-1994))
(a)自然科学における典型的な実験では、人為的な実験環境を準備し、理想的な条件の元で現象を再現させる。
(b)しかし社会には歴史があり、同じ条件での反復は不可能で、全ての出来事は1回だけしか起こらないかもしれない(新奇性)。
(c)社会現象の解明に、科学的な方法は使えるのだろうか。
「右の議論は一考に値する。右に述べたように、歴史主義は、大規模な社会実験を全く同じ 条件の下で繰り返すことは不可能だと断じる。二度目の実験の環境条件は、その前に実験が行 なわれているという事実の影響を被らざるをえないからである。この議論の基には、社会とい うのは、生物と同じように、ある種の記憶を有しているという考え方が存在する。私たちが通 常「歴史」と呼ぶものの記憶である。 生物学では、生物のライフヒストリーについて語ることができる。生物は過去のできごとに より特定の条件づけを受けている。できごとが繰り返されると、それを経験する生物にとって 新奇性が失われ、できごとは習慣的な色合いを帯びる。しかし、だからこそ、その経験は元の 経験とは同じでは《ない》。繰り返しという経験は《新しい》のである。それゆえ、観察して いるできごとが繰り返されるということは、観察者にとって新奇な体験が現れたことに対応す ると言える。それは新しい習慣を形成する。そのため、繰り返しは新しい習慣的条件を生み出 す。 したがって、ある生物個体に一定の実験を繰り返す際の内的、外的条件の総計は、真の意味 での反復と呼べるほど常に同じとは言えない。たとえ外的条件を完全に同じにしたところで、 それと関係する生物の内的条件は新しい。生物は経験から学んでしまっている。 歴史主義によれば、社会にも同じことが言える。社会も経験をするからである。社会は自身 の歴史を持つ。
社会は自身の歴史の〈部分的〉繰り返しから学ぶ。ゆっくりとしか学ばないかもしれな いが、過去により部分的に条件づけられている限り、学ぶことに疑いの余地はない。社会生活 において伝統と、伝統的忠誠と敵意、信用と不信が重要な役割を果たすのは、この学習を通じ てこそである。 ゆえに、社会の歴史の中で、本当の繰り返しは不可能である。つまり、本質的に新しい性質 のできごとが起こると考えざるをえないということだ。歴史は繰り返すかもしれないが、同じ レベルでは繰り返さない。とくにできごとが歴史的に重要で、その影響が社会に長く残るよう な場合は、繰り返しにはならない。 物理学が記述する世界においては、本質的に真に新しいことは何も起こりえない。新しい原 動機は発明されるかもしれないが、それを分析すれば、必ず既知の要素の組み替えと見ること ができる。物理学における新しさとは、配置または組み合わせの新しさにすぎない。 これとは逆に、社会的な新しさとは、生物学的な新しさのように、本質的な種類の新しさで ある。それは本当の新しさであり、配置の新奇性に還元できるものではない。社会生活におい ては、新しい配置の中の古い要素は、けっして同じ古い要素ではないからである。厳密な反復 が不可能な状態では、常に本当の新奇性が現れてくる。 互いに本質的に異なる歴史の新段階、あるいは新時代の発展について考察する際に、右のこ とは重要な意味を持つと考えられている。本当に新しい時代の出現以上に偉大な瞬間はない。しかし社会生活におけるその非常に重要 な側面を、私たちが物理学で新奇性を説明するときに従う議論の筋、つまり、既知の要素の組 み替えという議論に沿って追究することはできない。仮に物理学の通常の方法が社会に適用可 能だったとしても、社会の最も重要な特徴である《時代が区分されること》と《新奇性の出 現》に適用することはできない。ひとたび社会の新しさの意味をつかんだなら、〈物理学の通 常の方法を社会学的問題に適用することで社会的発展の問題の理解を深められる〉という考え は、捨てざるをえなくなる。 社会的な新しさにはほかの側面もある。ここまで、社会で起こる物事、社会生活における一 つ一つのできごとはすべて、ある意味で新しいと言えるということを見てきた。ほかのできご とと同種であると分類できたり、ある面で類似していたりすることはあるかもしれないが、社 会のできごとは常にきわめて厳密な意味で独特である。 ここから、社会学的な説明に関する限り、物理学とははっきりと異なる状況が生じる。社会 生活を分析することで、特定のできごとの生じ方や生じた理由を発見し、それを直感的に理解 できるかもしれないと考えることは、たしかにできる。その《原因と作用》、つまりそのでき ごとを引き起こした力と、ほかのできごとへの影響は明確に理解できるだろうという考え方で ある。しかしその場合でも、そのような因果関係の一般的記述として使えるような《一般法 則》を定式化することはできないだろう。というのは、発見した特定の力を用いて正確に説明 できるような社会学的状況はただ一回しか起こらないだろうからである。そのような力は独特 なものである可能性が高い。それはその特性の社会状況において一度しか生じず、二度と繰り 返さないかもしれない。」
(カール・ポパー(1902-1994),『歴史主義の貧困』,第1章 歴史主義の反自然主義的な見 解,3 新奇性,pp.32-35,日経BPクラシックスシリーズ(2013),岩坂彰(訳))