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2018年8月27日月曜日

10.両方の海馬構造が損傷している患者は、顕在記憶を失っているが、意識経験があることは、自覚ある想起の証拠を必要としない心理認知テストで確認できる。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

海馬を損傷した患者の意識経験

【両方の海馬構造が損傷している患者は、顕在記憶を失っているが、意識経験があることは、自覚ある想起の証拠を必要としない心理認知テストで確認できる。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))】

(3)両方の海馬構造が損傷した患者の事例
 (3.1)今起こったばかりの出来事について、実際想起できるアウェアネスがまったく無い。
 (3.2)しかしながら、今現在と、自身について自覚する能力を維持している。起こったばかりのことを覚えられない自分の能力の欠陥についても自覚しており、これが生活の質に深刻な損害を与えている、と苦痛さえ訴える。また、潜在的なスキルの学習能力もある。
 (3.3)顕在記憶とは関係なく意識経験が発生するとしても、意識に必要な最低0.5秒間持続する活動についての、短期記憶がなければ意識経験は発生しないのではないか。「どのような短命の記憶であっても、依然としてそれはアウェアネスが生じる潜在的な基盤となる」。実際、両方の海馬を損傷した患者でも「1分程度だったら、この患者はものを覚えている」。

          記憶の想起と内観報告に代えて、
          自覚ある想起の証拠を必要としない
          心理認知テスト
            ↑
意識的な皮膚感覚──この感覚の短期記憶があるはず
 ↑
アウェアネスに必要な0.5秒間の活動持続時間
 ↑(これが、顕在記憶そのものではあり得ない。)
 │
単発の有効な皮膚への刺激パルス

 「両方の海馬を喪失していても、ある事象の後、最低でも0.5秒間存続する宣言記憶が形成されるのかということについては、まだ疑問があります。

どのような短命の記憶であっても、依然としてそれはアウェアネスが生じる潜在的な基盤となるからです。

先ほど述べた患者を研究した研究者であるロバート・ドーティは、「1分程度だったら、この患者はものを覚えている」と自信を持って言います。

その一方、同様の患者に対しては通常、自覚ある想起の証拠を必要としない心理認知テストが使われます(たとえば、ドラックマンとアービット(1966年))。

したがって、実際に観察される短期記憶は、ある非宣言的な潜在記憶の証拠に実質的になり得るのです。

だとすれば、(短期記憶はたとえ患者で観察されたとしても)意識経験の遅延に記憶が果たす役割、という疑問とは関係がなくなります。

〔訳注=このあたり、著者の論旨がわかりにくいかもしれない。海馬損傷による記憶障害の患者は、健常な潜在記憶を持ち、また日常生活でのアウェアネスにも異常がない。

したがって患者の潜在記憶がアウェアネスを支えている、という議論が成立しそうに思えるかもしれない。

しかし、アウェアネスに関係するのは(定義上)顕在記憶のほうだから、こうした記憶障害のケースを根拠に、0.5秒以上の神経活動というアウェアネスの必要条件が「意識経験は記憶に依存する」ことの反映にすぎないと結論はできない、と著者は言っている。〕

いずれにせよ、記憶プロセス分野の指導的研究者であるラリー・スクワイアは、意識経験は記憶形成プロセスとは無関係である(私信)、という意見を主張しています。

すると、新たな顕在記憶を形成する能力を深刻に損なった人がアウェアネスを保持できるということは、アウェアネスの現象は記憶プロセスの機能では《ない》ことを示していると思われます。この基本的な考え方は、アウェアネスは記憶形成に関係があるとしているすべての仮説と矛盾することになります。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第2章 意識を伴う感覚的なアウェアネスに生じる遅延,岩波書店(2005),pp.72-73,下條信輔(訳))
(索引:海馬を損傷した患者の意識経験)

マインド・タイム 脳と意識の時間


(出典:wikipedia
ベンジャミン・リベット(1916-2007)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「こうした結果によって、行為へと至る自発的プロセスにおける、意識を伴った意志と自由意志の役割について、従来とは異なった考え方が導き出されます。私たちが得た結果を他の自発的な行為に適用してよいなら、意識を伴った自由意志は、私たちの自由で自発的な行為を起動してはいないということになります。その代わり、意識を伴う自由意志は行為の成果や行為の実際のパフォーマンスを制御することができます。この意志によって行為を進行させたり、行為が起こらないように拒否することもできます。意志プロセスから実際に運動行為が生じるように発展させることもまた、意識を伴った意志の活発な働きである可能性があります。意識を伴った意志は、自発的なプロセスの進行を活性化し、行為を促します。このような場合においては、意識を伴った意志は受動的な観察者にはとどまらないのです。
 私たちは自発的な行為を、無意識の活動が脳によって「かきたてられて」始まるものであるとみなすことができます。すると意識を伴った意志は、これらの先行活動されたもののうち、どれが行為へとつながるものなのか、または、どれが拒否や中止をして運動行動が現れなくするべきものなのかを選びます。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第4章 行為を促す意図,岩波書店(2005),pp.162-163,下條信輔(訳))
(索引:)

ベンジャミン・リベット(1916-2007)
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