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2021年12月19日日曜日

価値は生命とともに世界に登場する。無意識的な問題による価値から自由な想像力と知性によるあらゆる創造物までの中で、世界3の中核的部分に存在する人間的価値の世界は、客観的真理の増大という価値が支配している。なぜなら、それが価値であるというのは真実なのかという問題が立ち現れるからである。(カール・ポパー(1902-1994))

客観的真理の増大という価値

価値は生命とともに世界に登場する。無意識的な問題による価値から自由な想像力と知性によるあらゆる創造物までの中で、世界3の中核的部分に存在する人間的価値の世界は、客観的真理の増大という価値が支配している。なぜなら、それが価値であるというのは真実なのかという問題が立ち現れるからである。(カール・ポパー(1902-1994))


「かつて生命のない物的世界があったという推測が正しいとすれば、この世界は、私の思う に、問題なき、それゆえ価値なき世界であったろう。価値は意識とともにはじめて世界に登場 する、としばしばいわれてきた。私の見解はそうではない。価値は生命とともに世界に登場す る、と私は考える。もし意識なき生命があるとすれば(動物や人間の場合でさえ十分ありうる ことだと思う。それというのも、夢のない眠りのようなものがあるらしいからである)、意識 がなくてさえ、そこには客観的価値もあるであろう、と私はいいたい。  したがって、二種類の価値がある。生命によって、無意識的な問題によって生みだされる価 値と、人間の心によって、先の解決をふまえて、多少ともよく理解された問題を解決しようと する試みにおいて生じる価値と、である。  事実の世界において私が価値を認めるのはここのところである。そこは世界3のうちの歴史 的に生まれる問題と伝統の領域であり、この領域は事実の世界――世界1に属する事実の世界で はなく、人間の心によって部分的に生みだされた事実の世界であるけれども――の一部である。 価値の世界は、価値なき事実の世界――いわば生のままの事実の世界――を超越している。  世界3の最も奥深い中核的部分は、私の見るところでは、問題、理論、批判の世界であ る。価値はこの中核的部分には属さないが、この部分は価値によって支配されている。《客 観的真理およびその増大》という価値がそれである。世界3に他のもろもろの価値が入るのを 認めなければならないけれども、この価値はある意味で人間のこの知的な世界3の全体をつう じてすべてのうちで最高の価値であり続けるといえる。なぜなら、持ち出されるすべての価値 とともに次のような問題が生じるからである。それが価値であるというのは《真実》である か、それが価値の階層においてそれ固有の地位をもっているということは《真実》であるか、 親切が正義より価値があるというのは真実であるか、そもそも親切は正義と比較できるのか。 (それゆえ私は真理を恐れる人たち――知識の木の実を食べたのは罪であったと考える人たち―― にまったく反対する。)  広義の世界3がわれわれの知性の諸産物――それらの産物から生じる意図せぬ結果をも含めて ――だけでなく、もっとずっと広い意味でのわれわれの心の諸産物――たとえば、われわれの想像 の産物――をも包含するように、われわれは人間的た世界3の観念を一般化した。われわれの知性 の産物たる理論でさえ、われわれの想像の産物たる神話を批判することから生じる。理論は神 話なしにはありえなかったであろうし、批判は事実と虚構、真と偽との区別の発見なしには不 可能であったろう。神話と虚構が世界3から排除されるべきでない理由もここにある。それゆ え結局われわれは芸術および――われわれの観念のあるものを注入したところの、また《批判》 (単なる知的批判よりもずっと広い意味での批判)の結果を取り込んだところの――すべての人 間的産物を含めることになる。われわれは先行者たちの考えを吸収し、批判し、われわれ自身 を陶冶しようと努めているので、われわれ自身がこれに含まれうる。そしてまたわれわれの子 供や教え子、われわれの伝統や制度、われわれの生活様式、われわれの意図や目的もこれに含 まれよう。」

(カール・ポパー(1902-1994),『果てしなき探求』,40 諸事実の世界における諸価値の一, (下),pp.178-183,岩波書店(1995),森博(訳))

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カール・ポパー(1902-1994)





生命の起源とは問題の起源である。問題の発現を、物理学的に説明できるだろうか。生命とは、問題を解決しつつある物理的構造体である。問題は、その存在が生物学的諸効果を生みだす原因となりうるという意味において実 在的であるが、それは何なのか。(カール・ポパー(1902-1994))

生命の起源、生命の進化

生命の起源とは問題の起源である。問題の発現を、物理学的に説明できるだろうか。生命とは、問題を解決しつつある物理的構造体である。問題は、その存在が生物学的諸効果を生みだす原因となりうるという意味において実 在的であるが、それは何なのか。(カール・ポパー(1902-1994))


 (a)物理的過程との相関、累進的な単称的分析
 物理学的過程と細微にわたって相関しているとみなせないような、あるいは物理化学的 見地から累進的に分析できないような生物学的過程は存在しない。
(b)問題(あるいは情報)は実在的なものである
 生物体のもろもろの問題は、物理学的なものではない。それらの問題は物的事物でもなけれ ば物理的法則でもなく、物理的事実でもない。それらの問題は特殊な生物学的実在である。こ れらの問題は、その存在が生物学的諸効果を生みだす原因となりうるという意味において「実 在的」である。
(c)生命の起源
 生命の起源とは、問題の起源である。問題の発現を、物理学的に説明できるだろうか、これが問題である。
(d)自己増殖、適応、変異
 増殖できると仮定してみよう。しかしそれでもなお、これら の物体は、もし適応ができないとすれば「生き」てはいないであろう。これを達成するためには、それらの物体は増殖に加えて正真正銘の変異性を必要と する。
(e)問題解決方法も、問題であった
 生命とは、問題を解決しつつある物理的構造体である。問題を解決するすべを、様々な種は自然淘汰によって、つまり増殖と変異の方法によって「学ん」だ。そしてこの方法そのものも、同じ方法によって学びとられたも のである。

「生命の起源と《問題》の起源とは一致していると私は推測する。これは、生物学を化学 に、さらには物理学に還元しうるようになると期待できるかどうかという問題と無縁でない。 われわれがいつの日か無生物から生物を作り出せるであろうことは、単にありうるばかりでな く確からしいと私は考える。無生物から生物を作り出すことは、いうまでもなく(還元主義者 の見地からのみならず)それ自体としてきわめて興味をそそるものだが、それは生物学が物理 学または化学に「還元」できるということを《確定》しはしないであろう。なぜならば、それ は――物理的手段によって化学的化合物を作り出すわれわれの能力が、化学的結合の物理学的理 論を確立したり、あるいはそのような理論が存在するということさえ立証しないのと同様に―― 問題の発現の物理学的説明を確立しないだろうからである。  したがって、私の立場は《還元不可能性と創発》の理論を支持する立場だといえよう。そし てこの立場は次のような仕方でおそらく最もよく要約できるであろう。  (1)物理学的過程と細微にわたって相関しているとみなせないような、あるいは物理化学的 見地から累進的に分析できないような生物学的過程は存在しない、と私は推測する。しかし、 いかなる物理化学的理論も新しい問題の発現を説明できないし、またいかなる物理化学的過程 もそれ自体では《問題》を解決できない。(最小作用の原理とかフェルマの原理といった物理 学における変分原理は、おそらくこれに類したものであろうが、しかしそれらは問題への解決 にならない。アインシュタインの有神論的方法は、同じような目的のために神を用いようとす る。)  (2)もしこの推測が支持できるとすれば、この推測は多くの区別に進んでいく。われわれは 次のものを互いに区別しなければならない。
 物理学的問題=物理学者の問題
 生物学的問題=生物学者の問題  
生物体の問題=どのようにして生き残るか、どのようにして子孫を殖やすか、どのように変 化するか、どのように適応するか、といった問題  
人間の作った問題=どのようにして浪費を抑制するか、といった問題  
これらの区別から次のテーゼがもたらされる。  
《生物体のもろもろの問題は物理学的なものではない。それらの問題は物的事物でもなけれ ば物理的法則でもなく、物理的事実でもない。それらの問題は特殊な生物学的実在である。こ れらの問題は、その存在が生物学的諸効果を生みだす原因となりうるという意味において「実 在的」である》。
  (3)ある物体が自己増殖の問題を「解決」したと、つまり、それらの物体がみずからをまっ たく同じようにか、さもなければ結晶のように化学的に(あるいは機能的にさえ)《非本質 的》なわずかの欠損しかなくて、増殖できると仮定してみよう。しかしそれでもなお、これら の物体は、もし適応ができないとすれば、(十分な意味においては)「生き」てはいないであろう。これを達成するためには、それらの物体は増殖《に加えて》正真正銘の変異性を必要と する。  (4)事柄の「本質」は《問題解決》であると私はいいたい。(しかしわれわれは「本質」に ついて云々すべきでない。この言葉は、ここでは本気で使われていない。)われわれが知って いるような生命は、問題を解決しつつある物理的「物体」(より正確にいうと構造)から成り 立っている。問題を解決するすべを、さまざまな種は自然淘汰によって、つまり増殖プラス変 異の方法によって「学ん」だ。そしてこの方法そのものは、同じ方法によって学びとられたも のである。この遡及は必ずしも無限後退ではない――実際、それはかなりはっきりしたある発現 時にたどりつける。」

(カール・ポパー(1902-1994),『果てしなき探求』,37 形而上学としてのダーウィン主義, (下),pp.147-149,岩波書店(1995),森博(訳))

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カール・ポパー(1902-1994)





2021年12月18日土曜日

生物の好みまたは目的構造、技能構造、解剖学的構造の相互的強化の階層的システムは、ほとんどの場合、好みまたは目的構造における制御がより低次の諸制御をば全階層をつうじて大幅に左右するように働くのではないか。(カール・ポパー(1902-1994))

好みまたは目的構造

生物の好みまたは目的構造、技能構造、解剖学的構造の相互的強化の階層的システムは、ほとんどの場合、好みまたは目的構造における制御がより低次の諸制御をば全階層をつうじて大幅に左右するように働くのではないか。(カール・ポパー(1902-1994))



「これらのことは相互的強化の一般的原理に導いていく。一方には、好みまたは目的構造の 技能構造に及ぼす、さらには解剖学的構造に及ぼす、第一次的な階層的制御がある。しかし他 方ではまた、これら諸構造のあいだに第二次的な相互作用またはフィードバックがある。この 相互強化の階層的システムは、ほとんどの場合、好みまたは目的構造における制御がより低次 の諸制御をば全階層をつうじて大幅に左右するように働く、と私はいいたい。  諸実例はこれらの考えのいずれをも例証するである。「好み構造」または「目的構造」と私 が呼ぶものに生じる遺伝的諸変化(突然変異)を、「技能構造」における諸変化および「解剖 学的構造」における諸変化と区別するならば、目的構造と解剖学的構造とのあいだの相互作用 に関しては次のような可能性があるであろう。  (a)目的構造の突然変異が解剖学的構造に及ぼす作用。キツツキの場合のように、好みに変 化が生じても、食物獲得に関連した解剖学的構造は変化しないままのことがありうる。このよ うな場合には、種は(変則的な特別の技能を用いないかぎり)自然淘汰によって排除される公 算が大きい。さもなければ、種は眼のような器官に類似した新しい解剖学的特殊化を発展させて適応するかもしれない。つまり、種における見ることへの強い関心(目的構造)が、眼の解 剖学的構造の改善に好都合な突然変異の選択に導きうるであろう。  (b)解剖学的構造の突然変異が目的構造に及ぼす作用。食物獲得に重要な関連のある身体組 織が変化するとき、食物に関する目的構造は自然淘汰によって固定化または硬化されていくお それがあり、これが立ち代わりさらなる解剖学的特殊化に導きうる。それは眼の場合に似てお り、身体組織の改善に好都合な突然変異は見ることへの関心の鋭敏さを増大させるであろう (これは逆効果に似ている)。」
(カール・ポパー(1902-1994),『果てしなき探求』,37 形而上学としてのダーウィン主義, (下),pp.143-144,岩波書店(1995),森博(訳))

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カール・ポパー(1902-1994)





生体構造だけでなく、好みや技能などの行動も、何らかの遺伝子によって制御されていると仮定すると、外的環境の変化に応じて、まず非遺伝的に新しい行動が獲得され、好みや技能を通じて特定の遺伝子を助長するという仕組みで、進化の一定の傾向が説明できるかもしれない。(カール・ポパー(1902-1994))

進化に傾向はあるのか

生体構造だけでなく、好みや技能などの行動も、何らかの遺伝子によって制御されていると仮定すると、外的環境の変化に応じて、まず非遺伝的に新しい行動が獲得され、好みや技能を通じて特定の遺伝子を助長するという仕組みで、進化の一定の傾向が説明できるかもしれない。(カール・ポパー(1902-1994))


「ここに重要な問いが生じる。ランダム歩行が進化の系譜において際立っているようにはみ えないのはどうしてなのか。この問いは、もしダーウィン主義が「定向進化的趨勢」(としば しば呼ばれるもの)、つまり同じ「方向」への進化的諸変化が相継いで生じること(非ランダ ム的歩行)を説明できれば、答えられるであろう。シュレーディンガーやウォディントン、特 にアリスター・ハーディ卿などのさまざまな思想家が定向進化的趨勢のダーウィン主義的説明 をしようと試みた。私もスペンサー公演でそのような試みをした。  定向進化を説明するかもしれぬダーウィン主義豊富化のための私の提言は、簡単にいうと次 のようなものである。  (A)私は外的または環境的淘汰圧を内的淘汰圧から区別する。内的淘汰圧は生物体そのもの からくるものであり、また――私の推測によれば――究極的には生物体の《好み》(または「目 的」)から生じる。もちろん、これらの好みや目的は外的諸変化に応じて変化しうるものであ るけれども。  (B)さまざまな部類の遺伝子があると私は想定する。主として《生体構造》制御するもの、 これを私はa遺伝子と呼ぶ。主として《行動》を制御するもの、これを私はb遺伝子と呼ぶ。 (混合的機能をもったものをも含めて)中間的な諸遺伝子は(存在すると思われるけれど も)、ここでは考慮外におく。b遺伝子は同様に(好みまたは「目的」を制御する)p遺伝子と (技能を制御する)s遺伝子とに細分できよう。  さらに、ある生物体は、外的淘汰圧を受けて、当の生物体にある程度の変異性を許す諸遺伝 子、特にb遺伝子を発達させた、と私は想定する。行動面での変異の《範囲》は、遺伝子bの構 造によってある程度まで制御されるであろう。しかし、外的事態はさまざまに変わるので、b 構造による行動の決定づけがあまり厳格でない方が、遺伝(つまり遺伝子変異性の範囲)の遺 伝子的決定づけがあまりにも厳格でない場合と同じように、うまくいくことがある。(先の (2)(d)を参照。)こうしてわれわれは、遺伝的に決定づけられた範囲またはレパートリー内 での非遺伝的な変化を意味する、行動の「純粋に行動的な」変化、または行動の変異について 語ることができ、これらのものを遺伝的に固定もしくは決定された行動的変化と対置できよ う。  こうして今やわれわれは、ある環境的な変化はさまざまな新しい問題とそれに続く(たとえ ばある種類の食物がなくなってしまったので)新しい好みまたは目的の採用とに導きうる、と いえる。新しい好みまたは目的は、最初は(b遺伝子によって可能にされた、しかし固定され ていない)新しい暫定的な行動というかたちをとってあらわれるかもしれない。このようにし て動物は遺伝的変化がなくても新しい状況に暫定的に適応しうる。しかし、この《純粋に行動 的》で暫定的な変化は、うまくいった場合には、新しい生態的地位の採用または発見に等しい であろう。したがってその変化は、好みの新しい行動パターンを多かれ少なかれ予知したり定 着させる《遺伝的》p構造(つまり本能的な好みまたは「目的」)をもった個体を助長するであろう。この前進は決定的であることがわかろう。それというのも、今では新しい好みに合致す るような技能構造(s構造)の変化――たとえば、好まれるようになった食物を獲得する技能―― が助長されるだろうからである。  こうして、《s構造が変化したあとではじめて構造におけるある種の変化――つまり新しい技 能に好都合な解剖学的構造における変化――が助長されるようになる》、と私は提言する。これ らの場合における内的淘汰圧は「方向づけ」られており、それゆえ一種の定向進化に導くであ ろう。  この内的淘汰機構についての私の提言は、次のように図式的に書きあらわすことができる。  p─→s─→a つまり、好みの構造とその変異が技能構造とその変異の選択を制御する。そして後者が立ち代 わり純粋に解剖学的な構造とその変異の選択を制御する。  しかしながら、この連続的系列は循環的でありうる。新しい身体構造が立ち代わり好みの変 化を促進させる、といったぐあいに進むことがありうる。」
(カール・ポパー(1902-1994),『果てしなき探求』,37 形而上学としてのダーウィン主義, (下),pp.138-141,岩波書店(1995),森博(訳))

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