主観性の誕生
外部感覚、肢体感覚、内臓感覚とこれらの記憶の相互作用から、対象とその対象から影響され変化するものが分離し、変化する私が存在し、対象は私が把握したものだという概念が生まれる(主観性)。(アントニオ・ダマシオ(1944-))
「自然なプロセスの基礎的レベルにある細胞による感知と、完全な意味における心的状態のあ いだにはきわめて重要な中間段階が存在し、それはもっとも基本的な心的状態である感情で構 成される。感情は中核的な心的状態であり、《意識が宿る身体の内的状態》という基礎的なコ ンテンツに対応する、《唯一の》核心的な心的状態だとさえいえるかもしれない。そして体内 の生命活動のさまざまな質に関連するがゆえに、感情は必然的にヴェイレンスを帯びている。 つまり、よいものにも悪いものにも、ポジティブなものにもネガティブなものにもある。さら には、魅力的なものにも嫌悪を催すものにも、快いものにも苦痛に満ちたものにも、あるいは 受け入れられるものにも受け入れらないものにもなる。
《たった今の》内的な生命活動の状態を示す感情が、《生命全体の現在の視点の内部》に 「置かれる」、あるいは単に「位置する」だけでも主観性は生じ、そこから周囲のできごと、 自らが参加するできごと、想起された記憶に新たな可能性が生まれる。つまり、自分にとって それらが《重要性を帯びて》立ち現われ、生きるあり方に影響を及ぼすようになるのだ。文化 の出現には、できごとが重要性を帯びて立ち現われ、自分にとって有益か否かに基づいて自動 的に分類されるこのステップが必要とされる。自己によって所有され意識された感情は、自分 の置かれた状況が問題を孕むか否かに関するすばやい判断を可能にする。そして想像力を喚起 し、自分の置かれた状況を正しく判断するための基盤をなす理性的プロセスを始動する。この ように、文化を構築する創造的な知性を駆り立てるためには、主観性は不可欠なのである。
主観性は、イメージ、心、感情に対し、新たな性質を付与する。その性質とは、これらの現 象が生じている生体に対する所有の感覚と、個体性(individuality)の世界への参入を可 能にする「私有性(mineness)」である。心的経験は心に、無数の生物種に利点をもたらし てきた新たなインパクトを与える。人間にとって心的経験は、熟慮に基づく文化の構築の梃に なる。痛み、苦しみ、喜びの心的経験は人間の欲求の基盤をなし、文化的な発明の足がかりと なる。その意味でこの経験は、自然選択や遺伝の働きによってそれまでに構築されてきた種々 の行動とは鮮やかな対照をなす。生物学的進化と文化的進化という二つのプロセスのあいだに 横たわるギャップは非常に大きいため、双方の背後にホメオスタシスの力が厳然と存在する事 実が忘れられやすい。
イメージは、特定の文脈の一部となるまで単独で《経験される》ことがない。この文脈は、 感覚装置が特定の対象と関わることで、生体がどのような影響を受けているかを示すストー リーをごく自然なあり方で語る《生体関連のイメージの集合を含んでいる》対象が外界にある のか、あるいは身体のどこかに存在するのか、それともかつて遂行されたイメージ化によって 形成された、外界や内界の何ものかに関する記憶から想起されたものなのかは、ここでは重要 ではない。《主観性とは、有無を言わさず構築されるナラティブなのだ》。そしてナラティブ は、ある種の脳の機能を備えた生物が、周囲の世界、記憶に蓄えられた過去の世界、自己の内 界と相互作用することで生じる。
意識の背後にある謎の本質はそこにある。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-),『進化の意外な順序』,第2部 文化的な心の構築,第9章 意 識,pp.196-198,白揚社(2019),高橋洋(訳))
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「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織と いった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたか のいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物 を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現 を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な 自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自 己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二 に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもて ない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しか し、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学な どからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必 要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分 野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新し い種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感 情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社 (2005)、田中三彦(訳))