倫理的実定主義への批判
規範を事実の上に基礎づけることは不可能である。これに対する反論として、倫理的、道徳的ないし法的な規範が現存するかどうかは社会学的な事実問題であると主張する倫理的実定主義がある。しかし、事実として存在しても、それをもって基礎づけられたと言えるだろうか。(カール・ポパー(1902-1994))
「(2)倫理的実定主義は、われわれは規範を事実に還元するように試みなければならないと いう信念を倫理的自然主義の生物学的形態のものと共有している。だが今度は、事実とは社会 学的事実すなわち現存する規範のことである。実定主義 positivism は現実に設定されてき た(あるいは「置かれた posited」)、それゆえ確実な positive 存在をもっている法律 以外の規範は存在しないと主張する。現存する法律は 善の唯一可能な基準である。すなわち存在するものが善である(力は正義である)。この理論 のある形態のものによれば、個人が社会の規範を判定できると信じることは途方もない誤解で あり、むしろ個人が判定されねばならない掟を与えるのが社会なのである。 歴史的事実としては、倫理的(ないし道徳的ないし法的)実定主義は通常保守的であり、権 威主義的でさえあった。またしばしば神の権威を持ち出しもした。その論拠はいわゆる規範の 恣意性に依存するものと私は信じる。それが主張するのは、われわれが自ら発見できるような より良い規範など存在しないのだから、現存する規範を信じなければならないということであ る。」
(カール・ポパー(1902-1994),『開かれた社会とその敵』,第1部 プラトンの呪文,第5章 自 然と規約,第5節,p.83,未来社(1980),内田詔夫(訳),小河原誠(訳))
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