数学の限界
物理法則が数学で記述されるというとき、次の事実を忘れてはならない。法則は、実際の宇宙の理想化された姿であり、実在だと考えてはならない。実際の宇宙には、有限の資源しか存在せず、宇宙の計算能力には、自然な宇宙的制限があることになる。(ポール・デイヴィス(1946-))
「ランダウアーが問うたのは、「ニュートンの法則やその他の物理法則に体現された数学的理想化は、 本当に真に受けるべきものなのかどうか」という疑問だ。法則が、何らかの理想化された数学的形式の 抽象的領域に限られているうち は、 何の問題もない。しかし、法則が、超越的なプラトニックな領域で はなく、実際の宇宙に存在していると考えるならば、話はまったく違ってくる。実際の宇宙には、実際 の制約がある。特に、実際の宇宙には有限の資源しか存在しないはずだ。したがって、たとえば、一度 に有限の数のビットしか保有できないだろう。だとすると、原理的にさえも、宇宙の計算能力には、自 然な宇宙的制限があることになる。たいていの物理法則の正統的解釈は実数に基づいているが、その実 数は、存在しえないことになる。
グレゴリー・チャイティンは、先人のランダウアーと同じくIBMに勤務するコンピュータ科学の概 念的基盤に関する一流の理論家だが、彼も同じ結論に到達した。彼はそれを次のように、印象的に表現 している。「実数を計算することができないなら、そのビットが何であるか示すことができないなら、 そしてそれを参照することさえできないなら、どうして実数を信じなければならないのだろう? ………0 から1までの実線は、ますますスイスチーズのように見えてくる」。ランダウアーの主張は、さまざま な物理的制約が存在する現実の宇宙のなかでは、原理的にすら、実際に実行することは不可能な数学的 操作を、物理法則を記述するために持ち出すことは正当化できないということだった。言い換えれば、
『物理的に不可能な操作に頼らざるを得ない物理法則は、不適当なものとして拒否せねばならない』
ということである。プラトン主義的な法則は、便利な近似として扱うことはできるだろうが、「リアリ ティー」ではない。 プラトン主義的な法則が持つ無限の正確さは、通常は十分無害な理想化だが、常に 無害というわけではない。ときにはわたしたちを迷わせる。そして、極初期宇宙を議論するとき以上に その傾向が著しいことはない。」
(ポール・デイヴィス(1946-),『ゴルディロックスの謎』(日本語書籍名『幸運な宇宙』),第10章 どうして存在するのか,pp.411-412,日経BP社,2008,吉田三知世)