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2021年11月23日火曜日

量子的な確率分布は実在そのものではなく可能な宇宙を表現し、観測過程によって初めて実在化する。生命と意識は、宇宙の生成物でありながら同時に、何らかの観測過程を経由して、宇宙の在り方に参画しているのではないだろうか。(ポール・デイヴィス(1946-))

観測過程と生命、意識

量子的な確率分布は実在そのものではなく可能な宇宙を表現し、観測過程によって初めて実在化する。生命と意識は、宇宙の生成物でありながら同時に、何らかの観測過程を経由して、宇宙の在り方に参画しているのではないだろうか。(ポール・デイヴィス(1946-))


「二つ目の問題―何らかの目的論的要素に関するものは、量子力学によって解決できる可能性が ある。 ホイーラーは、間違いなくそう信じていた。彼は、観測者というものを、物理的リアリティーを形作る作業の単なる観客ではなく、その参加者だと考えていた。このような考え方そのものは、何も 新しいものではない。 哲学者は、伝統的にこのような考え方にどっぷりと浸かっている。ホイーラーが 遅延選択実験によって新たに導入したのは、現在と未来の観測者が、観測者など一切存在しなかった遠 い過去も含めて過去の物理的リアリティーの性質を形作るという可能性である。この考え方は、生物と 心に、物理学のなかで一種創造的な役割を与え、生物と心を宇宙論的物語全体のなかで不可欠なものと するという点で、極めて斬新だ。 それでもなお、生物と心は宇宙が生み出したものである。したがって、 時間的であると同時に論理的なループが存在することになる。通常の科学では、「宇宙→生物→心」 という直線的な論理の流れを仮定している。 ホイーラーは、この鎖を閉じて、「宇宙→生物→心→宇宙」 というループにすることを提案した。 彼は独特の簡潔な言い回しで、この考えの本質を次のように表現 した。「物理学は観測者参加をもたらす。観測者参加は情報をもたらす。 情報は物理学をもたらす」。だ とすると、宇宙は観測者を説明し、観測者は宇宙を説明することになる。このように主張することによ  ってホイーラーは、宇宙は固定された先験的な法則に支配される機械だという認識を拒否し、それを、 彼が 「参加型宇宙」と呼ぶ、自己合成を行う世界に置き換えた。ホイーラーは、前のセクションで検討 したベニオフの自己一貫性の議論と類似した、閉じた説明のループを仮定することによって、やっかい な「亀の塔」の問題を巧みに回避したのである。生物に好適な宇宙が自らを説明するのなら、空中浮揚するスーパー・タートルは必要なくなるのだ。」

(ポール・デイヴィス(1946-),『ゴルディロックスの謎』(日本語書籍名『幸運な宇宙』),第10章 どうして存在するのか,pp.426-427,日経BP社,2008,吉田三知世)




多くの非生物系が、 何ら特徴のない姿から、複雑なパターンと組織構造を進化させる自己組織化現象が存在する。雪の結晶の成長のように、物理法則にのみ由来する現象である。(ポール・デイヴィス(1946-))

自己組織化現象

多くの非生物系が、 何ら特徴のない姿から、複雑なパターンと組織構造を進化させる自己組織化現象が存在する。雪の結晶の成長のように、物理法則にのみ由来する現象である。(ポール・デイヴィス(1946-))


「もうひとつ、進化のメカニズムとして可能性のあるものが、自己組織化である。多くの非生物系が、 はじめの何ら特徴のない姿から、複雑なパターンと組織構造を進化させる。このような非生物系の進化 はすべて、ダーウィン的進化のような個体差や選択が関与することは一切なしに、自然発生的に起こる。 たとえば、雪の結晶は特徴的な六角形をした精緻なパターンを形成する。 雪の結晶に遺伝子があるなど と主張する人はいないが、雪の結晶は知性を持った設計者によって作られたと主張する人もいない。雪 の結晶は、明確な数学の規則と物理法則に従って、自発的に自己組織化し、自己集合するのである。この自己組織化によって進む、ダーウィン的進化とは異なる進化は、物理学、化学、天文学、地球科学、 そしてワールドワイドウェブなどのネットワークにおいても見られる。これが生物学においても、あち らこちらで起こっていないとしたら驚きだという気がするが、そういうわたしの感じ方は間違っている かもしれない。もし仮にわたしが正しかったとしても、それはダーウィンの進化論が反証されたという ことではなく、ダーウィン的進化は、進化のメカニズムのほんの一部を説明するに過ぎないのだろう、 ということである。とはいえ、その、進化のメカニズムのなかで、まだ明らかになっていない、ダーウ イン的進化以外の部分に存在するのは、宇宙的な魔術師のようなものではなく、物理法則に由来する、 未知の組織化原理に適合する、自然のプロセスなのである。」

(ポール・デイヴィス(1946-),『ゴルディロックスの謎』(日本語書籍名『幸運な宇宙』),第9章 インテリジェント・デザインとあまりインテリジェントでないデザイン,pp.344-345,日経BP社,2008,吉田三知世)



3.生命が持つ特別な性質の1つ目は、ダーウィン的進化の産物であるということである。複製される個体の存在と、複製の際の個体間のばらつきと環境内における選択による変化とを、組織化原理としている。(ポール・デイヴィス(1946-))

 ダーウィン的進化の産物

生命が持つ特別な性質の1つ目は、ダーウィン的進化の産物であるということである。複製される個体の存在と、複製の際の個体間のばらつきと環境内における選択による変化とを、組織化原理としている。(ポール・デイヴィス(1946-))

「生物を特別なものとしているのは、それを形作る物質ではなく、それが行う事柄である。生物を定義 することは、ご承知のとおりたいへん難しいが、特に目立った性質が三つある。最初のものは、生物は ダーウィン的進化の産物だということだ。実際、一部の科学者たちは、この基準だけで生物を定義して いる。 複製の際の個体間のばらつきとそのあいだでの選択に基づく進化の原則は、間違いなく基本的である。それは、宇宙のあらゆる場所に存在する生物に適用されるはずであり、地球に存在する生物とは まったく異なる生物にも当てはまるはずだ。 ダーウィン的進化は物理法則ではないが、重力の法則と同 じくらい深く重要な組織化原理である。したがって、生物は、ダーウィン的進化という宇宙の極めて基 本的な性質から生まれたものだということになる。」

(ポール・デイヴィス(1946-),『ゴルディロックスの謎』(日本語書籍名『幸運な宇宙』),第10章 どうして存在するのか,pp.389-390,日経BP社,2008,吉田三知世)






2021年11月9日火曜日

生命の状態を意識化し、外界の物理的環境、人間集団の命の状態の指標でもある情動は、様々な文化的構築物創造の媒介者でもある。これら全ては、生命の自己保存と効率的な機能の展開という目的に貫かれているように思われる。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

自己保存と効率的機能の展開

  生命の状態を意識化し、外界の物理的環境、人間集団の命の状態の指標でもある情動は、様々な文化的構築物創造の媒介者でもある。これら全ては、生命の自己保存と効率的な機能の展開という目的に貫かれているように思われる。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

「人間の持つ文化的な心の誕生に向け、ホメオスタシスは感情によって、劇的な飛躍を果すこ とができた。なぜなら、感情は生体内の生命活動の状態を心的に表象することを可能にするか らだ。心の仕組みにひとたび感情がつけ加えられると、ホメオスタシスのプロセスは生命活動 の状態に関する直接的な知識を豊富に持てるようになり、その知識は、必然的に意識的なもの になった。やがて感情に駆り立てられた意識ある心は、経験の主体に照らして、(1)生体内の 状態と、(2)生体外の環境の状態という2つの決定的な事象を心的に表象することが可能になっ た。後者には、社会的な相互作用や共有された意図によって生じた種々の複雑な状況における 他個体の行動が、典型的なものとして含まれる。そのような行動の多くは、その個体の持つ衝 動、動機、情動に左右される。学習や記憶の能力が発達すると、個体は、事実やできごとに関 する記憶を形成、想起、操作することができるようになり、知識と感情に基盤を置く新たなレ ベルの知性が誕生する道が開けた。この知的能力の拡大のプロセスに、やがて話し言葉が加わ り、観念と言葉と文のあいだのやりとりがたやすくできるようになる。そこからは、創造性の 洪水は抑えられなくなる。こうして自然選択は、特定の行動、実践、道具の背後にある観念の 劇場を征服し、文化的な進化と遺伝的な進化の連携が可能になったのだ。

 すばらしき人間の心と、それを可能にした複雑な脳は、それらを生んだ先駆けとなる祖先の 生物の長い系列から私たちの目を逸らしてしまう。心と脳という輝かしい成果は、人間とその 心が、フェニックスのごとく完全な形態で最近になって突如出現したかのように思わせる。し かしこの驚異的なできごとの背景には、祖先の生物の長い連鎖と、激しい競争と、驚嘆すべき 協調の歴史が横たわっている。複雑な生命体は、管理されていたからこそ存続できた。また脳 は、とりわけ感情や思考に富んだ意識ある心の構築を導くことに成功したあとで、管理の仕事 の支援に長けるようになったがゆえに進化の過程で選択された。これらの点が、人間の心の物 語では見逃されやすい。つまるところ人間の創造性は、生命と、まさにその生命が、「何があ ろうと耐え、未来に向けて自己を発展させるべし」とする厳正な任務を担いつつ誕生したとい う、息を飲むような事実に根差しているのだ。このつつましくも強力な起源に思いを馳せるこ とは、不安定性と不確実性に満ちた現代を生き抜くにあたって、何らかの役に立つかもしれな い。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-),『進化の意外な順序』,第1部 生命活動とその調節(ホメ オスタシス),第1章 人間の本性,pp.44-45,白揚社(2019),高橋洋(訳))

進化の意外な順序 感情、意識、創造性と文化の起源 [ アントニオ・ダマシオ ]

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「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織と いった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたか のいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物 を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現 を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な 自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自 己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二 に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもて ない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しか し、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学な どからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必 要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分 野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新し い種類の研究だ。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感 情の脳科学 よみがえるスピノザ』)4 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社 (2005)、田中三彦())

2020年4月8日水曜日

32.生命は、単に、激烈な闘争と自然淘汰の結果として存在しているのではなく、環境世界への適応や様々な生命諸形態の案出において、何らかの能動的な問題解決、推測と誤謬の除去ともいえる方法で作用しているのではないか。(カール・ポパー(1902-1994))

生命とは問題解決

【生命は、単に、激烈な闘争と自然淘汰の結果として存在しているのではなく、環境世界への適応や様々な生命諸形態の案出において、何らかの能動的な問題解決、推測と誤謬の除去ともいえる方法で作用しているのではないか。(カール・ポパー(1902-1994))】
 「悲観的イデオロギーに属するひとつの非常に重要なテーゼはこうです。生命の環境世界への適応や、すべての〔生命諸形態の〕案出(わたくしはこれを偉大なものと思っていますが)は、生命が何十億年ものあいだになし遂げたものであり、そしてこんにちでもわれわれが実験室で追構成できないものであるが、それらは案出ではなく、純粋な偶然の結果である。つまり、こういうことです。生命はそもそも案出しなかった。そこにあるすべては、純粋に偶然的な変異と自然淘汰のメカニズムである。生命の内部からの圧力は、自己増殖以外のなにものでもない。それ以外の一切は、われわれの相互的闘争、自然との闘争、しかも《盲目的》闘争から生じてくる。そして、(わたくしの考えでは偉大な出来事なのですが)太陽光線を栄養として用いるといったことは、偶然の結果である。
 〔これに対する〕わたくしの主張はこうです。これもまた、イデオロギーにすぎない、しかも古いイデオロギーの一部であって、ここには利己的遺伝子の神話さえもが属するし(遺伝子は共同によってのみ作用し生き延びうるというのに)、くわえて、今や真新しく素朴決定論的に「社会生物学」と称して息を吹き返した社会ダーウィニズムも属する。
 二つのイデオロギーの主要点をまとめておきたいと思います。
(1)旧、外部からの選択圧は殺害を通じて作用する。つまり、それは〔生物のあるものを〕除去する。したがって、環境は生命に対して敵対的である。
 新、内部からの能動的な選択圧は、よりよい環境、よりよい生態学的ニッチ、よりよい世界の探究である。それは、生命に対して最高度に友好的である。生命は生命のために環境世界を改善し、環境世界を生命に対して友好的なもの(そして人間にとって友好的なもの)にする。
(2)旧、有機体は〔環境世界に対して〕完全に受動的であって、〔環境世界によって〕能動的に選択される。
 新、有機体は能動的である。有機体は持続的に問題解決に従事する。生命とは問題解決である。解決はときとして新しい生態学的ニッチの選択あるいは構築である。有機体は能動的であるばかりでなく、その能動性は持続的に増大する。(われわれ人間に能動性を認めようとしないのは――決定論者はそうしているが――パラドックスである、とりわけ、われわれの批判的な精神的仕事を考慮に入れると。)
 海のなかで動物的生命が発生したとき――これは推測であるが――その環境世界は多くの領域でかなりの程度まで一様であった。にもかかわらず(昆虫はまったく無視するとしても)動物は、陸にあがる前に脊椎動物にまで発展していた。環境世界は、生命に対して一様に友好的であり、またそれに応じて無差別的であったが、生命の方は、見通せないほどさまざまな形態に差別化をとげた。
(3)旧、変異は純粋な偶然事である。
 新、有機体は、いつでも、生命を改善するような素晴らしい案出をしている。自然と進化と有機体、これらはすべて案出の才に富む。それらは、案出〔発明〕家として、われわれと同じように、推測と誤謬の除去という方法で働いている。
(4)旧、われわれは、残忍な除去を通して進化によって変革される敵対的な環境世界に生きている。
 新、最初の細胞は、何十億年後にあっても依然として、しかも今では数限りなく多い複写体のうちに生きている。どこに目を向けようとも、最初の細胞が存在する。それは、大地に園をつくり出し、緑の植物をつうじて、大気を作り変えた。またそれは、われわれの目を作り出し、青い空と星とに目を開かせた。うまくいっている。」
(カール・ポパー(1902-1994),『よりよき世界を求めて』,第1部 知識について,第1章 知識と実在の形成――よりよき世界を求めて,IV,pp.37-39,未来社(1995),小河原誠,蔭山泰之,(訳))
(索引:生命,自然淘汰,適応,問題解決,推測と誤謬の除去)

よりよき世界を求めて (ポイエーシス叢書)


(出典:wikipedia
カール・ポパー(1902-1994)の命題集(Propositions of great philosophers)  「あらゆる合理的討論、つまり、真理探究に奉仕するあらゆる討論の基礎にある原則は、本来、《倫理的な》原則です。そのような原則を3つ述べておきましょう。
 1.可謬性の原則。おそらくわたくしが間違っているのであって、おそらくあなたが正しいのであろう。しかし、われわれ両方がともに間違っているのかもしれない。
 2.合理的討論の原則。われわれは、ある特定の批判可能な理論に対する賛否それぞれの理由を、可能なかぎり非個人的に比較検討しようと欲する。
 3.真理への接近の原則。ことがらに即した討論を通じて、われわれはほとんどいつでも真理に接近しようとする。そして、合意に達することができないときでも、よりよい理解には達する。
 これら3つの原則は、認識論的な、そして同時に倫理的な原則であるという点に気づくことが大切です。というのも、それらは、なんと言っても寛容を合意しているからです。わたくしがあなたから学ぶことができ、そして真理探究のために学ぼうとしているとき、わたくしはあなたに対して寛容であるだけでなく、あなたを潜在的に同等なものとして承認しなければなりません。あらゆる人間が潜在的には統一をもちうるのであり同等の権利をもちうるということが、合理的に討論しようとするわれわれの心構えの前提です。われわれは、討論が合意を導かないときでさえ、討論から多くを学ぶことができるという原則もまた重要です。なぜなら討論は、われわれの立場が抱えている弱点のいくつかを理解させてくれるからです。」
 「わたくしはこの点をさらに、知識人にとっての倫理という例に即して、とりわけ、知的職業の倫理、つまり、科学者、医者、法律家、技術者、建築家、公務員、そして非常に重要なこととしては、政治家にとっての倫理という例に即して、示してみたいと思います。」(中略)「わたくしは、その倫理を以下の12の原則に基礎をおくように提案します。そしてそれらを述べて〔この講演を〕終えたいと思います。
 1.われわれの客観的な推論知は、いつでも《ひとりの》人間が修得できるところをはるかに超えている。それゆえ《いかなる権威も存在しない》。このことは専門領域の内部においてもあてはまる。
 2.《すべての誤りを避けること》は、あるいはそれ自体として回避可能な一切の誤りを避けることは、《不可能である》。」(中略)「
 3.《もちろん、可能なかぎり誤りを避けることは依然としてわれわれの課題である》。しかしながら、まさに誤りを避けるためには、誤りを避けることがいかに難しいことであるか、そして何ぴとにせよ、それに完全に成功するわけではないことをとくに明確に自覚する必要がある。」(中略)「
 4.もっともよく確証された理論のうちにさえ、誤りは潜んでいるかもしれない。」(中略)「
 5.《それゆえ、われわれは誤りに対する態度を変更しなければならない》。われわれの実際上の倫理改革が始まるのは《ここにおいて》である。」(中略)「
 6.新しい原則は、学ぶためには、また可能なかぎり誤りを避けるためには、われわれは《まさに自らの誤りから学ば》ねばならないということである。それゆえ、誤りをもみ消すことは最大の知的犯罪である。
 7.それゆえ、われわれはたえずわれわれの誤りを見張っていなければならない。われわれは、誤りを見出したなら、それを心に刻まねばならない。誤りの根本に達するために、誤りをあらゆる角度から分析しなければならない。
 8.それゆえ、自己批判的な態度と誠実さが義務となる
 9.われわれは、誤りから学ばねばならないのであるから、他者がわれわれの誤りを気づかせてくれたときには、それを受け入れること、実際、《感謝の念をもって》受け入れることを学ばねばならない。われわれが他者の誤りを明らかにするときは、われわれ自身が彼らが犯したのと同じような誤りを犯したことがあることをいつでも思い出すべきである。」(中略)「
 10.《誤りを発見し、修正するために、われわれは他の人間を必要とする(また彼らはわれわれを必要とする)ということ》、とりわけ、異なった環境のもとで異なった理念のもとで育った他の人間を必要とすることが自覚されねばならない。これはまた寛容に通じる。
 11.われわれは、自己批判が最良の批判であること、しかし《他者による批判が必要な》ことを学ばねばならない。それは自己批判と同じくらい良いものである。
 12.合理的な批判は、いつでも特定されたものでなければならない。それは、なぜ特定の言明、特定の仮説が偽と思われるのか、あるいは特定の論証が妥当でないのかについての特定された理由を述べるものでなければならない。それは客観的真理に接近するという理念によって導かれていなければならない。このような意味において、合理的な批判は非個人的なものでなければならない。」
(カール・ポパー(1902-1994),『よりよき世界を求めて』,第3部 最近のものから,第14章 寛容と知的責任,VI~VIII,pp.316-317,319-321,未来社(1995),小河原誠,蔭山泰之,(訳))

カール・ポパー(1902-1994)
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