2022年3月1日火曜日

研究は本来つねにオープンソースで共生的なものである。このことはもはや、企業部門で働く科学者たちには当てはまらない。知的コモンズの囲い込みは促進され、大企業が、その経済効果への恐れから不都合な発見を買い上げ封殺してしまうといった事例まで存在する。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))

経営管理主義の専制、研究結果の私有化

研究は本来つねにオープンソースで共生的なものである。このことはもはや、企業部門で働く科学者たちには当てはまらない。知的コモンズの囲い込みは促進され、大企業が、その経済効果への恐れから不都合な発見を買い上げ封殺してしまうといった事例まで存在する。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))




(a)研究は本来つねにオープンソースで共生的なもの
 イギリスの経済学者であるデイヴィッド・ハーヴィーが最近、述 べているように、「オープンソース」での研究は、決して目新しいものではない。学者による研究は、研究者たちが資料や研究結果を共有するという意味では、つねにオープンソースで あった。なるほど、たしかに競争はある。しかしそれは、かれが巧みに表現しているように、 「共生的」なものである。
(b)研究成果の私有化
 このことがもはや、企業部門で働く科学者たちには当てはまらないことは明らかであ る。彼らの調査結果はがっちりとガードされている。アカデミーや研究施設それ自身の内部 への企業エートスの浸透によって、公的な資金を獲得している研究者にすら、自らの調査 結果を個人資産のように扱うがごとき態度がますます拡大している。
(c)知的コモンズの囲い込み
 公刊物は減少している。 公刊されている調査結果がどんどんアクセス困難なものになって知的コモンズの囲い込みがさ らに促進される、そのような動きに大学出版局も追随している。
(d)自己利益に不都合な発見の買い上げ、封殺
 私有化の形態にはあらゆる種類のものがある。大企業が、その経済効果への恐れから、不都合な発見を単純に買い上げ、封殺してしまうといった事例にいたるまで。こうし たことは、どれもよく知られている。
(e)即時的な成果の要求
 より淫靡なやり口もある。すなわち、とりわけ即時的な成果の見込みがないとき、わずかでも冒険的だったり突飛だったりするような何事もその実行の阻止をくわだてる、経営管理的エートスのありようである。



 「自然科学においては、経営管理主義(managerialism)の専制に、忍びよる研究結果の 私有化がつけ加わるだろう。イギリスの経済学者であるデイヴィッド・ハーヴィーが最近、述 べているように、「オープンソース」での研究は、決して目新しいものではない。学者による 研究は、研究者たちが資料や研究結果を共有するという意味では、つねにオープンソースで あった。なるほど、たしかに競争はある。しかしそれは、かれが巧みに表現しているように、 「共生的」なものである。」(中略)  「このことがもはや、企業部門で働く科学者たちにはあてはまらないことはあきらかであ る。かれらの調査結果はがっちりとガードされている。アカデミーや研究施設それ自身の内部 への企業エートスの浸透によって、公的な資金を獲得している研究者にすら、みずからの調査 結果を個人資産のように扱うがごとき態度がますます拡大している。公刊物は減少している。 公刊されている調査結果がどんどんアクセス困難なものになって知的コモンズの囲い込みがさ らに促進される、そのような動きに大学出版局も追随している。その結果、共生的でオープン ソースの競争は、古典的な市場競争にはるかに類似したものに、ますます横滑りをしているの である。  私有化[民営化]の形態にはあらゆる種類のものがある。大企業が、その経済効果へのおそ れから、不都合な発見を単純に買い上げ、封殺してしまうといった事例にいたるまで。こうし たことは、どれもよく知られている。それとは別に、より淫靡なやり口もある。すなわち、とりわけ即時的な成果の見込みがないとき、わずかでも冒険的だったり突飛だったりするような なにごとのもその実行の阻止をくわだてる、経営管理的エートスのありようである。奇妙なこ とに、インターネットもここでは厄介の種となりうる。」
(デヴィッド・グレーバー(1961-2020),『官僚制のユートピア』,2 空飛ぶ自動車と利潤率 の傾向的低下,pp.194-196,以文社(2017),酒井隆史(訳),芳賀達彦(訳),森田和樹(訳)) 

官僚制のユートピア テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則 [ デヴィッド・グレーバー ]


デヴィッド・グレーバー
(1961-2020)








アカデミアが、変わり者、図抜けた頭脳、浮世離れのための避難所であっ た時代が存在した。もはやそうではない。そこは今や、プロの自分売り込み人の領域である。研究よりも助成金の申請書、自分の関心や重要な科学的諸問題よりも無難なもの、独創的なアイデアよりも実利的なものが優先される。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))

科学的創造性の破壊

アカデミアが、変わり者、図抜けた頭脳、浮世離れのための避難所であっ た時代が存在した。もはやそうではない。そこは今や、プロの自分売り込み人の領域である。研究よりも助成金の申請書、自分の関心や重要な科学的諸問題よりも無難なもの、独創的なアイデアよりも実利的なものが優先される。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))



「アカデミアが、変わり者、図抜けた頭脳、浮世離れのための、社会のなかの避難所であっ た時代が存在した。もはやそうではない。そこはいまや、プロのじぶん売り込み人の領域であ る。変わり者、図抜けた頭脳、浮世離れにとって、いまや社会のなかには、いっさいの居場所 がない。  いまだたいてい最小の経費で個人によって研究のおこなわれる社会科学の領域においてすら そうなのだから、物理学者にとって状況がどのように劣悪なものであるか、想像するしかな い。実際、ある物理学者は、諸科学の分野に進路を考えている学生に次のような警告を発して いる。だれか別の人間の小間使いとしてたいてい10年ほど疲弊したあと、ようやく脱出したと おもったら、今度はじぶんの一番のアイデアにあらゆる方向からケチをつけられると覚悟した まえ、と。  『きみは、研究よりも[助成金の]申請書を書くことに、多くの時間を割くことになるだろ う。もっと悪いことに、その申請書を審査するのはきみの競争相手だから、きみはじぶんの関 心のまますすむことはできず、きみの努力と才能を、重要な科学的諸問題を解決するよりは、 批判を予測しかわすことについやさなければならない......オリジナルなアイデアのあるところ申 請書は却下される、これが鉄則なのだ。なんとなれば、そんなアイデアはまだうまく使えるか どうか判明していないから、だ。』  なぜいまだ転送装置とか反重力シューズとかが実現していないかという問いに、これがおお よそ答えてくれている。もし、あなたが科学的創造性を最大化させたいならば、図抜けた頭脳 を探し出し、その頭のなかにあるアイデアを追求するのに必要な資源を与え、それからしばら く放っておく、というのが常識の命ずるところだ。大方、たぶん、なにも成果があがらないだろう。だが、一つか二つ、なにかまったく予期されなかった発見があがるということもありう る。もし、あなたが予期せざるブレイクスルーの可能性をほとんど壊滅させたい[最小化させ たい]と望むなら、このおなじ人間たちに、次のようにいえばよい。たがいに競争しながら、 きみたちが達成するであろう発見が確実であることを、わたしに説得したまえ、そのための時 間はおしむな、さもなくば資金の獲得は望めまい、と。  およそ、これがいまのシステムである。」
 (デヴィッド・グレーバー(1961-2020),『官僚制のユートピア』,2 空飛ぶ自動車と利潤率 の傾向的低下,pp.193-194,以文社(2017),酒井隆史(訳),芳賀達彦(訳),森田和樹(訳))

官僚制のユートピア テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則 [ デヴィッド・グレーバー ]




デヴィッド・グレーバー
(1961-2020)






ネオリベラリズムとは、経済的要求に対して政治的要求を体系的に優先させた形態の資本主義である。それは、今あるものとは根本的に異なるであろう避けがたい救済的な未来への可能性を閉じて、資本主義が唯一可能な経済システムであるような見せ掛けを形成するための非生産的な装置を、重要な要素として含む。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))

ネオリベラリズム

ネオリベラリズムとは、経済的要求に対して政治的要求を体系的に優先させた形態の資本主義である。それは、今あるものとは根本的に異なるであろう避けがたい救済的な未来への可能性を閉じて、資本主義が唯一可能な経済システムであるような見せ掛けを形成するための非生産的な装置を、重要な要素として含む。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))


「ネオリベラリズムの墓碑銘を歴史学者が書き記すとして、経済的要求に対して政治的要求 を体系的に優先させた形態の資本主義であった、という結論は避けられまい。すなわち、資本 主義が唯一可能な経済システムであるような《みせかけ》を形成するであろう行動様式と、資 本主義より活力のある長期的経済システムとしての《存在》にしようとする行動様式のあいだ の選択肢を前にして、ネオリベラリズムはつねに前者を選んできたのである。雇用の安定性を 突き崩しながら労働時間を上昇させるといったやり方が、より生産力ある(いわんや、イノ ベーティヴであったり、献身的であったりする)労働力を形成するであろうか? 実状はこの 正反対といってよいだろう。純粋に経済的観点からすれば、労働市場のネオリベラル改革の帰 結は、ほとんど確実にネガティヴなものである。1980年代と90年代の、世界のほとんどあら ゆる地域での、経済成長率の全般的な低率が、この印象を高める傾向にある。ところが、労働 を脱政治化することにかけては、それはめざましい成功を収めてきたのである。軍隊、警察、 民間セキュリティ・サーヴィスの急成長についても、おなじことがいえる。それらはまったく 不生産的である。つまり、資源の浪費以外のなにものでもない。資本主義のイデオロギー的勝 利を保障するべく形成された装置の重量それ自体が、みずからの重みで当の資本主義を沈没さ せてしまうかもしれない。それも十分にありうるのだ。しかし、労せずしてわかるように、こ れらの装置は、まちがいなくネオリベラルのプロジェクトの重要な一部なのである。世界を支 配する者たちの究極の要請が、いまあるものとは根本的に異なるであろう避けがたい救済的な未来への感覚の可能性を窒息させることにある、とするならば。」
(デヴィッド・グレーバー(1961-2020),『官僚制のユートピア』,2 空飛ぶ自動車と利潤率 の傾向的低下,pp.185-186,以文社(2017),酒井隆史(訳),芳賀達彦(訳),森田和樹(訳)) 

官僚制のユートピア テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則 [ デヴィッド・グレーバー ]


デヴィッド・グレーバー
(1961-2020)







人間は、自分の仲間に想像上で同一化するのみならず、その結果として、互いの歓びや哀しみを自ずから感じる傾向がある。この同じ仕組みが、構造的暴力の犠牲者に、受益者が犠牲者たちを気 遣うよりもはるかに多く、受益者を気遣うようにさせる。不平等な諸関係を維持する最大の力が、この想像力の構造である。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))

共感的同一化

人間は、自分の仲間に想像上で同一化するのみならず、その結果として、互いの歓びや哀しみを自ずから感じる傾向がある。この同じ仕組みが、構造的暴力の犠牲者に、受益者が犠牲者たちを気 遣うよりもはるかに多く、受益者を気遣うようにさせる。不平等な諸関係を維持する最大の力が、この想像力の構造である。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))



(a)共感的同一化(アダム・スミス『道徳感情論』)
 人間というものは、ふつう、自分の仲間に想像上で同一化するのみならず、その結果として、互いの歓びや哀しみを自ずから感じてしまう傾向があ る。
(b)同一化の対象、仲間か支配者か
 しかしながら、貧民は、あまりにいつも惨めな状況にあるため、普通であれば共感力の 豊かな観察者も、端的に圧倒されてしまい、そうとは気づくことなく、彼らの存在を視界か ら抹消してしまうよう余儀なくされる。
(c)偏りのある想像力の構造
 その結果、社会的階梯の底辺に位置する者が、多大なる時間をかけて、頂点にある者たちに見えているものを想像したり、心から気にかけたりする のに対し、その逆はほとんど起きないのである。  




「第二の要素は、共感的同一化の結果として生まれるパターンである。興味深いことだが、 「共感疲れ」といま呼ばれている現象を、はじめて観察したのは『道徳感情論』のアダム・ス ミスであった。かれによれば、人間というものは、ふつう、自分の仲間に想像上で同一化す るのみならず、その結果として、たがいの歓びや哀しみをおのずから感じてしまう傾向があ る。しかしながら、貧民は、あまりにいつも惨めな状況にあるため、ふつうであれば共感力の 豊かな観察者も、端的に圧倒されてしまい、そうとは気づくことなく、かれらの存在を視界か ら抹消してしまうよう余儀なくされる。その結果、社会的階梯の底辺に位置する者が、多大なる時間をかけて、頂点にある者たちにみえているものを想像したり、心から気にかけたりする のに対し、その逆はほとんど起きないのである。  主人と召使いであろうと、男性と女性であろうと、雇用者と被雇用者であろうと、富者と貧 民であろうと、構造的不平等――構造的暴力とここで呼んできたもの――は、例外なく、高度に偏 りのある想像力の構造を形成してしまう。おもうに、想像力は共感をともなう傾向がある、と するスミスは正しい。だから、構造的暴力の犠牲者は、構造的暴力の受益者が犠牲者たちを気 遣うよりもはるかに多く、受益者を気遣う傾向があるのである。暴力そのものに次いで、こう した[不平等な]諸関係を維持する単一の最大の力が、これ[この想像力の構造]であろ う。」

(デヴィッド・グレーバー(1961-2020),『官僚制のユートピア』,1 想像力の死角? 構造 的愚かさについての一考察,pp.101-102,以文社(2017),酒井隆史(訳),芳賀達彦(訳),森田 和樹(訳))

官僚制のユートピア テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則 [ デヴィッド・グレーバー ]


デヴィッド・グレーバー
(1961-2020)








支配の諸関係の内部で、当該の社会的諸関係がどのように実際には作動しているのかは、実質的に従属した人々がどのように考え、行動しているかで理解できる。召使は自分を雇っている家庭の事情について事細かに知っているものだが、その逆はほとんどあり得ないのである。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))

想像的同一化

支配の諸関係の内部で、当該の社会的諸関係がどのように実際には作動しているのかは、実質的に従属した人々がどのように考え、行動しているかで理解できる。召使は自分を雇っている家庭の事情について事細かに知っているものだが、その逆はほとんどあり得ないのである。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))



「解釈労働の一般理論を発展することは可能だろうか? わたしたちはたぶん、ここには、結合してはいるが形式的には区別する必要のある、二つの重要な要素があることを認識するこ とからはじめねばならない。第一の要素は、知の形式としての想像的同一化の過程である。す なわち、支配の諸関係の内部では、当該の社会的諸関係がどのように実際には作動しているの かを理解する作業は、実質的に従属した人々に一般的にはゆだねられている、という事実であ る。たとえば、食堂のキッチンで働いたことのある者ならば周知のことがある。盛大なヘマが あって、怒った支配人が顔を出し、状況を把握しようとしたとして、かれがこまごまと調査を することはないし、あわてて事態を説明しようとする従業員の話をまじめに聞こうとすら、た いていはしないということである。全員を黙らせ、適当にストーリーをこしらえ、即座の判断 をくだす、という可能性の方がはるかに高いのだ。「ジョー、おまえはこんなしくじりはしな いな。マーク、おまえだな、おまえは新入りだしな。二度とやったら、今度はクビだぞ」。ミ スの再発を防ぐべく、真の原因を探り出す作業は、人を雇用したり解雇したりする力をもたな い人間がやることになる。同様のことは、たいてい、持続する関係のうちに起きるものであ る。たとえば、だれもが知っていることだが、召使はじぶんを雇っている家庭の事情について 事細かに知っているものだが、その逆はほとんどありえない。」
(デヴィッド・グレーバー(1961-2020),『官僚制のユートピア』,1 想像力の死角? 構造 的愚かさについての一考察,pp.100-101,以文社(2017),酒井隆史(訳),芳賀達彦(訳),森田 和樹(訳))

官僚制のユートピア テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則 [ デヴィッド・グレーバー ]



デヴィッド・グレーバー
(1961-2020)







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