ネオリベラリズム
ネオリベラリズムとは、経済的要求に対して政治的要求を体系的に優先させた形態の資本主義である。それは、今あるものとは根本的に異なるであろう避けがたい救済的な未来への可能性を閉じて、資本主義が唯一可能な経済システムであるような見せ掛けを形成するための非生産的な装置を、重要な要素として含む。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
「ネオリベラリズムの墓碑銘を歴史学者が書き記すとして、経済的要求に対して政治的要求 を体系的に優先させた形態の資本主義であった、という結論は避けられまい。すなわち、資本 主義が唯一可能な経済システムであるような《みせかけ》を形成するであろう行動様式と、資 本主義より活力のある長期的経済システムとしての《存在》にしようとする行動様式のあいだ の選択肢を前にして、ネオリベラリズムはつねに前者を選んできたのである。雇用の安定性を 突き崩しながら労働時間を上昇させるといったやり方が、より生産力ある(いわんや、イノ ベーティヴであったり、献身的であったりする)労働力を形成するであろうか? 実状はこの 正反対といってよいだろう。純粋に経済的観点からすれば、労働市場のネオリベラル改革の帰 結は、ほとんど確実にネガティヴなものである。1980年代と90年代の、世界のほとんどあら ゆる地域での、経済成長率の全般的な低率が、この印象を高める傾向にある。ところが、労働 を脱政治化することにかけては、それはめざましい成功を収めてきたのである。軍隊、警察、 民間セキュリティ・サーヴィスの急成長についても、おなじことがいえる。それらはまったく 不生産的である。つまり、資源の浪費以外のなにものでもない。資本主義のイデオロギー的勝 利を保障するべく形成された装置の重量それ自体が、みずからの重みで当の資本主義を沈没さ せてしまうかもしれない。それも十分にありうるのだ。しかし、労せずしてわかるように、こ れらの装置は、まちがいなくネオリベラルのプロジェクトの重要な一部なのである。世界を支 配する者たちの究極の要請が、いまあるものとは根本的に異なるであろう避けがたい救済的な未来への感覚の可能性を窒息させることにある、とするならば。」
(デヴィッド・グレーバー(1961-2020),『官僚制のユートピア』,2 空飛ぶ自動車と利潤率 の傾向的低下,pp.185-186,以文社(2017),酒井隆史(訳),芳賀達彦(訳),森田和樹(訳))