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2024年6月21日金曜日

26. 人に関する有益な情報は、単純に本人に尋ねることによって最も直接的に得られる可能性がある(ウォルター・ミシェル(1930-2018)

 人に関する有益な情報は、単純に本人に尋ねることによって最も直接的に得られる可能性がある(ウォルター・ミシェル(1930-2018)

「面接や、専門家たちによる統合的な全体評定は、自己報告の正確さには遠く及ばなかった(Mischel.1965)。

つまり、人に関する有益な情報は、単純に本人に尋ねることによって最も直接的に得られる可能性がある(例:Cantor & Kihlstrom,1987; Emmons,1997)。

こうした結論は、学業成績、職業上の成功、心理療法における治療の結果、精神病患者の再入院、非行少年の宣誓釈放違反など、さまざまな分野に当てはまるように思われる(Emmons,1997; Mischel,1981b; Rorer,1990)。

 要するに、ある条件下において、人は自分の行動を、少なくとも専門家と同じくらい正確に報告できる可能性がある。

もちろん、人は常に自分の行動を正確に予測するわけではない。自分自身の行動を予告するための情報や動機づけに欠けることもあるだろうし、わかってはいても、それを口外しないよう動機づけられていることもあるだろう。

犯罪者が再び盗みを計画していても、裁判の途中で検察官の尋問に対してそれを言うとは考えられない。

さらに、未来の行動の多くは、例えば他の人々や自己など、人の統制が及ばない変数によって決まる可能性もある。

とはいえ、得られた結果は、自己推定や自己予測が有益な評価ツールであることを強く示唆するものといえるだろう。」

(ウォルター・ミシェル(1930-2018),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅴ部 現象学的・人間性レベル、第13章 内面へのまなざし、p.409、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳)

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2024年4月28日日曜日

25. 恐怖や他の情動的な問題が軽減され、そして、より適応的で機能的な社会的行動様式を通して社会的能力が改善されたとき、パーソナリティは変化するのか(ウォルター・ミシェル(1930-2018)

 恐怖や他の情動的な問題が軽減され、そして、より適応的で機能的な社会的行動様式を通して社会的能力が改善されたとき、パーソナリティは変化するのか(ウォルター・ミシェル(1930-2018),

 「恐怖や他の情動的な問題が軽減され、そして、より適応的で機能的な社会的行動様式を通して社会的能力が改善されたとき、パーソナリティは変化するのかという疑問はまだ残っている。

その答えはパーソナリティの定義によるだろう。重篤な吃音や制御できない顔面チックのような不利な行動を変化させることでも、苦痛で恐怖を発生させる情動的な反応を除去することでも、人々の自分自身や自己概念についての感じ方が改善するというかなりの証拠がある(例:Bandura,1997; Meichenbaum,1995)。

自己概念と自尊心は、少なくとも一部は個人の実際の能力や行動が他者によってどのようにみられているかを反映する傾向がある(例:Leary & Downs,1995)。

私たちの自己知覚は、私たちが自分の行動の適応適性について得る情報を含んでいる。そしてもしこれらの自己知覚がパーソナリティの一部であるなら、行動がより適応的で、満足できるものになったとき、パーソナリティは変化する。

より有能に仕事ができることを学習した人は、より多くの満足感を得て、自己に対するより肯定的な態度を発達させる可能性が高い。恐怖や不安を克服できた結果、人はさらに自信ももつようになるに違いない。」(中略)

「しかし、それはしばしば真実かもしれないが、いつでも必ず起こるわけではない。実際、行動療法を批判する人たちは、患者たちの行動が不適切だからではなく、それを不当に評価するから、苦しんでいると指摘している。つまり、遂行ではなく歪曲された自己概念の問題をもっている人たちがいる。

しばしば人は、自分のまわりやもっと遠くの社会にいる人たちよりも自分自身がたいへんに変わっているというラベルを張り、自分の行動に対したいへん変わったものであるかのように反応する。」

(ウォルター・ミシェル(1930-2018),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅳ部 行動・条件づけレベル、第11章 行動の分析と変容、pp.360-361、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

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2024年4月22日月曜日

24. 特別学習プログラム(ウォルター・ミシェル(1930-2018)

特別学習プログラム(ウォルター・ミシェル(1930-2018)

 「人々がしばしば不適応と判断される主な理由は、その人たちが出会う社会的・職業的要求に効果的に対処するために必要な行動様式をどのように実行するかを学ばなかったということであろう。

つまり、うまく役割を果たすために要求されている技術が欠如しているので、適切にふるまえない。

例えば、社会的、経済的に恵まれていない人は、職業や対人関係場面で成功するために必要な行動様式や能力を獲得していないので苦しんでいるのかもしれない。同様に、私たちの文化において高校中退は実際に、恒久的な不利益をもたらす。

そのような行動的欠陥は、もし広範囲に及ぶものなら、重篤な情動的苦痛を生じさせるかもしれない。

多くの特別学習プログラムは、人々にさまざまな問題解決戦略や認知的スキル(Bijou,1965)を教えるように、また人々が多くの他の肯定的な行動の変化を成し遂げるのを援助するよう計画されている(Kamps et al.,1992; Karoly,1980)。」

(ウォルター・ミシェル(1930-2018),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅳ部 行動・条件づけレベル、第11章 行動の分析と変容、p.355、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

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行動査定と行動変容の間の密接な関係は機能分析、つまり刺激条件の変化と選択された行動パターンの変化の間の密接な共変動の分析において最も明らかである(ウォルター・ミシェル(1930-2018)

 行動査定と行動変容の間の密接な関係は機能分析、つまり刺激条件の変化と選択された行動パターンの変化の間の密接な共変動の分析において最も明らかである(ウォルター・ミシェル(1930-2018)

 「ある子どもの読書の問題が、視力の悪さによって引き起こされると仮定したら、矯正メガネや矯正手術のような適切な治療をすれば、例えば読書行動の向上など、行動上の変化がもたらされるはずである。

心理的原因に関しても、同じであるのは間違いない。例えば、もし子どもの読書の困難さが、読書するようにという母親からの圧力についての不安で引き起こされていると信じるなら、母親が圧力を減少させたとき、読書行動に期待された改善が生じるかどうか、試してみるべきである。

つまり、行動を完全に理解するには、それを引き起こす条件を知る必要がある。条件の変化が反応パターンの予測された変化を生じさせることを示すことができたとき、それら条件の意味を理解できたと、確信をもっていうことができる。

 行動査定と、例えば行動の変化などの治療との間の明確な区別は、このように考えると、意味はないし可能でもない。実際、行動査定における最も重要な革新のいくるかは、問題行動を変容させる治療的努力から派生している。

これらの査定方法の主要な特徴は、それらが行動変容と密接に結びついており、実際に行動変容とは分離することはできないということである。

 行動査定と行動変容の間の密接な関係は機能分析、つまり刺激条件の変化と選択された行動パターンの変化の間の密接な共変動の分析において最も明らかである。そのような機能分析は、行動査定の基本であり、そのことは行動を系統的に変化させようとする研究において最もはっきりと示される。」

(ウォルター・ミシェル(1930-2018),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅳ部 行動・条件づけレベル、第11章 行動の分析と変容、pp.342-343、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

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2024年4月14日日曜日

23. 病院の職員は、その人たちの合理的かつ正常な行動を無視して、精神病院に入っている人は精神病に違いないと考えているようだった。ウォルター・ミシェル(1930-2018)

病院の職員は、その人たちの合理的かつ正常な行動を無視して、精神病院に入っている人は精神病に違いないと考えているようだった。ウォルター・ミシェル(1930-2018)

 「状況と社会的役割の影響力の劇的な描写は、発表時に多数の人にショックを与えた自然実験においてみることができる(Rosenhan,1973)。

その実験では、スタンフォード大学の医者・心理学者・大学院生といった正常な個人が、さまざまな精神病の症状を演じて、地域の精神病院に入院した。その人たちは、収容された後は、ふだんと同じく合理的にふるまった。

ところが、外ではどんな人物なのか知らない精神病院の専門職員によって、入院後、ずっと精神障害がある人として扱われ続け、精神病とラベルづけされていた。

病院の職員は、その人たちの合理的かつ正常な行動を無視して、精神病院に入っている人は精神病に違いないと考えているようだった。職員の目にとって、そこにいることだけで、正常な人が精神病患者のようにみえるのに十分だったのである。」

(ウォルター・ミシェル(1930-2018),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅳ部 行動・条件づけレベル、第10章 行動主義の考え方、p.325、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

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2024年4月6日土曜日

22. 行動は、その結果によって変容させられるウォルター・ミシェル(1930-2018)

行動は、その結果によって変容させられるウォルター・ミシェル(1930-2018)

 「行動は、その結果によって変容させられる。生物が何らかの反応(あるいは環境に対して「働きかける」(operate)のでオペラントとよばれる反応パターン)をした際にその結果として起こることは、類似した反応を将来にも行うことがどれくらい好ましいかを決定する。

もしその反応が好ましい、すなわち強化になる結果をもたらしたなら、その生物は類似した状況下で再びその行動をしやすくなる。

一般に広まった誤解とは逆に、「強化子」あるいは好ましい結果は、食べ物や性的満足のような原始的な強化子とは限らない。情報のような認知的な喜び(Jones,1966)、や有能感や達成のようなものを含むたいていの事象は、強化子として機能する。

このような反応によって引き起こされた結果をもとにした学習は、心理学の初期のころには試行錯誤学習あるいは道具的学習とよばれたが、いまはオペラント条件づけとよばれている。

 ある反応パターンが引き起こす結果が変わったとき、その反応パターンが再び起こる確率も、類似した反応パターンが起こる確率も変化する(Nemeroff & Karoly,1991)。

もし小さな少年が、哀れっぽい声を出してしがみついたとき、母親がすべてのものを後回しにして、その子どもをなだめようとしたら、その子が将来、同じようにふるまう可能性が高くなる。しかし、もし母親が一貫してこの行動を無視して、相手にしなかったら、その子が同じようにふるまい続ける可能性は下がるであろう。」

(ウォルター・ミシェル(1930-2018),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅳ部 行動・条件づけレベル、第10章 行動主義の考え方、p.323、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

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2024年3月30日土曜日

21. 人は、酸素を含まない大気の中で肉体的に生きることができないのと同様に、自分に対して共感的に反応してくれない心理的環境では、心理的に生存できないのである(Kohut,1)ウォルター・ミシェル(1930-2018),


人は、酸素を含まない大気の中で肉体的に生きることができないのと同様に、自分に対して共感的に反応してくれない心理的環境では、心理的に生存できないのである(Kohut,1)ウォルター・ミシェル(1930-2018),


 『……人は、酸素を含まない大気の中で肉体的に生きることができないのと同様に、自分に対して共感的に反応してくれない心理的環境では、心理的に生存できないのである。』(Kohut,1977,p.85)

 「コフートの思考は、新しい精神分析的関心それ自体や自己の障害のような問題への治療のための方法を提案することになった。

無意識の葛藤や衝動によって駆り立てられるというよりも、コフートは今日の患者を、共感的学習や同化のための理想的「対象」つまり重要な他者が奪われたとみなしている。

両親は、情動的に壁の向こう側に行ってしまい、両親自身の自己愛的欲求を求めすぎているため、子どもの自己の健康的な発達や成人期の意味ある応答的な関係の形成のために必要なモデルがいないのである。

 人生や生活における重要な他者、つまり「自己にとっての対象」から共感的な反応が感じられないとき、人々は自己の破壊を恐れる。

コフートは、この状態を心理的酸素が奪われた状態にたとえている。自己にとっての対象からの共感的反応の有効性は、酸素の存在が肉体の生存に対するのと同じくらい、自己の生存にとって不可欠である。人間の自己の破壊を導くのは、冷淡さにさらされる、無関心な、共感的反応のない世界である(Kohut,1984,p.18)。」

(ウォルター・ミシェル(1930-2018),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅲ部 精神力動的・動機づけレベル、第9章 フロイト後の精神力動論、pp.292-293、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))


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2024年3月24日日曜日

20.ストレンジ・シチュエーション法(メアリー・エインズワース(Mary Ainsworth,1989)(ウォルター・ミシェル(1930-2018)

 ストレンジ・シチュエーション法(メアリー・エインズワース(Mary Ainsworth,1989)(ウォルター・ミシェル(1930-2018)


「メアリー・エインズワース(Mary Ainsworth,1989)は、小さな子どもの幼児・親の愛着パターンを検討するために「ストレンジ・シチュエーション法」という研究方法を開発した(例:Ainsworth et al.,1978; Stayton & Ainsworth,1973)。ストレンジ・シチュエーション法は、小さな子どもと主要な養育者との関係における個人差を測定する。

 この状況において、子ども(約18カ月)は、主要な養育者であることが想定される母親と、知らない他人とともに、初めてのプレイルームへ連れていかれる。

そして、子どもは、母親がいて子どもとかかわっている状態から、母親がいて夢中になっている状態や、母親がいなくなる状態など、さまざまなレベルの母親の接近可能性を体験する。

子どもはストレンジ・シチュエーションの間に母親から二度分離される。一度は知らない他人と一緒に残され、もう一度は一人きりにされ、ストレスが高い状況がつくりだされる。そして、短い分離の後、母親が戻ってくるのである。

 三つの主要な行動のパターンがこの状況において見いだされる。

再会時だけでなく、実験の間中、母親を避ける子どもは不安定-回避型、A型の子どもとみなされる。再会時に母親を肯定的に出迎えることができ、その後、楽しんでいた遊びに戻り、手続きの間中、母親と望ましい相互作用を行う子どももいる。こうした子どもは安定型、B型の子どもといわれる。再会時に接触を求めるが怒りも表し、再会後になかなか機嫌がよくならない子どもは不安定-両価型、C型の子どもに分類される。

 注目すべきは、安定型の子どもも不安定-両価型の子どももどちらも、母親が出ていったときに泣くのである。しかし、このモデルによると異なった理由で泣いている。

安定型の子どもが泣くのは抗議反応の一部であり、母親が戻ってくるのに有益な行動であるために泣くのである。両価型の子どもは、母親が出ていったため、怒りや絶望から泣くのである。

大きな違いは安定型の子どもは、母親が戻るとすぐに快感情を示し、母親のいる前ですぐに環境の探索に戻ることである。両価型の子どもは、母親の存在によって快感情を示すことはなく、母親にしがみつき、泣き続ける。母親への接近可能性に自信がもてないため、遊びや探索に戻れないのである。

異なるタイプの子どもでは母親の反応の異なるパターンを経験していることが、家を訪ねてみると明らかになる。

例えば、安定型と評定された子どもの母親は、子どもに対して最も応答的である。抵抗的な子どもの母親は応答性において一貫していない。回避型の子どもの母親の応答性は文脈によって変化する。接触や快感情を得ようとすることに対して応答的ではないが、子どもの遊びに対し統制的で、邪魔をするのである。」

(ウォルター・ミシェル(1930-2018),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅲ部 精神力動的・動機づけレベル、第9章 フロイト後の精神力動論、pp.288-289、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

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2020年5月27日水曜日

19.高次の動機:秩序、理解、感覚、優越、被害回避、遊び、自律、達成、反動、支配、顕示、屈辱回避、屈服、服従、愛育、性愛、親和、拒否、隔離、援助、防衛、攻撃(ヘンリー・マレー(1893-1988))

高次の動機

【高次の動機:秩序、理解、感覚、優越、被害回避、遊び、自律、達成、反動、支配、顕示、屈辱回避、屈服、服従、愛育、性愛、親和、拒否、隔離、援助、防衛、攻撃(ヘンリー・マレー(1893-1988))】

(1)マレーの列挙した、高次の動機の一覧
屈服:罰に従い、受け入れること
達成:目標に向けて、すばやく、うまく努力し、到達すること
親和:友情を形成すること
攻撃:他者を傷つけること
自律:独立に向けて努力すること
反動:挫折に打ち克つこと
防衛:防衛し、正当化すること
服従:喜んで仕えること
支配:他者を支配し、影響を与えること
顕示:興奮させ、衝撃を与え、自己脚色すること
被害回避:苦痛と傷害を避ける
屈辱回避:屈辱を避ける
愛育:無力な子どもを助け、あるいは守ること
秩序:秩序と清潔さを達成すること
遊び:リラックスすること
拒否:嫌いな人を拒絶すること
隔離:他者と離れたところにいること
感覚:感覚的満足を得ること
性愛:性愛関係をつくること
援助:栄養、愛情、援助を求めること
優越:障害物を乗り越えること
理解:疑問をもち、考えること

(2)以下は、マレーが抽出した欲求の分類の提案である。分類は、以下の仮説に従っている。すなわち、欲求とは、想起、想像、理解された対象や、言語などで表現された予測としての未来、または構想としての未来が、快または不快の情動を喚起する状態のことである。欲求の実体は、情動である。なお、人間の場合には、情動喚起刺激の種類によって、以下のような幾つかの特徴的な情動が生じる。
 (2.1)驚き、恐怖の様相
  秩序、理解
  驚き、恐怖を回避する未来が指向される(秩序、理解欲求)
   秩序:秩序と清潔さを達成すること
   理解:疑問をもち、考えること
 (2.2)快、不快の様相
  (a)外的対象、快、嫌悪
   感覚
   外的対象が快となる未来が指向される(感覚欲求)
    感覚:感覚的満足を得ること
  (b)自己状態、喜び、悲しみ
   優越、被害回避
   不快な自己状態を回避する未来が指向される(優越、被害回避欲求)
    優越:障害物を乗り越えること
    被害回避:苦痛と傷害を避ける
  (c)自己行為の自己評価、内的自己満足、後悔
   遊び、自律、達成、反動
   自己行為の自己評価が快となる未来が指向される(遊び、自律、達成欲求)
    遊び:リラックスすること
    自律:独立に向けて努力すること
    達成:目標に向けて、すばやく、うまく努力し、到達すること
   不快な自己行為の自己評価を回避する未来が指向される(反動欲求)
    反動:挫折に打ち克つこと
  (d)自己行為の他者評価、誇り、恥
   支配、顕示、屈辱回避、屈服、服従
   自己行為の他者評価が快となる未来が指向される(支配、顕示、屈辱回避欲求)
    顕示:興奮させ、衝撃を与え、自己脚色すること
    支配:他者を支配し、影響を与えること
    屈辱回避:屈辱を避ける
   不快な自己行為の他者評価を回避する未来が指向される(屈服、服従欲求)
    屈服:罰に従い、受け入れること
    服従:喜んで仕えること
  (e)他者状態、喜び、憐れみ
   愛育、性愛
   他者状態が快となる未来が指向される(愛育、性愛欲求)
    愛育:無力な子どもを助け、あるいは守ること
    性愛:性愛関係をつくること
  (f)他者行為、好意、憤慨
   親和、拒否、隔離
   他者行為が快となる未来が指向される(親和欲求)
    親和:友情を形成すること
   不快な他者行為を回避する未来が指向される(拒否、隔離欲求)
    拒否:嫌いな人を拒絶すること
    隔離:他者と離れたところにいること
  (g)自己向け他者行為、感謝、怒り
   援助、防衛、攻撃
   自己向け他者行為が快となる未来が指向される(援助欲求)
    援助:栄養、愛情、援助を求めること
   不快な自己向け他者行為を回避する未来が指向される(防衛、攻撃欲求)
    防衛:防衛し、正当化すること
    攻撃:他者を傷つけること

(出典:wikipedia
ヘンリー・マレー(1893-1988)の命題集(Propositions of great philosophers)
「マレーのグループが見つけた動機は、高次の動機とよばれる。

飢えや渇きや性のような基本的な生理学的欲求とは異なり、唾液の分泌や胃の収縮の増加などの特定の生理学的変化を含まないため、その名前を用いた。

代わりに、高次の動機は、人が価値をおく特定の目標や結果に対する心理的欲望あるいは願望である。表8.2は、古典的なリストにおけるマレーと共同研究者ら(Murray et al.,1938)が推察した多様な欲求の例を示している。これらの動機の多くは詳細に調査された(例:Emmons,1997; Koestner & McClelland,1990)。」

表8.2 ヘンリー・マレーによって仮定された人間の非生理学的欲求
屈服:罰に従い、受け入れること
達成:目標に向けて、すばやく、うまく努力し、到達すること
親和:友情を形成すること
攻撃:他者を傷つけること
自律:独立に向けて努力すること
反動:挫折に打ち克つこと
防衛:防衛し、正当化すること
服従:喜んで仕えること
支配:他者を支配し、影響を与えること
顕示:興奮させ、衝撃を与え、自己脚色すること
被害回避:苦痛と傷害を避ける
屈辱回避:屈辱を避ける
愛育:無力な子どもを助け、あるいは守ること
秩序:秩序と清潔さを達成すること
遊び:リラックスすること
拒否:嫌いな人を拒絶すること
隔離:他者と離れたところにいること
感覚:感覚的満足を得ること
性愛:性愛関係をつくること
援助:栄養、愛情、援助を求めること
優越:障害物を乗り越えること
理解:疑問をもち、考えること
(ウォルター・ミシェル(1930-2018),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅲ部 精神力動的・動機づけレベル、第8章 精神力動論の適用と過程、pp.239-240、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))
(索引:高次の動機)

パーソナリティ心理学―全体としての人間の理解



(出典:COLUMBIA UNIVERSITY IN THE CITY OF NEW YORK
ウォルター・ミシェル(1930-2018)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「個人が所有する自由や成長へのわくわくするような可能性には限りがない。人は可能自己について建設的に再考し、再評価し、効力感をかなりの程度高めることができる。しかし、DNAはそのときの手段・道具に影響を与える。生物学に加えて、役割における文化や社会的な力も、人が統制できる事象および自らの可能性に関する認識の両方に影響を与え、制限を加える。これらの境界の内側で、人は、将来を具体化しながら、自らの人生についての実質的な統制を得る可能性をもっているし、その限界にまだ到達していない。
 数百年前のフランスの哲学者デカルトは、よく知られた名言「我思う、ゆえに我あり」を残し、現代心理学への道を開いた。パーソナリティについて知られるようになったことを用いて、私たちは彼の主張を次のよう に修正することができるだろう。「私は考える。それゆえ私を変えられる」と。なぜなら、考え方を変えることによって、何を感じるか何をなすか、そしてどんな人間になるかを変えることができるからである。」
(ウォルター・ミシェル(1930-2018),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅶ部 各分析レベルの統合――全人としての人間、第18章 社会的文脈および文化とパーソナリティ、p.606、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

ウォルター・ミシェル(1930-2018)
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2018年6月13日水曜日

18.(a)本人だけが選択できる。(b)人は無条件の受容的な雰囲気の中で成長する。(c)人間の自由、自己決定と自己実現を守り育てる社会が必要である。(カール・ロジャーズ(1902-1987))

カール・ロジャーズの哲学

【(a)本人だけが選択できる。(b)人は無条件の受容的な雰囲気の中で成長する。(c)人間の自由、自己決定と自己実現を守り育てる社会が必要である。(カール・ロジャーズ(1902-1987))】
(a)人は自分自身の中に、自己理解のための大きな資源を持っている。それにより自己概念、態度、自発的な行動を変えることができる。「本人だけが選択できる」。これは極めて重要であり、真実である。
(b)人が自らを大切に思い、成長できるためには、感情が十分かつ自由に取り上げられ、表現され、受け入れられるような、無条件の受容的の雰囲気を必要とする。
(c)実際、他者の行動に影響を及ぼそうとする考えをやめ、自分自身を傷つきやすい一人の人間として、ありのまま出すとき、他者からの反応も深く、受容的で、温かいものになる。
(d)「自然の征服と人間による支配をますます重要な基礎と考える我々の文化は衰退していくだろう。その破滅を通り抜ければ、高度に気づかいがあり、向う方向を自分で決められ、おそらく外界より内界の探索者であり、制度の画一性や権威の教条性を軽蔑するような、新しい人間が生まれてくる。他者に行動形成されることも、他者の行動を形成することも考えない。技術的でなく明確に人間的でなければならない。私の判断では、そういった人が生き延びる確率が高い。」
(出典:wikipedia
カール・ロジャーズ(1902-1987)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
検索(カール・ロジャーズ))
検索(Carl Ransom Rogers))

 「心理学へのほぼ50年にわたる貢献を振り返り、ロジャーズ(Rogers,1974)は自分のアプローチの本質を正確に示そうとした。最も基本的な考えは以下のようなものであると彼は考えている。

 『人は自分の中に自己理解のための大きな資源をもっている。それにより自己概念、態度、自発的な行動を変えることができ、促進的な心理的態度と定義される雰囲気さえ提供されれば、その資源をうまく活用することが可能である。』(Rogers,1974,p.116)

 成長を促進する環境は、感情が十分かつ自由にとりあげられ、表現され、受け入れられるような雰囲気を必要とする。彼の自伝の中で、ロジェーズは彼自身の成長と他者との関係について率直に論じ、以下のように記述する。

 『もし私が自分の防衛をいくらか取り去り、傷つきやすい一人の人間として自分を出し、最も個人的で、私的で、あやふやで、不確かに感じる態度を表現することができるなら、そのときの他者からの反応は深く、受容的で、温かいものであるということがわかった。』(Rogers,1967,p.381)

 人間性的志向性の大きな特徴である、人間の潜在的な自由の強調は、ずっと変わらないまま、維持されている。ロジャーズは以下のように述べている。

 『治療やグループでの経験から、本人だけが選択できるという現実やその重要性を否定することは、私にはできない。ある程度は人が自分自身の設計者であることは幻想ではない。……私にとって、人間性的アプローチは唯一可能なアプローチである。しかし、それが行動主義的であっても人間主義的であっても、自分の性質に最も合っていると考える道を、それぞれが歩むべきであろう。』(Rogers,1974,p.119)

 人間性的な立場から、彼はまた、現代の科学技術のあり方を残念に思い、自律と自己探索を求めるようよびかけたのである。

 『自然の征服と人間による支配をますます重要な基礎と考える我々の文化は衰退していくだろう。その破滅を通り抜ければ、高度に気づかいがあり、向う方向を自分で決められ、おそらく外界より内界の探索者であり、制度の画一性や権威の教条性を軽蔑するような、新しい人間が生まれてくる。他者に行動形成されることも、他者の行動を形成することも考えない。技術的でなく明確に人間的でなければならない。私の判断では、そういった人が生き延びる確率が高い。』(Rogers,1974,p.119)

 まとめると、ロジャーズの理論と彼が開発した治療法は、パーソナリティへの現象学的で人間学的なアプローチがもつ主要な点の多くを強調している。その人によって知覚された現実、主観的経験、自己実現のための主体的努力、成長と自由と自己決定のための潜在能力などの強調である(Rowen,1992; Ryan & Deci,2001)。

特定の生物的動因は拒絶するか強調しない。歴史的な原因あるいは安定した特性構造というよりは、経験される自己に注目する。これらの共通点に加え、ロジャーズの立場の独自性は、自尊のための必要条件として、無条件の受容を強調したことにある。」
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅴ部 現象学的・人間性レベル、第12章 現象学的・人間性レベルの諸概念、pp.386-387、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))
(索引:クライエント中心療法)

パーソナリティ心理学―全体としての人間の理解



(出典:COLUMBIA UNIVERSITY IN THE CITY OF NEW YORK
ウォルター・ミシェル(1930-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「個人が所有する自由や成長へのわくわくするような可能性には限りがない。人は可能自己について建設的に再考し、再評価し、効力感をかなりの程度高めることができる。しかし、DNAはそのときの手段・道具に影響を与える。生物学に加えて、役割における文化や社会的な力も、人が統制できる事象および自らの可能性に関する認識の両方に影響を与え、制限を加える。これらの境界の内側で、人は、将来を具体化しながら、自らの人生についての実質的な統制を得る可能性をもっているし、その限界にまだ到達していない。
 数百年前のフランスの哲学者デカルトは、よく知られた名言「我思う、ゆえに我あり」を残し、現代心理学への道を開いた。パーソナリティについて知られるようになったことを用いて、私たちは彼の主張を次のよう に修正することができるだろう。「私は考える。それゆえ私を変えられる」と。なぜなら、考え方を変えることによって、何を感じるか何をなすか、そしてどんな人間になるかを変えることができるからである。」
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅶ部 各分析レベルの統合――全人としての人間、第18章 社会的文脈および文化とパーソナリティ、p.606、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

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17.クライエント中心療法(カール・ロジャーズ(1902-1987))

クライエント中心療法

【クライエント中心療法(カール・ロジャーズ(1902-1987))】
(1)臨床家の寛大さと無条件の受容が、クライエントとの間に誠実さの雰囲気を醸成し、共感的な関係を樹立する。
(2)クライエントがどのように考え、理解し、感じているかを、クライエントから学ぼうとする。「行動を理解するために最も有効な視点は、その人自身の内的参照枠からのものである」。
(3)クライエントが面接のあり方を決めることが目標であり、臨床家はそこに生じる感情を正確に反映し明確化しようとすることで、クライエントの「成長」すなわち自己実現を促進する環境を提供しようとする。
(出典:wikipedia
カール・ロジャーズ(1902-1987)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
検索(カール・ロジャーズ))
検索(Carl Ransom Rogers))

 「ロジャーズ(カール・ロジャーズ)は、共感的な面接をもとにした関係性重視の治療を追求した。

フロイト派のように、精神力動や転移を重視することは徹底して放棄した。その代わりに、クライエントに無条件の受容的な関係と、「成長」すなわち自己実現を促進する環境を提供しようとした。

この関係は、解釈よりも、共感的理解と感情の受容を中心に組み立てられたが、解釈そのものは必ずしも排除されていない。

この学派の臨床家は相対的に「非指示的」である。クライエントが面接のあり方を決めることが目標であり、臨床家はそこに生じる感情を正確に反映し明確化しようとする。

 現在ではパーソンセンタード・セラピーともよばれているクライエント中心療法では、治療者の側の寛大さと無条件の受容が、個人的な誠実さの雰囲気を醸成する。

心理学者は「客観的」測定への志向と、テストを用いることをやめるよう要請される。その代わりに、クライエントがどのように考え、理解し、感じているかを、クライエントから学ぼうとする。「行動を理解するために最も有効な視点は、その人自身の内的参照枠からのものである。(Rogers,1951,p.494)。

中心的関心は共感性にあるが、この章の最初に記述された面接研究ということを考えると、ロジャーズ派は対人関係についての客観的な研究を軽視することは決してなかった。

その結果、ロジャーズ派はクライエント中心療法の場で生じるプロセスのいくつかを明らかにし、その効果性についても、重要な証拠を提供している(Truax & Mitchell,1971)。」

(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅴ部 現象学的・人間性レベル、第12章 現象学的・人間性レベルの諸概念、p.385、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))
(索引:クライエント中心療法)

パーソナリティ心理学―全体としての人間の理解



(出典:COLUMBIA UNIVERSITY IN THE CITY OF NEW YORK
ウォルター・ミシェル(1930-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「個人が所有する自由や成長へのわくわくするような可能性には限りがない。人は可能自己について建設的に再考し、再評価し、効力感をかなりの程度高めることができる。しかし、DNAはそのときの手段・道具に影響を与える。生物学に加えて、役割における文化や社会的な力も、人が統制できる事象および自らの可能性に関する認識の両方に影響を与え、制限を加える。これらの境界の内側で、人は、将来を具体化しながら、自らの人生についての実質的な統制を得る可能性をもっているし、その限界にまだ到達していない。
 数百年前のフランスの哲学者デカルトは、よく知られた名言「我思う、ゆえに我あり」を残し、現代心理学への道を開いた。パーソナリティについて知られるようになったことを用いて、私たちは彼の主張を次のよう に修正することができるだろう。「私は考える。それゆえ私を変えられる」と。なぜなら、考え方を変えることによって、何を感じるか何をなすか、そしてどんな人間になるかを変えることができるからである。」
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅶ部 各分析レベルの統合――全人としての人間、第18章 社会的文脈および文化とパーソナリティ、p.606、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

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2018年6月11日月曜日

16.他者の役割を演ずることは、新しい視点を獲得し、より有効なコンストラクトの創造するための助けとなる。(ジョージ・ケリー(1905-1967))

役割演技

【他者の役割を演ずることは、新しい視点を獲得し、より有効なコンストラクトの創造するための助けとなる。(ジョージ・ケリー(1905-1967))】
(a)人間観
 人には、相対的に安定し広範囲に一般化された「特性」があるというよりも、むしろ、多くの異なる役割を演じることができ、継続的にそれを取り替えていくことが可能である。
(b)役割を演ずるということ
 役割というのは、他者を他者の眼鏡を通して見る試みである。つまり、その人のコンストラクトを通して見ること、その見方で人の行為を構造化することである。ある役割を演じるには、他者の見方を知覚し、それによって行動が方向づけられることを必要とする。
(c)治療法
 そこで、人々が新しい視点を獲得したり、より有効な生き方を創り出したりするのを支援するためには、役割演技の技法が役にたつに違いない。
ジョージ・ケリー(1905-1967)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
検索(George Kelly)
検索(ジョージ・ケリー)


 「ケリー(ジョージ・ケリー)は、相対的に安定し広範囲に一般化された特性が人にあるという考え方をとらず、多くの異なる役割を演じることができ、継続的にそれを取り替えていくことが可能だと考えた。

役割というのは、他者を他者の眼鏡を通して見る試みである。つまり、その人のコンストラクトを通して見ること、その見方で人の行為を構造化することである。ある役割を演じるには、他者の見方を知覚し、それによって行動が方向づけられることを必要とする。

例えば自分を母親の「役割を演じる」には、母親がそうするように、その目を通して、自分自身を含めた周囲を見ようとし、その知覚に基づき行動しなければならない。それには、まるで本当に自分の母親になりきったようにふるまおうとするだろう。

人が新しい視点を得たり、より有効な生き方をつくりだしたりするのを支援するため、ケリー(ジョージ・ケリー)は治療的手続きを工夫し、広範囲にわたって、役割演技の技法を用いた。」
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅴ部 現象学的・人間性レベル、第12章 現象学的・人間性レベルの諸概念、pp.396-397、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))
(索引:パーソナル・コンストラクト心理学)

パーソナリティ心理学―全体としての人間の理解



(出典:COLUMBIA UNIVERSITY IN THE CITY OF NEW YORK
ウォルター・ミシェル(1930-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「個人が所有する自由や成長へのわくわくするような可能性には限りがない。人は可能自己について建設的に再考し、再評価し、効力感をかなりの程度高めることができる。しかし、DNAはそのときの手段・道具に影響を与える。生物学に加えて、役割における文化や社会的な力も、人が統制できる事象および自らの可能性に関する認識の両方に影響を与え、制限を加える。これらの境界の内側で、人は、将来を具体化しながら、自らの人生についての実質的な統制を得る可能性をもっているし、その限界にまだ到達していない。
 数百年前のフランスの哲学者デカルトは、よく知られた名言「我思う、ゆえに我あり」を残し、現代心理学への道を開いた。パーソナリティについて知られるようになったことを用いて、私たちは彼の主張を次のよう に修正することができるだろう。「私は考える。それゆえ私を変えられる」と。なぜなら、考え方を変えることによって、何を感じるか何をなすか、そしてどんな人間になるかを変えることができるからである。」
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅶ部 各分析レベルの統合――全人としての人間、第18章 社会的文脈および文化とパーソナリティ、p.606、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

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15.すべての人は、新しい経験に照らして、パーソナル・コンストラクトを徐々に修正しながら、検証し、正当であると確認したり、取り消したりする機会を必要としている。(ジョージ・ケリー(1905-1967))

パーソナル・コンストラクト心理学

【すべての人は、新しい経験に照らして、パーソナル・コンストラクトを徐々に修正しながら、検証し、正当であると確認したり、取り消したりする機会を必要としている。(ジョージ・ケリー(1905-1967))】
(1)ある特定のパーソナル・コンストラクトが、その人自身の解釈でがんじがらめにさせ、ジレンマに陥らせているような場合がある。これは、不適切な理論から抜け出せないような状態だ。
(2)もし、その人の解釈が、その人にとって有効ではなく、人生や生活にとって良くない結果を招いているのならば、他のより良い解釈、つまり良い予想ができ、より良い結果が得られる考え方を見つけることが本人の課題になる。
(3)パーソナル・コンストラクト心理学は、その人のコンストラクトを細かい点まで確認・検討し、それが何を意味しているのかを、検証できる状況を提供する。これによって、その人は、自分をそのように解釈することが、自分自身の人生や生活にとって、どんな意味があるのかを理解できるようになる。
(4)このように、すべての人は、新しい経験に照らして、パーソナル・コンストラクトを徐々に修正しながら、検証し、正当であると確認したり、取り消したりする機会を必要としている。
ジョージ・ケリー(1905-1967)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
検索(George Kelly)
検索(ジョージ・ケリー)

 「ケリー(ジョージ・ケリー)はコンストラクトの絶対的な真実性よりも、コンストラクトの利便性に関心があった。

ある特定のコンストラクトが真実であるかどうかを査定しようとするのでなく、解釈者にとっての利便性や有効性に注意を向ける。

例えば、あるクライエントが「本当に抑うつ的になっているか」あるいは「本当に気が狂ってしまうか」を査定するよりは、自分をそのように解釈することが、クライエントの人生や生活にとって、どんな意味があるのかを見いだそうとする。

もしその解釈が便利でないなら、他のよりよい解釈、つまりよい予想ができ、よい結果が得られる考え方を見つけることが本人の課題になる。

時に心理学者が不適切な理論から抜けだせないのと同様に、患者もまた自分自身の解釈でがんじがらめになり、ジレンマに陥るかもしれない。

「私には価値がない」とか「まだまだ成功しているとはいえない」というような判断を、行動についての解釈や仮説というよりも、議論の余地のない真実であるかのように信じ、自分を苦しめるかもしれない。

心理療法の役割は、パーソナル・コンストラクトが細かい点まで確認・検討され、それが何を意味しているのか検証できる状況を提供することである。

そしてもし、特定のコンストラクトがその人にとって有効でないとわかったら、うまく機能しないとわかった理論や考えを科学者が変更できるように、修正することができる。

科学者と同様、すべての人は新しい経験に照らして、パーソナル・コンストラクトを徐々に修正しながら、検証し、正当であると確認したり、取り消したりする機会を必要としている。」
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅴ部 現象学的・人間性レベル、第12章 現象学的・人間性レベルの諸概念、p.396、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))
(索引:パーソナル・コンストラクト心理学)

パーソナリティ心理学―全体としての人間の理解



(出典:COLUMBIA UNIVERSITY IN THE CITY OF NEW YORK
ウォルター・ミシェル(1930-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「個人が所有する自由や成長へのわくわくするような可能性には限りがない。人は可能自己について建設的に再考し、再評価し、効力感をかなりの程度高めることができる。しかし、DNAはそのときの手段・道具に影響を与える。生物学に加えて、役割における文化や社会的な力も、人が統制できる事象および自らの可能性に関する認識の両方に影響を与え、制限を加える。これらの境界の内側で、人は、将来を具体化しながら、自らの人生についての実質的な統制を得る可能性をもっているし、その限界にまだ到達していない。
 数百年前のフランスの哲学者デカルトは、よく知られた名言「我思う、ゆえに我あり」を残し、現代心理学への道を開いた。パーソナリティについて知られるようになったことを用いて、私たちは彼の主張を次のよう に修正することができるだろう。「私は考える。それゆえ私を変えられる」と。なぜなら、考え方を変えることによって、何を感じるか何をなすか、そしてどんな人間になるかを変えることができるからである。」
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅶ部 各分析レベルの統合――全人としての人間、第18章 社会的文脈および文化とパーソナリティ、p.606、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

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14.コンストラクトの代替性:(1)被験者自身のコンストラクトを理解する、(2)出来事を「科学的」にではなく、その人のコンストラクトで解釈する、(3)この解釈から、その人の予期と行動が理解される。(ジョージ・ケリー(1905-1967))

コンストラクトの代替性

【コンストラクトの代替性:(1)被験者自身のコンストラクトを理解する、(2)出来事を「科学的」にではなく、その人のコンストラクトで解釈する、(3)この解釈から、その人の予期と行動が理解される。(ジョージ・ケリー(1905-1967))】
(1)《例》
 ある少年が、母親のお気に入りの花瓶を落としてしまう。
(a) その子ども担当の精神分析家に聞けば、少年の無意識の敵意を指摘するかもしれない。
(b) 母親に尋ねれば、少年がどんなに「意地が悪い」か話すかもしれない。
(c) 父親は「甘やかされている」と言うかもしれない。
(d) 先生は、少年が「怠け者」で、ずっと「不器用」であったことの証明だと言うかもしれない。
(e) 祖母は、それを単に「うっかり」起こしたと弁護するかもしれない。
(f) 本人は、その出来事を自分の「愚かさ」を示す出来事と解釈するかもしれない。
(2)《コンストラクトの代替性》
 生活や人生における出来事には、無数の解釈が可能である。人は、事象を変化させることはできないかもしれないが、異なるように解釈することはいつでも可能である。そして、解釈が異なれば、その後の行動も違ったものになってくる。このように、人は出来事を予期するのに用いるコンストラクトよって、方向づけられている。
(3) 心理学においては、その人たちがしたことを、我々の意味づけで、すなわち最も科学的に簡潔な方法で理解するのではなく、その人たちのスキーマが理論的に簡潔であるか否かにかかわらず、その人たち自身が理解するように理解することが必要である。
ジョージ・ケリー(1905-1967)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
検索(George Kelly)
検索(ジョージ・ケリー)

 「人々を理解するため、ケリー(ジョージ・ケリー)のアプローチを採用するなら、以下のようになる。
 『その人たちがしたことを我々の意味づけで理解するのではなく、その人たち自身が理解するように理解することを試みるだろう。その人たちの生活や人生における出来事を最も科学的に簡潔な方法でまとめる代わりに、その人たちのスキーマが理論的に簡潔であるか否かにかかわらず、その人たちがどのように出来事をまとめるかを私たちは尋ねるだろう。』(Maher,1979,p.203に引用されたKelly,1962)

 同じ事象は他のやり方でも分類されうる。人は常に事象を変化させることはできないかもしれないが、異なるように解釈することはいつでも可能である(Fransella,1995)。

ケリーはこれを、コンストラクトの代替性とよんでいる。

一つの例として、以下のような出来事について考えてみよう。ある少年が母親のお気に入りの花瓶を落としてしまう。これは何を意味しているか。

単純には、花瓶が割れたということである。しかしその子ども担当の精神分析家に聞けば、少年の無意識の敵意を指摘するかもしれない。

母親に尋ねれば、少年がどんなに「意地が悪い」か話し、父親は「甘やかされている」と言い、その子どもの先生は「怠け者」で、ずっと「不器用」であったことの証明として、その出来事をみるかもしれないし、祖母はそれを単に「うっかり」起こしたと弁護し、本人はその出来事を自分の「愚かさ」を示す出来事と解釈するかもしれない。

花瓶は壊れていて、その出来事は取り消すことはできない。しかしそのことには、無数の解釈が可能である。そして解釈が異なれば、その後の行動も違ったものになってくる。

 ケリーの理論は以下のような基本的な仮定から始まっている。「人の心理過程は、その人が出来事をどのように予期するかによって、方向づけられている。
(Kelly,1955,p.46)

これは人の活動は、出来事を予期するのに用いるコンストラクトによって方向づけられることを意味している。

他の現象学的理論と同様に、この考え方でも、その人の主観的な見方を強調するが、特にその人がどのように出来事を予測し予期するかに注目している。」
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅴ部 現象学的・人間性レベル、第12章 現象学的・人間性レベルの諸概念、pp.395-396、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

(索引:パーソナル・コンストラクト心理学,コンストラクトの代替性)

パーソナリティ心理学―全体としての人間の理解



(出典:COLUMBIA UNIVERSITY IN THE CITY OF NEW YORK
ウォルター・ミシェル(1930-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「個人が所有する自由や成長へのわくわくするような可能性には限りがない。人は可能自己について建設的に再考し、再評価し、効力感をかなりの程度高めることができる。しかし、DNAはそのときの手段・道具に影響を与える。生物学に加えて、役割における文化や社会的な力も、人が統制できる事象および自らの可能性に関する認識の両方に影響を与え、制限を加える。これらの境界の内側で、人は、将来を具体化しながら、自らの人生についての実質的な統制を得る可能性をもっているし、その限界にまだ到達していない。
 数百年前のフランスの哲学者デカルトは、よく知られた名言「我思う、ゆえに我あり」を残し、現代心理学への道を開いた。パーソナリティについて知られるようになったことを用いて、私たちは彼の主張を次のよう に修正することができるだろう。「私は考える。それゆえ私を変えられる」と。なぜなら、考え方を変えることによって、何を感じるか何をなすか、そしてどんな人間になるかを変えることができるからである。」
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅶ部 各分析レベルの統合――全人としての人間、第18章 社会的文脈および文化とパーソナリティ、p.606、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

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