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2018年12月2日日曜日

思考の対象となり得るほぼ全てのものは、数え上げることができる。この事実から、実在的なものであれ理念的なものであれ、思考可能な領域と、算術を基礎とした理論の可能な領域には、何らかの関係があると思われる。(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))

算術の包括的応用可能性

【思考の対象となり得るほぼ全てのものは、数え上げることができる。この事実から、実在的なものであれ理念的なものであれ、思考可能な領域と、算術を基礎とした理論の可能な領域には、何らかの関係があると思われる。(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))】

 「算術の命題はすべて専ら定義のみから純粋論理的に導出可能であり、従ってまた導出されなくてはならない、というものである。この点で算術は幾何学と対比される。どの数学者も疑わないように、幾何学は確かにそれ固有の公理を必要とする。そうした公理の反対は、―――純粋論理的に見るならば―――[元の公理と]同じく可能である、つまり矛盾に陥らないだろう。この見解を擁護するあらゆる理由の中で、私はここではただ一つのみを挙げよう。その理由とは算術理論の包括的な応用可能性に基づくものである。実際思考の対象となり得るほぼすべてのものを数えることができる。例えば実在的なものと同様に理念的なものも、事物と同様に概念も、空間的なものと同様に時間的なものも、物体と同様に出来事も、定理と同様に方法も数えることができる。数それ自体も再び数えることができる。[数え上げには]境界の一定の明確さ、ある論理的な完全さ以外何も本来的には必要とされない。このことから少なくとも次のことを引き出し得る。算術がそれに基づく原理は、次のようなより制限された領域、つまり幾何学の公理が空間的なものの固有性を表現するのと同様に、その固有性を算術が表現するかのような領域に関係してはならない。そうではなく、こうした原理は思考可能なものすべてにまで拡がっていなくてはならない。そして確かにこうした最も普遍的な命題は正当にも論理学に数え入れられるのである。」
(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925)『算術の形式理論について』94-95、フレーゲ著作集2、p.94、渡辺大地)
(索引:算術の包括的応用可能性)

フレーゲ著作集〈2〉算術の基礎


(出典:wikipedia
ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「1. 思考の本質を形づくる結合は、表象の連合とは本来異なる。
2. 違いは、[思考の場合には]結合に対しその身分を裏書きする副思想(Nebengedanke)が存在する、ということだけにあるのではない。
3. 思考に際して結合されるものは、本来、表象ではなく、物、性質、概念、関係である。
4. 思想は、特殊な事例を越えてその向こう側へと手を伸ばす何かを常に含んでいる。そして、これによって、特殊な事例が一般的な何かに帰属するということに気づくのである。
5. 思想の特質は、言語では、繋辞や動詞の人称語尾に現われる。
6. ある結合[様式]が思想を形づくっているかどうかを識別するための基準は、その結合[様式]について、それは真であるかまたは偽であるかという問いが意味を持つか否かである。
7. 真であるものは、私は、定義不可能であると思う。
8. 思想を言語で表現したものが文である。我々はまた、転用された意味で、文の真理についても語る。
9. 文は、思想の表現であるときにのみ、真または偽である。
10.「レオ・ザクセ」が何かを指示するときに限り、文「レオ・ザクセは人間である」は思想の表現である。同様に、語「この机」が、空虚な語でなく、私にとって何か特定のものを指示するときに限り、文「この机はまるい」は思想の表現である。
11. ダーウィン的進化の結果、すべての人間が 2+2=5 であると主張するようになっても、「2+2=4」は依然として真である。あらゆる真理は永遠であり、それを[誰かが]考えるかどうかということや、それを考える者の心理的構成要素には左右されない
12. 真と偽との間には違いがある、という確信があってはじめて論理学が可能になる。
13. 既に承認されている真理に立ち返るか、あるいは他の判断を利用しないかのいずれか[の方法]によって、我々は判断を正当化する。最初の場合[すなわち]、推論、のみが論理学の対象である。
14. 概念と判断に関する理論は、推論の理論に対する準備にすぎない。
15. 論理学の任務は、ある判断を他の判断によって正当化する際に用いる法則を打ち立てることである。ただし、これらの判断自身は真であるかどうかはどうでもよい。
16. 論理法則に従えば判断の真理が保証できるといえるのは、正当化のために我々が立ち返る判断が真である場合に限る。
17. 論理学の法則は心理学の研究によって正当化することはできない。
」 (ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925)『論理学についての一七のキー・センテンス』フレーゲ著作集4、p.9、大辻正晴)

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