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2021年12月24日金曜日

なぜ法に服従する責務があるのか。(a)功利主義による基礎づけ、(b)社会の成員として負う義務、(c)公平の原理。(ハーバート・ハート(1907-1992))

法に服従する責務の説明

なぜ法に服従する責務があるのか。(a)功利主義による基礎づけ、(b)社会の成員として負う義務、(c)公平の原理。(ハーバート・ハート(1907-1992))


(a) 法に服従する責務に関する純粋に功利主義的な理論
 (i)この理論は、法に服従する義務を、幸福を促進する責務の特殊事 例にすぎないものと見なす。
 (ii)この理論は、悪法に対する不服従は、も しも不服従の結果が服従の結果よりも功利主義的に見て一層ましであるならばそれは正当化され る、という当然の帰結を伴っている。不服従の害悪には、法体系の権威を弱めることを通じて他の人びとに加えられるどのような害 悪をも含む。
(b) 社会の成員として負う義務
 法に服従する責務とは、 市民が同じ社会の一員としての相互的関係によって自分自身の社会の成員に対し特別に負って いると考えられる責務であって、たんに、危害、損害、苦痛を与えてはならないという人びと一般に対する責務の一例として理解されるものではない、
(c)公平の原理
 多数の人び とが、他の方法では得られない諸利益を獲得するために一定のルールによって自分たちの自由 に制約を加える時、他の人びとによるそのルールへの服従から利益を得た人びとは、今度は自分 たちがそのルールに服従する責務を負う。

法に服従する責務
 法に服従する責務に関する哲学的探求にとっては、この主題 の功利主義的な側面と他の道徳的側面との間の区別――正義のところで説明した区別に類似した もの――が必要とされる。ある人が法律の要求することを道徳上行なうべきことであることを立 証するためには、どのような明解な道徳理論においても、ただたんに法体系が、その法律の性 質如何を問わず、存在しているというだけでは不十分であることは明白なように思われる。し かしながら、法に服従する責務に関する純粋に功利主義的な理論に対してもまた、強力な反論 が存在している。その功利主義的な理論とは、この責務をたんに幸福を促進する責務の特殊事 例にすぎないものと見なす理論であり、したがって、この理論は、悪法に対する不服従は、も しも不服従の結果(法体系の権威を弱めることを通じて他の人びとに加えられるどのような害 悪をも含む)が服従の結果よりも功利主義的に見て一層ましであるならばそれは正当化され る、という当然の帰結を伴っている。この功利主義的な理論が説明することのできない道徳的 状況の特徴には、特に重要な二つのものがある。その最初のものは、法に服従する責務とは、 市民が同じ社会の一員としての相互的関係によって自分自身の社会の成員に対し特別に負って いると考えられる責務であって、たんに、危害、損害、苦痛を与えてはならないという人びと一般に対する責務の一例として理解されるものではない、というものである。二番目のもの は、法に服従しない人びとが自ら進んで処罰に服する場合(たとえば、良心的徴兵忌避者の場 合)のように、たとえそれらの人びとの不服従によって法体系の権威がほとんど、あるいは まったく傷つけられないことが明白であっても、人びとは法に服する責務の下にあるとしばし ば考えられている、というものである。
 社会契約の理論は、法に服従する責務のこれら二つの側面に焦点を合わせたものである。そ して、法への服従の責務は、他の人びとに対して公正であること――功利とは別のものであり、 功利と衝突する可能性のあるもの――の責務であると見なされうることを示す一定の考慮を、契 約論における神秘的なもの、あるいは他の是認し難いものから切り離すことは可能である。そ こに含まれている原理は、最も単純な形にして述べれば次のようになる。つまり、多数の人び とが、他の方法では得られない諸利益を獲得するために一定のルールによって自分たちの自由 に制約を加える時、他の人びとによるそのルールへの服従から利益を得た人びとは今度は自分 たちがそのルールに服従する責務を負う、ということである。この原理と功利の原理とが衝突 することはありうることである。なぜなら、たとえかなりの数の人びとが自分の番になっても 協力をせずルールに従わなくても、そのような制約によって獲得される諸利益はしばしば生じ てくるからである。功利主義者にとっては、もしも彼の協力がその体系の諸利益を獲得するた めに必要でないならば、彼がルールに従うべき理由は存在しえないであろう。実際に、その場 合、もしもある個人が協力したとすれば、彼は幸福の総量を最大化しそこなうという過ちを犯 したことになるだろう。というのは、もしも彼がその体系の制約に従うことなく体系の諸利益 を得るとすれば、幸福の総量は最大となるであろうからである。もしもすべての人びとがその 協力を拒否するとすればその体系は期待されている諸利益を生み出さないであろう、あるいは 崩壊してしまうであろうという憂慮は、そのようなすべての人びとによる協力拒否は起こらな いだろうということが知られている場合には――たいていの場合そうなのだが――、功利主義計算 においては重要性を持たないのである。」
(ハーバート・ハート(1907-1992),『法学・哲学論集』,第1部 一般理論,3 法哲学の諸問 題,pp.135-136,みすず書房(1990),矢崎光圀(監訳),深田三徳(訳),古川彩二(訳))

【中古】 法学・哲学論集 /H.L.A.ハート(著者),矢崎光圀(訳者),松浦好治(訳者) 【中古】afb



ハーバート・ハート
(1907-1992)




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