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2021年11月23日火曜日

量子的な確率分布は実在そのものではなく可能な宇宙を表現し、観測過程によって初めて実在化する。生命と意識は、宇宙の生成物でありながら同時に、何らかの観測過程を経由して、宇宙の在り方に参画しているのではないだろうか。(ポール・デイヴィス(1946-))

観測過程と生命、意識

量子的な確率分布は実在そのものではなく可能な宇宙を表現し、観測過程によって初めて実在化する。生命と意識は、宇宙の生成物でありながら同時に、何らかの観測過程を経由して、宇宙の在り方に参画しているのではないだろうか。(ポール・デイヴィス(1946-))


「二つ目の問題―何らかの目的論的要素に関するものは、量子力学によって解決できる可能性が ある。 ホイーラーは、間違いなくそう信じていた。彼は、観測者というものを、物理的リアリティーを形作る作業の単なる観客ではなく、その参加者だと考えていた。このような考え方そのものは、何も 新しいものではない。 哲学者は、伝統的にこのような考え方にどっぷりと浸かっている。ホイーラーが 遅延選択実験によって新たに導入したのは、現在と未来の観測者が、観測者など一切存在しなかった遠 い過去も含めて過去の物理的リアリティーの性質を形作るという可能性である。この考え方は、生物と 心に、物理学のなかで一種創造的な役割を与え、生物と心を宇宙論的物語全体のなかで不可欠なものと するという点で、極めて斬新だ。 それでもなお、生物と心は宇宙が生み出したものである。したがって、 時間的であると同時に論理的なループが存在することになる。通常の科学では、「宇宙→生物→心」 という直線的な論理の流れを仮定している。 ホイーラーは、この鎖を閉じて、「宇宙→生物→心→宇宙」 というループにすることを提案した。 彼は独特の簡潔な言い回しで、この考えの本質を次のように表現 した。「物理学は観測者参加をもたらす。観測者参加は情報をもたらす。 情報は物理学をもたらす」。だ とすると、宇宙は観測者を説明し、観測者は宇宙を説明することになる。このように主張することによ  ってホイーラーは、宇宙は固定された先験的な法則に支配される機械だという認識を拒否し、それを、 彼が 「参加型宇宙」と呼ぶ、自己合成を行う世界に置き換えた。ホイーラーは、前のセクションで検討 したベニオフの自己一貫性の議論と類似した、閉じた説明のループを仮定することによって、やっかい な「亀の塔」の問題を巧みに回避したのである。生物に好適な宇宙が自らを説明するのなら、空中浮揚するスーパー・タートルは必要なくなるのだ。」

(ポール・デイヴィス(1946-),『ゴルディロックスの謎』(日本語書籍名『幸運な宇宙』),第10章 どうして存在するのか,pp.426-427,日経BP社,2008,吉田三知世)




2021年11月13日土曜日

なぜ世界は変化しているように知覚されるのか。系が変化しているとみなせるのは、系の別の状態が、時計として指示された他の系(ある特別な脳部分系)の別の時間固有値と相関しているかぎりである。この特定の基底の選好は、私たちの意識の性質に起源を持つ。(マイケル・ロックウッド(1933-2018))

意識される時間の流れ

なぜ世界は変化しているように知覚されるのか。系が変化しているとみなせるのは、系の別の状態が、時計として指示された他の系(ある特別な脳部分系)の別の時間固有値と相関しているかぎりである。この特定の基底の選好は、私たちの意識の性質に起源を持つ。(マイケル・ロックウッド(1933-2018))

  「この章のはじめの方で、時間の流れ、あるいは時間を通じてのわれわれ自身の発展という 感覚は、単なる錯覚でないとしたならば、とにかくパースペクティブに呼応した現象、すなわ ち意識的な主体自身の観点からのみ生じると言えるにすぎないと主張した。しかしながら、い までは、もっと過激なことを主張している。少なくとも、時間とともに世界の状態が変化する ということ、未来のさまざまな集まりにはさまざまな時刻がむすびついているということは、 客観的で、観測者によらない事実でなければならないと考えるであろう。しかし、その仮定も また、最前のいくつかの段落での議論が疑いを差しはさんだものなのである。呼応状態の方法 を論理全体は、系が変化しているとみなせるのは、系の別の状態が、時計として指示されたほ かの系の別の時間固有値と相関しているかぎりであるという結論にむかっている。われわれ自 身は、ものの状態をわれわれ自身のある選好された状態に照らしあわせるというそれだけで、 世界を変化しているものと知覚しているのである。しかもこれらの選好された状態は、われわ れ自身の脳の「時計の読み」をふくみ、かつその基礎のうえでなりたっているのである。

   このことすべては、ヘンリー・フォードの「歴史は、まやかしだ」という論評についてのお どろくべき証明になっているのかも知れない。しかし、もちろん、歴史はまやかしなどではな い。私は、本当は何ごともいままでに起こりはしなかったなどと主張してはいない。むしろ、 逆であって、呼応状態の理論では、(物理的に)起こりうるすべてのことが、宇宙波動関数の どこかに見出せるという意味で、絶対起こるのである。私が世界の《まぎれも》ない歴史と考 えているものは、本当は、特定の伝記、しかも私の多くの伝記のうちのひとつにすぎないもの に呼応した世界の歴史なのである。その意味で、ふつう考えられるような歴史は、無数のおこ りうる歴史をふくんで横たわっている母胎から《抽出された》なにかなのである。また、この 全体系が、それだけで変化したり進化したりしている(あるいは、していない)という仮定 は、よく言って根拠のない、悪くいえば無意味なことなのである。アルキメデスは、てこの原 理についてこう言ったと伝えられている。「われに支点をあたえよ。されば地球をも動かさ ん。」しかしながら、そのような場所は存在しないし、原理的にすら、全体としての宇宙が定 常状態にあるのか否かをそれだけで決定できるような観測をすることのできるアルキメデス的 な地点も存在しない。最も抽象的な理論化においてのみ、われわれは、世界から自分自身を解 放できるし、しかも、ネーゲルのことばでは、どこにもない場所から景色を見たりできるので ある。」

 (マイケル・ロックウッド(1933-2018)『心、脳、量子』(日本語名『心身問題と量子力 学』)第15章 時間と心、pp.414-415、産業図書(1992)、奥田栄(訳))







脳のなかで起こっていることの一面だけが、なぜ意識に銘記されるのか、これが問題である。何らかの量子的状態の観測が意識化だとすると、ある特別な脳部分系のオブザーバブルの集合の固有状態が意識的現象に対応していることになる。特定基底の選好は意識の性質に起源を持つ。(マイケル・ロックウッド(1933-2018))

意識と量子的状態

脳のなかで起こっていることの一面だけが、なぜ意識に銘記されるのか、これが問題である。何らかの量子的状態の観測が意識化だとすると、ある特別な脳部分系のオブザーバブルの集合の固有状態が意識的現象に対応していることになる。特定基底の選好は意識の性質に起源を持つ。(マイケル・ロックウッド(1933-2018))


「要するに私は、特定の基底は選好されるということを、物理世界一般の性質というよりは むしろ、意識の性質に根源をもつものと理解しているのである。私は、一般に、どのような方 法でまたどんな理由で、ほかのものはそうでないのに、両立可能な脳オブザーバブルの特定の 集合の固有状態が現象的パースペクティブに対応しているのか、あるいは、そのなかにあらわ れるのか知っていると言うつもりはない(もっとも、第15章の時間についての議論は、この問 題とあるかかわりをもつではあろうが)。しかし、私にとって、なぜ脳のなかで起こっている ことの一面だけが意識に銘記されるのかという、量子力学とは独立に生じる問題にくらべてこ の問題がより神秘的であるとは思えないのである。どちらの場合も、われわれが経験している のは、現在の無知な状態では、任意とも思える選択性である。しかし、こうした選択性が存在 するということは、汎精神主義に踏み切らない理論という観点からすると、意識についてのの がれようのない事実なのである。肌理の問題は、この選択性のひとつのあらわれである。すな わち、なんらかの意識状態の現象的内容が、なんらかのもっともらしい対応する脳状態の微細 構造に鈍感であるように見えるという事実である。

 しかし、ここで、われわれは、選択性の古典力学的および量子力学的あらわれの強力な統一 の産物をもっているということを主張したい。というのは、双方ともたしかに、意識が特別な 脳部分系のうえの脳オブザーバブルの特別な集合を選好するという唯一の考察につつみこむこ とができるからである。実際、肌理の問題は、ひとたび、意識の内容が量子力学的《オブザー バブル》の集合の同時固有状態に対応すると要請されることを正しく理解しさえすれば、その 牙をうしなってしまうように思える。というのは、量子力学では、どんなオブザーバブルもア プリオリには特別扱いされることはないし、ほかのものよりも基本的であるとみなされること はないからである。また、意識が選好するのは、空間的あるいは時空的領域にわたるある程度 の《平均》をふくむオブザーバブルであると仮定することは自由である。(実際、このような 平均は、量子力学では不可避なのである。すなわち、《場の量子論》の文脈では、正確に決 まった点での電磁場の強さを観測することには意味がない。それは、初等的な量子力学におい て、位置の正確な観測や運動量の正確な観測に意味がないのとおなじことである。)もうひと つ、このことは、意識にうかぶものは見地によるという性質を反映しているのである。しか し、私が第11章で強調したように、それは決して、基礎になっている神経生理学的実在にかん してその客観性あるいは直接性を減じるものではない。その仮定は、その精神においてラッセ ル的なままである。

 ともあれ、意識のレベルでこのような選好基底を仮定すると、《われわれの知覚するとき に》、それが感覚知覚の対象自身に反映されるであろうということが容赦なくみちびかれる。 われわれが、日常の、古典的で、マクロなオブザーバブルと考えるものは、両立可能な脳オブ ザーバブルの選好集合の固有値と、感覚知覚の機構によって相関させられた固有値をもつもの であろう。したがって、われわれは、不可避的に、これらのオブザーバブルの決まった固有値 をもつものとして対象を見るであろう。ちょうどそれは、色のような第二性質をもったものと して対象を見るようなものである。」

(マイケル・ロックウッド(1933-2018)『心、脳、量子』(日本語名『心身問題と量子力 学』)第13章 量子力学と意識的観測者、pp.338-340、産業図書(1992)、奥田栄(訳)) 







2021年11月8日月曜日

意図と目的による意識による行動コントロールは、無意識のプロセスを適切な手段として利用することで、意識の到達範囲はさらに増幅され、分析や計画などに専念できるようになる。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

意識の役割
意図と目的による意識による行動コントロールは、無意識のプロセスを適切な手段として利用することで、意識の到達範囲はさらに増幅され、分析や計画などに専念できるようになる。(アントニオ・ダマシオ(1944-))


「人間の子供時代や思春期が異様に長い時間を要するのは、脳の無意識プロセスを教育し て、その無意識の脳空間の中に、意識的な意図や目的にしたがっておおむね忠実に活動するよ うなコントロールの形を作り上げるのに長い時間がかかるからだ。このゆっくりした教育は、 意識的コントロールを無意識の力(確かにそれは人間行動をむちゃくちゃにできる)に委ねる プロセスだと思うべきではないのだ。パトリシア・チャーチランドはこの立場を説得力ある形 で論じている。

  無意識プロセスがあるからといって、意識の価値が下がりはしない。むしろ、意識の到達範 囲はさらに増幅される。そして、普通に脳が機能していれば、一部の行動が健全で頑強な無意 識により実行されているからといって、行動に対するその人の責任は必ずしも低下するわけで はない。

   結局のところ、意識プロセスと無意識プロセスとの関係は、共進化するプロセスの結果とし て生じた奇妙な機能的パートナーシップの新たな一例というわけだ。必然的に、意識と直接的 な意識による行動コントロールは、意識のない心の後から発生したものだ。それまでは意識の ない心が仕切っており、かなりよい結果も出していたが、常に成功したわけではない。もっと うまくやれる余地があった。意識が成熟したのは、まず無意識による実行部隊の一部を制圧し て、それらを容赦なく小突き回し、計画通りのあらかじめ決まった行動を実施させたことによ る。無意識プロセスは、行動を実行するための適切で便利な手段となり、それにより意識は、 分析と計画にもっと時間を割けるようになったのだ。

  家に歩いて帰るとき、どの道で帰ろうか考えるよりは何か別の問題の解決法を考えていたり するが、それでも安全にきちんと家に帰れる。このとき、われわれはそれまで数多くの意識的 な実行により、学習曲線にそって身につけた無意識的な技能の恩恵を受け入れたことになる。 家に歩いて帰るとき、意識がモニターする必要があったのは、その旅の全体的な目的地だけ だ。意識プロセスの残りは、創造的な目的のために自由に使えた。

 ほとんど同じことが、音楽家や運動選手の専門活動についてもいえる。その意識的処理は、 目的の達成だけに専念している。ある時点で何らかの水準を達成し、その実施にあたってのい くつかの危険を回避し、予想外の状況を検出することだ。あとは練習、練習、また練習で、そ れが第二の天性になればいずれ大成し、カーネギー・ホールに立てるかもしれない。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『自己が心にやってくる』第4部 意識の後しばらく、第11 章 意識と共に生き得る、pp.322-324、早川書房 (2013)、山形浩生(訳))

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アントニオ・ダマシオ

「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織と いった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたか のいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物 を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現 を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な 自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自 己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二 に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもて ない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しか し、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学な どからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必 要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分 野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新し い種類の研究だ。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感 情の脳科学 よみがえるスピノザ』)4 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社 (2005)、田中三彦())

2020年7月7日火曜日

無意識の無数の認知機能が計算した確率的な推論結果からサンプルが抽出されるには、意識的な注意の働きが必要なことが、両眼視野闘争の実験などで示されている。ここには、量子力学の観測と類似の状況があるが、未解明である。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

意識的な注意の働き

【無意識の無数の認知機能が計算した確率的な推論結果からサンプルが抽出されるには、意識的な注意の働きが必要なことが、両眼視野闘争の実験などで示されている。ここには、量子力学の観測と類似の状況があるが、未解明である。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))】

(3.3)追記。

(3)気づきの外での情報選択
 無意識の無数の統計マシンが計算した、感覚データの原因となった外界の確率的な推論結果のうちから、その時点における最善の解釈を抽出して、意識を持ったたった一つの意志決定システムへ引き渡す。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))
 (3.1)入力:無意識の認知作用の確率的な推論結果
  無意識の認知作用は、感覚データの原因となった外界についての確率的な推論結果しか示さない。
 (3.2)出力:最善の解釈サンプルの抽出(全か無かのサンプル)
  あらゆる曖昧さを取り除き、その時点における外界の最善の解釈を抽出して、意思決定システムに受け渡す必要がある。私たちがさらなる決断を下せるよう、あらゆる無意識の可能性を整理して、たった一つの意識的なサンプルが抽出される。
 (3.3)作用の担い手:意識的な注意(精神の能動)
  (a)サンプリングは、意識的な注意の働きなくしては生じない。
  (b)例:両眼視野闘争
   (i)二つのイメージに注意を向けていると、それらは絶えず交互に意識に現われる。
   (ii)注意を別の対象に向けると、両眼視野闘争は停止する。
   (iii)サンプリングによる選択は、意識的な注意が向けられているときにのみ生じるらしい。
  (c)意識的な注意の量子力学における観測装置との類似性
   特定の対象に注意を向ける、まさにその意識の活動によって、さまざまな解釈の確率分布が収縮し、そのなかの一つだけを私たちは知覚する。このように意識の活動は、背後に存在する、無意識の計算の広大な領域のわずかな部分を垣間見せる、選別的な測定装置として機能する。
 (3.4)次の入力先:意識を持ったたった一つの意思決定者
  どんな生物も、確率のみに頼って行動できるわけではない。意識化されたサンプルを用いて、自発的行為のための意思決定を行う。

 「サンプリングは、意識的な注意の働きなくしては生じないという意味で、純粋にコンシャスアクセスの機能と考えられる。両目のおのおのに異なるイメージを提示すると生じる不安定な知覚、両眼視野闘争を考えてみよう。二つのイメージに注意を向けていると、それらは絶えず交互に意識に現われる。感覚入力はあいまいで、かつ固定しているが、私たちは一時にはどちらか一方のイメージにしか気づかないため、絶えず交替するものとしてそれらを知覚する。しかし重要なことに、注意を別の対象に向けると、両眼視野闘争は停止する。どうやらサンプリングによる選択は、意識的な注意が向けられているときにのみ生じるらしい。その結果、無意識のプロセスは意識のプロセスにより客観的になる。というのも、無意識の無数のニューロンが、外界の状況に関して真の確率分布を見積もるのに対し、意識はためらうことなく、それを全か無かのサンプルに還元するからだ。
 このプロセスは、奇しくも量子力学に似た側面がある(ニューロンのメカニズムが、古典力学のみに関係することはほぼ間違いないが)。量子力学によれば、物理的実体は、特定の状態で粒子が見出される確率を決定する波動関数の重ね合わせから構成される。しかし私たちが測定を行うやいなや、この確率は、全か無かの固定された状態へと収縮する。私たちは、半分生きていて半分死んでいるという、有名なシュレーディンガーの猫のような奇妙な混合状態を観察することはない。量子論に従えば、測定の行為それ自体によって、確率はたった一つの個別的な状態へと収縮するのである。脳内でも、類似の現象が起こる。つまり特定の対象に注意を向ける、まさにその意識の活動によって、さまざまな解釈の確率分布が収縮し、そのなかの一つだけを私たちは知覚する。このように意識の活動は、背後に存在する、無意識の計算の広大な領域のわずかな部分を垣間見せる、選別的な測定装置として機能する。
 とはいえ、この魅力的なたとえは、表面的なものにすぎないのかもしれない。量子力学の基盤となる数学が、意識的知覚の問題を扱う認知神経科学に適用できるかどうかは、今後の研究成果を待たねばならない。しかし人間の脳内ではそのような分業が至るところに見られ、無意識のプロセスが並行処理によって迅速な計算を実行する統計マシンであるのに対し、意識が緩慢なサンプリング装置であることは確実に言える。これは視覚のみならず言語の領域にも当てはまる。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第3章 意識は何のためにあるのか?,紀伊國屋書店(2015),pp.140-141,高橋洋(訳))
(索引:意識的な注意の働き,意識,注意,量子力学と意識,両眼視野闘争)

意識と脳――思考はいかにコード化されるか


(出典:wikipedia
スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「160億年の進化を経て発達した皮質ニューロンのネットワークが提供する情報処理の豊かさは、現在の私たちの想像の範囲を超える。ニューロンの状態は、部分的に自律的な様態で絶えず変動しており、その人独自の内的世界を作り上げている。ニューロンは、同一の感覚入力が与えられても、その時の気分、目標、記憶などによって異なったあり方で反応する。また、意識の神経コードも脳ごとに異なる。私たちは皆、色、形状、動きなどに関して、神経コードの包括的な一覧を共有するが、それを実現する組織の詳細は、人によって異なる様態で脳を彫琢する、長い発達の過程を通じて築かれる。そしてその過程では、個々のシナプスが選択されたり除去されたりしながら、その人独自のパーソナリティーが形成されていく。
 遺伝的な規則、過去の記憶、偶然のできごとが交錯することで形作られる神経コードは、人によって、さらにはそれぞれの瞬間ごとに独自の様相を呈する。その状態の無限とも言える多様性は、環境に結びついていながら、それに支配はされていない内的表象の豊かな世界を生む。痛み、美、欲望、後悔などの主観的な感情は、この動的な光景のもとで、神経活動を通して得られた、一連の安定した状態のパターン(アトラクター)なのである。それは本質的に主観的だ。というのも、脳の動力学は、現在の入力を過去の記憶、未来の目標から成る布地へと織り込み、それを通して生の感覚入力に個人の経験の層を付与するからである。
 それによって出現するのは、「想起された現在」、すなわち残存する記憶と未来の予測によって厚みを増し、常時一人称的な観点を外界に投影する、今ここについてのその人独自の暗号体系(サイファー)だ。これこそが、意識的な心の世界なのである。
 この絶妙な生物機械は、あなたの脳の内部でたった今も作動している。本書を閉じて自己の存在を改めて見つめ直そうとしているこの瞬間にも、点火したニューロンの集合の活動が、文字通りあなたの心を作り上げるのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第7章 意識の未来,紀伊國屋書店(2015),pp.367-368,高橋洋(訳))
(索引:)

スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)
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2020年7月6日月曜日

無意識の無数の統計マシンが計算した、感覚データの原因となった外界の確率的な推論結果のうちから、その時点における最善の解釈を抽出して、意識を持ったたった一つの意志決定システムへ引き渡す。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

意識は何のためにあるのか?

【無意識の無数の統計マシンが計算した、感覚データの原因となった外界の確率的な推論結果のうちから、その時点における最善の解釈を抽出して、意識を持ったたった一つの意志決定システムへ引き渡す。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))】

(2)、(3)追記。

意識されない知覚情報、アクセス可能な前意識、アクセス中の意識
  無数の潜在的な知覚情報と記憶から、まず気づきの外で情報選択がなされ、注意によってある項目が意識にのぼる。特定の一時点においては、一つの意識的な思考のみが可能であるにすぎない。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

(1)無数の潜在的な知覚情報と記憶
 私たちの環境は無数の潜在的な知覚情報に満ちあふれている。同様に、私たちの記憶は、次の瞬間には意識に浮上する可能性がある知識で満たされている。
(2)識閾下での認知作用
 (2.1)様々な認知作用
  知覚、言語理解、決定、行為、評価、抑制に至る広範な認知作用が、少なくとも部分的には、識閾下でなされ得る。
 (2.2)無意識の無数の統計マシン
  意識以前の段階では、無数の無意識のプロセッサーが並行して処理を実行する。
 (2.3)知覚の例
  (a)入力:感覚データ
   微かな動き、陰、光のしみなど。
  (b)推論:観察結果の背後にある隠れた原因を推測する。
  (c)出力:感覚データの原因となった外界
   自らが直面している環境に、特定の色、形状、動物、人間などが存在する可能性を計算する。
(3)気づきの外での情報選択
 無意識の無数の統計マシンが計算した、感覚データの原因となった外界の確率的な推論結果のうちから、その時点における最善の解釈を抽出して、意識を持ったたった一つの意志決定システムへ引き渡す。
 (3.1)無意識の認知作用の確率的な推論結果
  無意識の認知作用は、感覚データの原因となった外界についての確率的な推論結果しか示さない。
 (3.2)最善の解釈サンプルの抽出
  あらゆる曖昧さを取り除き、その時点における外界の最善の解釈を抽出して、意思決定システムに受け渡す必要がある。私たちがさらなる決断を下せるよう、あらゆる無意識の可能性を整理して、たった一つの意識的なサンプルが抽出される。
 (3.3)意識を持ったたった一つの意思決定者
  どんな生物も、確率のみに頼って行動できるわけではない。意識化されたサンプルを用いて、自発的行為のための意思決定を行う。

(4)アクセス可能な前意識
 意識は能力が限られているため、新たな項目にアクセスするには、それまでとらえていた項目から撤退しなければならない。新たな項目は、前意識の状態に置かれ、アクセスは可能であったが、実際にアクセスされていなかったものだ。また、どの対象にアクセスすべきかを選択するのに、注意が意識への門戸として機能する。
(5)アクセス中の表象としての意識
 ある項目が意識にのぼり、心がそれを利用できるようになる。私たちは基本的に、特定の一時点をとりあげれば、一つの意識的な思考のみが可能であるにすぎない。それらは、言語システムや、その他の記憶、注意、意図、計画に関するプロセスの対象として利用可能になる。そして、私たちの行動を導く。


 「私の提起する意識の構図は、自然な分業を前提にする。地下では、無数の無意識の職人が骨の折れる作業をこなし、最上階では、選抜された役員が、重要な局面のみに焦点を絞って、じっくりと意識的な決断を下している。そんなイメージだ。
 第2章では、無意識の力を検討した。知覚から言語理解、決定、行為、評価、抑制に至る広範な認知作用が、少なくとも部分的には、識閾下でなされ得る。意識以前の段階では、無数の無意識のプロセッサーが並行して処理を実行し、外界についての詳細で徹底した解釈をつねに引き出そうとしている。それらは、微かな動き、陰、光のしみなど、あらゆる知覚の微細なヒントを最大限に活用しながら、もろもろの特徴が現在の環境にも当てはまるか否かを計算する、一種の最適化された統計マシンとして機能する。気象庁が何十種類もの気象データを組み合わせて、明日、明後日の降水確率を計算するのと同様、無意識の知覚は、入力された感覚データをもとにして、自らが直面している環境に、特定の色、形状、動物、人間などが存在する可能性を計算する。それに対して意識は、この確率的な宇宙の一端のみ、すなわち統計学者なら、無意識データの分布から得られた「標本」と呼ぶであろうもののみを取り上げる。そして、あらゆるあいまいさを取り除き、単純化された概観を、言い換えると、意思決定システムに受け渡せる、その時点における外界の最善の解釈を抽出するのだ。
 無意識の無数の統計マシンと、意識を持つたった一人の意思決定者のあいだのこの分業は、環境内を動き回り、外界に応じて行動する必要のある、あらゆる生物に課せられた要件なのかもしれない。どんな生物も、確率のみに頼って行動できるわけではない。いずれかの時点で、独裁的なプロセスが、あらゆる不確実性を整理して、決定を下さねばならない。」(中略)「いかなる自発的行為にも、そこを超えたら元には戻れない、ある一定の境界を踏み越えることが求められる。意識は、この境界の踏み越えを可能にする脳の装置かもしれない。つまり、私たちがさらなる決断を下せるよう、あらゆる無意識の可能性を整理して、たった一つの意識的なサンプルを抽出するのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第3章 意識は何のためにあるのか?,紀伊國屋書店(2015),pp.132-133,高橋洋(訳))
 「ベイズ推定は、統計的推論を遡及的に適用して、観察結果の背後にある隠れた原因を推測する。一般に古典的な確率理論では、起こり得る事象がまず指定され(たとえば「52枚のカードから成る山札から3枚を引く」)、それから私たちは、当該理論に従って特定の結果が生じる確率を割り当てる(「引いた3枚のカードがすべてエースである確率はどれくらいか?」)。それに対してベイズ理論は、結果から未知の原因へと推論が逆方向になされる(「52枚のカードから成る山札から3枚を引き、それらがすべてエースだった場合、イカサマによってこの山札に5枚以上のエースが含まれる確率はどのくらいか?」)。この方法は「逆推論」、あるいは「ベイズ統計学」と呼ばれる。「脳はベイズ統計学者のごとく機能する」という仮説は、最新の神経科学の研究のなかでも、もっとも熱く、またもっとも激しい議論を呼んでいるテーマの一つだ。
 感覚のあいまいさのゆえに、人間の脳は一種の逆推論を行わねばならない。同じ感覚は、外界のさまざまな事物によって引き起こされ得る。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第3章 意識は何のためにあるのか?,紀伊國屋書店(2015),pp.134-135,高橋洋(訳))
(索引:意識は何のためにあるのか)

意識と脳――思考はいかにコード化されるか


(出典:wikipedia
スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「160億年の進化を経て発達した皮質ニューロンのネットワークが提供する情報処理の豊かさは、現在の私たちの想像の範囲を超える。ニューロンの状態は、部分的に自律的な様態で絶えず変動しており、その人独自の内的世界を作り上げている。ニューロンは、同一の感覚入力が与えられても、その時の気分、目標、記憶などによって異なったあり方で反応する。また、意識の神経コードも脳ごとに異なる。私たちは皆、色、形状、動きなどに関して、神経コードの包括的な一覧を共有するが、それを実現する組織の詳細は、人によって異なる様態で脳を彫琢する、長い発達の過程を通じて築かれる。そしてその過程では、個々シナプスが選択されたり除去されたりしながら、その人独自のパーソナリティーが形成されていく。
 遺伝的な規則、過去の記憶、偶然のできごとが交錯することで形作られる神経コードは、人によって、さらにはそれぞれの瞬間ごとに独自の様相を呈する。その状態の無限とも言える多様性は、環境に結びついていながら、それに支配はされていない内的表象の豊かな世界を生む。痛み、美、欲望、後悔などの主観的な感情は、この動的な光景のもとで、神経活動を通して得られた、一連の安定した状態のパターン(アトラクター)なのである。それは本質的に主観的だ。というのも、脳の動力学は、現在の入力を過去の記憶、未来の目標から成る布地へと織り込み、それを通して生の感覚入力に個人の経験の層を付与するからである。
 それによって出現するのは、「想起された現在」、すなわち残存する記憶と未来の予測によって厚みを増し、常時一人称的な観点を外界に投影する、今ここについてのその人独自の暗号体系(サイファー)だ。これこそが、意識的な心の世界なのである。
 この絶妙な生物機械は、あなたの脳の内部でたった今も作動している。本書を閉じて自己の存在を改めて見つめ直そうとしているこの瞬間にも、点火したニューロンの集合の活動が、文字通りあなたの心を作り上げるのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第7章 意識の未来,紀伊國屋書店(2015),pp.367-368,高橋洋(訳))
(索引:)

スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)
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2020年7月2日木曜日

人間の心は、フットライトのある先端では狭く、背景に退くに従って広くなる舞台に譬えられる。先端では、たった一人の演者が占める余地しかない。背後に控える演者は姿がぼやけ、舞台裏や脇には見えない無数の演者が控えている。(イポリット・テーヌ(1828-1893))

意識の劇場

【人間の心は、フットライトのある先端では狭く、背景に退くに従って広くなる舞台に譬えられる。先端では、たった一人の演者が占める余地しかない。背後に控える演者は姿がぼやけ、舞台裏や脇には見えない無数の演者が控えている。(イポリット・テーヌ(1828-1893))】


(出典:wikipedia
イポリット・テーヌ(1828-1893)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
イポリット・テーヌ(1828-1893)
検索(イポリット・テーヌ)

 「ワークスペースという概念は、注意と意識に関する初期のさまざまな心理学説を統合したもので、早くも1870年には、フランスの哲学者イポリット・テーヌが、「意識の劇場」というたとえを用いている。彼によれば、意識は、一度にはただ一人の演者の声しか聞けないように仕向ける幅の狭い舞台のごときものなのである。
 『人間の心は、フットライトのある先端では狭く、背景に退くにしたがって広くなる舞台にたとえられる。先端では、たった一人の演者が占める余地しかない。(……)先端から離れるにしたがって、光からより隔たるがゆえに、背後に控える他の演者は、ますます姿がぼやけていく。さらにこれらのグループの背後、舞台裏や脇に近い位置を占める無数の演者は、ほとんど姿が見えないが、呼ばれれば前に出てくる。なかにはフットライトが直接あたる位置まで進出する者もいる。あらゆるタイプの演者から構成されるこの沸き立つ集団の内部でつねに生じる予測不能な展開によって、その都度コーラスリーダーが決まっては、走馬灯のように聴衆の目の前からすぎ去っていく。』
 フロイトの登場に数十年先立つテーヌのこの比喩は、ただ一つの事項のみが意識にのぼること、また、私たちの心が膨大な種類の無意識のプロセッサーから成ることを巧みに表現する。ワンマンショーをサポートするために、心は大勢のスタッフを抱えているのだ。いかなる瞬間においても、意識の内容は、背後に控えるバレーダンサーたちが織り成す、目には見えない無数の活動から生じる。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第5章 意識を理論化する,紀伊國屋書店(2015),p.231,高橋洋(訳))
(索引:意識の劇場)

意識と脳――思考はいかにコード化されるか


(出典:wikipedia
スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「160億年の進化を経て発達した皮質ニューロンのネットワークが提供する情報処理の豊かさは、現在の私たちの想像の範囲を超える。ニューロンの状態は、部分的に自律的な様態で絶えず変動しており、その人独自の内的世界を作り上げている。ニューロンは、同一の感覚入力が与えられても、その時の気分、目標、記憶などによって異なったあり方で反応する。また、意識の神経コードも脳ごとに異なる。私たちは皆、色、形状、動きなどに関して、神経コードの包括的な一覧を共有するが、それを実現する組織の詳細は、人によって異なる様態で脳を彫琢する、長い発達の過程を通じて築かれる。そしてその過程では、個々シナプスが選択されたり除去されたりしながら、その人独自のパーソナリティーが形成されていく。
 遺伝的な規則、過去の記憶、偶然のできごとが交錯することで形作られる神経コードは、人によって、さらにはそれぞれの瞬間ごとに独自の様相を呈する。その状態の無限とも言える多様性は、環境に結びついていながら、それに支配はされていない内的表象の豊かな世界を生む。痛み、美、欲望、後悔などの主観的な感情は、この動的な光景のもとで、神経活動を通して得られた、一連の安定した状態のパターン(アトラクター)なのである。それは本質的に主観的だ。というのも、脳の動力学は、現在の入力を過去の記憶、未来の目標から成る布地へと織り込み、それを通して生の感覚入力に個人の経験の層を付与するからである。
 それによって出現するのは、「想起された現在」、すなわち残存する記憶と未来の予測によって厚みを増し、常時一人称的な観点を外界に投影する、今ここについてのその人独自の暗号体系(サイファー)だ。これこそが、意識的な心の世界なのである。
 この絶妙な生物機械は、あなたの脳の内部でたった今も作動している。本書を閉じて自己の存在を改めて見つめ直そうとしているこの瞬間にも、点火したニューロンの集合の活動が、文字通りあなたの心を作り上げるのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第7章 意識の未来,紀伊國屋書店(2015),pp.367-368,高橋洋(訳))
(索引:)

スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)
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意識的な知覚表象の生理学的な標識:(a)頭頂葉および前頭前野の神経回路の突然の発火(意識のなだれ)(b)刺激から3分の1秒後に発生するP3波(c)高周波振動の突発(d)多数の皮質領域間の双方向メッセージ交換(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

被験者が意識的な知覚表象を経験したか否かを示す生理学的な標識

【意識的な知覚表象の生理学的な標識:(a)頭頂葉および前頭前野の神経回路の突然の発火(意識のなだれ)(b)刺激から3分の1秒後に発生するP3波(c)高周波振動の突発(d)多数の皮質領域間の双方向メッセージ交換(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))】

(1)正確に同じ刺激が、無意識のままであったり、意識されたりする。
 (a)最初はほぼ同量の活動が、視覚皮質において発生する。
 (b)その後、頭頂葉、および前頭前野の神経回路の突然の発火が起こるかどうかで、意識されるかどうかが決まる。
(2)被験者が意識的な知覚表象を経験したか否かを示す生理学的な標識
 (2.1)頭頂葉、および前頭前野の神経回路の突然の発火(意識のなだれ)
  (a)意識される刺激は、頭頂葉、および前頭前野の神経回路の突然の発火に至る激しいニューロンの活動を引き起こす。
  (b)参考:無意識の機能
   (i)脳の後部に位置するシステム
    無意識的トライアルでは、活動の波は脳の後部に位置するシステムに限定され、それゆえ意識はそれに触れられず、そこで起こっている事象にまったく気づかない。
   (ii)左側頭葉での単語の意味の無意識の解釈
    無意識の活動の波はおよそ500ミリ秒間、左側頭葉内部の、単語の意味に関連する領域で反響し続ける。
 (2.2)刺激から3分の1秒後に発生するP3波
  (a)P3波の特徴
   (i)コンシャスアクセスは、刺激が与えられてから3分の1秒が経過してから生じる、P3波と呼ばれる遅い脳波を伴う。
   (ii)これは、270ミリ秒付近で始まり、350~500ミリ秒のどこかの時点でピークに達する。
   (iii)これは、刺激入力後3番目の大きな陽性ピークなので、P3波と呼ばれる。
  (b)P3波の検出方法
   これは、頭頂部に取りつけた電極によって容易に検出できる。
  (c)P3波に対応する意識
   コンシャスアクセスはプッシュ&プルシステムとして機能する。脳は、先行する文字列によって長時間占有されると(これは長いP3波によって示される)、次の表示されるターゲットワードに対して、同時に注意を向けられなくなる。
 (2.3)高周波振動の突発
  (a)意識の点火はさらに、高周波振動の遅れての突発を引き起こす。
 (2.4)多数の皮質領域間の双方向メッセージ交換
  (a)互いに遠く隔たった多数の皮質領域が、双方向の同期したメッセージ交換に参加し、広域的な脳のウェブを形成する。

視覚皮質
 │
 ├→無意識の過程(脳の後部に位置する)
 │
 ├→単語の意味の無意識の解釈(左側頭葉)継続:500ms
 │
 └→頭頂葉、前頭前野の突然の発火(意識のなだれ)
    ↓
   P3波(意識のプッシュ&プルシステム)
    ↓ 開始:270ms, ピーク:350~500ms
   高周波振動の突発
    ↓
   多数の皮質領域間の双方向メッセージ交換

 「われわれが与えた刺激は、意識的、無意識的いずれのトライアルでも、《正確に》同じものであった点に鑑みると、無意識から意識への移行の迅速さには目を見張るものがある。刺激が与えられたあと200~300ミリ秒という、100ミリ秒以内に、まったく相違無しから、全か無かに変わったのだ。いずれのケースでの、ターゲットワードは、最初はほぼ同量の活動を視覚皮質に引き起こしながらも、意識的トライアルでは、この活動の波は勢力を増し、前頭葉と頭頂葉のネットワークの堤防を突破して、はるかに広大な皮質領域へと突然流入するらしい。それに対し無意識的トライアルでは、活動の波は脳の後部に位置するシステムに限定され、それゆえ意識はそれに触れられず、そこで起こっている事象にまったく気づかない。
 とはいえ、無意識の活動はただちに鎮静するわけではない。無意識の活動の波はおよそ500ミリ秒間、左側頭葉内部の、単語の意味に関連する領域で反響し続ける。第2章では、注意の瞬きが生じているあいだ、被験者には見えていない単語の意味が活性化され続けることを見た。この無意識の解釈は、側頭葉の内部で生じる。したがって、前頭葉、および頭頂葉の広大な領域への、活動の波の流入のみが、意識的知覚の存在を示す。
 意識のなだれは、頭頂部に取りつけた電極によって容易に検出できる単純な標識を生む。意識的トライアルでのみ、十分な電圧を持つ脳波がこの領域に浸透する。それは270ミリ秒付近で始まり、350~500ミリ秒のどこかの時点でピークに達する。この大規模で緩慢な事象は、(刺激入力後3番目の大きな陽性ピークなので)P3波と呼ばれる。もちろんその大きさは数マイクロボルトにすぎず、単三電池より百万倍小さい。とはいえ、そのような電気的活動の高まりは、現在では増幅器を用いれば簡単に測定できる。P3波は、二つ目の意識のしるしであり、意識的知覚表象へのアクセスが突然得られるときにはつねに簡単に記録できることが、さまざまな方法によって示されている。
 脳波記録を詳細に調査すると、P3波の発達は、被験者がターゲットワードを見落とした《理由》を説明することがわかった。われわれの実験では、実際には《二つの》P3波が検出された。最初のP3波は、被験者の注意をそらせるために表示された先行する文字列によって引き起こされたもので、この文字列はつねに意識的に知覚されていた。二番目のP3波は、ターゲットワードが見えたときに引き起こされた。おもしろいことに、これら二つの事象のあいだには一定の交換条件が存在する。最初のP3波が長く大きいと、二番目のP3波は、欠けることが多かった。そしてこのケースは、まさにターゲットワードが見落とされたトライアルに見られた。このように、コンシャスアクセスはプッシュ&プルシステムとして機能する。脳は、先行する文字列によって長時間占有されると(これは長いP3波によって示される)、次の表示されるターゲットワードに対して、同時に注意を向けられなくなるのだ。どうやら一方の単語の意識は、他方の単語の意識を除外するらしい。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第4章 意識的思考のしるし,紀伊國屋書店(2015),pp.176-177,高橋洋(訳))
 「本章では、信頼できる意識のしるし、つまり被験者が意識的な知覚表象を経験したか否かを示す生理学的な標識を少なくも4つ見出した。それらは「意識される刺激は、頭頂葉、および前頭前野の神経回路の突然の発火に至る激しいニューロンの活動を引き起こす」「コンシャスアクセスは、刺激が与えられてから3分の1秒が経過してから生じる、P3波と呼ばれる遅い脳波をともなう」「意識の点火はさらに、高周波振動の遅れての突発を引き起こす」「互いに遠く隔たった多数の皮質領域が、双方向の同期したメッセージ交換に参加し、広域的な脳のウェブを形成する」である。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第4章 意識的思考のしるし,紀伊國屋書店(2015),p.224,高橋洋(訳))
(索引:意識,意識の標識,意識のなだれ,P3波)

意識と脳――思考はいかにコード化されるか


(出典:wikipedia
スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「160億年の進化を経て発達した皮質ニューロンのネットワークが提供する情報処理の豊かさは、現在の私たちの想像の範囲を超える。ニューロンの状態は、部分的に自律的な様態で絶えず変動しており、その人独自の内的世界を作り上げている。ニューロンは、同一の感覚入力が与えられても、その時の気分、目標、記憶などによって異なったあり方で反応する。また、意識の神経コードも脳ごとに異なる。私たちは皆、色、形状、動きなどに関して、神経コードの包括的な一覧を共有するが、それを実現する組織の詳細は、人によって異なる様態で脳を彫琢する、長い発達の過程を通じて築かれる。そしてその過程では、個々シナプスが選択されたり除去されたりしながら、その人独自のパーソナリティーが形成されていく。
 遺伝的な規則、過去の記憶、偶然のできごとが交錯することで形作られる神経コードは、人によって、さらにはそれぞれの瞬間ごとに独自の様相を呈する。その状態の無限とも言える多様性は、環境に結びついていながら、それに支配はされていない内的表象の豊かな世界を生む。痛み、美、欲望、後悔などの主観的な感情は、この動的な光景のもとで、神経活動を通して得られた、一連の安定した状態のパターン(アトラクター)なのである。それは本質的に主観的だ。というのも、脳の動力学は、現在の入力を過去の記憶、未来の目標から成る布地へと織り込み、それを通して生の感覚入力に個人の経験の層を付与するからである。
 それによって出現するのは、「想起された現在」、すなわち残存する記憶と未来の予測によって厚みを増し、常時一人称的な観点を外界に投影する、今ここについてのその人独自の暗号体系(サイファー)だ。これこそが、意識的な心の世界なのである。
 この絶妙な生物機械は、あなたの脳の内部でたった今も作動している。本書を閉じて自己の存在を改めて見つめ直そうとしているこの瞬間にも、点火したニューロンの集合の活動が、文字通りあなたの心を作り上げるのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第7章 意識の未来,紀伊國屋書店(2015),pp.367-368,高橋洋(訳))
(索引:)

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2020年6月21日日曜日

36.a)外界と身体の変化(b)対象,驚き,既知感(c)関心,注意(d)視点(e)表象の所有感(f)発動力(g)原初的感情.これら全てが,その担い手である中核自己の存在を感知させ,全ての表象がその内部での現象であると感知させる.これが意識である.(アントニオ・ダマシオ(1944-))

意識ある心

【(a)外界と身体の変化(b)対象,驚き,既知感(c)関心,注意(d)視点(e)表象の所有感(f)発動力(g)原初的感情.これら全てが,その担い手である中核自己の存在を感知させ,全ての表象がその内部での現象であると感知させる.これが意識である.(アントニオ・ダマシオ(1944-))】

全体へ追記。

 (3.3)情動誘発部位と原自己の2次マッピング
  情動誘発部位における神経活動のパターンと原自己の変化が、二次の構造にマッピングされる。かくして、情動対象と原自己の関係性についての説明が二次の構造においてなされる。
  (3.3.1)対象のイメージ群
   イメージの一群は、意識の中の物体を表す。
   (a)対象という感覚、知っているという感覚
    原初的感情が変化し、「その対象を知っているという感情」が発生する。(2次マップ)
   (b)関心、注意を向ける重要性の感覚
    知っているという感情が、対象に対する「重要性」を生み出し、原自己を変化させた対象へ関心/注意を向けるため、処理リソースを注ぎ込むようになる。(1次マップへのフィードバック)
  (3.3.2)中核自己のイメージ群
   別のイメージ群は自分を表す。
   (a)ある視点の存在の感覚
    全てが無差別に存在している混沌の中に、対象が浮かび上がる。対象は見られ、触られ、聞かれ、変化するが、いつもある不動の視点から見られ、触られ、聞かれている。
   (b)対象が対象そのものではなく、影響を受けている何者かの所有物であるという感覚
    (i)浮かび上がった対象は、対象そのものではないようだ。対象に向き合い、対象から影響を受けている何者かが存在する。浮かび上がった対象は、この何者かが所有しているものであるという感覚が存在する。
    (ii)絶対に安全であるという感情
     ウィトゲンシュタインは、この感覚に別の表現を与えている。「私は安全であり、何が起ろうとも何ものも私を傷つけることはできない」というような感情。
     参考:二つの表明し得ぬもの:(a)何かが存在する、この世界が存在するとは、いかに異常なことであるかという驚き、(b)私は安全であり、何が起ころうとも何ものも私を傷つけることはできない、という感覚。(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951))

   (c)発動力
    浮かび上がった対象に関心と注意を向ける何者かが存在する。原自己に属する身体は、この何者かが確かに、自ら命じて動かすことができる。
   (d)原初的感情
    対象がどのように変化しようが、比較的変化しないで持続する何者かが存在する。
  (3.3.3)中核自己
   (i)全てが無差別に存在している混沌の中に、対象が浮かび上がる。何かが変化し、知っているという感情が生まれた。それは注意をひきつける。対象は、いつもある不動の視点から、見られ、触れられ、聞かれている。対象は、対象そのものではなく、影響を受けている何者かの所有物であるという感覚がある。浮かび上がった対象に注意を向ける何者かが存在する。原自己に属する身体は、この何者かが自ら命じて動かすことができる。これらを担い所有する主人公が浮かび上がってくる。これが「中核自己」である。
   (ii)存在することへの驚き
    ウィトゲンシュタインは、それが驚きの感情を伴うことを指摘する。「何かが存在するとはどんなに異常なことであるか」、「この世界が存在するとはどんなに異常なことであるか」という存在することへの驚き。
    参考:二つの表明し得ぬもの:(a)何かが存在する、この世界が存在するとは、いかに異常なことであるかという驚き、(b)私は安全であり、何が起ころうとも何ものも私を傷つけることはできない、という感覚。(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951))
  (3.3.4)意識のハードプロブレムについて
   たとえ外界と身体の全ての表象が存在しても、無差別に存在する混沌の中には、意識は存在しない。(a)外界と身体の変化の感知、(b)驚きまたは既知感、(c)関心と注意、(d)視点の感知、(e)表象の所有感、(f)発動力の感知、(g)継続的な原初的感情が、(h)中核自己の存在を感知させ、これら全てが中核自己の内部で現象していると感知される。これが意識である。「自己集積体のイメージが非自己物体のイメージとあわせて折りたたまれると、その結果が意識ある心となる」。

《説明図》

対象→原自己→変調された原初的感情
↑  の変化 変調されたマスター生命体
│       │    ↓
│       │  視点の獲得
│       ↓
│     知っているという感情
│       ↓     │
└─────対象の重要性  ↓
             所有の感覚
             発動力

 「要するに、意識ある心の深みに沈降する中で、私はそれが各種イメージの複合物だということを発見したのだ。そうしたイメージの一群は、意識の中の《物体》をあらわす。別のイメージ群は自分をあらわし、その自分に含まれるのは以下の通りだ。
(1) 物体がマッピングされるときの《視点》(私の心が見たり触ったり聞いたりなどする際の立ち位置を持っているという事実と、その立ち位置というのが自分の身体だという事実)
(2) その物体が表象されているのは、自分に所属する心の中でのものであって、その心は他の誰にも属さないという感情《所有感》
(3) その物体に対して自分が《発動力》(agency)を持っており、自分の身体が実施する行動は心に命じられたものだという感情
(4) 物体がどう関わってくるかとはまったく関係なしに、自分の生きた身体の存在をあらわす《原初的感情》
 (1)から(4)までの要素の集合が、単純版の自己を構成する。自己集積体のイメージが非自己物体のイメージとあわせて折りたたまれると、その結果が意識ある心となる。
 こうした知識はすべて、そこにあるものだ。それは理性的な推論や解釈で得られる知識ではない。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『自己が心にやってくる』第3部 意識を持つ、第8章 意識ある心を作る、p.223、早川書房 (2013)、山形浩生(訳))
(索引:)

自己が心にやってくる


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

アントニオ・ダマシオ(1944-)
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2020年6月16日火曜日

無意識の精神機能が、持続時間500ms以上で意識化されるとする仮説は、意識と無意識が脳の同一領域で生ずることを示唆する。ただし、機能が複数の段階、複数の脳の領域と関係する場合は、事情はもっと複雑である。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

意識と無意識

【無意識の精神機能が、持続時間500ms以上で意識化されるとする仮説は、意識と無意識が脳の同一領域で生ずることを示唆する。ただし、機能が複数の段階、複数の脳の領域と関係する場合は、事情はもっと複雑である。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))】

 「(11) それでは、無意識と意識機能は、脳のどの部分において発生するのでしょうか? これら二つの異なる側面を持つ精神機能に、それぞれ個別の場所があるのでしょうか? タイム-オン理論は、無意識および意識機能はどちらも《同じ脳の領域》の同じニューロン群によって、媒介されていることを示唆しています。もし、二つの機能間の移行が単に、アウェアネスを生み出す類似した神経細胞活動の長い持続時間によって生じるのであるならば、それぞれについて異なるニューロンの存在を仮定する必要はなくなります。当然、脳活動は一つ以上の段階または領域が意識的な精神プロセスの媒介に関与しているため、こうした領域のうちあるものは、無意識機能の場合には異なる可能性があります。このような場合には、タイム-オン(持続時間)制御のある単独の領域が、無意識と意識機能の識別を示す唯一のものにはならないでしょう。しかしそれでもなお、タイム-オン(持続時間)の特性は依然として、脳のなかのどの領域にあろうと作動し、識別するための制御因子となり得るのです。
 盲視現象(ワイスクランツ(1986年)参照)によって、意識と無意識機能にはそれぞれ独立した経路と脳構造がある可能性が提示されました。大脳皮質の一次活性領域に損傷のある人間の患者は盲目です。つまり破壊された領域には、通常なら存在する、意識を伴う外部視野がないのです。それでもなお、このような患者は、ただ強制選択すればよいと言われた場合には、正しく視覚野にある物体を指し示すことができるのです。この場合、被験者はその物体を見た自覚がないと報告します。
 無意識の盲視行為は、意識を伴う視覚の脳内のネットワーク領域(一次視覚野はその必要不可欠な一部ですが)とは違う場所で起こります。しかし、別の説では、一次視覚皮質の外部にある構造のどこか、たとえば二次視覚野のどこかに、意識・無意識両方の視覚機能が「宿っている」とします。すると、一次視覚野の機能というのは、この二次視覚野への入力を反復的に発火して与えるということになり、その結果その領域(二次視覚野)での発火の持続時間が増加し、視覚反応にアウェアネスが加わるということになります。その場合、一次視覚野が機能していなければ、その効果は発揮されません。
 では、一次視覚野(V1)がなくても人は自覚のある知覚を持てるのでしょうか? バーバー他(1993年)は彼の非常に興味深い研究の中で、これが可能であることを主張しました。彼らは、交通事故による損傷によって、V1領域を完全に失った患者を研究しました。この患者は、破壊されたV1領域に対応する半視野が、典型的な失明を示していました。それにもかかわらず、「彼は視覚刺激の動きの方向を弁別することができました。また彼は、視覚刺激の性質と動きの検出両方について自覚があったことも、口頭での報告によって示しました。」
 いずれによ、「V1がなくても意識を伴った視覚の知覚は可能である」というバーバーらによる結論は、私たちのタイム-オン理論を排除しません。視覚刺激に反応すると活動の増加を示すV5の領域は、十分に長い活動の持続時間の恩恵をこうむると、視覚の《アウェアネス》を生み出すことができるのかもしれません。実際、バーバーら(1993年)は、なかり長い時間の間、視覚刺激を反復的に加えていました。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第3章 無意識的/意識的な精神機能,岩波書店(2005),pp.138-140,下條信輔(訳))
(索引:)

マインド・タイム 脳と意識の時間


(出典:wikipedia
ベンジャミン・リベット(1916-2007)の命題集(Propositions of great philosophers)  「こうした結果によって、行為へと至る自発的プロセスにおける、意識を伴った意志と自由意志の役割について、従来とは異なった考え方が導き出されます。私たちが得た結果を他の自発的な行為に適用してよいなら、意識を伴った自由意志は、私たちの自由で自発的な行為を起動してはいないということになります。その代わり、意識を伴う自由意志は行為の成果や行為の実際のパフォーマンスを制御することができます。この意志によって行為を進行させたり、行為が起こらないように拒否することもできます。意志プロセスから実際に運動行為が生じるように発展させることもまた、意識を伴った意志の活発な働きである可能性があります。意識を伴った意志は、自発的なプロセスの進行を活性化し、行為を促します。このような場合においては、意識を伴った意志は受動的な観察者にはとどまらないのです。
 私たちは自発的な行為を、無意識の活動が脳によって「かきたてられて」始まるものであるとみなすことができます。すると意識を伴った意志は、これらの先行活動されたもののうち、どれが行為へとつながるものなのか、または、どれが拒否や中止をして運動行動が現れなくするべきものなのかを選びます。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第4章 行為を促す意図,岩波書店(2005),pp.162-163,下條信輔(訳))
(索引:)

ベンジャミン・リベット(1916-2007)
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2020年5月24日日曜日

任意の時刻において,それより大きい部分系の状態とは量子力学的な相関を持たないという意味で自己充足的な最小の部分系における,特別な状態の選択が,あるものが意識化される本質であるように思われる.(マイケル・ロックウッド(1933-2018))

意識とは?

【任意の時刻において,それより大きい部分系の状態とは量子力学的な相関を持たないという意味で自己充足的な最小の部分系における,特別な状態の選択が,あるものが意識化される本質であるように思われる.(マイケル・ロックウッド(1933-2018))】

 「この時点で、私がここで擁護しようとしている立場を簡単に要約しておくと役にたつだろう。非相対論的に考えると、宇宙はシュレーディンガー方程式にしたがってなめらかに決定論的に発展していく継目のない全体であると考えられる。この発展系は、無数のさまざまな仕方で部分系に分けることができる。部分系のあいだに相関があるかぎり、どんな部分系も、ある時刻になんらかの決定的な量子状態にあると考えることはできない。しかしながら、もし、特定の部分系を選んで、その系のある可能な状態を選ぶならば――くり返すが、「本当に」その状態にあるわけではない、というのは、相関があるとそのような状態は存在しないからである――そのときには、ほかの部分系に決まった量子状態、もとの部分系の選ばれた状態に呼応した状態を割り当てることができる。意識をもった主体にとって、意識的である任意の時刻において、それはいつも決まって、特別の部分系の特別の状態が選ばれた《かのように》みえる。つまり、主体の脳の内部にあるどんな物理系の状態も、じかに主体の意識の流れをささえているのである。私は、この状態を意識によって《指示された》状態と呼ぶ。関与している脳系のどんな状態も指示されるのにふさわしいというのではなく、ただ、関与している脳系のオブザーバブルのうちの特別な集合の共有された固有状態だけが選ばれるに値するのである。任意の時刻において、意識をもった主体は、宇宙ののこり全体をはじめとして他のどんな部分系をも、この指示された状態に呼応する決まった量子状態をもつものと考える資格をもっているのである。ひとがふつう、ある時刻の、なにものかの状態と考えるものは、本当はその人自身のある指示された状態に単に呼応した状態と考えるべきである。そして、これは、全体としての宇宙の状態についても通用するのである。
 私は、脳オブザーバブルのつくる優先集合の共有された固有状態だけが、指示されるに値すると言った。もう少しだけはっきりさせたい。全宇宙の状態が複数の状態の重ね合わせとしてあらわされていると仮定しよう。状態のおのおのは、部分系の状態のテンソル積であり、適切に分割された部分系のもと、その表現は適切に選ばれているとしよう。私は、《全》宇宙と言っている。しかし、実際は、関与している脳系を部分系としてふくんでいる宇宙の部分系のうち、その状態が宇宙の他の部分系(全部であれ一部であれ、すでにふくまれているものは別として)の状態と、量子力学的な意味で相関していないという意味で《自己充足的》であるような、最小のものを考えれば十分である。というのも、そうした条件を満たす部分系は――関与している脳系はそうではないだろうが――決定論的で意味のある客観的な量子状態をもっているはずだからである。(この最小の自己充足的な部分系は、残りと決して相互作用しない部分系が宇宙にないとすると(そんなことはありそうにないが)全宇宙と一致する。)
 さらに、私の意識をささえている脳部分系はその部分系のひとつで、選ばれた表現は、いま論じている脳オブザーバブルのつくる特別な集合によって定義されているとしよう。すると、任意の時刻で、オブザーバブルのつくる特別な集合の特別な共有されている固有状態が指示される必要条件は、宇宙の重ね合わせにあらわれるテンソル積のひとつにふくまれていることである。あるいは、もっと正確に言うと、ゼロでない係数をもった重ね合わせの要素のなかにあらわれていることである。これを、関与している脳系の状態が指示されるための必要条件と言おう。しかし、それは《十分条件》でもある。この条件を満たすすべての状態は、同時に指示することができ、したがって、すべておなじように私のものである並列現象的パースペクティブを生成している。それが、観測という文脈において、「精神」あるいは分離した観測者について語ることにあたえるべき文字どおりの意味である。」
(マイケル・ロックウッド(1933-2018)『心、脳、量子』(日本語名『心身問題と量子力学』)第13章 量子力学と意識的観測者、pp.326-328、産業図書(1992)、奥田栄(訳))
(索引:意識)

心身問題と量子力学


マイケル・ロックウッド(1933-2018)
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意識は仮像,現象であり,実在は科学的方法によって捉えられるという考えは,外的対象については正しい. しかし,意識そのものを対象にした場合,意識に現われるものは実在そのもの,少なくとも実在の一面である.(マイケル・ロックウッド(1933-2018))

意識とは何か

【意識は仮像,現象であり,実在は科学的方法によって捉えられるという考えは,外的対象については正しい. しかし,意識そのものを対象にした場合,意識に現われるものは実在そのもの,少なくとも実在の一面である.(マイケル・ロックウッド(1933-2018))】

 「要するに、私は、内省的な心理学が基本的な物理学に貢献するかもしれないということを遠まわしに言っているのである。もし心的状態が脳の状態であるならば、内省はすでに、脳物質には、物理学者の哲学のなかで現在容れられている以上のものが存在することを教えているように私には思えるのである。
 おなじくらい重要な、第二の点は、ラッセルのもともとの観点からは何か逸脱したものを述べているかも知れない。しかし、もしそうだとしても、それは、ラッセルの観点よりもっともらしくすると同時に、物理学内部におけるとともに哲学内部における現在の思考の線にそれをもっと密着させるものである。私は、意識にあきらかになるものに還元できないような《視角による》特性があることを認めなければならないと思う。なお、われわれは、意識をある脳状態の固有の性質をつたえるものと考えるべきなのである、と私は提案する。しかし、その知識は、ある観点に逃れようもなくむすびついているものである。われわれがここで抵抗しなければならないのは、ある観点から何かを知るということは、ともかく、それによってとらえられるものの客観性と相反するというあやまった考えなのである。現象的性質を感知するときにわれわれの感知しているものは、《実在にそのように埋めこまれたものとして意識にのぼるような》脳状態の属性であるけれども、見かけと実在のあいだにギャップは存在しない、ということを私は示唆している。意識にあらわれるものは実在《である》、少なくとも、実在の一部あるいは一面なのである。」
(マイケル・ロックウッド(1933-2018)『心、脳、量子』(日本語名『心身問題と量子力学』)第11章 状態とオブザーバブル、p.257、産業図書(1992)、奥田栄(訳))
(索引:)

心身問題と量子力学

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2020年5月16日土曜日

同じ場所に、異なる時刻に提示された2つのイメージ間の競合における「注意の瞬き」という現象は、能動的な「注意」の同時処理の限定性とを示す。一時的に意識が飽和することで、イメージを不可視化したのである。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

注意の瞬き

【同じ場所に、異なる時刻に提示された2つのイメージ間の競合における「注意の瞬き」という現象は、能動的な「注意」の同時処理の限定性とを示す。一時的に意識が飽和することで、イメージを不可視化したのである。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))】

(2)追加。

(1)同時に提示された2つのイメージ間の競合
  両眼視野闘争と連続フラッシュ抑制は、十分に知覚できるほど長い時間与えられた視覚イメージであっても、注意によって選択されなければ、意識的経験から完全に排除され得ることを示している。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

 (1.1)両眼視野闘争
  (a)両目のそれぞれに知覚可能なイメージを同時に提示すると、実際には一方のイメージのみが知覚される。
  (b)能動的な注意の存在
   両眼視野闘争は受動的なものだろうか? それとも、意識的に決められるか? 意識的な注意が欠如すると、二つのイメージはともに処理され、競い合わない。両眼視野闘争には、能動的で注意深い観察者が必要なのだ。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))
 (1.2)連続フラッシュ抑制
  二つのイメージのうちの一方を恒久的に視野から消すことができる。これは、他方の目に鮮やかな色の長方形を連続してフラッシュ(一瞬表示させること)すると、そちらのイメージの流れのみが見えるようになる。

(2)同じ場所に、異なる時刻に提示された2つのイメージ間の競合
 (2.1)注意の瞬きという現象
  (a)実験方法
   コンピュータ画面の特定の場所に、一連のシンボルが表示される。シンボルのほとんどは数字だが、なかには文字もあり、被験者は文字を覚えておくように指示される。
  (b)実験結果
   最初の文字は容易に覚えられる。0.5秒後に2番目の文字が出現すると、それも正確に記憶される。しかし、2番目の文字がほとんど間を置かずに出現すると、それはしばしば完全に見落とされる。被験者は一文字しか見ていないと報告し、実際には二つ表示されたことを知らされると驚く。最初の文字に注意を向ける行為は、二番目の文字の知覚を阻害する一時的な「心の瞬き」を生む。
  (c)能動的な注意の存在
   ただ単に受動的に目を向けていると、すべての数字や文字を「見ている」気がする。
 (2.2)無意識的な入力の存在は脳画像法で確認できる
  脳画像法を用いれば、無意識的なものも含めてすべての文字情報が脳に伝達されていることを確認できる。それらはすべて、視覚の初期過程を司る領域に達しており、また奥深くまで到達してターゲットとして分類されていることすらある。
 (2.3)注意の容量の存在、意識の飽和
  (a)注意は、同時に対処できるイメージの数が限定されている。
  (b)ある一つの文字を記憶に登録する処理は、他の文字が不可視になる一時的な期間を作り出すのに十分なほど長時間、意識というリソースを独占するのである。すなわち、一時的に意識を飽和させることで、イメージが不可視化される短い期間を作り出せる。

 「このように、注意は同時に対処できるイメージの数を限定する。この制限はさらに、コンシャスアクセスの最小の対比を変える。いみじくも「注意の瞬き」と呼ばれる方法を用いると、一時的に意識を飽和させることで、イメージが不可視化される短い期間を作り出せる。図5は、この瞬きが生じる典型的な条件を示す。コンピュータ画面の特定の場所に、一連のシンボルが表示される。シンボルのほとんどは数字だが、なかには文字もあり、被験者は後者を覚えておくように指示される。最初の文字は容易に覚えられる。0.5秒後に2番目の文字が出現すると、それも正確に記憶される。しかし、2番目の文字がほとんど間を置かずに出現すると、それはしばしば完全に見落とされる。被験者は一文字しか見ていないと報告し、実際には二つ表示されたことを知らされると驚く。最初の文字に注意を向ける行為は、二番目の文字の知覚を阻害する一時的な「心の瞬き」を生むのだ。
 脳画像法を用いれば、無意識的なものも含めてすべての文字情報が脳に伝達されていることを確認できる。それらはすべて、視覚の初期過程を司る領域に達しており、また奥深くまで到達してターゲットとして分類されていることすらある。かくして脳の一部は、いつターゲットの文字が提示されたかを「知る」。しかし、この知識は何らかの理由で意識にのぼらない。意識的に知覚されるには、文字は、気づきへと登録する処理の段階まで達しなければならない。この登録処理は、極度に限定されるらしい。つまり、いかなる時点でも、一つの情報のみがその過程を通過でき、視野に存在するそれ以外のすべての情報は、知覚されずに取りこぼされる。
 両眼視野闘争は、同時に提示された二つのイメージ間の競合を明らかにする。それに対し注意の瞬きでは、類似の競合が、同じ場所に提示された二つのイメージ間で継時的に生じる。意識の働きはきわめて緩慢なので、ときに画面にイメージが表示される速度についていけなくなる。ただ単に受動的に目を向けていると、すべての数字や文字を「見ている」気がするが、ある一つの文字を記憶に登録する処理は、他の文字が不可視になる一時的な期間を作り出すのに十分なほど長時間、意識というリソースを独占するのである。意識を備えた心の要塞は、心的表象を互いに争わせるほど狭い跳ね橋を、その前面に備えているのだ。こうしてコンシャスアクセスは、入力に対して非常に狭い隘路を課す。」

図5(p.53の図5の説明を参考に、趣旨を変えずに書き換えてある。)

(a)Mは記憶できるが、Tは約30%しか見えない。
397M4T8162
┴┴┴┼┴┼┴┴┴┴ 
   │ │
   200ms

(b)Mは記憶できるが、Tは約30%しか見えない。
397M46T816
┴┴┴┼┴┴┼┴┴┴
   │  │
    300ms

(c)Mは記憶できるが、Tは40~50%しか見えない。
397M462T81
┴┴┴┼┴┴┴┼┴┴
   │400ms │

(d)Mは記憶できる。Tも約70%記憶できる。
397M4624T8
┴┴┴┼┴┴┴┴┼┴
   │500ms  │

(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第1章 意識の実験,紀伊國屋書店(2015),pp.51-52,高橋洋(訳))
(索引:注意の瞬き,意識の飽和,注意,能動的な注意,不可視化)

意識と脳――思考はいかにコード化されるか


(出典:wikipedia
スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「160億年の進化を経て発達した皮質ニューロンのネットワークが提供する情報処理の豊かさは、現在の私たちの想像の範囲を超える。ニューロンの状態は、部分的に自律的な様態で絶えず変動しており、その人独自の内的世界を作り上げている。ニューロンは、同一の感覚入力が与えられても、その時の気分、目標、記憶などによって異なったあり方で反応する。また、意識の神経コードも脳ごとに異なる。私たちは皆、色、形状、動きなどに関して、神経コードの包括的な一覧を共有するが、それを実現する組織の詳細は、人によって異なる様態で脳を彫琢する、長い発達の過程を通じて築かれる。そしてその過程では、個々シナプスが選択されたり除去されたりしながら、その人独自のパーソナリティーが形成されていく。
 遺伝的な規則、過去の記憶、偶然のできごとが交錯することで形作られる神経コードは、人によって、さらにはそれぞれの瞬間ごとに独自の様相を呈する。その状態の無限とも言える多様性は、環境に結びついていながら、それに支配はされていない内的表象の豊かな世界を生む。痛み、美、欲望、後悔などの主観的な感情は、この動的な光景のもとで、神経活動を通して得られた、一連の安定した状態のパターン(アトラクター)なのである。それは本質的に主観的だ。というのも、脳の動力学は、現在の入力を過去の記憶、未来の目標から成る布地へと織り込み、それを通して生の感覚入力に個人の経験の層を付与するからである。
 それによって出現するのは、「想起された現在」、すなわち残存する記憶と未来の予測によって厚みを増し、常時一人称的な観点を外界に投影する、今ここについてのその人独自の暗号体系(サイファー)だ。これこそが、意識的な心の世界なのである。
 この絶妙な生物機械は、あなたの脳の内部でたった今も作動している。本書を閉じて自己の存在を改めて見つめ直そうとしているこの瞬間にも、点火したニューロンの集合の活動が、文字通りあなたの心を作り上げるのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第7章 意識の未来,紀伊國屋書店(2015),pp.367-368,高橋洋(訳))
(索引:)

スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)
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2020年5月15日金曜日

感情や意図の共感能力と、現実に発生する残虐行為との矛盾の解決には、意識的、顕在的な問題を意識以前の潜在的な観点から理解し、局地的に作用しがちな共感が、他文化理解の基盤でもあることを解明する必要がある。(マルコ・イアコボーニ(1960-))

意識と無意識、局地的と普遍的

【感情や意図の共感能力と、現実に発生する残虐行為との矛盾の解決には、意識的、顕在的な問題を意識以前の潜在的な観点から理解し、局地的に作用しがちな共感が、他文化理解の基盤でもあることを解明する必要がある。(マルコ・イアコボーニ(1960-))】

(2.3)(2.4)追加。

(1)問題:人は感情や意図を共有し合える能力を持っているにもかかわらず、なぜ残虐にもなれるのか。
  人は感情や意図を共有し合える能力を持っているにもかかわらず、現実に発生する残虐行為を解決するには、科学的な事実と制度・政策との関係、人間の生物学的組成と社会性、自由意志の問題の解明が必要である。(マルコ・イアコボーニ(1960-))
 (1.1)感情や意図の共有
  感情や意図を共有し合えるという能力は、人と人とを意識以前の基本的なレベルで互いに深く結びつけ、人間の社会的行動の根本的な出発点でもある。
 (1.2)残虐行為が存在するという事実
(2)仮説
 (2.1)科学的な事実と、制度・政策との関係の問題、人間の生物学的組成、社会性と自由意志の問題
  共感を促進するのと同じ神経生物学的メカニズムが、特定の環境や背景のものでは共感的行動と正反対の行動を生じさせている可能性があるが、科学的な事実と制度・政策との関係の問題と、人間の生物学的組成、社会性と自由意志の問題が絡み、解決を難しくしている。
  (2.1.1)暴力的な映像による模倣暴力の事例
    暴力的な映像による模倣暴力の存在は、実験で検証されている。攻撃的な行動は、未就学児でも青年期でも、性別、生来の性格、人種によらず一貫して観察される。実際の社会においても、因果関係が実証されている。(マルコ・イアコボーニ(1960-))
  (2.1.2)科学的な事実と、制度・政策との関係の問題
   (a)これを解明するためには、科学的な事実を、社会全般の幸福を促進するための政策策定に反映させる制度的な仕組みが必要だが、そのような体制にはなっていない。
   (b)規制すべきかどうかの問題。言論の自由との絡みがある。
   (c)規制すべきかどうかの問題。市場と金銭的利害との絡みがある。
  (2.1.3)人間の生物学的組成、社会性と自由意志の問題
   (a)社会性と人間の自由意志の関係
    人間の最大の成功ではないかとも思える私たちの社会性が、一方では私たちの個としての自主性を制限する要因でもあることを示唆している。これは長きにわたって信じられてきた概念に対する重大な修正である。
   (b)人間の生物学的組成と自由意志の関係
    一方、人間はその生物学的組成を乗り越えて、自らの考えを社会の掟を通じて自らを定義できるとする見方がある。

 (2.2)顕在的、計画的、意識的レベルと潜在的、反射的、意識以前のレベルの問題
  社会を形成する計画的で意識的な対話を、潜在的レベルの共感で基礎づけて理解することが、問題解決の鍵である。
  (2.2.1)顕在的、計画的、意識的レベル
    社会は明らかに、顕在的で、計画的で、意識的な対話の上に築かれる。
  (2.2.2)潜在的、反射的、意識以前のレベル
   (a)ミラーニューロンは前運動ニューロンであり、したがって私たちが意識して行う行動とはほとんど関係がない。潜在的で、反射的な、意識以前の現象である。
   (b)道徳の基盤は、人から「動かされる」こと、すなわち共感である。

 (2.3)局地的に作用する共感が、同時に他文化を理解する基盤でもある
  (2.3.1)共感の局地性
   (a)ミラーリングと模倣の強力な効果は、きわめて局地的である。
   (b)そうしてできあがった文化は互いに連結しないため、昨今、世界中のあちこちで見られるように、最終的に衝突にいたってしまう。
   (c)地域伝統の模倣が、個人の強力な形成要因として強く強調されている。そして、人々は集団の伝統を引き継ぐ者になる。
  (2.3.2)普遍的な共感性の可能性
   (a)私たちをつなぎあわせる神経生物学的機構が存在する。
   (b)神経生物学的メカニズムは、別の文化の存在を明かすこともできる。
   (c)ただし、宗教的または政治的な信念体系は、大きな影響力を持ち、真の異文化間の出会いを難しくしている。

 「理解と共感を促す神経生物学上の根本的な原動力が、その有益な効果を損なわれている第二の要因は、この神経生物学上の原動力が最もよく働く「レベル」にある。前にも述べたようにミラーニューロンは前運動ニューロンであり、したがって私たちが意識して行う行動とはほとんど関係がない。実際、カメレオン効果のようなミラーリング行動は、潜在的で、反射的な、意識以前の行動と思われる。一方、社会は明らかに、顕在的で、計画的で、意識的な対話の上に築かれる。潜在的な心理過程と顕在的な心理過程はめったに相互作用しない。むしろ分離するぐらいだ。しかし神経科学によるミラーニューロンの発見は、意識的なレベルでの他人の理解に対し、意識以前の神経生物学的なミラーリングのメカニズムがあることを明らかにしてしまった。この本が論争に巻き込まれるなら本望である。人はミラーリングの神経機構がどう働いているかを直感的に理解しているように見える。この研究のことを話すと、相手はみな――少なくも私の経験では――わかってくれる。自分がすでに意識以前のレベルで「知って」いることを、ようやく明確に言葉にできたのだ。」(中略)「誰か別の人を見ているときに心の中で動きを調整しようとすれば、その心の中で身体接触のようなものが起こる。人は「動かされる」ことが共感の基盤であり、ひいては道徳の基盤でもあると《直感的に》知っているらしい。この人間の共感的な性質をもっと顕在的なレベルで理解することが、いずれ社会を形成する計画的で意識的な対話の要因になってくれることを祈るばかりだ。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第11章 実存主義神経科学と社会,早川書房(2009),pp.329-330,塩原通緒(訳))
(索引:)
 「ミラーリングネットワークの好ましい効果であるべきものを抑制してしまう第三の要因は、さまざまな人間の文化を形成するにあたってのミラーリングと模倣の強力な効果が、きわめて《局地的》であることに関係している。そうしてできあがった文化は互いに連結しないため、昨今、世界中のあちこちで見られるように、最終的に衝突にいたってしまう。もともと実存主義現象学の流派では、地域伝統の模倣が個人の強力な形成要因として強く強調されている。人は集団の伝統を引き継ぐ者になる。当然だろう? しかしながら、この地域伝統の同化を可能にしているミラーリングの強力な神経生物学的メカニズムは、別の文化の存在を明かすこともできる。ただし、そうした出会いが本当に可能であるならばの話だ。私たちをつなぎあわせる根本的な神経生物学的機構を絶えず否定する巨大な信念体系――宗教的なものであれ政治的なものであれ――の影響があるかぎり、真の異文化間の出会いは決して望めない。
 私たちは現在、神経科学からの発見が、私たちの住む社会や私たち自身についての理解にとてつもなく深い影響と変化を及ぼせる地点に来ていると思う。いまこそこの選択肢を真剣に考慮すべきである。人間の社会性の根本にある強力な神経生物学的メカニズムを理解することは、どうやって暴力行為を減らし、共感を育て、自らの文化を保持したまま別の文化に寛容となるかを決定するのに、とても貴重な助けとなる。人間は別の人間と深くつながりあうように進化してきた。この事実に気づけば、私たちはさらに密接になれるし、また、そうしなくてはならないのである。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第11章 実存主義神経科学と社会,早川書房(2009),pp.331-332,塩原通緒(訳))
(索引:意識,無意識,共感能力,残虐行為,他文化理解)

ミラーニューロンの発見―「物まね細胞」が明かす驚きの脳科学 (ハヤカワ新書juice)


(出典:UCLA Brain Research Institute
マルコ・イアコボーニ(1960-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「ミラーリングネットワークの好ましい効果であるべきものを抑制してしまう第三の要因は、さまざまな人間の文化を形成するにあたってのミラーリングと模倣の強力な効果が、きわめて《局地的》であることに関係している。そうしてできあがった文化は互いに連結しないため、昨今、世界中のあちこちで見られるように、最終的に衝突にいたってしまう。もともと実存主義的現象学の流派では、地域伝統の模倣が個人の強力な形成要因として強く強調されている。人は集団の伝統を引き継ぐ者になる。当然だろう? しかしながら、この地域伝統の同化を可能にしているミラーリングの強力な神経生物学的メカニズムは、別の文化の存在を明かすこともできる。ただし、そうした出会いが本当に可能であるならばの話だ。私たちをつなぎあわせる根本的な神経生物学的機構を絶えず否定する巨大な信念体系――宗教的なものであれ政治的なものであれ――の影響があるかぎり、真の異文化間の出会いは決して望めない。
 私たちは現在、神経科学からの発見が、私たちの住む社会や私たち自身についての理解にとてつもなく深い影響と変化を及ぼせる地点に来ていると思う。いまこそこの選択肢を真剣に考慮すべきである。人間の社会性の根本にある強力な神経生物学的メカニズムを理解することは、どうやって暴力行為を減らし、共感を育て、自らの文化を保持したまま別の文化に寛容となるかを決定するのに、とても貴重な助けとなる。人間は別の人間と深くつながりあうように進化してきた。この事実に気づけば、私たちはさらに密接になれるし、また、そうしなくてはならないのである。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第11章 実存主義神経科学と社会,早川書房(2009),pp.331-332,塩原通緒(訳))
(索引:)

マルコ・イアコボーニ(1960-)
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2020年5月14日木曜日

意識化されない無数の感覚刺激の中から、意味のある情報をふるい分ける機能の一部として、意識化に必要な持続時間条件があり、また「注意」による選択の仕組みが存在する。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

意識のフィルター機能

【意識化されない無数の感覚刺激の中から、意味のある情報をふるい分ける機能の一部として、意識化に必要な持続時間条件があり、また「注意」による選択の仕組みが存在する。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))】

ふるい分けされた、ごく一部の感覚入力が意識化される
 無数の感覚刺激が意識化されたら、無意味な騒音を抱え込みすぎることになる。意識はふるい分けの機能によって、一度にごく少数の事象や問題に集中することが可能になる。
 (1)意識化されない感覚入力をふるい分けるための仕組み
  (a)意識化に必要な持続時間条件
  (b)注意の機能
   おそらく注意のメカニズムが、与えられた選択された反応を、意識を引き出すために、十分に長い時間持続させる。
   参考:意識を伴わない感覚信号の検出、精神機能、ニューロン活動が存在し、活動の持続時間が500ms以上になると意識的な機能となる。持続時間の延長には、「注意」による選択が関与しているらしい(仮説)。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))
 (2)意識化されない無数の感覚刺激
  脳には、1秒間に何千回もの感覚入力が到達しているが、意識化されない。

 「(8) 意識経験のタイム-オン(持続時間)の必要条件は、どの時点においても意識経験を制限する「フィルター機能」の機能を果たすことができます。1秒間に何千回も脳に到達する感覚入力のうち、意識的なアウェアネスを生み出すことができるものはほとんどないことは明らかです。しかし、これらの感覚入力が、無意識に、重大な脳と心の反応へとつながる可能性があります。フランスの哲学者アンリ・ベルグソンは、感覚入力への意識を伴う反応が人間自身を圧倒しないように、脳はほとんどの感覚入力を意識化することからブロックすることができると提唱しました。現在の私たちの実験的な発見によって、このブロッキングを達成する生理学的なメカニズムが明らかにできるでしょう。
 つまり、私たちは次のように提案したいのです。大部分の感覚入力は適切な脳神経細胞が十分な長さのタイム-オン(持続時間)にわたって活動し続けていないため、それらの感覚入力は無意識のままになるのではないでしょうか。おそらく注意のメカニズムが、与えられた選択された反応を、アウェアネスを引き出すために十分に長い時間持続されるのでしょう。しかし、明らかに、注意そのものはアウェアネスのメカニズムには十分なものではありません。このように、アウェアネスのためのタイム-オン(持続時間)の必要条件は、アウェアネスに未だ至らない感覚入力をスクリーニングするためのメカニズムの一部でもあります。
 入力のスクリーニングまたはフィルタリングによって、意識的なアウェアネスが混乱することを避けられ、一度にごく少数の事象や問題に集中することが可能になるのです。もしあなたがすべての感覚入力に気づくようになったとしたら、意識事象の無意味な騒音を抱え込みすぎることになるでしょう。おそらくある種の精神障害は、アウェアネスに必要な脳活動の持続時間の異常な減少によって、このようなフィルターメカニズムが適切に働かないことを反映しているのでしょう。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第3章 無意識的/意識的な精神機能,岩波書店(2005),pp.134-135,下條信輔(訳))
(索引:無意識,意識,精神機能,フィルター機能)

マインド・タイム 脳と意識の時間


(出典:wikipedia
ベンジャミン・リベット(1916-2007)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「こうした結果によって、行為へと至る自発的プロセスにおける、意識を伴った意志と自由意志の役割について、従来とは異なった考え方が導き出されます。私たちが得た結果を他の自発的な行為に適用してよいなら、意識を伴った自由意志は、私たちの自由で自発的な行為を起動してはいないということになります。その代わり、意識を伴う自由意志は行為の成果や行為の実際のパフォーマンスを制御することができます。この意志によって行為を進行させたり、行為が起こらないように拒否することもできます。意志プロセスから実際に運動行為が生じるように発展させることもまた、意識を伴った意志の活発な働きである可能性があります。意識を伴った意志は、自発的なプロセスの進行を活性化し、行為を促します。このような場合においては、意識を伴った意志は受動的な観察者にはとどまらないのです。
 私たちは自発的な行為を、無意識の活動が脳によって「かきたてられて」始まるものであるとみなすことができます。すると意識を伴った意志は、これらの先行活動されたもののうち、どれが行為へとつながるものなのか、または、どれが拒否や中止をして運動行動が現れなくするべきものなのかを選びます。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第4章 行為を促す意図,岩波書店(2005),pp.162-163,下條信輔(訳))
(索引:)

ベンジャミン・リベット(1916-2007)
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2020年4月3日金曜日

意識作用には、意識を伴わない「精神機能」、ニューロン活動が先行する。感覚だけではなく、意識を伴う思考や感情、情動、自発的な行為を促す意図、創造的なアイデア、問題の解決なども、同様であろう。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

意識を伴わない精神機能

【意識作用には、意識を伴わない「精神機能」、ニューロン活動が先行する。感覚だけではなく、意識を伴う思考や感情、情動、自発的な行為を促す意図、創造的なアイデア、問題の解決なども、同様であろう。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))】

意識現象の発現の仕方
(a)体性感覚
 (i)意識を伴わない感覚信号の検出、ニューロン活動が先行する。
 (ii)適切なニューロン活動の持続時間が、ある程度増加することによって、感覚の意識が現れる。
 (iii) 意識を伴わない感覚信号の検出、精神機能、ニューロン活動が存在し、活動の持続時間が500ms以上になると意識的な機能となる。持続時間の延長には、「注意」による選択が関与しているらしい(仮説)。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))
(b)他の感覚モダリティ(視覚、聴覚、嗅覚、味覚)でも、同様である。
(c)意識を伴う思考や感情、情動、自発的な行為を促す意図でも、同様である。
(d)創造的なアイデア、問題の解決なども、同様であろう。


 「タイム-オン理論によれば、適切なニューロン活動の持続時間(タイム-オン)のある程度の増加によって、その増加分がなければ無意識だったはずの心理的機能にアウェアネスが加わる特性があることを思い出してください。この理論はこうして、以下のような見解を提案、または導き出します。
 (1) おそらく、いかなる種類のアウェアネスも現れないうちに、すべての意識を伴う精神事象が実際には《無意識に始まっている》のです。体性感覚のアウェアネスの場合でも、また、内面で生じる自発的な行為を促す意図のアウェアネスにおいても、こうした状況が発生するということについて、私たちにはすでに実験的な証拠があります(第4章参照)。すなわち、このようなアウェアネスをいくらかでも引き出すには、持続時間が十分に長い脳の活動が必要であるということです。つまり、無意識な、短い時間継続する脳の活動は、遅延する意識事象に先行するということを意味しています。二つの異なる種類の意識経験について私たちが発見したこのような根本的な必要条件は、他の種類のアウェアネス、言い換えると他の感覚モダリティ(視覚、聴覚、嗅覚、味覚)、意識を伴う思考や感情、情動などにもあてはまるようです。
 内面で生み出された思考と感情にこの原則を適用すると、非常に興味深い帰結を生みます。さまざまな思考、想像、態度、創造的なアイデア、問題の解決などは、初めは無意識に発達します。このような無意識の思考は、適切な脳の活動が十分な長さの時間継続したときだけ意識的なアウェアネスに到達するのです。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第3章 無意識的/意識的な精神機能,岩波書店(2005),pp.124-125,下條信輔(訳))
(索引:意識を伴わない精神機能)

マインド・タイム 脳と意識の時間


(出典:wikipedia
ベンジャミン・リベット(1916-2007)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「こうした結果によって、行為へと至る自発的プロセスにおける、意識を伴った意志と自由意志の役割について、従来とは異なった考え方が導き出されます。私たちが得た結果を他の自発的な行為に適用してよいなら、意識を伴った自由意志は、私たちの自由で自発的な行為を起動してはいないということになります。その代わり、意識を伴う自由意志は行為の成果や行為の実際のパフォーマンスを制御することができます。この意志によって行為を進行させたり、行為が起こらないように拒否することもできます。意志プロセスから実際に運動行為が生じるように発展させることもまた、意識を伴った意志の活発な働きである可能性があります。意識を伴った意志は、自発的なプロセスの進行を活性化し、行為を促します。このような場合においては、意識を伴った意志は受動的な観察者にはとどまらないのです。
 私たちは自発的な行為を、無意識の活動が脳によって「かきたてられて」始まるものであるとみなすことができます。すると意識を伴った意志は、これらの先行活動されたもののうち、どれが行為へとつながるものなのか、または、どれが拒否や中止をして運動行動が現れなくするべきものなのかを選びます。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第4章 行為を促す意図,岩波書店(2005),pp.162-163,下條信輔(訳))
(索引:)

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