2020年5月3日日曜日

4.両眼視野闘争は受動的なものだろうか? それとも、意識的に決められるか? 意識的な注意が欠如すると、二つのイメージはともに処理され、競い合わない。両眼視野闘争には、能動的で注意深い観察者が必要なのだ。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

両眼視野闘争

【両眼視野闘争は受動的なものだろうか? それとも、意識的に決められるか? 意識的な注意が欠如すると、二つのイメージはともに処理され、競い合わない。両眼視野闘争には、能動的で注意深い観察者が必要なのだ。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))】

 「両眼視野闘争は受動的なものだろうか? それともどちらのイメージが戦いに勝利するかを意識的に決められるか? 争う二つのイメージを知覚する際、とめどないイメージの交替に、私たちはまったく受動的に従っているかのような印象を受ける。しかしこの印象は誤りであり、皮質における闘争の過程では注意が重要な役割を果たす。そもそも、どちらか一方のイメージ、たとえば建物より顔に注意を集中すると、そのイメージはいくぶん長い期間見え続ける。とはいえその効果は弱い。要するに、二つのイメージ間の闘争は、私たちのコントロールが及ばない段階からすでに始まっているのだ。
 しかしより重要なことに、勝者の存在自体は、私たちがそれに注意を向けることに依存する。つまり、戦いの舞台そのものは、意識を持つ心で成り立つ。その証拠に、二つのイメージが提示される場所から注意をそらすと、イメージの闘争は停止する。
 どうしてそれがわかるのか? 気を散らせている人にその状態で今何を見ているかを、もしくは二つのイメージが依然として交互しているかどうかを訪ねても意味はない。答えるためには、その場所に注意を向けねばならないからだ。注意を喚起せずに知覚の程度を見極めようとしても、無益な循環を引き起こすだろう。それは、鏡で自分の目の動きを確かめようとしたときと似ている。疑いなく目は始終動いているが、鏡でそれを確認しようとすれば、まさにその試みによって目は静止してしまう。これまで長いあいだ、注意を喚起せずに両眼視野闘争を調査する試みは、誰もいない森のなかで倒れる木の音や、眠りに落ちたまさにその瞬間の感覚について尋ねるのと同じように、自己矛盾を孕むと見なされてきた。
 しかし、ときに科学は不可能を可能とする。ミネソタ大学のパン・チャンらは、被験者に質問せずにイメージの交替を調査できることに気づいた。二つのイメージが競い合っているか否かを示す脳の徴候を見出しさえすればよいのだ。彼らはすでに、両眼視野闘争が続くあいだ、いずれかのイメージに反応してニューロンが交互に発火することを知っていた。被験者の注意を喚起せずに、それを測定できるだろうか? チャンは、特定のリズムで明滅させることで各イメージを標識づける、「周波数標識法」と呼ばれる技術を用いた。二つの異なる周波数標識は、頭部に装着した電極を通して記録される脳波図によって拾える。両眼視野闘争が続くあいだ、二つの周波数は排除し合う。一方の振動が強ければ、他方は弱い。これは、一時には一つのイメージしか見えない事実を反映する。しかし被験者が注意を欠いているときには、これらの競合は停止し、二つの標識は独立して同時に生じる。注意の欠如は闘争を妨げるのだ。
 純粋な内省を用いた他の実験でも、この結論は確認されている。競い合うイメージから注意を一定期間そらすと、注意を戻したときに知覚されるイメージは、その期間イメージが交替し続けてきた場合に知覚されるはずのものとは異なる。かくして、両眼視野闘争は注意に依存することがわかる。意識的な注意が欠如すると、二つのイメージはともに処理され、競い合わない。両眼視野闘争には、能動的で注意深い観察者が必要なのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第1章 意識の実験,紀伊國屋書店(2015),pp.49-51,高橋洋(訳))
(索引:両眼視野闘争)

意識と脳――思考はいかにコード化されるか


(出典:wikipedia
スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「160億年の進化を経て発達した皮質ニューロンのネットワークが提供する情報処理の豊かさは、現在の私たちの想像の範囲を超える。ニューロンの状態は、部分的に自律的な様態で絶えず変動しており、その人独自の内的世界を作り上げている。ニューロンは、同一の感覚入力が与えられても、その時の気分、目標、記憶などによって異なったあり方で反応する。また、意識の神経コードも脳ごとに異なる。私たちは皆、色、形状、動きなどに関して、神経コードの包括的な一覧を共有するが、それを実現する組織の詳細は、人によって異なる様態で脳を彫琢する、長い発達の過程を通じて築かれる。そしてその過程では、個々シナプスが選択されたり除去されたりしながら、その人独自のパーソナリティーが形成されていく。
 遺伝的な規則、過去の記憶、偶然のできごとが交錯することで形作られる神経コードは、人によって、さらにはそれぞれの瞬間ごとに独自の様相を呈する。その状態の無限とも言える多様性は、環境に結びついていながら、それに支配はされていない内的表象の豊かな世界を生む。痛み、美、欲望、後悔などの主観的な感情は、この動的な光景のもとで、神経活動を通して得られた、一連の安定した状態のパターン(アトラクター)なのである。それは本質的に主観的だ。というのも、脳の動力学は、現在の入力を過去の記憶、未来の目標から成る布地へと織り込み、それを通して生の感覚入力に個人の経験の層を付与するからである。
 それによって出現するのは、「想起された現在」、すなわち残存する記憶と未来の予測によって厚みを増し、常時一人称的な観点を外界に投影する、今ここについてのその人独自の暗号体系(サイファー)だ。これこそが、意識的な心の世界なのである。
 この絶妙な生物機械は、あなたの脳の内部でたった今も作動している。本書を閉じて自己の存在を改めて見つめ直そうとしているこの瞬間にも、点火したニューロンの集合の活動が、文字通りあなたの心を作り上げるのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第7章 意識の未来,紀伊國屋書店(2015),pp.367-368,高橋洋(訳))
(索引:)

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