2018年12月6日木曜日

18.目的意識的な行為も、無数の諸運動が、未知のまま遂行されている。(a)先行する心像は不明確である、(b)意志が制御しているわけではない、(c)現実的な過程は未知のままである、(d)意識による理解は、仮構である。(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900))

目的意識的な行為も、未知のまま遂行される

【目的意識的な行為も、無数の諸運動が、未知のまま遂行されている。(a)先行する心像は不明確である、(b)意志が制御しているわけではない、(c)現実的な過程は未知のままである、(d)意識による理解は、仮構である。(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900))】

(3.1)追加記載。

(1)身体
 (1.1)偉大なことや驚異的な多くのことが、意識なしで成就されている。
 (1.2)多くの組織が同時に働いており、この働きにおける諸々の義務や権利の戦いの調停には、実に多くの繊細さが存在している。
(2)無意識
 意識のうちに入らずに為される多くのことがある。感覚、思考、情動、意欲、想起。
(3)行為
 我々の行為は、根本において比類ない仕方で個人的であり、唯一的であり、あくまでも個性的であることに疑いの余地がない。
 (3.1)目的意識的な行為であっても、無数の個々の運動が、明確に意識されることなく遂行される。
  (a)それらは、私たちには、あらかじめ全く未知のものである。例えば、咀嚼に先行する咀嚼の心像を考えてみること。それは、まったく不明確である。
  (b)これらの諸運動は、意志によってひき起こされるのではない。
  (c)また、これらの諸運動は起こるのだが、私たちには明確には、知られないままである。
  (d)現実的な経過や本質とは別に、私たちの空想は、私たちが「本質」とみなすのを常とする何らかの仮構を対置する。
(4)意識
  意識無しに多くの驚異的なことが成就されていること、また精神的なものの狭量さ、不充分さ、誤謬とを考えると、精神的なものは身体の道具、身体の記号であることがわかる。価値判断や道徳も、再考が必要だ。(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900))
 (4.1)意識は、私たちに最も近いもので、最も親密なものである。しかし、これを身体より重要なものとみなすのは、古い先入観なのではないか。
 (4.2)確かに、精神は最後に発生した器官である。
 (4.3)意識にのぼってくる思考は、意識されない思考の極めて僅少の部分、その最も表面的な部分、最も粗悪な部分にすぎない。
 (4.4)また、精神は何か貧しくて狭いもの、近似的にしか充分でない。精神的なものは、身体の一つの道具であり、身体の記号と見なされるべきものである。
 (4.5)また、この僅かのものが、誤謬へと、また取り違えへと導き、しばしば欠陥のある仕事をする。
 (4.6)人間の精神と行為に関する価値判断や道徳も、この事実に基づいて再考されねばなららない。

 「意識のうちにあって、或る目的意識的な行為に先行するもの、たとえば咀嚼に先行する咀嚼の心像は、まったく不明確である。

そして私がそれを科学的にいっそう正確に規定しても、このことは行為そのものにはなんら影響を与えない。

私たちがそれについてあらかじめ全く何ひとつとして知ってはいない無数の個々の運動が、遂行されるのであり、そして、たとえば舌の《賢明さ》は、総じて《私たちの意識がもつ賢明さ》よりも、はるかに大きいのである。

私は、これらの諸運動が私たちの意志によってひき起こされるということを、否認する。

これらの諸運動は起こるのだが、《私たちには知られないままなのだ》。これらの諸運動の過程をも私たちは、(触覚の、聴覚の、色彩についての視覚の)象徴というかたちで、また個々の部分や契機においてとらえうるだけである―――この過程の本質は、持続する《経過》と同様に、私たちには未知のままなのだ。

《おそらくは空想が》、現実的な経過や本質に、何かを、私たちが本質とみなすのを《常と》するなんらかの《仮構を、対置するであろう》。」

(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『遺稿集・生成の無垢』Ⅰ認識論/自然哲学/人間学 一一二、ニーチェ全集 別巻4 生成の無垢(下)、p.84、[原佑・吉沢伝三郎・1994])
(索引:行為)

生成の無垢〈下〉―ニーチェ全集〈別巻4〉 (ちくま学芸文庫)


(出典:wikipedia
フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「精神も徳も、これまでに百重にもみずからの力を試み、道に迷った。そうだ、人間は一つの試みであった。ああ、多くの無知と迷いが、われわれの身において身体と化しているのだ!
 幾千年の理性だけではなく―――幾千年の狂気もまた、われわれの身において突発する。継承者たることは、危険である。
 今なおわれわれは、一歩また一歩、偶然という巨人と戦っている。そして、これまでのところなお不条理、無意味が、全人類を支配していた。
 きみたちの精神きみたちの徳とが、きみたちによって新しく定立されんことを! それゆえ、きみたちは戦う者であるべきだ! それゆえ、きみたちは創造する者であるべきだ!
 認識しつつ身体はみずからを浄化する。認識をもって試みつつ身体はみずからを高める。認識する者にとって、一切の衝動は聖化される。高められた者にとって、魂は悦ばしくなる。
 医者よ、きみ自身を救え。そうすれば、さらにきみの患者をも救うことになるだろう。自分で自分をいやす者、そういう者を目の当たり見ることこそが、きみの患者にとって最善の救いであらんことを。
 いまだ決して歩み行かれたことのない千の小道がある。生の千の健康があり、生の千の隠れた島々がある。人間と人間の大地とは、依然として汲みつくされておらず、また発見されていない。
 目を覚ましていよ、そして耳を傾けよ、きみら孤独な者たちよ! 未来から、風がひめやかな羽ばたきをして吹いてくる。そして、さとい耳に、よい知らせが告げられる。
 きみら今日の孤独者たちよ、きみら脱退者たちよ、きみたちはいつの日か一つの民族となるであろう。―――そして、この民族からして、超人が〔生ずるであろう〕。
 まことに、大地はいずれ治癒の場所となるであろう! じじつ大地の周辺には、早くも或る新しい香気が漂っている。治癒にききめのある香気が、―――また或る新しい希望が〔漂っている〕!」
(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『このようにツァラトゥストラは語った』第一部、(二二)贈与する徳について、二、ニーチェ全集9 ツァラトゥストラ(上)、pp.138-140、[吉沢伝三郎・1994])

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