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2021年11月16日火曜日

3種類の注意機構が区別される。(a)呼出、(b)指向、(c)実行的注意(マイケル・ポズナー(1936-))

注意

3種類の注意機構が区別される。(a)呼出、(b)指向、(c)実行的注意(マイケル・ポズナー(1936-))

3種類の注意機構

①呼出 (alerting)。いつ注意を向ければよいかを合図し、警戒レベルを調節する。

②指向 (orienting)。何に注意を向ければよいかを合図し、関心の向いた対象を増幅する。

③実行的注意 (executive attention) 注目された情報をどう処理すればよいかを決め、与えられた課題に関連する処理を選び、実行を制御する。














「注意は適切な情報の選択に根本的な役割を演じているので、脳のあちこちの回路に存在する。アメリカの心理学者マイケル・ポズナーは、少なくとも三種類の大きな注意機構を区別する。


呼出 (alerting)。いつ注意を向ければよいかを合図し、警戒レベルを調節する。

②指向 (orienting)。何に注意を向ければよいかを合図し、関心の向いた対象を増幅する。

③実行的注意 (executive attention) 注目された情報をどう処理すればよいかを決め、与えられた課題に関連する処理を選び、実行を制御する。

 以上のシステムは、脳活動を大規模に調節し、そのため学習が進みやすくしうるが、学習を間違った方向に向けることもある。この三点について、一つ一つ検討してみよう。」

(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『脳はこうして学ぶ』,3 学習の四本柱,7章 注意,p.202,森北出版,2021,松浦利輔,中村仁洋)

脳はこうして学ぶ [ スタニスラス・ドゥアンヌ ]






2020年7月7日火曜日

無意識の無数の認知機能が計算した確率的な推論結果からサンプルが抽出されるには、意識的な注意の働きが必要なことが、両眼視野闘争の実験などで示されている。ここには、量子力学の観測と類似の状況があるが、未解明である。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

意識的な注意の働き

【無意識の無数の認知機能が計算した確率的な推論結果からサンプルが抽出されるには、意識的な注意の働きが必要なことが、両眼視野闘争の実験などで示されている。ここには、量子力学の観測と類似の状況があるが、未解明である。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))】

(3.3)追記。

(3)気づきの外での情報選択
 無意識の無数の統計マシンが計算した、感覚データの原因となった外界の確率的な推論結果のうちから、その時点における最善の解釈を抽出して、意識を持ったたった一つの意志決定システムへ引き渡す。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))
 (3.1)入力:無意識の認知作用の確率的な推論結果
  無意識の認知作用は、感覚データの原因となった外界についての確率的な推論結果しか示さない。
 (3.2)出力:最善の解釈サンプルの抽出(全か無かのサンプル)
  あらゆる曖昧さを取り除き、その時点における外界の最善の解釈を抽出して、意思決定システムに受け渡す必要がある。私たちがさらなる決断を下せるよう、あらゆる無意識の可能性を整理して、たった一つの意識的なサンプルが抽出される。
 (3.3)作用の担い手:意識的な注意(精神の能動)
  (a)サンプリングは、意識的な注意の働きなくしては生じない。
  (b)例:両眼視野闘争
   (i)二つのイメージに注意を向けていると、それらは絶えず交互に意識に現われる。
   (ii)注意を別の対象に向けると、両眼視野闘争は停止する。
   (iii)サンプリングによる選択は、意識的な注意が向けられているときにのみ生じるらしい。
  (c)意識的な注意の量子力学における観測装置との類似性
   特定の対象に注意を向ける、まさにその意識の活動によって、さまざまな解釈の確率分布が収縮し、そのなかの一つだけを私たちは知覚する。このように意識の活動は、背後に存在する、無意識の計算の広大な領域のわずかな部分を垣間見せる、選別的な測定装置として機能する。
 (3.4)次の入力先:意識を持ったたった一つの意思決定者
  どんな生物も、確率のみに頼って行動できるわけではない。意識化されたサンプルを用いて、自発的行為のための意思決定を行う。

 「サンプリングは、意識的な注意の働きなくしては生じないという意味で、純粋にコンシャスアクセスの機能と考えられる。両目のおのおのに異なるイメージを提示すると生じる不安定な知覚、両眼視野闘争を考えてみよう。二つのイメージに注意を向けていると、それらは絶えず交互に意識に現われる。感覚入力はあいまいで、かつ固定しているが、私たちは一時にはどちらか一方のイメージにしか気づかないため、絶えず交替するものとしてそれらを知覚する。しかし重要なことに、注意を別の対象に向けると、両眼視野闘争は停止する。どうやらサンプリングによる選択は、意識的な注意が向けられているときにのみ生じるらしい。その結果、無意識のプロセスは意識のプロセスにより客観的になる。というのも、無意識の無数のニューロンが、外界の状況に関して真の確率分布を見積もるのに対し、意識はためらうことなく、それを全か無かのサンプルに還元するからだ。
 このプロセスは、奇しくも量子力学に似た側面がある(ニューロンのメカニズムが、古典力学のみに関係することはほぼ間違いないが)。量子力学によれば、物理的実体は、特定の状態で粒子が見出される確率を決定する波動関数の重ね合わせから構成される。しかし私たちが測定を行うやいなや、この確率は、全か無かの固定された状態へと収縮する。私たちは、半分生きていて半分死んでいるという、有名なシュレーディンガーの猫のような奇妙な混合状態を観察することはない。量子論に従えば、測定の行為それ自体によって、確率はたった一つの個別的な状態へと収縮するのである。脳内でも、類似の現象が起こる。つまり特定の対象に注意を向ける、まさにその意識の活動によって、さまざまな解釈の確率分布が収縮し、そのなかの一つだけを私たちは知覚する。このように意識の活動は、背後に存在する、無意識の計算の広大な領域のわずかな部分を垣間見せる、選別的な測定装置として機能する。
 とはいえ、この魅力的なたとえは、表面的なものにすぎないのかもしれない。量子力学の基盤となる数学が、意識的知覚の問題を扱う認知神経科学に適用できるかどうかは、今後の研究成果を待たねばならない。しかし人間の脳内ではそのような分業が至るところに見られ、無意識のプロセスが並行処理によって迅速な計算を実行する統計マシンであるのに対し、意識が緩慢なサンプリング装置であることは確実に言える。これは視覚のみならず言語の領域にも当てはまる。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第3章 意識は何のためにあるのか?,紀伊國屋書店(2015),pp.140-141,高橋洋(訳))
(索引:意識的な注意の働き,意識,注意,量子力学と意識,両眼視野闘争)

意識と脳――思考はいかにコード化されるか


(出典:wikipedia
スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「160億年の進化を経て発達した皮質ニューロンのネットワークが提供する情報処理の豊かさは、現在の私たちの想像の範囲を超える。ニューロンの状態は、部分的に自律的な様態で絶えず変動しており、その人独自の内的世界を作り上げている。ニューロンは、同一の感覚入力が与えられても、その時の気分、目標、記憶などによって異なったあり方で反応する。また、意識の神経コードも脳ごとに異なる。私たちは皆、色、形状、動きなどに関して、神経コードの包括的な一覧を共有するが、それを実現する組織の詳細は、人によって異なる様態で脳を彫琢する、長い発達の過程を通じて築かれる。そしてその過程では、個々のシナプスが選択されたり除去されたりしながら、その人独自のパーソナリティーが形成されていく。
 遺伝的な規則、過去の記憶、偶然のできごとが交錯することで形作られる神経コードは、人によって、さらにはそれぞれの瞬間ごとに独自の様相を呈する。その状態の無限とも言える多様性は、環境に結びついていながら、それに支配はされていない内的表象の豊かな世界を生む。痛み、美、欲望、後悔などの主観的な感情は、この動的な光景のもとで、神経活動を通して得られた、一連の安定した状態のパターン(アトラクター)なのである。それは本質的に主観的だ。というのも、脳の動力学は、現在の入力を過去の記憶、未来の目標から成る布地へと織り込み、それを通して生の感覚入力に個人の経験の層を付与するからである。
 それによって出現するのは、「想起された現在」、すなわち残存する記憶と未来の予測によって厚みを増し、常時一人称的な観点を外界に投影する、今ここについてのその人独自の暗号体系(サイファー)だ。これこそが、意識的な心の世界なのである。
 この絶妙な生物機械は、あなたの脳の内部でたった今も作動している。本書を閉じて自己の存在を改めて見つめ直そうとしているこの瞬間にも、点火したニューロンの集合の活動が、文字通りあなたの心を作り上げるのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第7章 意識の未来,紀伊國屋書店(2015),pp.367-368,高橋洋(訳))
(索引:)

スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)
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2020年5月16日土曜日

05.同じ場所に、異なる時刻に提示された2つのイメージ間の競合における「注意の瞬き」という現象は、能動的な「注意」の同時処理の限定性とを示す。一時的に意識が飽和することで、イメージを不可視化したのである。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

注意の瞬き

【同じ場所に、異なる時刻に提示された2つのイメージ間の競合における「注意の瞬き」という現象は、能動的な「注意」の同時処理の限定性とを示す。一時的に意識が飽和することで、イメージを不可視化したのである。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))】

(2)追加。

(1)同時に提示された2つのイメージ間の競合
  両眼視野闘争と連続フラッシュ抑制は、十分に知覚できるほど長い時間与えられた視覚イメージであっても、注意によって選択されなければ、意識的経験から完全に排除され得ることを示している。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

 (1.1)両眼視野闘争
  (a)両目のそれぞれに知覚可能なイメージを同時に提示すると、実際には一方のイメージのみが知覚される。
  (b)能動的な注意の存在
   両眼視野闘争は受動的なものだろうか? それとも、意識的に決められるか? 意識的な注意が欠如すると、二つのイメージはともに処理され、競い合わない。両眼視野闘争には、能動的で注意深い観察者が必要なのだ。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))
 (1.2)連続フラッシュ抑制
  二つのイメージのうちの一方を恒久的に視野から消すことができる。これは、他方の目に鮮やかな色の長方形を連続してフラッシュ(一瞬表示させること)すると、そちらのイメージの流れのみが見えるようになる。

(2)同じ場所に、異なる時刻に提示された2つのイメージ間の競合
 (2.1)注意の瞬きという現象
  (a)実験方法
   コンピュータ画面の特定の場所に、一連のシンボルが表示される。シンボルのほとんどは数字だが、なかには文字もあり、被験者は文字を覚えておくように指示される。
  (b)実験結果
   最初の文字は容易に覚えられる。0.5秒後に2番目の文字が出現すると、それも正確に記憶される。しかし、2番目の文字がほとんど間を置かずに出現すると、それはしばしば完全に見落とされる。被験者は一文字しか見ていないと報告し、実際には二つ表示されたことを知らされると驚く。最初の文字に注意を向ける行為は、二番目の文字の知覚を阻害する一時的な「心の瞬き」を生む。
  (c)能動的な注意の存在
   ただ単に受動的に目を向けていると、すべての数字や文字を「見ている」気がする。
 (2.2)無意識的な入力の存在は脳画像法で確認できる
  脳画像法を用いれば、無意識的なものも含めてすべての文字情報が脳に伝達されていることを確認できる。それらはすべて、視覚の初期過程を司る領域に達しており、また奥深くまで到達してターゲットとして分類されていることすらある。
 (2.3)注意の容量の存在、意識の飽和
  (a)注意は、同時に対処できるイメージの数が限定されている。
  (b)ある一つの文字を記憶に登録する処理は、他の文字が不可視になる一時的な期間を作り出すのに十分なほど長時間、意識というリソースを独占するのである。すなわち、一時的に意識を飽和させることで、イメージが不可視化される短い期間を作り出せる。

 「このように、注意は同時に対処できるイメージの数を限定する。この制限はさらに、コンシャスアクセスの最小の対比を変える。いみじくも「注意の瞬き」と呼ばれる方法を用いると、一時的に意識を飽和させることで、イメージが不可視化される短い期間を作り出せる。図5は、この瞬きが生じる典型的な条件を示す。コンピュータ画面の特定の場所に、一連のシンボルが表示される。シンボルのほとんどは数字だが、なかには文字もあり、被験者は後者を覚えておくように指示される。最初の文字は容易に覚えられる。0.5秒後に2番目の文字が出現すると、それも正確に記憶される。しかし、2番目の文字がほとんど間を置かずに出現すると、それはしばしば完全に見落とされる。被験者は一文字しか見ていないと報告し、実際には二つ表示されたことを知らされると驚く。最初の文字に注意を向ける行為は、二番目の文字の知覚を阻害する一時的な「心の瞬き」を生むのだ。
 脳画像法を用いれば、無意識的なものも含めてすべての文字情報が脳に伝達されていることを確認できる。それらはすべて、視覚の初期過程を司る領域に達しており、また奥深くまで到達してターゲットとして分類されていることすらある。かくして脳の一部は、いつターゲットの文字が提示されたかを「知る」。しかし、この知識は何らかの理由で意識にのぼらない。意識的に知覚されるには、文字は、気づきへと登録する処理の段階まで達しなければならない。この登録処理は、極度に限定されるらしい。つまり、いかなる時点でも、一つの情報のみがその過程を通過でき、視野に存在するそれ以外のすべての情報は、知覚されずに取りこぼされる。
 両眼視野闘争は、同時に提示された二つのイメージ間の競合を明らかにする。それに対し注意の瞬きでは、類似の競合が、同じ場所に提示された二つのイメージ間で継時的に生じる。意識の働きはきわめて緩慢なので、ときに画面にイメージが表示される速度についていけなくなる。ただ単に受動的に目を向けていると、すべての数字や文字を「見ている」気がするが、ある一つの文字を記憶に登録する処理は、他の文字が不可視になる一時的な期間を作り出すのに十分なほど長時間、意識というリソースを独占するのである。意識を備えた心の要塞は、心的表象を互いに争わせるほど狭い跳ね橋を、その前面に備えているのだ。こうしてコンシャスアクセスは、入力に対して非常に狭い隘路を課す。」

図5(p.53の図5の説明を参考に、趣旨を変えずに書き換えてある。)

(a)Mは記憶できるが、Tは約30%しか見えない。
397M4T8162
┴┴┴┼┴┼┴┴┴┴ 
   │ │
   200ms

(b)Mは記憶できるが、Tは約30%しか見えない。
397M46T816
┴┴┴┼┴┴┼┴┴┴
   │  │
    300ms

(c)Mは記憶できるが、Tは40~50%しか見えない。
397M462T81
┴┴┴┼┴┴┴┼┴┴
   │400ms │

(d)Mは記憶できる。Tも約70%記憶できる。
397M4624T8
┴┴┴┼┴┴┴┴┼┴
   │500ms  │

(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第1章 意識の実験,紀伊國屋書店(2015),pp.51-52,高橋洋(訳))
(索引:注意の瞬き,意識の飽和,注意,能動的な注意,不可視化)

意識と脳――思考はいかにコード化されるか


(出典:wikipedia
スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「160億年の進化を経て発達した皮質ニューロンのネットワークが提供する情報処理の豊かさは、現在の私たちの想像の範囲を超える。ニューロンの状態は、部分的に自律的な様態で絶えず変動しており、その人独自の内的世界を作り上げている。ニューロンは、同一の感覚入力が与えられても、その時の気分、目標、記憶などによって異なったあり方で反応する。また、意識の神経コードも脳ごとに異なる。私たちは皆、色、形状、動きなどに関して、神経コードの包括的な一覧を共有するが、それを実現する組織の詳細は、人によって異なる様態で脳を彫琢する、長い発達の過程を通じて築かれる。そしてその過程では、個々シナプスが選択されたり除去されたりしながら、その人独自のパーソナリティーが形成されていく。
 遺伝的な規則、過去の記憶、偶然のできごとが交錯することで形作られる神経コードは、人によって、さらにはそれぞれの瞬間ごとに独自の様相を呈する。その状態の無限とも言える多様性は、環境に結びついていながら、それに支配はされていない内的表象の豊かな世界を生む。痛み、美、欲望、後悔などの主観的な感情は、この動的な光景のもとで、神経活動を通して得られた、一連の安定した状態のパターン(アトラクター)なのである。それは本質的に主観的だ。というのも、脳の動力学は、現在の入力を過去の記憶、未来の目標から成る布地へと織り込み、それを通して生の感覚入力に個人の経験の層を付与するからである。
 それによって出現するのは、「想起された現在」、すなわち残存する記憶と未来の予測によって厚みを増し、常時一人称的な観点を外界に投影する、今ここについてのその人独自の暗号体系(サイファー)だ。これこそが、意識的な心の世界なのである。
 この絶妙な生物機械は、あなたの脳の内部でたった今も作動している。本書を閉じて自己の存在を改めて見つめ直そうとしているこの瞬間にも、点火したニューロンの集合の活動が、文字通りあなたの心を作り上げるのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第7章 意識の未来,紀伊國屋書店(2015),pp.367-368,高橋洋(訳))
(索引:)

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2018年8月12日日曜日

02.無数の潜在的な知覚情報と記憶から、まず気づきの外で情報選択がなされ、注意によってある項目が意識にのぼる。特定の一時点においては、一つの意識的な思考のみが可能であるにすぎない。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

意識と、無数の潜在的な情報

【無数の潜在的な知覚情報と記憶から、まず気づきの外で情報選択がなされ、注意によってある項目が意識にのぼる。特定の一時点においては、一つの意識的な思考のみが可能であるにすぎない。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))】

(4)ある項目が意識にのぼり、心がそれを利用できるようになる。私たちは基本的に、特定の一時点をとりあげれば、一つの意識的な思考のみが可能であるにすぎない。それらは、言語システムや、その他の記憶、注意、意図、計画に関するプロセスの対象として利用可能になる。そして、私たちの行動を導く。
 ↑
(3)意識は能力が限られているため、新たな項目にアクセスするには、それまでとらえていた項目から撤退しなければならない。新たな項目は、前意識(preconscious)の状態に置かれ、アクセスは可能であったが、実際にアクセスされていなかったものだ。また、どの対象にアクセスすべきかを選択するのに、注意が意識への門戸として機能する。
 ↑
(2)顕著さの度合い、あるいはそのときの目的に応じて、ほとんどは気づきの外で、必要な情報が選択される。
 ↑
(1)私たちの環境は無数の潜在的な知覚情報に満ちあふれている。同様に、私たちの記憶は、次の瞬間には意識に浮上する可能性がある知識で満たされている。

 「コンシャスアクセスは、はなはだオープンであるとともに、過度に選択的でもある。これは次のような意味だ。コンシャスアクセスの《潜在的な》上演目録は巨大で、人は誰でも、いかなる瞬間にも、注意の焦点を切り替えれば、色、匂い、音、記憶の欠落、感情、戦略、間違い、さらには「意識」という用語の複数の意味にも気づける。間違いを犯せば、《自意識的》にもなる。つまり自分の感情、戦略、間違い、後悔が意識にのぼる。しかし、いついかなる時点でも、意識の《実際の》上演内容は大幅に限定される。私たちは基本的に、特定の一時点をとりあげれば、一つの意識的な思考のみが可能であるにすぎない(とはいえ、文章の意味を考えているときなど、一つの思考は複数の部分から構成される「かたまり」でもあり得る)。
 意識は能力が限られているため、新たな項目にアクセスするには、それまでとらえていた項目から撤退しなければならない。私たちは、読書を数秒間中断することで、足の位置に気づき、ここが痛い、あそこがかゆいなどと感じる。こうしてこれらの知覚は意識される。だが数秒前には、それらは《前意識》(preconscious)の状態に置かれ、アクセスは可能であったが、実際にアクセスされていなかった。つまり無意識の広大な保管庫で眠っていたのだ。これは必ずしも、それらがいかなる処理の対象にもなっていなかったことを意味するわけではない。たとえば、私たちは常時、身体から送られてくるシグナルに反応して無意識のうちに姿勢を変えている。しかしコンシャスアクセスは、心がそれを利用できるようにする。それらは突如として、言語システムや、その他の記憶、注意、意図、計画に関するプロセスの対象として利用可能になるのだ。」(中略)「ジェイムズの定義は、把握可能な多くの思考の断片のなかからただ一つを分離するという、それとは異なる概念を含む。これを「選択的注意」と呼ぼう。いついかなるときにも、私たちの環境は無数の潜在的な知覚情報に満ちあふれている。同様に、私たちの記憶は、次の瞬間には意識に浮上する可能性がある知識で満たされている。このような状況に起因する情報オーバーロード(情報過多のために必要な情報が埋もれてしまい、意思決定が困難になる状態)を回避するために、脳システムの多くは、ある種のフィルターを備える。無数の潜在的な思考のなかでも、私たちが注意と呼ぶ、きわめて複雑なふるいにかけられて選択された、ごく一部のみが意識に到達するにすぎない。脳は不要な情報を容赦なくふるい落とし、顕著さの度合い、あるいはそのときの目的に応じて、たった一つの意識の対象を分離するのだ。そしてこの刺激は増幅され、私たちの行動を導く。
 ならば明らかに、注意の選択的な機能の、すべてではないとしてもほとんどは、気づきの外で機能しているものと考えられる。そもそも、すべての潜在的な思考対象を、まず意識の力で選り分けなければならないとしたら、思考することなど不可能になるだろう。注意のふるいはおもに無意識のうちに作用し、コンシャスアクセスからは分かたれる。もちろん日常生活では、環境はたいがい刺激に満ちているので、どの対象にアクセスすべきかを選択するのに、私たちは十分に注意を払わねばならない。このゆえに、注意はときに、意識への門戸として機能する。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第1章 意識の実験,紀伊國屋書店(2015),pp.36-38,高橋洋(訳))
(索引:意識,前意識,注意)

意識と脳――思考はいかにコード化されるか


(出典:wikipedia
スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「160億年の進化を経て発達した皮質ニューロンのネットワークが提供する情報処理の豊かさは、現在の私たちの想像の範囲を超える。ニューロンの状態は、部分的に自律的な様態で絶えず変動しており、その人独自の内的世界を作り上げている。ニューロンは、同一の感覚入力が与えられても、その時の気分、目標、記憶などによって異なったあり方で反応する。また、意識の神経コードも脳ごとに異なる。私たちは皆、色、形状、動きなどに関して、神経コードの包括的な一覧を共有するが、それを実現する組織の詳細は、人によって異なる様態で脳を彫琢する、長い発達の過程を通じて築かれる。そしてその過程では、個々シナプスが選択されたり除去されたりしながら、その人独自のパーソナリティーが形成されていく。
 遺伝的な規則、過去の記憶、偶然のできごとが交錯することで形作られる神経コードは、人によって、さらにはそれぞれの瞬間ごとに独自の様相を呈する。その状態の無限とも言える多様性は、環境に結びついていながら、それに支配はされていない内的表象の豊かな世界を生む。痛み、美、欲望、後悔などの主観的な感情は、この動的な光景のもとで、神経活動を通して得られた、一連の安定した状態のパターン(アトラクター)なのである。それは本質的に主観的だ。というのも、脳の動力学は、現在の入力を過去の記憶、未来の目標から成る布地へと織り込み、それを通して生の感覚入力に個人の経験の層を付与するからである。
 それによって出現するのは、「想起された現在」、すなわち残存する記憶と未来の予測によって厚みを増し、常時一人称的な観点を外界に投影する、今ここについてのその人独自の暗号体系(サイファー)だ。これこそが、意識的な心の世界なのである。
 この絶妙な生物機械は、あなたの脳の内部でたった今も作動している。本書を閉じて自己の存在を改めて見つめ直そうとしているこの瞬間にも、点火したニューロンの集合の活動が、文字通りあなたの心を作り上げるのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第7章 意識の未来,紀伊國屋書店(2015),pp.367-368,高橋洋(訳))
(索引:)

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ブログサークル

2018年6月14日木曜日

7.意識に関する諸事実:(a)特定脳部位との関係付け。(b)意識、低いレベルの注意、覚醒。(c)意識と情動の非分離性。(d)中核意識、延長意識の区別。(e)中核意識の成立条件。(f)統合的な心的風景について。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

意識に関する諸事実

【意識に関する諸事実:(a)特定脳部位との関係付け。(b)意識、低いレベルの注意、覚醒。(c)意識と情動の非分離性。(d)中核意識、延長意識の区別。(e)中核意識の成立条件。(f)統合的な心的風景について。(アントニオ・ダマシオ(1944-))】
 神経学的観察や神経心理学的実験によって明らかに諸事実。
(a)意識のプロセスのいくつかの側面を、脳の特定の部位やシステムの作用と関係づけることができる。
(b)意識、低いレベルの注意、覚醒は、それぞれ区別できる異なる現象である。
 ・生得的な低いレベルの注意は、意識に先行して存在する。
 ・注意は、意識にとって必要なものだが、十分なものではない。注意と意識とは異なる。
 ・集中的な注意は、意識が生まれてから生じる。
(c)意識と情動は、分離できない。
(d)意識には、いくつかの段階がある。例として、
 ・中核意識(core consciousness):「いま」と「ここ」についての自己感を授けている。
 ・延長意識(extended consciousness):「わたし」という自己感を授け、過去と未来を自覚させる。
(e)中核意識は、言語、記憶、理性、注意、ワーキング・メモリがなくても成立する。
(f)統合的、統一的な心的風景を生み出すことそのものが、意識ではない。統合的、統一的なのは、有機体の単一性の結果である。

 「本書で紹介する考え方の出発点になったものは、神経学的観察や神経心理学的実験によって明らかにされた多くの事実である。

 第一の事実は、意識のプロセスのいくつかの側面を脳の特定の部位やシステムの作用と関係づけることができること。それにより、意識を支える神経構造の発見への扉がいま開かれつつある。」(中略)

「第二の事実は、意識と低いレベルの注意、意識と覚醒は、どちらも分離できるということ。この事実は、例の円形の部屋で男の患者が例証したように、正常な意識がなくても、人は覚醒と注意を維持できるという証拠にもとづいている。」(中略)

「第三の、そしてたぶんもっとも意味深い事実は、意識と情動は分離「できない」ということ。第2章、第3章、第4章で論じるように、通常、意識に障害が起こると情動にも障害が起こる。基本的に、情動と意識の結びつき、そしてそれらと身体との結びつきが、本書の中心テーマである。

 第四の事実は、少なくとも人間において意識は一枚岩的ではないということ。意識は単純なものと複雑なものに分けることが可能であり、神経学的証拠からその分離は明白だ。

私が「中核意識」(core consciousness)と呼ぶもっとも単純な種類の意識は、有機体に一つの瞬間「いま」と一つの場所「ここ」についての自己感を授けている。」(中略)

「他方、私が「延長意識」(extended consciousness)と呼んでいる多くのレベルと段階からなる複雑な種類の意識は、有機体に精巧な自己感――まさに「あなた」、「私」というアイデンティティと人格――を授け、また、生きてきた過去と予期される未来を十分に自覚し、また外界を強く意識しながら、その人格を個人史的な時間の一点に据えている。」(中略)
「第五の事実。意識は言語、記憶、理性、注意、ワーキング・メモリといった他の認知機能で単純に説明されることがよくある。そうした機能は延長意識の最上層が正常に作用するには必要だが、中核意識にはそれらが必要でないことが神経疾患の患者の研究からわかっている。

したがって意識の理論は、単に、言語、記憶、理性が、脳と心の中で進行していることに対する解釈を情報から、どう構築しているのか、というような理論であっては「ならない」。」(中略)

「さらに、意識の理論は単に、脳はどのように対象のイメージに目を向けるか、というような理論であっては「ならない」。

私が見るところ、生得的な低いレベルの注意は意識に先行して存在し、一方、集中的な注意は意識が生まれてから生じる。意識にとって、注意はイメージをもつのと同じぐらい必要なものである。しかし、注意は意識にとって十分なものではないし、意識と同じものでもない。

 最後に、意識の理論は単に、脳はどのようにして統合的、統一的な心的風景を生み出すか、というような理論であっては「ならない」。

もちろん統合的、統一的な心的風景は意識の重要な側面であり、とくに意識の最終レベルではそうである。しかし、そうした風景は孤立して存在するわけではない。それが統合的、統一的であるのはその有機体の単一性「ゆえに」であり、またその単一の有機体の「ために」である。」


(アントニオ・ダマシオ(1944-)『起こっていることの感覚』(日本語名『無意識の脳 自己意識の脳』)第1部 脳と意識の謎、第1章「脳の中の映画」とは何か、pp.35-38、講談社(2003)、田中三彦(訳))
(索引:意識、注意、覚醒、情動、中核意識、延長意識)

無意識の脳 自己意識の脳


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

アントニオ・ダマシオ(1944-)
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