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2019年4月16日火曜日

市場の失敗の矯正には、秩序維持機能を超えた国家介入が必要である。しかし、様々な見解と利害関心を持つ個人と集団の存在と、意思決定権限を委譲された政治家に起因する国家の機能不全は、さらに深刻な問題を発生させる。(ジャコモ・コルネオ(1963-))

国家の機能不全

【市場の失敗の矯正には、秩序維持機能を超えた国家介入が必要である。しかし、様々な見解と利害関心を持つ個人と集団の存在と、意思決定権限を委譲された政治家に起因する国家の機能不全は、さらに深刻な問題を発生させる。(ジャコモ・コルネオ(1963-))】

(1)自由放任主義システム
 (1.1)国家による経済活動を、所有権の保護に限定する。
 (1.2)全ての経済主体が、所有権を自由に扱うことができる。
 (1.3)資源配分は、ほとんどいつも準最適である。(市場の失敗)

  国家
  所有権の保護

  経済主体  経済主体  経済主体
  所有権   所有権   所有権

(2)国家活動を、秩序維持機能を超えて拡張する。
 (2.1)原則的にはより、良い社会的な成果を生み出すことができる。
 (2.2)しかし、国家の機能不全は、社会にとって市場の失敗以上に深刻である。
 (2.3)国家の機能不全を引き起こす2つの原因
  (a)国家内部での利害闘争
   様々な見解と、大きく隔たった利害関心を持つ個人と集団が存在する。
   政治的諸決定は、有益な妥協へと至るために、利害の多様性を考慮しなければならない。
  (b)集団的な意思決定の権限移譲
   政治家が、国家全体の名において決定を行う。
 ┌───────┐
 │憲法     │
 │・個人の不可侵│
 │ の権利の宣言│
 │・合法的な国家│
 │ 介入の範囲 │
 │・統治者の権限│
 │ の制限   │
 └───┬───┘
 ┌───┴──────────┐
 │国家            │
 │秩序維持機能を       │
 │超えた国家活動       │
 │ ├─────┬────┐ │
 │政治家   統治者   司法│
 │意思決定  (行政)    │
 └───┬──────────┘
 ┌───┴─────────────┐
 │経済主体  経済主体  経済主体 │
 │利害・見解 利害・見解 利害・見解│
 └─────────────────┘

 「国家による経済活動を所有権の保護に限定し、全ての経済主体がこれを自由に扱うことができる場合、経済学者はそれを自由放任主義システムと呼ぶ。これは、現実には全く存在したことのない資本主義の一つの特殊な形態である。というのも統治者は、経済的な事柄に介入したがるからである。実際のところ経済理論は、そのような自由放任主義システムの資源配分はほとんどいつも準最適で、原則的には国家による追加的措置によって改善されることを示している。例えば、国家が賢く金融セクターを調整すればマクロ経済的危機を予防するのに役立つ。租税による所得の移転システムは、人々が貧困に陥るのを防ぐ助けになる。特定の財の調達や所得の分配に際して自由放任主義システムがうまくいかなければ、秩序維持機能を超えて国家活動を拡張することで、原則的にはより良い社会的な成果を生み出すことができる。しかしこの点で、現代の政治経済学は警告を発する。国家の機能不全は、社会にとって市場の失敗以上に深刻である。
 こうして、すでに強調した“微妙な接点”にたどり着く。というのも国家の機能不全は、経済と政治の間に存する難しい関係の表れだからである。根本において、これは二つの非常に一般的な国家の特性に還元されうる。
 第一に、国家はただ一つの意志を持った、同じように考える人間の集合体ではない。むしろそれは、様々な見解と、しばしば大きく隔たった利害関心を持つ個人と集団から成り立っている。個人と集団の大多数にかかわる政治的諸決定は、有益な妥協へと至るために利害の多様性を考慮しなければならない。
 第二に、国家の活動にとっても、生産過程の編成から理解される分業の技術的なメリットがある。相応の効率か利益が得られる見込みがあると、ある特定の集団が国家全体の名において決定を行い、この決定が実行される様子の監視を容認するきっかけとなる。この集団の構成員は、政治家と呼ばれる。
 これら二つの特性は、すなわち国家内部での利害闘争と集団的な意思決定の権限移譲は、多かれ少なかれ大部分の住民に多少とも大きな損害を与える危険を、国家権力がつねに自らのうちに秘めていることを暗示している。
 国家の機能不全から身を守るためには、例えばある法規を通じて個人のある権利は不可侵であることを明言することで、統治者の権限を制限する法規を共同体が取り決められる。そこで、独立した憲法裁判所を設置するなどして、実際に統治者が憲法に関する規範に従うように、予防措置がとられなければならない。
 合法的な国家介入の範囲がいったん憲法により定められると、どのように集団的な意思決定が可能になるかという問いが共同体のもとに立ち現れる。一般的に見て、政治的な諸制度は二つのことを成し遂げる必要がある。政治制度はまず、代表が社会の様々な利害を考慮するよう注意するべきであり、また統治者が、他の国民を搾取するために国家を利用しないよう防ぐべきである。問題は、どのような条件のもとであれば、資本主義的な関係のなかでこうした必要がうまく満たされるのかということである。」
(ジャコモ・コルネオ(1963-),『よりよき世界へ』,第1章 哲人の国家の機能不全,pp.14-15,岩波書店(2018),水野忠尚,隠岐-須賀麻衣,隠岐理貴,須賀晃一(訳))
(索引:国家の機能不全,市場の失敗,政治家,自由放任主義)

よりよき世界へ――資本主義に代わりうる経済システムをめぐる旅


(出典:University of Nottingham
ジャコモ・コルネオ(1963-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「私はここで福祉国家の後退について別の解釈を提言したい。その解釈は、資本主義(市場システムと生産手段の私有)は、福祉国家を異物のように破損する傾向があるという仮説に基づいている。福祉国家の発端は、産業労働者の蜂起のような一度限りの歴史的な出来事であった。」(中略)「この解釈は、共同体がこのメカニズムに何も対抗しないならば、福祉国家の摩耗が進行することを暗示している。資本主義は最終的には友好的な仮面を取り去り、本当の顔を表すだろう。資本主義は通常のモードに戻る。つまり、大抵の人間は運命の襲撃と市場の変転に無防備にさらされており、経済的にも社会的にも、不平等は限界知らずに拡大する、というシステムに戻るのである。
 この立場に立つと、福祉国家は、資本主義における安定した成果ではなく、むしろ政治的な協議の舞台で繰り返し勝ち取られなければならないような、構造的なメカニズムである点に注意を向けることができる。そのメカニズムを発見するためには、福祉国家が、政治的意思決定の結果であることを具体的に認識しなければならない。」
(ジャコモ・コルネオ(1963-),『よりよき世界へ』,第11章 福祉国家を備えた市場経済,pp.292-293,岩波書店(2018),水野忠尚,隠岐-須賀麻衣,隠岐理貴,須賀晃一(訳))

ジャコモ・コルネオ(1963-)
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2019年3月29日金曜日

1.(a)不完全な競争、(b)情報の不完全性、非対称性、(c)外部性の働き、(d)リスク市場の非存在によって、市場の失敗が発生する。高い効率性と繁栄のためには、政府による適切な矯正作業が必要である。(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-))

市場の失敗と政府の役割

【(a)不完全な競争、(b)情報の不完全性、非対称性、(c)外部性の働き、(d)リスク市場の非存在によって、市場の失敗が発生する。高い効率性と繁栄のためには、政府による適切な矯正作業が必要である。(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-))】

(1)効率的な市場
 市場において個々人が自己利益を最大化させることで、全体の社会的利益を最大化させることができる。
(2)市場の失敗
 市場は、独力で効率的な結果を生み出せない。すなわち、以下の諸原因により、個々人が社会にもたらす利益と個人的報酬が等しくなくなり、全体の社会的利益を最大化させることができなくなる。
 市場の失敗の原因
 (2.1)競争が不完全なとき。
 (2.2)情報の不完全性や情報の非対称性が存在するとき。
  市場取引に関する情報を、誰かが持っている一方で、他の誰かが持っていない状況。
 (2.3)外部性が働いているとき。
  ひとつの集団の行動によって、正もしくは負の影響が他に及ぶ可能性があるものの、集団が正の影響から利益を得ることも、負の影響の代償を支払うこともない状況。
 (2.4)リスク市場が存在しないとき
  たとえば、直面する重大なリスクの多くに対して、保険をかけることができない状況。
(3)政府の役割
 (3.1)政府は、税金と規制にかんする制度設計を通じて、個人のインセンティブと、社会的利益を同調させる必要がある。
 (3.2)重大な市場の失敗に対して、納得できる矯正作業を政府が行なわないかぎり、経済の繁栄は望めないだろう。
(4)2つの考え方
 (4.1)全体の社会的利益を最大化させようとするには、政府の適切な矯正作業が必要である。
 (4.2)社会に対する貢献以上の個人的報酬を獲得しようとするには、政府の規制は少ないほうが都合がいい。
(5)歴史
 世界大恐慌以降の40年間、すぐれた金融規制によって、アメリカと世界は大きな危機を回避してきた。1980年代に規制が緩和されると、その後の30年間は、危機が立て続けに起きるようになった。

 「アダム・スミス自身も、貢献と報酬に差が出る事態を認識していた。「歓楽が目的であれ気晴らしが目的であれ、同業者たちが一堂に会することはまれだが、このような席では最終的に、一般大衆に対する謀議がまとまったり、価格つり上げの仕組みが案出されたりする」とスミスは述べている。

 多くの場合、市場は独力で望ましい効果的な結果を出せないため、政府は市場の失敗を正す役目を果たさなければならない。

具体的に言えば、税金と規制にかんする制度設計を通じて、個人のインセンティブと社会的利益を同調させるのだ(もちろん、何が最善の方法なのかについては、意見の一致が見られるとは言いがたいが、今日では、金融市場の放任を主張する者も、企業に無制限の略奪をゆるすべきだと信じている者も、ほとんどいない)。

政府がきちんと役目を果たせば、労働者や投資家が得る報酬は、彼らが社会にもたらす利益とひとしくなる。これがひとしくならない状態を、わたしたちは”市場の失敗”と呼ぶ。要するに、市場が効率的な結果を生み出せない状態だ。

 個人的報酬と社会的利益がうまく合致しないのは、次のような場合である。

競争が不完全なとき。

”外部性”が働いているとき(ひとつの集団の行動によって、プラスもしくはマイナスの影響がほかに及ぶ可能性があるものの、集団がプラスの影響から利益を得ることも、マイナスの影響の代償を支払うこともない状況)。

情報の不完全性や情報の非対称性が存在するとき(市場取引にかんする情報を、誰かが持っている一方で、ほかの誰かが持っていない状況)。

リスク市場が存在しないとき(たとえば、直面する重大なリスクの多くに対して、保険をかけることができない状況)。

事実上、すべての市場はこれらの条件を一つや二つは満たしており、市場がおおむね効率的であるという推定はほぼ成り立たない。つまり、このような市場の失敗に対して、政府が矯正を行なう余地はきわめて大きいわけだ。

 市場の失敗を政府が完璧に正すことは不可能だが、他国に比べてこの作業をうまくこなしている国もある。重大な市場の失敗に対して、納得できる矯正作業を政府が行なわないかぎり、経済の繁栄は望めないだろう。

世界大恐慌以降の40年間、すぐれた金融規制によって、アメリカと世界は大きな危機を回避してきた。しかし、1980年代に規制が緩和されると、その後の30年間は、危機が立て続けに起きるようになった。2008年から2009年にかけての世界金融危機は、多数の中のひとつがたまたま最悪になっただけだ。

しかし、このような政府の不首尾は偶然の産物ではない。金融界は持てる政治力を使って、市場の失敗が矯正”されない”ように、業界内の個人的報酬が社会的貢献を大きく上回るように、手段を講じてきたのである。これは、金融界に流れ込む利益をふくらませ、最上層のあいだで高水準の不平等を生じさせる一因となった。」
(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-),『不平等の代価』(日本語書籍名『世界の99%を貧困にする経済』),第2章 レントシーキング経済と不平等な社会のつくり方,pp.78-79,徳間書店(2012),楡井浩一,峯村利哉(訳))
(索引:市場の失敗,政府の役割,効率的な市場)

世界の99%を貧困にする経済


(出典:wikipedia
ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「改革のターゲットは経済ルール
 21世紀のアメリカ経済は、低い賃金と高いレントを特徴として発展してきた。しかし、現在の経済に組み込まれたルールと力学は、常にあきらかなわけではない。所得の伸び悩みと不平等の拡大を氷山と考えてみよう。
 ◎海面上に見える氷山の頂点は、人々が日々経験している不平等だ。少ない給料、不充分な利益、不安な未来。
 ◎海面のすぐ下にあるのは、こういう人々の経験をつくり出す原動力だ。目には見えにくいが、きわめて重要だ。経済を構築し、不平等をつくる法と政策。そこには、不充分な税収しか得られず、長期投資を妨げ、投機と短期的な利益に報いる税制や、企業に説明責任をもたせるための規制や規則施行の手ぬるさや、子どもと労働者を支える法や政策の崩壊などがふくまれる。
 ◎氷山の基部は、現代のあらゆる経済の根底にある世界規模の大きな力だ。たとえばナノテクノロジーやグローバル化、人口動態など。これらは侮れない力だが、たとえ最大級の世界的な動向で、あきらかに経済を形づくっているものであっても、よりよい結果へ向けてつくり替えることはできる。」(中略)「多くの場合、政策立案者や運動家や世論は、氷山の目に見える頂点に対する介入ばかりに注目する。アメリカの政治システムでは、最も脆弱な層に所得を再分配し、最も強大な層の影響力を抑えようという立派な提案は、勤労所得控除の制限や経営幹部の給与の透明化などの控えめな政策に縮小されてしまう。
 さらに政策立案者のなかには、氷山の基部にある力があまりにも圧倒的で制御できないため、あらゆる介入に価値はないと断言する者もいる。グローバル化と人種的偏見、気候変動とテクノロジーは、政策では対処できない外生的な力だというわけだ。」(中略)「こうした敗北主義的な考えが出した結論では、アメリカ経済の基部にある力と闘うことはできない。
 わたしたちの意見はちがう。もし法律やルールや世界的な力に正面から立ち向かわないのなら、できることはほとんどない。本書の前提は、氷山の中央――世界的な力がどのように現われるかを決める中間的な構造――をつくり直せるということだ。
 つまり、労働法コーポレートガバナンス金融規制貿易協定体系化された差別金融政策課税などの専門知識の王国と闘うことで、わたしたちは経済の安定性と機会を最大限に増すことができる。」

  氷山の頂点
  日常的な不平等の経験
  ┌─────────────┐
  │⇒生活していくだけの給料が│
  │ 得られない仕事     │
  │⇒生活費の増大      │
  │⇒深まる不安       │
  └─────────────┘
 経済を構築するルール
 ┌─────────────────┐
 │⇒金融規制とコーポレートガバナンス│
 │⇒税制              │
 │⇒国際貿易および金融協定     │
 │⇒マクロ経済政策         │
 │⇒労働法と労働市場へのアクセス  │
 │⇒体系的な差別          │
 └─────────────────┘
世界規模の大きな力
┌───────────────────┐
│⇒テクノロジー            │
│⇒グローバル化            │
└───────────────────┘

(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-),『アメリカ経済のルールを書き換える』(日本語書籍名『これから始まる「新しい世界経済」の教科書』),序章 不平等な経済システムをくつがえす,pp.46-49,徳間書店(2016),桐谷知未(訳))
(索引:)

ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)
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