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2020年4月16日木曜日

真理には力があり常に迫害に勝つというのは事実ではなく、根拠のない感傷にすぎない。歴史を見ると、何世紀にも渡って圧殺され続けたこともあった。ただし、長年のうちには、必ず同じ真理が再発見される。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))

真理の力

【真理には力があり常に迫害に勝つというのは事実ではなく、根拠のない感傷にすぎない。歴史を見ると、何世紀にも渡って圧殺され続けたこともあった。ただし、長年のうちには、必ず同じ真理が再発見される。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))】

参考:ある意見が間違っており、有害で不道徳で不信仰であると確信しても、その意見を弁護する主張を他人が聞く機会を奪うのであれば、自らの無謬性を想定している。こうして、優れた人物や崇高な教えが抑圧されてきた。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))

 「抑圧しても真理を傷つけることはできないのだから真理の抑圧は正当だとする主張は、新たな真理の受容に頑迷に反対するものだと非難できるものではない。だが、新しい真理を見いだし伝えた功績を人類が感謝すべき人に対して過酷だとはいえる。世界にとって重要な意味をもっているのにそれまで知られていなかった点を発見すること、現世か来世に関するきわめて重要な点でそれまでの見方の間違いを証明することは、個人が人類になしうる貢献のなかで、もっとも重要なものである。そしてたとえば初期のキリスト教徒や宗教改革家の場合には、人類にとりわけ貴重なものを贈った人たちだと、サミュエル・ジョンソンに同意する人は信じている。それほどの利益を人類にもたらした人たちを迫害し、最悪の犯罪者として処刑することが、この主張によれば、人類が粗布をまとい灰をかぶって嘆き悲しむべき間違いでも不運でもなく、正常で正当な事態だというのである。この主張によれば、新たな真理を提唱するものは、古代ギリシャ人がイタリアに築いた植民都市、ロクリの法典で新法の提案者について規定されていたのと同じ扱いを受けることになる。ロクリでは市民の総会で新しい法律を提案するものは、綱を首にまきつけて登場し、理由を聞いた総会がその場で提案を採用しないかぎり、ただちに絞首刑にされると規定されていたのである。真理を伝えた恩人をこのように扱うのが正しいと主張する人が、真理の価値を十分に認めているとは考えにくい。このような見方をする人は、新しい真理は過去には望ましいものだっただろうが、いまでは真理が十分に理解されているので、学ぶべきものはないと考えている人だけだと思われる。
 しかし、真理はつねに迫害に勝つという格言は耳に心地よい嘘のひとつであり、繰り返し語られているうちに決まり文句になってはいるが、事実をみていけばこれが間違いであることがはっきりしている。歴史をみていくと、迫害によって真理が圧殺された例がいくらでもある。二度と主張されなくなるわけではなくても、何世紀にもわたって圧殺されたままになることがある。宗教に関する意見だけをみても、宗教改革はルター以前に少なくとも二十回は起こっており、そのたびに鎮圧されている。」(中略)
 「真理が真理であるからという理由で間違った意見にはない力をもともともっていて、地下牢にも処刑台にも打ち勝てるというのは、根拠のない感傷にすぎない。人は間違った意見に熱意をいだくこともあり、真理に対してそれ以上の熱意をいだくわけではないので、法律による刑罰を十分に活用すれば、そして社会による制裁をうまく使った場合すら、間違った意見であろうが真理であろうが、普及するのを阻止できるのが通常である。真理のもつ強みは違った点にある。ある意見が正しければ、一度や二度、あるいは何度も根絶されても、長年のうちに同じ真理が何度も再発見される。いずれは環境が良い時期に再発見され、迫害を受けることなく大きな勢力になり、その後に抑圧の動きがあっても耐えられるほどになるのである。
 いまの時代には新しい意見を紹介したものを処刑することはなく、昔とは違って預言者を殺すどころか、墓を建てて祭っているという意見もあるだろう。たしかに、異端者を処刑することはなくなった。いまではとりわけ不快な意見でも、人びとがおそらく許容する範囲の処罰は、その意見を圧殺できるほど重いものではない。だが、法律による迫害を受ける心配はなくなったなどと考えるべきではない。意見を罰する法律、少なくとも意見の発表を罰する法律はまだなくなっていない。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『自由論』,第2章 思想と言論の自由,pp.64-68,日経BP(2011), 山岡洋一(訳))
(索引:言論の自由,真理の力)

自由論 (日経BPクラシックス)



(出典:wikipedia
ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「観照の対象となるような事物への知的関心を引き起こすのに十分なほどの精神的教養が文明国家に生まれてきたすべての人に先験的にそなわっていないと考える理由はまったくない。同じように、いかなる人間も自分自身の回りの些細な個人的なことにしかあらゆる感情や配慮を向けることのできない自分本位の利己主義者であるとする本質的な必然性もない。これよりもはるかに優れたものが今日でもごく一般的にみられ、人間という種がどのように作られているかということについて十分な兆候を示している。純粋な私的愛情と公共善に対する心からの関心は、程度の差はあるにしても、きちんと育てられてきた人なら誰でももつことができる。」(中略)「貧困はどのような意味においても苦痛を伴っているが、個人の良識や慎慮と結びついた社会の英知によって完全に絶つことができるだろう。人類の敵のなかでもっとも解決困難なものである病気でさえも優れた肉体的・道徳的教育をほどこし有害な影響を適切に管理することによってその規模をかぎりなく縮小することができるだろうし、科学の進歩は将来この忌まわしい敵をより直接的に克服する希望を与えている。」(中略)「運命が移り変わることやその他この世での境遇について失望することは、主として甚だしく慎慮が欠けていることか、欲がゆきすぎていることか、悪かったり不完全だったりする社会制度の結果である。すなわち、人間の苦悩の主要な源泉はすべて人間が注意を向け努力することによってかなりの程度克服できるし、それらのうち大部分はほとんど完全に克服できるものである。これらを取り除くことは悲しくなるほどに遅々としたものであるが――苦悩の克服が成し遂げられ、この世界が完全にそうなる前に、何世代もの人が姿を消すことになるだろうが――意思と知識さえ不足していなければ、それは容易になされるだろう。とはいえ、この苦痛との戦いに参画するのに十分なほどの知性と寛大さを持っている人ならば誰でも、その役割が小さくて目立たない役割であったとしても、この戦いそれ自体から気高い楽しみを得るだろうし、利己的に振る舞えるという見返りがあったとしても、この楽しみを放棄することに同意しないだろう。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『功利主義』,第2章 功利主義とは何か,集録本:『功利主義論集』,pp.275-277,京都大学学術出版会(2010),川名雄一郎(訳),山本圭一郎(訳))
(索引:)

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