自然との合一
【人間は自然の一部分であって他の諸部分と密接に結合している。だから、もしこの自然がいまとは異なった仕方で創造されていたとしたら、我々の本性もまた、それら創造された事物を理解し得るようなものに創られていたことであろう。(バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677))】「さていま次のように問う人があるかもしれない。もし神が事物を別様に決裁し、現に真であるところのことを偽であるようにしたとすれば、我々はそれでもなおそれを最も真なものとして認めるであろうかどうか、と。[これに対して私は答える]、もし神が我々に与えた本性をそのまま我々に残して置いたとすれば確かにそうなるであろう。しかし、そうした場合でも、神は、もしその気になりさえしたら、神から別様に定められた事物の本性と法則を理解し得るような本性を我々に与える――かつて与えた如く――ことができたであろう。否、もし我々が神の誠実ということを念頭に置く限り、神は必ずそうした本性を与えたに違いない、と。この同じことはまた、我々が先に述べたこと、即ち所産的自然の全体はただ一つの有であるということからも明らかである。というのは、このことからして、人間は自然の一部分であって他の諸部分と密接に結合していねばならぬことになる。従ってさらに神の決裁の単純性ということと併せて考えれば、次の帰結にならざるを得ない、即ち、もし神が事物を異なった仕方で創造したとしたら、神は同時にまた我々の本性をも、神の創造した通りに事物を理解し得るような風に創っていたであろう、と。」
(バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677)『デカルトの哲学原理』形而上学的思想第二部 第九章、p.217、[畠中尚志・1959])
(索引:誠実な神、所産的自然、人間の本性)
![]() |

(出典:wikipedia)

「だから私の志す目的は、このような本性を獲得すること、並びに、私と共々多くの人々にこれを獲得させるように努めることにある。」(中略)「次に、出来るだけ多くの人々が、出来るだけ容易に且つ確実にこの目的へ到達するのに都合よいような社会を形成しなければならない。なお、道徳哲学並びに児童教育学のために努力しなければならない。また健康はこの目的に至るのに大切な手段だから、全医学が整備されなければならない。また技術は多くの難しい事柄を簡単なものにして、我々に、生活における多くの時間と便宜を得させてくれるから、機械学を決してなおざりにしてはならない。」(バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677)『知性改善論』(12)(13)(14)(15)、pp.17-19、岩波文庫(1968)、畠中尚志(訳))
バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677)
スピノザの関連書籍(amazon)

検索(スピノザ)


心理学ランキング