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2018年5月20日日曜日

今まで発見も理解もされなかったことは、将来に向かっても発見も理解もされ得ないことだと思うことは、小心、貧しさ、乏しさを示すだけでなく、僭越かつ傲慢である。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

限りない未知

【今まで発見も理解もされなかったことは、将来に向かっても発見も理解もされ得ないことだと思うことは、小心、貧しさ、乏しさを示すだけでなく、僭越かつ傲慢である。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 「ところが遙かに大きな障害が、小心と、人々の努力が自らに課する仕事の貧しさと乏しさとによって、諸学に持ち込まれてきた。しかも(最も悪いことには)そうした小心は、僭越と傲慢を伴わずには現われないものなのである。」(中略)
 「つまり彼らはその技術が、完全なものと見なされることにのみ心を労し、すなわちこの上なく空しく、かつ見込みのない栄光のために骨を折りつつ、今まで発見も理解もされなかったことは、将来に向かっても発見も理解もされ得ないことだと、信じさせようと腐心しているのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、八八、pp.142-143、[桂寿一・1978])
(索引:学問の不健康な状態、限りない未知)

ノヴム・オルガヌム―新機関 (岩波文庫 青 617-2)



(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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迷信的哲学には、注意せよ。それは、誤謬を神格化し虚影を崇拝し、空想的で大げさで詩的であり、知性の野心にへつらい虜にする、知性の疫病である。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

迷信的哲学

【迷信的哲学には、注意せよ。それは、誤謬を神格化し虚影を崇拝し、空想的で大げさで詩的であり、知性の野心にへつらい虜にする、知性の疫病である。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 迷信的哲学には、注意せよ。それは、空想的で大げさで詩的であり、知性にへつらい虜にする。なぜなら、特に高踏的かつ飛翔的な知能のうちには、意志の野心に劣らぬ知性の野心というものがあるからだ。しかし、誤謬の「神格化」は最悪であり、虚影に崇拝が加わるなら、知性の疫病と見なさなければならない。
 「哲学の戦闘的かつ「詭弁的」な種類も、知性をとりこにするが、かのもう一つの空想的で大げさで、いわば詩的な種類は、いっそう多く知性にへつらうからである。人間には、意志の野心に劣らぬ知性の野心というものが、とくに高踏的かつ飛翔的な、知能のうちにはあるものなのである。」(中略)
 「誤謬の「神格化」は最悪のことであり、もしも虚影に崇拝が加わるなら、知性の疫病と見なさなければならないからである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、六五、pp.105-106、[桂寿一・1978])
(索引:迷信的哲学、劇場のイドラ)

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(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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経験的哲学に注意せよ。それは、数少ない特殊な実験事実をもとに一般的命題を作り、さらに普遍的な原理へと跳躍し、残余のことは原理に合わせて歪められる。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

経験的哲学

【経験的哲学に注意せよ。それは、数少ない特殊な実験事実をもとに一般的命題を作り、さらに普遍的な原理へと跳躍し、残余のことは原理に合わせて歪められる。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 次のような経験的哲学に注意せよ。
(1)数少ない特殊な実験事実をもとに、一般的命題を作る。
(2)そこからさらに、普遍的な、事物の原理へ跳躍する。
(3)残余のことは、その普遍的な原理に合わせて歪められる。
 「ところが哲学の「経験派」は、「詭弁的」もしくは合理的な派よりも、畸形的かつ奇怪な教説を導き出す。なぜならば、それは通俗的な概念の光(この光は薄くかつ皮相的ではあっても、或る意味で普遍的で多くのものに及んでいる)のうちにではなく、数少ない実験の狭さと暗さのうちに、基礎をもっているからである。」(中略)
 「今の時代では、おそらくはギルバートの哲学以外には、他にどこにもほとんど見出されないであろう。だがしかしこの種の哲学の関しては、決して用心が怠られてはならなかった。というのは、我々が心ひそかに予見し予告するところでは、人々がいつかは我々の忠告に目覚め、(詭弁的教説に別れを告げて)真剣に実験に立ち向かうとき、その時になって、知性の早まった性急な軽率と、普遍的なものおよび事物の原理への、跳躍もしくは飛躍とのために、この種の哲学から、大きな危険が迫ってくるようなことが起こるだろうし、この害悪にも今から備えておかねばならないからである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、六四、pp.104-105、[桂寿一・1978])
(索引:経験的哲学、劇場のイドラ)

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(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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詭弁的哲学に注意せよ。それは、まず恣意的な一般的命題を作り、それを正当化するため経験的事実を歪め、相手を説き伏せるために言葉を飾る。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

詭弁的哲学

【詭弁的哲学に注意せよ。それは、まず恣意的な一般的命題を作り、それを正当化するため経験的事実を歪め、相手を説き伏せるために言葉を飾る。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 次のような詭弁的哲学に注意せよ。
(1)まず、一般的な命題を自分の思い通りに作る。
(2)一般的な命題を正当化するために、経験を思いのまま歪める。
(3)物事の真理を記述するというより、どのように答え、言葉に表現するかに気を使う。
 「その他無数のことを、自分の意のままに事物の本性に押しつけた。しかも事物の内的な真理についてよりも、むしろ人が答えるときどのようにして述べるか、また或ることをどのように積極的に言葉に表わすかということに、いつもやきもきしながらである。」(中略)
 「というのは彼はまずもって決定しておいたので、決定や一般命題を構成するために、当然すべきように経験に相談したのではなかった。そうではなくて自分の勝手に決定した後に、経験をば思いのままに歪め、虜囚のようにして引き廻すのだから。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、六三、pp.103-104、[桂寿一・1978])
(索引:詭弁的哲学、劇場のイドラ)

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フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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2018年5月18日金曜日

劇場のイドラ:哲学の様々な教説、論証の誤った諸規則が、まるで架空的で舞台的な世界を作り出す芝居のように、生み出され演ぜられてきた。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

劇場のイドラ

【劇場のイドラ:哲学の様々な教説、論証の誤った諸規則が、まるで架空的で舞台的な世界を作り出す芝居のように、生み出され演ぜられてきた。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 「最後に、哲学のさまざまな教説ならびに論証の誤った諸規則からも、人間の心に入り込んだ「イドラ」があり、これを我々は「劇場のイドラ」と名付ける。なぜならば、哲学説が受け入れられ見出された数だけ、架空的で舞台的な世界を作り出すお芝居が、生み出され演ぜられたと我々は考えるからである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、四四、pp.85-86、[桂寿一・1978])
(索引:劇場のイドラ)

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フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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市場のイドラ:人間を社会的に結合する会話、生活の中で獲得されてきた言葉は、驚くべき仕方で知性の妨げをし、人々を空虚で数知れぬ論争や虚構へと連れ去る。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

市場のイドラ

【市場のイドラ:人間を社会的に結合する会話、生活の中で獲得されてきた言葉は、驚くべき仕方で知性の妨げをし、人々を空虚で数知れぬ論争や虚構へと連れ去る。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 「またいわば人類相互の交わりおよび社会生活から生ずる「イドラ」もあり、これを我々は人間の交渉および交際のゆえに、「市場のイドラ」と称する。人間は会話によって社会的に結合されるが、言葉は庶民の理解することから〔事物に〕付けられる。したがって言葉の悪しくかつ不適当な定めかたは、驚くべき仕方で知性の妨げをする。学者たちが、或る場合に自分を防ぎかつ衛るのを常とするとき使う定義や説明も、決して事態を回復はしない。言葉はたしかに知性に無理を加えすべてを混乱させる、そして人々を空虚で数知れぬ論争や虚構へと連れ去るのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、四三、p.85、[桂寿一・1978])
(索引:市場のイドラ)

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フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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2018年5月16日水曜日

22.洞窟のイドラ:各個人は、受けた教育、談話した人々、読んだ書物、尊敬し嘆賞する人々の権威などに応じて、多様で全く不安定な、いわば偶然的で特殊な性質を、それぞれ持っている。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

洞窟のイドラ

【洞窟のイドラ:各個人は、受けた教育、談話した人々、読んだ書物、尊敬し嘆賞する人々の権威などに応じて、多様で全く不安定な、いわば偶然的で特殊な性質を、それぞれ持っている。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】

 「「洞窟のイドラ」とは人間個人のイドラである。

というのも、各人は(一般的な人間本性の誤りのほかに)洞窟、すなわち自然の光を遮り損う或る個人的なあなを持っているから。すなわち、或は各人に固有の特殊な性質により、或は教育および他人との談話により、或は書物を読むことおよび各人が尊敬し嘆賞する人々の権威により、或はまた、偏見的先入的な心に生ずるか、不偏不動の心に生ずるかに応じての、印象の差異により、或はその他の仕方によってであるが。

したがってたしかに人間の精神とは、(個々の人の素質の差に応じて)多様でそして全く不安定な、いわば偶然的なものなのである。

それゆえにヘラクレイトスが、人々は知識をば〔彼らの〕より小さな世界のうちに求めて、より大きな共通の世界の中に求めない、と言ったのは正しい。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、四二、pp.84-85、[桂寿一・1978])
(索引:洞窟のイドラ)

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フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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21.種族のイドラの一例:宇宙の果ての向こう側とか、永遠の時間とか、無限に可分的な線分とか、限りなく原因を考えること。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

種族のイドラ

【種族のイドラの一例:宇宙の果ての向こう側とか、永遠の時間とか、無限に可分的な線分とか、限りなく原因を考えること。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 種族のイドラの例:人間の知性は静止することができず、常により先に何かがあると考える。このため、世界の究極や極限とか、永遠に関すること、線がどこまでも可分的であるなどと考えるようになる。また、本来は原因を求め得ずそのまま肯定的なものにまで、原因を求めるようになるのも、知性のこの働きによる。

 「人間の知性は絶えずいらいらして、静止もしくは休止することができず、常に先へ進もうとするが、しかし無駄働きなのである。

それゆえに〔知性にとっては〕世界の究極もしくは極限なるものは思惟され得ず、常により先に何かがあるということが、いわば必然的に生ずる。

さらにまた永遠がどのような仕方で、今日まで流れてきたかということも思惟され得ない。」(中略)

「線がどこまでも可分的であるという細かしい理屈も同様であって、思惟の〔止まることの〕不能からくる。

ところが精神のこの不能は、原因を見出してゆく場合に、より大きな災いを伴って障害を与える。

というのは、自然における最も普遍的なものは、それらが見出されるごとく、また実際原因を求め得ないように、本来〔そのままの〕肯定的なものであるべきなのに、人間の知性は止まることを知らずして、なお〔自然に関して〕よりもとのものを求める。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、四八、pp.89-90、[桂寿一・1978])
(索引:種族のイドラ、無限、永遠、原因)

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(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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2018年5月15日火曜日

20.種族のイドラ:人間の知性は、いわば事物の光線に対して平らでない鏡、事物の本性に自分の性質を混じて、これを歪め着色する鏡のごときものである。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

種族のイドラ

【種族のイドラ:人間の知性は、いわば事物の光線に対して平らでない鏡、事物の本性に自分の性質を混じて、これを歪め着色する鏡のごときものである。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】

 「「種族のイドラ」は人間の本性そのもののうちに、そして人間の種族すなわち人類のうちに根ざしている。というのも、人間の感覚が事物の尺度であるという主張は誤っている、それどころか反対に、感官のそれも精神のそれも一切の知覚は、人間に引き合せてのことであって、宇宙〔事物〕から見てのことではない。そして人間の知性は、いわば事物の光線に対して平らでない鏡、事物の本性に自分の性質を混じて、これを歪め着色する鏡のごときものである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、四一、p.84、[桂寿一・1978])
(索引:種族のイドラ)

ノヴム・オルガヌム―新機関 (岩波文庫 青 617-2)



(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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