決着がついた問題は深い眠りにつく
【反論の余地のない段階に達した真理の数と質によって人類の幸福度が測られる。ただし各人は、現実の問題と経験に適用し、その意味を理解する必要がある。また、疑問や論争を大切にする教育の工夫も必要だ。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))】参考:
異論を排除することの害悪
仮に、主流の意見が正しく異論が間違っている場合であっても、異論を排除することは誤りである。なぜか。議論されることなく、根拠薄弱となった意見は、独断的な教条、単なる信念、迷信と区別できなくなる。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))
「一般論として、道徳や宗教でもそうだが、人生の知恵や知識でも、定説になった教えのすべてで同じことがいえる。どの言語で書かれた書物にも、人生とは何か、人生でどのように行動すべきかの両面で、人生についての教訓が大量に書かれている。ところが誰でも知っている教訓、誰でも他人に言い聞かせ、他人にいわれれば自明のこととして受け入れている教訓であっても、たいていの人は現実の問題にぶつかって、それも一般には苦しい思いをしてはじめて、その意味を学ぶ。予想もしなかった不幸や失敗に苦しんでいるとき、よく知っていた格言や常識を思い出し、その意味を前から実感していれば、その問題をうまく避けられただろうにと思うことがいかに多いことか。そうなる理由は、賛成派と反対派の間の議論が欠けている点以外にもある。真理のなかには、個人的に体験して実感しないかぎり、意味を完全には理解できないものがたくさんあるのだ。しかし、そのような真理でも、意味を理解している人たちが賛成と反対の意見をだして議論しているのをよく聞いていれば、意味をもっと理解していただろうし、理解した点がもっと強く印象づけられていただろう。人は疑わしくなくなった点については考えなくなるものだが、これは人間の誤りのうち半分の原因になるほど致命的な欠陥である。「決着がついた問題は深い眠りにつく」と現代のある論者が語っており、まさに至言である。
何という暴論だと言われて、こう反論されるかもしれない。全員が賛成する状況になっていないことが、正しい知識に不可欠な条件だというのか。真理を認識できるようにするには、誤りに固執する人がいることが必要だというのか。世間に受け入れられるようになった信仰は生命力を失うというのか。何の疑問も残らなくなった意見は、十分に理解され実感されることがなくなるというのか。真理はすべての人が受け入れるようになるとすぐに腐りはじめるというのか。ほんとうに重要な真理を人類が一致して認めるようになることこそが、知性を高めていくときの最高の目的であり、最善の結果であると考えられてきたわけだが、この目的を達成するまでの間しか、知性は存続できないというのか。完全な勝利を収めたときには、その結果として勝利の果実が腐るとでもいうのか。
わたしはそのような主張はしていない。人類が進歩するとともに、論争や疑問の対象にならなくなった教えや理論の数は増えつづけていくだろう。人類の幸福度は、反論の余地のない段階に達した真理の数と質によってはかられるといっても、それほど的外れではないほどである。さまざまな意見がつぎつぎに真剣な論争の対象から外れていくことは、意見の一致にかならず伴う現象である。意見が一致していくのは、間違った意見の場合には危険で有害だが、正しい意見の場合には有益である。このようにして意見のばらつきの範囲が徐々に狭まっていくことは、必然という言葉の両方の意味で必然であって、不可避であると同時に不可欠でもあるのだが、だからといってその結果がすべて好ましいものであるはずだと結論づけなければならないわけではない。ある真理をそれに反対する人に説明したり、反論を受けて弁護したりする必要があれば、その真理を知的に活き活きと理解する点で重要な一助となるのだが、このような機会を失うことによる損失は、その真理が広く認められるようになった利点より大きいとはいえないまでも、それほど小さくはないのである。この利点がなくなった場合には、人びとを教育する立場にある人がそれに代わるものを提供するよう努力してほしいと考えている。つまり、反対論の唱道者が考えを改めるように熱心にはたらきかけるかのように、真理への反対意見を学習者に強く印象づける仕組みを作ってほしいと願っている。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『自由論』,第2章 思想と言論の自由,pp.94-97,日経BP(2011), 山岡洋一(訳))
(索引:決着がついた問題は深い眠りにつく)
![]() |

(出典:wikipedia)

(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『功利主義』,第2章 功利主義とは何か,集録本:『功利主義論集』,pp.275-277,京都大学学術出版会(2010),川名雄一郎(訳),山本圭一郎(訳))
(索引:)
ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)
ジョン・スチュアート・ミルの関連書籍(amazon)

検索(ジョン・スチュアート・ミル)
近代社会思想コレクション<京都大学学術出版会