2020年5月7日木曜日

倫理的問題において、第一原理の合意を差し控え、原則のカタログによって解明する方法は、諸原則を批判的検討なしに前提にする。信頼に足る実践的方向づけを示し得る理論には、諸原則の根拠を問う方法が必要だ。(ディーター・ビルンバッハー(1946-))

生命倫理学における再構成的モデルの問題点

【倫理的問題において、第一原理の合意を差し控え、原則のカタログによって解明する方法は、諸原則を批判的検討なしに前提にする。信頼に足る実践的方向づけを示し得る理論には、諸原則の根拠を問う方法が必要だ。(ディーター・ビルンバッハー(1946-))】

(再掲)

生命倫理学における再構成的モデルの利点と欠点
 倫理的問題において、第一原理の合意を差し控え、複数の原則が衝突し合う構造を解明しようとする方法は、ある程度の合意形成が可能という利点があるが、問題解決への要求を抑制し、十分な解決を与え得ない。(ディーター・ビルンバッハー(1946-))
(1)利点
 (a)規範および規範適用における中程度のレベルでは合意形成が可能になる。
  (i)差し迫った道徳的現実問題の解決が、学術的な理論問題の解決に左右されることがない。根拠づけに関する倫理学的な議論、すなわち第一原則について合意が成立する場合は、はるかに少ない。
  (ii)かといって、純然たる手続き上の解決に委託されてしまうこともない。
 (b)複数の原則間の衝突が明確にわかる。
  (i)原則のカタログの方が、唯一の実質的または手続き上の原理を前提とするような倫理学に比べて、実際の道徳上の紛争における規範構造を、より分かりやすく示すことができる。
  (ii)最も頻繁に見られる規範の衝突は、同一状況に関連のある複数の原則に対して、さまざまに異なった重みづけをすることから生じる衝突である。
(2)欠点
 (a)問題解決への要求を抑制してしまう。
 (b)実践の場で生じるほとんどすべての道徳上の決定問題に、十分な解決を与えない。
 (c)原則の解釈と重みづけが様々に異なることから、最終的な判断を、個々人の判断力に委託してしまう。
 「再構成的モデルに関わる一般的な方法論上の問題は、純然たる再構成的な倫理学が内発的に、みずからの今後の進展や新たな問題状況への適応を決定するのではなく、ここでもまた、さまざまに異なった拡張、適応および新解釈を容認する、という点にある。つまり、そうすることによって、再構成的な倫理学は、現行の規範が不完全であったり不確実であったりするために方向づけが至急必要とされているまさにその分野で、その方向づけ機能を失うことになるのである。
 再構成的モデルが直面している、いま言及したばかりのこの実践問題は、再構成的モデルにとって中心的な理論問題の所在を示唆している。私自身の考えでは、この理論問題こそが、最も重大かつ影響範囲の大きい問題なのである。再構成の対象となるのは、いつでも、現代の一般に通用している道徳であるか、または、過去あるいは遠い過去の時代に通用していた道徳だけである。このような道徳を将来の問題に応用するとしたら、実用的な観点から〔この道徳の適否〕を思量する場合を別として、そこには、どのような正当化理由があるだろうか。道徳を規範倫理のために基準として役立てることを、どのような理由が正当化するのだろうか。むしろ、生命倫理学を含む倫理学の担うべき役割は、ただ現に通用している道徳に原則を当てはめるだけではなく、この道徳を丹念に吟味することではないだろうか。もしも、再構成的モデルの倫理学が、現在有力な原則の根拠をそれ以上問うことをせず、そうした原則が批判的検討を免れることになれば、この現在有力な原則が、全然根拠のないまま優位を占めることにはならないだろうか。道徳の内容は結局のところ歴史的状況に依存しているのに、方法論上の決定次第では、何の根拠も示されないままに権威が認められることにならないだろうか。
 生命倫理学で再構成的な倫理学モデルを利用することについては、それを支持する実用的な理由として、特に、決断を迫られる状況下での合意形成という理由が考えらえるかもしれない。しかしながら、実践的観点でも理論的観点でも満足が得られるのは、結局のところ第二の典型的な倫理学モデル、すなわち基礎づけ倫理学だけである。ただ基礎づけ倫理学だけが、信頼に足る実践的な方向づけ、およびその可能なかぎり包括的な理論的立証への要求に十分応えることができるのである。」
(ディーター・ビルンバッハー(1946-),アンドレアス・クールマン序文,『生命倫理学:自然と利害関心の間』,第1部 生命倫理学の根本問題,第1章 どのような倫理学が生命倫理学として役に立つのか,3 再構成的モデルの利点と欠点,pp.49-50,法政大学出版局(2018),加藤泰史(翻訳),高畑祐人(翻訳),中澤武(監訳),山蔦真之)
(索引:生命倫理学,再構成的モデル,第一原理,倫理的原則,基礎づけ倫理学)

生命倫理学: 自然と利害関心の間 (叢書・ウニベルシタス)


(出典:dieter-birnbacher.de
ディーター・ビルンバッハー(1946-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「ウィトゲンシュタインは、根拠には終わりがあり、根拠づけられた信念の根底には「根拠づけられていない信念」がある、と言っている。われわれもまた、他でもない倫理学において、すぐにウィトゲンシュタインと同じことを言わなければならない地点に到達せざるをえないのではないだろうか。
 ここで一つの重要な区別をしておく必要がある。それは、強制力のある根拠と蓋然性による根拠の区別である。強制力のある根拠の場合には、理性的に思考する者ならば選択の余地がない。」(中略)
 「そもそも、倫理学に強制力のある根拠が在りうるだろうか。私は、在ると思う。しかも、道徳という概念の意味論から導き出される条件、つまり、ある原則に付与された「道徳的」原則という標識と概念分析的に結び付いている、メタ倫理学的規範の総体から導き出される条件、たとえば、論理的普遍性という条件および普遍的妥当性の主張を考慮したうえで、〔倫理学には強制力のある根拠が〕在ると思うのである。必要な論理的普遍性を示していないか、あるいは、信頼に足る仕方で普遍的妥当性要求を申し立てないような原則を道徳的原則と認めることは全然できない、という強制力をもった議論は可能なのである。」
(ディーター・ビルンバッハー(1946-),アンドレアス・クールマン序文,『生命倫理学:自然と利害関心の間』,第1部 生命倫理学の根本問題,第1章 どのような倫理学が生命倫理学として役に立つのか,4 基礎づけモデル――原則の根拠づけおよび原則の応用,pp.50-51,法政大学出版局(2018),加藤泰史(翻訳),高畑祐人(翻訳),中澤武(監訳),山蔦真之)
(索引:)

ディーター・ビルンバッハー(1946-)
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基礎的な思想、枠組み思考は、社会的構築物であり、諸個人の世界観と、政策決定の過程とを通じて深刻で現実的な影響を及ぼす。新たな状況や事実により変化し得るが、社会的背景が基盤にあるため、たいてい遅い。(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-))

基礎的な思想、枠組み思考

【基礎的な思想、枠組み思考は、社会的構築物であり、諸個人の世界観と、政策決定の過程とを通じて深刻で現実的な影響を及ぼす。新たな状況や事実による変化し得るが、社会的背景が基盤にあるため、たいてい遅い。(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-))】

(2)基礎的な思想、枠組み思考とは何か
 (2.1)思想は、社会的構築物である
  (a)社会的構築物
   思想や認識は、社会的構築物である。わたしがある信念を持ちたいと思うのは、ほかの人々が同じような信念を持っていることと関係している。
  (b)個人の思想が変わりにくい理由
   ほとんどの個人は、その証拠を自分で検証したりはしない。また、時間があったとしても、証拠を評価する能力をそなえている人はほとんどいない。
  (c)思想の社会的背景
   信念の社会的背景は決定的な意味を持つ。異なるグループのあいだに交流がほとんどなかったら、現実についての認識も異なってしまう。
 (2.2)思想は、現実的な影響を及ぼす
  (a)世界の見方への影響
   社会で築き上げられた思想と認識の一部は、私たちが世界を見るときにかける眼鏡のレンズとなる。
  (b)政策決定への影響
   これらの“思想”は、政策決定の過程を通じて、現実的な影響を及ぼし、その帰結が尾を引くこともある。
   参考: 公共政策では、市場や国家や市民社会の役割のような、重要で基礎的な思想をめぐって論争される。なぜなら、この大きな枠組みが個別の認識と、特別な利害関係を考慮した現実的政策に影響を与えるからである。(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-))
 (2.3)思想の変化は、たいていゆっくり生じる
  (a)思想が、社会的構築物であることから、ほとんどの場合、社会的変化と信念の変化はゆっくりと生じる。
  (b)変化は理想の速度よりも遅く進むことが多い。そして、思想の変化が遅いことが、ときに社会の変化を遅くする要因のひとつになる。
 (2.4)思想の変化が生じるとき
  (a)ただし、知の分野や現実から別の流れが押し寄せて知的均衡を乱すと、状況が変わる。
  (b)なんらかの理由で、じゅうぶんな数の人が特定の考えかたに魅力を感じると、転換点が訪れるのかもしれない。

 「変化を起こす力を持つ思想もあるが、ほとんどの場合、社会的変化と信念の変化はゆっくりと生じる。ときには、思想と社会の変化の速さがずれてくる。信念と現実の相違がびっくりするほど大きいので、思想を――あるいは社会の変化を――再考せざるをえないときもある。
 変化は理想の速度よりも遅く進むことが多い。そして、思想の変化が遅いことが、ときに社会の変化を遅くする要因のひとつになる。1776年の独立宣言で、すべての人間は平等に作られているという原則が明確に述べられたかもしれないが、アメリカがこの原則を取り入れた市民権法を制定するのは2世紀ほどあとのことであり、完全な平等はいまだに実現されていない。
 思想の変化が遅い理由のひとつは、思想や認識が社会的構築物だという点にある。わたしがある信念を持ちたいと思うのは、ほかの人々が同じような信念を持っていることと関係している。国内や世界を旅すると、特定の思想――政府は必然的に非効率的だとか、政府が不況を引き起こしたとか、地球温暖化は捏造だとか――が一般通念になっているところもあれば、それとは正反対の思想が“真実”であると受け入れられているところもある。ほとんどの個人はその証拠を自分で検証したりはしない。時間があったとしても、地球温暖化にかんする証拠を評価する能力をそなえている人はほとんどいないからだ。しかし、自分たちが会話を交わし、信頼している他人が同じ信念を持っていれば、自分たちは正しいという確信が強まるだろう。
 このように社会で築き上げられた思想と認識の一部は、わたしたちが世界を見るときにかける眼鏡のレンズとなる。人種や身分などのカテゴリーが問題となる社会もあれば、ならない社会もある。しかし、すでに触れたように、これらの“思想”には現実の帰結が伴い、その帰結が尾を引くこともある。
 ある科学者たちが特定の信念に“はまってしまう”ことがあり、そういう場合、各個人は、ほかのじゅうぶんな数の科学者が信念を変えた場合にだけ信念を変える。しかし、大体は、自分以外の全員が信念を変えないかぎり、その特定の信念にはまったままだろう。
 信念と認識は社会的構築物であるという考えは、社会的信念がときにはかなりすばやく変化することを理解するのにも役立つ。なんらかの理由で、じゅうぶんな数の人が特定の考えかたに魅力を感じると、転換点が訪れるのかもしれない。その思想は新しい一般通念となる。その場合、たとえば人種によるちがいという考えが、証明すべき概念から論駁すべき概念に移行する。あるいは、信念そのものになんらかのスイッチがあって、たとえば不平等は市場経済が機能するために必要だという考えが、現代アメリカの不平等のレベルはアメリカ経済と社会の機能をそこなっているという信念へと変化するかもしれない。新しい思想は一般通念の一部となるが、ただし、知の分野や現実から別の流れが押し寄せて知的均衡を乱すと、状況が変わる。
 信念の社会的背景は決定的な意味を持つ。異なるグループのあいだに交流がほとんどなかったら、現実についての認識も異なってしまう。同じことは、合法性や不平等の大きさについての議論にも言える。一部のグループ(豊かなグループも貧しいグループもふくまれる)では、豊かな人々は主にみずからの勤勉さによって富を獲得してきたのであって、他人の貢献や幸運はささいな役割を果たしているにすぎないと信じられている。別のグループは、まったく正反対の信念を持っている。もっともなことながら、これらのグループは税制政策についても異なる見解を持っている。もしある個人がいま持っているものは自分の努力のみによって得た成果だと信じていたら、その人はあまり努力しないことをみずから選んだと思われる他人と、自分の富を分かち合おうとは思わないだろう。逆に、もしある個人が、自分の成功は主に幸運のおかげだとみなしていたら、その幸運がもたらしてくれた財産を進んで分ち合おうとするだろう。」
(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-),『不平等の代価』(日本語書籍名『世界の99%を貧困にする経済』),第6章 大衆の認識はどのように操作されるか,pp.238-240,徳間書店(2012),楡井浩一,峯村利哉(訳))
(索引:基礎的な思想,枠組み思考,社会的構築物,世界観,政策決定,社会的背景)

世界の99%を貧困にする経済


(出典:wikipedia
ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「改革のターゲットは経済ルール
 21世紀のアメリカ経済は、低い賃金と高いレントを特徴として発展してきた。しかし、現在の経済に組み込まれたルールと力学は、常にあきらかなわけではない。所得の伸び悩みと不平等の拡大を氷山と考えてみよう。
 ◎海面上に見える氷山の頂点は、人々が日々経験している不平等だ。少ない給料、不充分な利益、不安な未来。
 ◎海面のすぐ下にあるのは、こういう人々の経験をつくり出す原動力だ。目には見えにくいが、きわめて重要だ。経済を構築し、不平等をつくる法と政策。そこには、不充分な税収しか得られず、長期投資を妨げ、投機と短期的な利益に報いる税制や、企業に説明責任をもたせるための規制や規則施行の手ぬるさや、子どもと労働者を支える法や政策の崩壊などがふくまれる。
 ◎氷山の基部は、現代のあらゆる経済の根底にある世界規模の大きな力だ。たとえばナノテクノロジーやグローバル化、人口動態など。これらは侮れない力だが、たとえ最大級の世界的な動向で、あきらかに経済を形づくっているものであっても、よりよい結果へ向けてつくり替えることはできる。」(中略)「多くの場合、政策立案者や運動家や世論は、氷山の目に見える頂点に対する介入ばかりに注目する。アメリカの政治システムでは、最も脆弱な層に所得を再分配し、最も強大な層の影響力を抑えようという立派な提案は、勤労所得控除の制限や経営幹部の給与の透明化などの控えめな政策に縮小されてしまう。
 さらに政策立案者のなかには、氷山の基部にある力があまりにも圧倒的で制御できないため、あらゆる介入に価値はないと断言する者もいる。グローバル化と人種的偏見、気候変動とテクノロジーは、政策では対処できない外生的な力だというわけだ。」(中略)「こうした敗北主義的な考えが出した結論では、アメリカ経済の基部にある力と闘うことはできない。
 わたしたちの意見はちがう。もし法律やルールや世界的な力に正面から立ち向かわないのなら、できることはほとんどない。本書の前提は、氷山の中央――世界的な力がどのように現われるかを決める中間的な構造――をつくり直せるということだ。
 つまり、労働法コーポレートガバナンス金融規制貿易協定体系化された差別金融政策課税などの専門知識の王国と闘うことで、わたしたちは経済の安定性と機会を最大限に増すことができる。」

  氷山の頂点
  日常的な不平等の経験
  ┌─────────────┐
  │⇒生活していくだけの給料が│
  │ 得られない仕事     │
  │⇒生活費の増大      │
  │⇒深まる不安       │
  └─────────────┘
 経済を構築するルール
 ┌─────────────────┐
 │⇒金融規制とコーポレートガバナンス│
 │⇒税制              │
 │⇒国際貿易および金融協定     │
 │⇒マクロ経済政策         │
 │⇒労働法と労働市場へのアクセス  │
 │⇒体系的な差別          │
 └─────────────────┘
世界規模の大きな力
┌───────────────────┐
│⇒テクノロジー            │
│⇒グローバル化            │
└───────────────────┘

(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-),『アメリカ経済のルールを書き換える』(日本語書籍名『これから始まる「新しい世界経済」の教科書』),序章 不平等な経済システムをくつがえす,pp.46-49,徳間書店(2016),桐谷知未(訳))
(索引:)

ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)
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憲法、制定法、あらゆる先例を整合的に正当化し得る原理の体系は、政治哲学、道徳哲学、様々な争点に関する判断を含み、裁判官や法学者ごとに不可避的に異なり、より具体的な階層の法理論に影響を及ぼす。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))

憲法理論

【憲法、制定法、あらゆる先例を整合的に正当化し得る原理の体系は、政治哲学、道徳哲学、様々な争点に関する判断を含み、裁判官や法学者ごとに不可避的に異なり、より具体的な階層の法理論に影響を及ぼす。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))】

(3.4)追加。

(3)立法趣旨とコモン・ローの原理
  裁判官は、制定法の立法趣旨、および判例法の基礎に存在するコモン・ローの原理、すなわち政治的権利を根拠に難解な事案を解決し、法的権利を確定する。法的権利は、政治的権利のある種の函数と言えよう。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))
 (3.1)立法趣旨
  ある特定の制定法ないしは制定法上の条項の「意図」ないし「趣旨」
  (a)権利は、制定法により創出される。
  (b)特定の制定法により、如何なる権利が創造されたかが問題となる難解な事案が発生する。
 (3.2)コモン・ローの原理
  判例法上の実定的法準則の「基礎に存し」、あるいはそれへと「埋め込まれた」原理
  (a)「同様の事例は、同様に判決されるべし」とする原理。
  (b)一般的法理が具体的に如何なる判決を要請するかが不明確な難解な事案が発生する。
 (3.3)難解な事案において、立法趣旨、コモン・ローの原理が果たしている機能
  (a)制定法は、法的権利を創出し消滅させる一般的な権能を有する。
  (b)裁判官は、判例法上の実定的法準則に従う義務が一般的に存在する。
  (c)政治的権利は、立法趣旨、コモン・ローの原理として表現される。
  (d)如何なる法的権利が存在するか、如何なる判決が要請されるかが不明確な、難解な事案が発生する。
  (e)裁判官は、立法趣旨およびコモン・ローの原理を拠り所として、自らに認められている自律性を受容し、難解な事案を解決する。
    難解な事案を解決するとき、裁判官たちの感ずる拘束を表現する比喩の例:「法全体に内在する新たな法準則」「法の内在的論理に拘束力を持たせる」「法にはそれ固有のある種の生命が認められる」(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))
   (i)裁判官たちは、以前の判決の効力の内実につき意見を異にする場合でさえ、その判決に牽引力が認められることについては意見が一致している。
   (ii)裁判官たちは、新たな法を創造していると自覚するときでさえ感ずる拘束を、次のような比喩で表現する。「法全体に内在する新たな法準則」「法の内在的論理に拘束力を持たせる」「裁判官は、法それ自体が純粋に作用するための機関である」「法にはそれ固有のある種の生命が認められる」。
  (f)したがって法的権利は、政治的権利のある種の函数として定義されることになる。

立法趣旨  コモン・ロー……政治的権利
 │    の原理      │
 ↓      ↓      │
制定法   判例法上の    │
 │    実定的法準則   │
 ↓      ↓      ↓
個別の権利 個別の判決………法的権利

 (3.4)憲法、制定法、あらゆる先例を整合的に正当化し得る原理の体系
  憲法、制定法、あらゆる先例を整合的に正当化し得る原理の体系は、政治哲学、道徳哲学、様々な争点に関する判断を含み、裁判官や法学者ごとに不可避的に異なり、より具体的な階層の法理論に影響を及ぼす。
  (3.4.1)垂直的な配列関係
   (a)憲法、最高裁判所やその他の裁判所の判決、種々の立法府の制定法といった配列関係である。
   (b)憲法理論は、政治哲学や道徳哲学に関する判断を含む。
   (c)憲法理論は、制度的適合性に関する複雑な争点についての判断を要求する。
   (d)憲法理論は、裁判官によって不可避的に異なったものになる。
   (e)垂直的な配列関係の高いレベルで認められるこれらの差異は、低いレヴェルで各裁判官が提出する理論体系に相当程度の影響力を及ぼすことになろう。
  (3.4.2)水平的な配列関係
   単にあるレヴェルでの判決を正当化すると解された諸原理が、同じレヴェルでの他の判決に与えられる正当化とも矛盾すべきでないことを要請する。

 「いまやなぜ私が、我々の裁判官をハーキュリーズと呼んだかがおわかりであろう。彼はあらゆるコモン・ロー上の先例に対して、そして原理により正当化されうるかぎりで憲法更には制定法上の規定に対しても整合的な正当化を提供する抽象的かつ具体的な原理の体系を構成しなければならない。我々はハーキュリーズが正当化しなければならない判例の膨大な資料の中で、垂直的な配列関係と水平的な配列関係を区別することによって、この企ての大きさを把握することができる。垂直的な配列関係は権限の上下関係、すなわち公的な決定が下級レヴェルでなされた決定に対し規制力を有すると考えられるような上下関係を区別することによって与えられる。アメリカ合衆国においては垂直的な配列関係の大雑把な性格を明白に把握することができる。憲法的構成が最も高いレヴェルを占め、次にはその構造を解釈する最高裁判所やおそらくその他の裁判所の判決、次には種々の立法府の制定法、そしてこの下にコモン・ローを発展させる様々な裁判所の判決がそれぞれ異なったレヴェルを占めることになる。ハーキュリーズはこれらのレヴェルの各々の段階で原理による正当化を組み立てねばならず、しかもこの場合、この正当化は、より高いレヴェルの正当化を与えると解される諸原理と矛盾しないものでなければならない。これに対し、水平的な配列関係は、単にあるレヴェルでの判決を正当化すると解された諸原理が同じレヴェルでの他の判決に与えられる正当化とも矛盾すべきでないことを要請する。
 さて、ハーキュリーズが彼の卓越した技量を利用して、予めこの完全な原理の体系を構築することを意図し、もしある特定の判決を正当化するために必要とあれば、この法理論をもって訴訟当事者に立ち向かおうとしたと想定してみよう。彼は垂直的な配列関係に従って、先ず、それまでに彼が用いてきた憲法理論を提示し、それを更に詳述することから始めるであろう。その憲法理論は他の裁判官が展開する理論とは多かれ少なかれ異なっているかもしれない。というのも、憲法理論は政治哲学や道徳哲学に関する判断と同時に、制度的適合性に関する複雑な争点についての判断をも要求し、したがってハーキュリーズの判断は不可避的に他の裁判官が行う判断とは異なったものになるからである。垂直的な配列関係の高いレベルで認められるこれらの差異は、低いレヴェルで各裁判官が提出する理論体系に相当程度の影響力を及ぼすことになろう。」
(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013),『権利論』,第3章 難解な事案,5 法的権利,B コモン・ロー,木鐸社(2003),pp.145-146,木下毅(訳),野坂泰司(訳),小林公(訳))
(索引:憲法理論,憲法,先例,制定法,政治哲学,道徳哲学,争点,法理論)

権利論


(出典:wikipedia
ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013)の命題集(Propositions of great philosophers)  「法的義務に関するこの見解を我々が受け容れ得るためには、これに先立ち多くの問題に対する解答が与えられなければならない。いかなる承認のルールも存在せず、またこれと同様の意義を有するいかなる法のテストも存在しない場合、我々はこれに対処すべく、どの原理をどの程度顧慮すべきかにつきいかにして判定を下すことができるのだろうか。ある論拠が他の論拠より有力であることを我々はいかにして決定しうるのか。もし法的義務がこの種の論証されえない判断に基礎を置くのであれば、なぜこの判断が、一方当事者に法的義務を認める判決を正当化しうるのか。義務に関するこの見解は、法律家や裁判官や一般の人々のものの観方と合致しているか。そしてまたこの見解は、道徳的義務についての我々の態度と矛盾してはいないか。また上記の分析は、法の本質に関する古典的な法理論上の難問を取り扱う際に我々の助けとなりうるだろうか。
 確かにこれらは我々が取り組まねばならぬ問題である。しかし問題の所在を指摘するだけでも、法実証主義が寄与したこと以上のものを我々に約束してくれる。法実証主義は、まさに自らの主張の故に、我々を困惑させ我々に様々な法理論の検討を促すこれら難解な事案を前にして立ち止まってしまうのである。これらの難解な事案を理解しようとするとき、実証主義者は自由裁量論へと我々を向かわせるのであるが、この理論は何の解決も与えず何も語ってはくれない。法を法準則の体系とみなす実証主義的な観方が我々の想像力に対し執拗な支配力を及ぼすのは、おそらくそのきわめて単純明快な性格によるのであろう。法準則のこのようなモデルから身を振り離すことができれば、我々は我々自身の法的実践の複雑で精緻な性格にもっと忠実なモデルを構築することができると思われる。」
(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013),『権利論』,第1章 ルールのモデルⅠ,6 承認のルール,木鐸社(2003),pp.45-46,木下毅(訳),野坂泰司(訳),小林公(訳))

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