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2022年3月28日月曜日

自己存在は、両親や祖先、社会や国家のおかげであり負債を負っていると説かれるが、事実は、全ての文化的遺産、人類全体、自然、全宇宙が必要だったのであり、負債を返済し自律を構想すること自体が、とんでもない思いあがりである。仮に無限の負債を仮想しても返済方法は各個人の選択に任されている。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))

無限の負債と個人の自由

自己存在は、両親や祖先、社会や国家のおかげであり負債を負っていると説かれるが、事実は、全ての文化的遺産、人類全体、自然、全宇宙が必要だったのであり、負債を返済し自律を構想すること自体が、とんでもない思いあがりである。仮に無限の負債を仮想しても返済方法は各個人の選択に任されている。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))




(a)存在する全てに対して負債を構想すること自体が、とんでもない思いあがり
 私たちの罪責性(guilt)は、宇宙に対する負債を 返済できないことによるものではない。私たちの罪責性とは、〈存在する全て、または これまで存在してきた全て〉と、いかなる意味であれ同等のものと考えるほど思い上がっているため、そもそもそのような負債を構想できてしまうことにあるのだ。  
(b)仮に無限の負債を仮想しても返済方法は各個人の選択に任されている
 人はみな人類、社会、自然または宇宙に対して無限 の負債を負っているが、自分以外の別の誰かが支払い方法を指示できるわけではない。人間の自由とは、返済方法をどうしたいかを自分自身 で決定する私たちの能力ということになる。
(c) 宗教、道徳、政治、経済、刑事司法体制の欺瞞
 確立された権威の システムのほとんどすべて、宗教、道徳、政治、経済、刑事司法体制は、それぞれ異なる欺瞞の方法である。それらは計算不可能なものを計算できるとうそぶき、制約なき負債のうちのあれこれの部分をかくかくしかじかのように返済せよと指令する権限を詐称するにすぎないのだ。


「このように整理してみると、議論が前提そのものをむしばみはじめる。これらは商業的負 債とはなんの関係もない。つまり、子どもをつくれば両親への返済になるかもしれないが、無 関係のだれかに現金を貸すことで債権者に返済したとみなされることはふつうない。  わたし自身疑問におもう。ほんとうにこれが的を射た答えなのか? ブラーフマナの作者た ちが本当に示そうとしていたのは、究極的には、宇宙に対する人間の関係は根本からして商取 引とはほど遠く、そうなる可能性もないということであろう。商取引は平等と分離の双方をふ くむからである。先にあげた事例はどれも分離の克服にかかわっている。じぶん自身が祖先と なることによって祖先への負債から解放される[自由になる]。じぶん自身が賢者になること によって賢者への負債から解放される。人道的にふるまうことによって人類への負債から解放 される。宇宙となるといわずもがなである。すでに万物を有しているゆえに神々との取引が不 可能であるとすれば、宇宙との取引もまちがいなく不可能なのだ。宇宙はすべて《であり》、 そのすべてには必然的にあなた自身も包摂されるのだから。実のところこのリストは以下のよ うなふくみを巧みなやりかたで表現していると解釈することさえできる。負債から「自己を解 放する(freeing oneself)」ただひとつの方法は、文字通りに負債を返済することではな く、負債など存在しないことを示すことである、と。負債が存在しないのは、ひとは実際には 分離などしていないので、負債を帳消にして分離し自律した存在に到達するという考えそのも のが、はなから馬鹿げたものであるからである。あるいは、人類または宇宙から分離した存在 としておのれをみたて、こうして一対一の取引を可能であるとする想定自体が、死によっての み返答の与えられる犯罪なのである。わたしたちの罪責性(guilt)は、宇宙に対する負債を 返済できないことによるものではない。わたしたちの罪責性とは、〈存在するすべて、または これまで存在してきたすべて〉と、いかなる意味であれ同等のものと考えるほどおもいあがっ ているため、そもそもそのような負債を構想できてしまうことにあるのだ。  あるいはこの等式のもうひとつの側面に目をむけてみよう。かりにわたしたち自身が、宇宙 あるいは人類への絶対的負債の立場にあると想像することができたとしても、次の問いがあら われる。いったいだれが、宇宙または人類を代弁してこの負債がいかに返済されるべきかその 方法を告げる権利をもっているのか? 宇宙全体から独立しているから宇宙との交渉ができる という主張よりも不合理なものがあるとしたら、それは彼岸(the other side)を代弁して いるという主張である。  今日の個人主義的な社会にふさわしいエートスを求めるとするならば、次のようにいえるだ ろうか。ひとはみな人類、社会、自然または宇宙(いかようにもお好みでよい)に対して無限 の負債を負っているが、[じぶん以外の]べつのだれかが支払い方法を指示できるわけではな い、と。これは少なくとも知的には筋が通っている。もしそうだとすれば、確立された権威の システムのほとんどすべて――宗教、道徳、政治、経済、刑事司法体制――を、それぞれ異なる欺 瞞の方法とみなすことができる。それらは計算不可能なものを計算できるとうそぶき、制約な き負債のうちのあれこれの部分をかくかくしかじかのように返済せよと指令する権限を詐称す るにすぎないのだ、と。だとすれば、人間の自由とは、返済方法をどうしたいかをじぶん自身 で決定するわたしたちの能力ということになる。」

 (デヴィッド・グレーバー(1961-2020),『負債論』,第3章 原初的負債,pp.102-103,以文 社(2016),酒井隆史(訳),高祖岩三郎(訳),佐々木夏子(訳))

負債論 貨幣と暴力5000年 [ デヴィッド・グレーバー ]


デヴィッド・グレーバー
(1961-2020)







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