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2018年5月7日月曜日

人間は弱く、自然の全秩序を完全には理解できないが、人間と全自然との合一の認識から、「人間の自然の性」を理解でき、それを獲得するための「真の善」、他の人々と享受する「最高の善」を知り得る。(バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677))

人間と全自然との合一の認識

【人間は弱く、自然の全秩序を完全には理解できないが、人間と全自然との合一の認識から、「人間の自然の性」を理解でき、それを獲得するための「真の善」、他の人々と享受する「最高の善」を知り得る。(バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677))】
(1) 人間は弱く、すべてのことが自然のある決まった諸法則に従って生じていることを、理解し尽くすことはできない。
(2) しかし、人間が全自然と一つに結ばれていることを認識できれば、これから「人間のある自然の性」を理解することができ、たとえその自然の性が、今は自分に備わっていなくとも、それを獲得するように駆られる。
(3) このようにして理解された「人間のある自然の性」へ導いてくれる諸々の仲立ちとなり得る一切が「真の善」と呼ばれる。
(4) それに対して、「最高の善」とは、その人が出来うるならば、他の諸個人とともにそのような自然の性を享受するに到ることである。
 「それはそうとして、人間は弱く、その次第をみずからの思いによって手にしないが、そうするうちにも人間は自分よりもはるかに鞏固な、人間の或る自然の性を念い、同時に何もそうした自然の性を獲得するのを邪魔しないことを見てとるから、そのような完全さへその人を導くもろもろのなかだちを求めることへ駆られる。そしてそこへ届くためのなかだちとなりうるいっさいが真の善と呼ばれる。それに対して最高の善とは、その人が出来うるならばほかの諸個人とともにそのような自然の性を享受するに到ることである。さてその自然の性がいったい何のことかということをわれわれは適当な所で示すが、たしかにそれは、精神が全自然を相手にもつ、一つに結ばれていることの認識である。」
(バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677)『知性改善論』(13)(書名『スピノザ 知性改善論、神、人間とそのさいわいについての短論文』)、p.14、みすず書房(2018)、佐藤一郎(訳))
(索引:自然の法則、全自然との合一の認識、人間の自然の性、真の善、最高の善)

知性改善論/神、人間とそのさいわいについての短論文



(出典:wikipedia
バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「どんなものも、その本性において見れば、完全だとも不完全だとも言われないであろう。特に、生起する一切のものは永遠の秩序に従い、一定の自然法則に由って生起することを我々が知るであろう後は。」(中略)「人間はしかし無力のためその思惟によってこの秩序を把握できない。だが一方人間は、自分の本性よりはるかに力強い或る人間本性を考え、同時にそうした本性を獲得することを全然不可能とは認めないから、この完全性[本性]へ自らを導く手段を求めるように駆られる。そしてそれに到達する手段となり得るものがすべて真の善と呼ばれるのである。最高の善とはしかし、出来る限り、他の人々と共にこうした本性を享受するようになることである。ところで、この本性がどんな種類のものであるかは、適当な場所で示すであろうが、言うまでもなくそれは、精神と全自然との合一性の認識(cognitio unionis quam mens cum tota Natura habet)である。」
 「だから私の志す目的は、このような本性を獲得すること、並びに、私と共々多くの人々にこれを獲得させるように努めることにある。」(中略)「次に、出来るだけ多くの人々が、出来るだけ容易に且つ確実にこの目的へ到達するのに都合よいような社会を形成しなければならない。なお、道徳哲学並びに児童教育学のために努力しなければならない。また健康はこの目的に至るのに大切な手段だから、全医学が整備されなければならない。また技術は多くの難しい事柄を簡単なものにして、我々に、生活における多くの時間と便宜を得させてくれるから、機械学を決してなおざりにしてはならない。」(バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677)『知性改善論』(12)(13)(14)(15)、pp.17-19、岩波文庫(1968)、畠中尚志(訳))

バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677)
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生じるものはすべて永遠の次第に従い、自然のある決まった諸法則に従って生じることを知れば、善とか悪と言われるのは、ただ視点に照らしてであることがわかる。完全、不完全も同様である。(バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677))

自然の永遠の諸法則

【生じるものはすべて永遠の次第に従い、自然のある決まった諸法則に従って生じることを知れば、善とか悪と言われるのは、ただ視点に照らしてであることがわかる。完全、不完全も同様である。(バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677))】
 「ここで、真の善ということでわたしが解るのは何か、併せて最高の善とは何かということをほんの手短に言っておこう。そのことをただしく解るには、善と言われ、悪と言われるのは、ただ視点に照らしてであるということに注意しなくてはならない。一つの同じ物が、視点を別にするにしたがい善いとも悪いとも言われうるほどだが、それは完全、不完全ということが言われる場合と同様である。というのは何ものも、それの自然の性を観察すれば、完全もしくは不完全と言われないだろうから。なかんずく、生じるものはすべて永遠の次第にしたがい、また自然の或るきまった諸法則にしたがって生じることをわれわれが識ったあとではそうである。」
(バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677)『知性改善論』(12)(書名『スピノザ 知性改善論、神、人間とそのさいわいについての短論文』)、pp.13-14、みすず書房(2018)、佐藤一郎(訳))
(索引:)

知性改善論/神、人間とそのさいわいについての短論文



(出典:wikipedia
バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「どんなものも、その本性において見れば、完全だとも不完全だとも言われないであろう。特に、生起する一切のものは永遠の秩序に従い、一定の自然法則に由って生起することを我々が知るであろう後は。」(中略)「人間はしかし無力のためその思惟によってこの秩序を把握できない。だが一方人間は、自分の本性よりはるかに力強い或る人間本性を考え、同時にそうした本性を獲得することを全然不可能とは認めないから、この完全性[本性]へ自らを導く手段を求めるように駆られる。そしてそれに到達する手段となり得るものがすべて真の善と呼ばれるのである。最高の善とはしかし、出来る限り、他の人々と共にこうした本性を享受するようになることである。ところで、この本性がどんな種類のものであるかは、適当な場所で示すであろうが、言うまでもなくそれは、精神と全自然との合一性の認識(cognitio unionis quam mens cum tota Natura habet)である。」
 「だから私の志す目的は、このような本性を獲得すること、並びに、私と共々多くの人々にこれを獲得させるように努めることにある。」(中略)「次に、出来るだけ多くの人々が、出来るだけ容易に且つ確実にこの目的へ到達するのに都合よいような社会を形成しなければならない。なお、道徳哲学並びに児童教育学のために努力しなければならない。また健康はこの目的に至るのに大切な手段だから、全医学が整備されなければならない。また技術は多くの難しい事柄を簡単なものにして、我々に、生活における多くの時間と便宜を得させてくれるから、機械学を決してなおざりにしてはならない。」(バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677)『知性改善論』(12)(13)(14)(15)、pp.17-19、岩波文庫(1968)、畠中尚志(訳))

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