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2020年4月8日水曜日

000_このサイトの利用方法(命題集)

このサイトの利用方法

《改訂履歴》
2020/04/08 第1版
2020/04/20 第2版
 「著作の日本語訳のオリジナル文章を添付しているのは、なぜですか?」を追加。

《目次》
1.著作名から調べる
2.人名から調べる
3.「命題集」というファイルは、何ですか?
4.なぜ、このような記述方法、形式を採用しているのですか?
5.著作の日本語訳のオリジナル文章を添付しているのは、なぜですか?
6.このサイトの基本的な考え方は、何ですか?

1.著作名から調べる

索引(人名、著作名、関連語句、翻訳者名)から、探します。
例えば、
フレーゲ『フレーゲ=ヒルベルト往復書簡』
フレーゲ『フレーゲ=フッサール往復書簡』
フレーゲ『意味と意義について』
フレーゲ『概念記法の科学的正当性について』
フレーゲ『幾何学の基礎について(1906)』
フレーゲ『算術の基礎』
フレーゲ『算術の基本法則』
フレーゲ『算術の形式理論について』
フレーゲ『思想--論理探究(1)』
フレーゲ『数学と数学的自然科学の認識源泉』
フレーゲ『数学における論理』
フレーゲ『論理学1』
フレーゲ『論理学2』

2.人名から調べる

索引(人名、著作名、関連語句、翻訳者名)から、探します。
例えば、
1806-1873_ジョン・スチュアート・ミル
1828-1877_西郷隆盛
1844-1900_フリードリヒ・ニーチェ
1848-1925_ゴットロープ・フレーゲ
1848-1925_ゴットロープ・フレーゲ_命題集
1854-1912_アンリ・ポアンカレ
1862-1943_ダフィット・ヒルベルト
1878-1949_グスタフ・ラートブルフ
1878-1965_マルティン・ブーバー
1879-1955_アルベルト・アインシュタイン
1889-1951_ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

3.「命題集」というファイルは、何ですか?

1848-1925_ゴットロープ・フレーゲ
1848-1925_ゴットロープ・フレーゲ_命題集 ←このファイルは何ですか?

(1)個々の命題を、本当に正確に理解するには、その哲学者の全体の考えを理解する必要があります。このファイルは、少なくとも、掲載している命題について、全体的なつながりを明らかにすることを目的に作られています。
(2) 過去の哲学は、各々ある特定の真理を、他の哲学よりも明確に見ていたかもしれず、集録と評価が必要である。その際、各哲学に調和と統一を与えている根本的な思想や方法を壊さないようにすること。(フランシス・ベーコン(1561-1626))
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia

4.なぜ、このような記述方法、形式を採用しているのですか?

個々の事柄に関して厳密さを欠くことなく、かつ全体が俯瞰できるような総括を与える得る、知識の記述方法がある。それが命題集である。(ムランのロベルトゥス(1100頃-1167))

 「かなり多くの人々に、著述を行うにあたって、その総括を論じることを約束しながら個々の事柄に深く立ち入るという習慣がある。そのため彼らは、個々の事柄に関して必要とされる厳密さを欠くようになり、またその総括も十分にまとまったものではないということになる。また、他のある人々は、著述を行う際に別な方法に従い、個々の事柄にまったく言及しないような仕方で総括を行おうとする。そのため実際には総括は、それが言及せずに放置した事柄については、ほとんど、あるいはまったく何も教えないということになるのである。」(中略)「したがって、個々の事柄を放置する人は総括を教えはしないし、個々の事柄の知識を軽んじる人は総括を教えることにはならない。というのも、この教え方の内にあるのは簡潔さではなく、簡潔さの偽りの類似だからである。」(中略)「それは魂を勉学への愛から完全に切り離し、また後には、いかなる努力によっても、より明瞭な教えを喜び楽しむために回復することがほとんどできないほどの曖昧な暗闇によって包んでしまうからである。つまりこの教え方は、精神を狭い所へ閉じ込め、どこかへ自由に出ていくことができないように、役に立たない簡潔さによってすべての考察の道を妨げるのである。」(中略)「不明瞭な簡潔さに対する嫌悪が冗長さを許す理由にはならないのと同様に、冗長さを避けることが不明瞭な簡潔さを許されるべきものとすることはないのである。」
(ムランのロベルトゥス(1100頃-1167)『命題集』中世思想原典集成 七 前期スコラ学 pp.750-751、中村秀樹)
(索引:)

前期スコラ学 (中世思想原典集成)


ムランのロベルトゥス(1100頃-1167)
検索(ムランのロベルトゥス)
検索(命題集)

5.著作の日本語訳のオリジナル文章を添付しているのは、なぜですか?

 オリジナル文を読んで、教科書的な「解説」とあまりに違っていることに驚いたことはありませんか。この不満を解消するために、オリジナル文を添付しました。このサイトの情報も、もちろん、私の理解と解釈というフィルターを通っています。ぜひ、オリジナル文を熟読してください。新たな発見があるかもしれません。

6.このサイトの基本的な考え方は、何ですか?

(出典:wikipedia
ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Propositions of great philosophers)  「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

ルネ・デカルト(1596-1650)
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