まだ間に合う
【災厄が迫っている時に、もう手遅れだと考えて、救済策を施すのを躊躇ってはならない。後になって振り返ると、あの時、怠ったばかりに重大な結果を招いたのだということが明確になる事例が多い。まだ間に合う。(フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540))】『戦争においても、多くのほかの重要なことがらにおいても、もう手遅れだというので準備が投げやりにされているという事態を、これまでたびたび目にしてきた。
ところが後になって、あのとき準備をしていたならまだ間にあったはずだったことがわかってきて、それを怠ったばかりに重大な損害をこうむることがはっきりしてくるものである。
このようなことになるのも、一般にものごとの進歩や速度は予想されるよりもはるかにのろいからである。したがって、君が一ヶ月でやりおおせると判断していたことを三ヶ月も四ヶ月もたって完成できないでいるということが、しばしばおこるものである。この断章は重要である。君の心すべきことだ。』(C162)
『戦争のばあいにはなおさらのことだが、災厄が迫っているときに、もう手遅れだと考えて、救済策をほどこすのをはねつけたり、おろそかにすることがあってはならない。
というのは、災厄の進行速度は、われわれが考えているよりはるかにのろいことが多いからだ。それは災厄そのものの本来の性格であるのと、さまざまな障害物につきあたるからである。
したがって、もうおそすぎると判断したために君がとりあげなかった救済策も、間に合うことがよくあるものである。私は、たびたびこのことを経験したのである。』(B173)
(フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540),『リコルディ』,日本語名『フィレンツェ名門貴族の処世術』,C162,B172,講談社学術文庫(1998)、永井三明(訳))
(索引:)
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(出典:wikipedia)
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(フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540)『リコルディ』(日本語名『フィレンツェ名門貴族の処世術』)B、100 本書の利用のし方、p.227、講談社学術文庫(1998)、永井三明(訳))
フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540)
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