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2019年10月25日金曜日

専門的な技術の蓄積と熟練を要する統治の実現と、自由で活力のある独創性とを両立させるためには、代表者会議による統治者の選任、監視、統制とともに、官僚制と対立しあう影響力による活性化が必要である。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))

官僚制と代表民主制

【専門的な技術の蓄積と熟練を要する統治の実現と、自由で活力のある独創性とを両立させるためには、代表者会議による統治者の選任、監視、統制とともに、官僚制と対立しあう影響力による活性化が必要である。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))】

(3)追記。

(1)代表者会議
  代表者会議の機能は、(a)政府の監視と統制、(b)政府に対する解任、任命権、(c)国民の中のあらゆる意見の集約、(d)自由な議論の保障、(e)統治機構の必要な専門性の確保である。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))
 (1.1)政府を監視し統制すること
  政府の行動に公開性の光をあて、疑問に思える行動すべてについて、十分な説明と正当化する理由の提示を強制すること。
 (1.2)政府に対する解任、任命権
  非難に値する行動は非難し、政府構成員が職権を濫用したり国民の良識に反する仕方で職務を行ったりした場合には解任し、明示的ないし実質的に後任を任命する。
 (1.3)国民の中のあらゆる意見の集約
  (a)国民の中のあらゆる階層、階級の意見
  (b)国民の中の様々な集団の意見、そのような集団が信頼を寄せている人物の意見
  (c)国民の中の卓越した人々の意見
 (1.4)自由な議論の保障
  (a)何ら制限されずに、意見や批判を述べることができること。
  (b)全ての意見が傾聴されること。
  (c)ある意見を退ける場合であっても、頭ごなしにではなく、より良いと考えられる理由のためであること。
 (1.5)統治機構に必要な専門性の確保すること
  (a)統治機構を構成する人々が、誠実かつ賢明に選ばれるようにすること。
  (b)何ら制限されずに意見や批判を述べること。
  (c)最終的に国民的同意を与えたり与えなかったりすること。
  (d)統治機構に、必要な監視と統制を超える不当な干渉をしないこと。
(2)統治機構(政府)
 議論の結果を実行する組織であり、特別に訓練された人々の仕事である。
(3)代表者会議と統治機構(代表民主制と官僚制)の関係
 (3.1)原理
  (a)対立しあう影響力は、相手の生き生きとした活力を保つ。
  (b)相手の活力を保つことは、自らの固有の有用性のためにも必要である。
 (3.2)代表民主制
  (a)情熱と専門的知識を持ち、活力と独創性をそなえた人物が必要である。
  (b)しかし、情熱と独創性を、熟練した行政と結びつける手段を見出せなければ、最善の効果を生み出すことはできない。
 (3.3)官僚制
  (3.3.1)専門的な技術と熟練を必要とし、独別な教育を受けなければうまくでない仕事がある。
  (3.3.2)メリット:経験が蓄積され、十分な試行と熟慮を経た伝統的な行動原則が獲得され、実際に業務を行う人々に適切な実務的知識が提供される。
  (3.3.3)デメリット:官僚制がかかる病気でしばしば滅亡原因となるのは、仕事のルーティン化である。
   (a)大方の人の頭にあるのは、教えられたことをこなすということだけである。
   (b)仕事を支えていた内面で働く精神、生命力が失われていく。
   (c)訓練された凡庸という妨害的精神が、独創的才能を持つ個人を圧迫するようになる。
  (3.3.4)デメリットを発生させないための、自由な外部的要素が必要であり、それが代表民主制である。

 「政府の知的特性に関する比較は、代表民主政と官僚制との間ですべきであり、他の政府形態は取り上げなくてよい。そこで、この比較をしてみると、官僚制がいくつかの重要な点で相当にすぐれていることは、認めなければならない。官僚制では経験が蓄積され、十分な試行と熟慮を経た伝統的な行動原則が獲得され、実際に業務を行う人々に適切な実務的知識が提供される。とはいえ、個々人の精神の活力という点では、同じように優越しているわけではない。官僚制がかかる病気でしばしば滅亡原因となるのは、仕事のルーティン化である。官僚制が滅びるのは行動原則が変わらないためであり、またそれにもまして、ルーティン化した仕事は何であれ生命力を失ってしまい、内面で働く精神がなくなるために、やるべき仕事をやらずに機械的にずるずると続いていく、という普遍法則のためである。官僚制はつねにベダントクラシーになりがちである。官僚制が実際の統治体制となると、団体精神が(イエズス会の場合のように)、構成員の中で卓越している人々の個性を圧迫する。他の専門的な仕事と同じように統治という専門的な仕事でも、大方の人の頭にあるのは、教えられたことをこなすということだけである。こうした人々の中にあって、独創的才能を持つ個人という考え方が、訓練された凡庸という妨害的精神に打ち勝てるようにするには、民主政的な統治体制が必要である。民主政的な統治体制だったからこそ(きわめて聡明な専制君主という偶然は例外だとしても)、サー・ローランド・ヒルは郵政省に対して勝利を収めることができた。民主政的な統治体制が彼を郵政省《の中に》送り込み、この役所は不承不承ながら、専門的知識と個人的な活力と独創性をそなえた人物の情熱に従ったのである。」(中略)
 「人間生活の万事において、対立しあう影響力は自らの固有の有用性のためにも、対立する相手の生き生きとした活力を保つ必要がある。よい目的であっても、並存すべき別の目的をなおざりにしてそれだけを追求すると、最終的には、一方が過剰で他方が不足するばかりでなく、ひたすら重視してきたものまでが衰退し消滅してしまう。自由な統治体制なら国のためにできることが、訓練された官僚の統治ではできないが、しかしまた、自由な統治それ自体ではできないことが、官僚制であればできるとも考えられる。とはいえ、自由という外部的要素は、政府が自らの仕事を効果的にあるいは持続的に行えるようにするためにも必要だ、ということもわかっている。他方で、熟練した行政と自由とを結びつける手段を見出せなければ、自由は最善の効果を生み出せないし、破滅してしまうことも多い。代議制統治に適合するまで成熟した国民であれば、代議制統治と想像上最も完全な官僚制のどちらかを選ぶかで、躊躇は一瞬たりともありえない。しかし同時に、代議制統治と両立する限りで官僚制の多くのすぐれた点を獲得することは、政治制度の最重要目的の一つである。つまり、これら二つが両立可能な限りで、国民全体の代表機関に委ねられた実効性のある形で行われる統制に沿いながら、知的専門職として業務に取り組むよう育成された専門家の業務遂行で得られる大きな利益を確保する、ということである。前章で論じた境界線を認めれば、この目的に大いに役に立つだろう。つまり、一方で、特別の教育を受けなければうまくできないような本来的に統治の仕事と言える仕事と、他方で、統治者を選び監視し必要ならば統制するという、統治担当者ではなく統治してもらうことに利益を持つ人に委ねるのが、他の場合と同様にこの場合にも適切である仕事、これら二つの仕事の間の境界線である。技術を必要とする仕事が技術を持つ人によって行われるよう国民全般が望まない限り、熟練性を確保した民主政に向かう進歩はまったくありえない。国民の側は、監督と牽制という自分たち本来の仕事をするのに十分な度合の精神的能力を調達するだけでも、手一杯なのである。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『代議制統治論』,第6章 代議制統制が陥りやすい欠陥や危険について,pp.104-106,岩波書店(2019),関口正司(訳))
(索引:代表者会議,統治機構,代表民主制,官僚制)

代議制統治論


(出典:wikipedia
ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「観照の対象となるような事物への知的関心を引き起こすのに十分なほどの精神的教養が文明国家に生まれてきたすべての人に先験的にそなわっていないと考える理由はまったくない。同じように、いかなる人間も自分自身の回りの些細な個人的なことにしかあらゆる感情や配慮を向けることのできない自分本位の利己主義者であるとする本質的な必然性もない。これよりもはるかに優れたものが今日でもごく一般的にみられ、人間という種がどのように作られているかということについて十分な兆候を示している。純粋な私的愛情と公共善に対する心からの関心は、程度の差はあるにしても、きちんと育てられてきた人なら誰でももつことができる。」(中略)「貧困はどのような意味においても苦痛を伴っているが、個人の良識や慎慮と結びついた社会の英知によって完全に絶つことができるだろう。人類の敵のなかでもっとも解決困難なものである病気でさえも優れた肉体的・道徳的教育をほどこし有害な影響を適切に管理することによってその規模をかぎりなく縮小することができるだろうし、科学の進歩は将来この忌まわしい敵をより直接的に克服する希望を与えている。」(中略)「運命が移り変わることやその他この世での境遇について失望することは、主として甚だしく慎慮が欠けていることか、欲がゆきすぎていることか、悪かったり不完全だったりする社会制度の結果である。すなわち、人間の苦悩の主要な源泉はすべて人間が注意を向け努力することによってかなりの程度克服できるし、それらのうち大部分はほとんど完全に克服できるものである。これらを取り除くことは悲しくなるほどに遅々としたものであるが――苦悩の克服が成し遂げられ、この世界が完全にそうなる前に、何世代もの人が姿を消すことになるだろうが――意思と知識さえ不足していなければ、それは容易になされるだろう。とはいえ、この苦痛との戦いに参画するのに十分なほどの知性と寛大さを持っている人ならば誰でも、その役割が小さくて目立たない役割であったとしても、この戦いそれ自体から気高い楽しみを得るだろうし、利己的に振る舞えるという見返りがあったとしても、この楽しみを放棄することに同意しないだろう。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『功利主義』,第2章 功利主義とは何か,集録本:『功利主義論集』,pp.275-277,京都大学学術出版会(2010),川名雄一郎(訳),山本圭一郎(訳))
(索引:)

ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)
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