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2019年4月5日金曜日

21.「美」とは「陶酔」の感情が、ある行為や対象をして、私たちを魅了し尽くしてしまうように、強制する事象である。例として、強い欲情、祝祭、競闘、冒険、勝利、残酷さ、破壊、気象、麻薬、意志による陶酔。(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900))

美とは何か

【「美」とは「陶酔」の感情が、ある行為や対象をして、私たちを魅了し尽くしてしまうように、強制する事象である。例として、強い欲情、祝祭、競闘、冒険、勝利、残酷さ、破壊、気象、麻薬、意志による陶酔。(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900))】

(1)ある行為や対象がもつ「美」とは何か。
 自らの力の上昇や充満の感情が、ある行為や対象をして、私たちを魅了し尽くしてしまうように、強制する。この事象が、ある行為や対象の「理想化」であり、行為や対象の主要特徴が際立たせられ、その他の諸特徴が姿を消す。
(2)「美」の生理学的先行条件
 力の上昇や充満の感情が、心身の興奮を高める。これが「陶酔」である。例として、
 (a)性的興奮
 (b)大きな欲望、強い欲情に伴って現れる陶酔
 (c)祝祭、競闘、冒険、勝利、あらゆる極端な運動の陶酔
 (d)残酷さの陶酔
 (e)破壊における陶酔
 (f)気象学的影響のもとにおける陶酔、たとえば春の陶酔
 (g)麻酔薬の影響のもとでの陶酔
 (h)意志による陶酔、鬱積し膨張した意志の陶酔

 「《芸術家の心理学によせて》―――芸術があるためには、なんらかの美的な行為や観照があるためには、一つの生理学的先行条件が不可欠である。すなわち、《陶酔》がそれである。

陶酔がまず全機械の興奮を高めておかなければならない。それ以前には芸術とはならないからである。

実にさまざまの条件をもったすべての種類の陶酔がそのための力をもっている。なかんずく、性的興奮という最も古くて最も根源的な陶酔のこの形式がそうである。

同じく、あらゆる大きな欲望、あらゆる強い欲情にともなってあらわれる陶酔がそうである。祝祭、競闘、冒険、勝利、あらゆる極端な運動の陶酔。残酷さの陶酔。破壊における陶酔。或る種の気象学的影響のもとにおける陶酔、たとえば春の陶酔。ないしは麻酔薬の影響のもとでの陶酔。最後に意志による陶酔、鬱積し膨張した意志の陶酔。

―――陶酔にある本質的なものは力の上昇や充満の感情である。この感情から人は事物に分与するのであり、私たちから奪い取るよう事物を《強いる》のであり、事物に暴力をくわえるのである、

―――人はこの事象を《理想化》と呼んでいる。

私たちはここで一つの偏見から抜けだそう。すなわち、理想化は、一般に信ぜられているように、些細なもの、副次的なものを取り去ったり除き去ったりすることにあるのでは《ない》。主要特徴を物すごく《際立たせること》がむしろ決定的なことであり、そのために他の諸特徴が姿を消すのである。」
(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『偶像の黄昏』或る反時代的人間の遊撃、八、ニーチェ全集14 偶像の黄昏 反キリスト者、pp.94-95、[原佑・1994])
(索引:美,陶酔,欲情,欲望,祝祭,競闘,冒険,勝利,残酷さ,破壊,気象,麻薬,意志)

ニーチェ全集〈14〉偶像の黄昏 反キリスト者 (ちくま学芸文庫)


(出典:wikipedia
フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「精神も徳も、これまでに百重にもみずからの力を試み、道に迷った。そうだ、人間は一つの試みであった。ああ、多くの無知と迷いが、われわれの身において身体と化しているのだ!
 幾千年の理性だけではなく―――幾千年の狂気もまた、われわれの身において突発する。継承者たることは、危険である。
 今なおわれわれは、一歩また一歩、偶然という巨人と戦っている。そして、これまでのところなお不条理、無意味が、全人類を支配していた。
 きみたちの精神きみたちの徳とが、きみたちによって新しく定立されんことを! それゆえ、きみたちは戦う者であるべきだ! それゆえ、きみたちは創造する者であるべきだ!
 認識しつつ身体はみずからを浄化する。認識をもって試みつつ身体はみずからを高める。認識する者にとって、一切の衝動は聖化される。高められた者にとって、魂は悦ばしくなる。
 医者よ、きみ自身を救え。そうすれば、さらにきみの患者をも救うことになるだろう。自分で自分をいやす者、そういう者を目の当たり見ることこそが、きみの患者にとって最善の救いであらんことを。
 いまだ決して歩み行かれたことのない千の小道がある。生の千の健康があり、生の千の隠れた島々がある。人間と人間の大地とは、依然として汲みつくされておらず、また発見されていない。
 目を覚ましていよ、そして耳を傾けよ、きみら孤独な者たちよ! 未来から、風がひめやかな羽ばたきをして吹いてくる。そして、さとい耳に、よい知らせが告げられる。
 きみら今日の孤独者たちよ、きみら脱退者たちよ、きみたちはいつの日か一つの民族となるであろう。―――そして、この民族からして、超人が〔生ずるであろう〕。
 まことに、大地はいずれ治癒の場所となるであろう! じじつ大地の周辺には、早くも或る新しい香気が漂っている。治癒にききめのある香気が、―――また或る新しい希望が〔漂っている〕!」
(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『このようにツァラトゥストラは語った』第一部、(二二)贈与する徳について、二、ニーチェ全集9 ツァラトゥストラ(上)、pp.138-140、[吉沢伝三郎・1994])

フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)
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