2024年3月24日日曜日

15.理知は先ず、精神の本質を、《汝を言う能力》を、ふたたび取り戻さねばならない(マルティン・ブーバー(1878-1965)

 理知は先ず、精神の本質を、《汝を言う能力》を、ふたたび取り戻さねばならない(マルティン・ブーバー(1878-1965)



「国家が経済を規制しているのか、それとも経済が国家に権限をさずけているのかということは、この両者の実体が変えられぬかぎりは、重要な問題ではない。

国家の各種の組織がより自由に、そして経済のそれらがより公正になるかどうかということが重要なのだ。

しかしこのことも、ここで問われている真実なる生命という問題にとっては重要ではない。

諸組織は、それら自体からしては自由にも公正にもなり得ないのである。

決定的なことは、精神が、《汝》を言う精神、応答する精神が生きつづけ現実として存在しつづけるかどうかということ、人間の社会生活のなかに撒入されている精神的要素が、これからもずっと国家や経済に隷属させられたままであるか、それとも独立的に作用するようになるかどうかということであり、人間の個人生活のうちになおも持ちこたえられている精神的要素が、ふたたび社会生活に血肉的に融合するかどうかということなのである。

社会生活がたがいに無縁な諸領域に分割され、《精神生活》もまたその領域のうちのひとつになってしまうならば、社会への精神の関与はむろんおこなわれないであろう。

これはすなわち、《それ》の世界のなかに落ちこんでしまった諸領域が、《それ》の専制に決定的にゆだねられ、精神からすっかり現実性が排除されるということしか意味しないであろう。

なぜなら、精神が独立的に生のなかへとはたらきかけるのは決して精神それ自体としてではなく、世界との関わりにおいて、つまり、《それ》の世界のなかへ浸透していって《それ》の世界を変化させる力によってだからである。

精神は自己のまえに開かれている世界にむかって歩みより、世界に自己をささげ、世界を、また世界との関わりにおいて自己を救うことができるときにこそ、真に《自己のもとに》あるのだ。

その救済は、こんにち精神に取りかわっている散漫な、脆弱な、変質し、矛盾をはらんだ理知によっていったいはたされ得ようか。いや、そのためにはこのような理知は先ず、精神の本質を、《汝を言う能力》を、ふたたび取り戻さねばならないであろう。」

(マルティン・ブーバー(1878-1965)『我と汝』第2部(集録本『我と汝・対話』)pp.67-68、みすず書房(1978)、田口義弘(訳))
(索引:汝を言う能力)

我と汝/対話






20.ストレンジ・シチュエーション法(メアリー・エインズワース(Mary Ainsworth,1989)(ウォルター・ミシェル(1930-2018)

 ストレンジ・シチュエーション法(メアリー・エインズワース(Mary Ainsworth,1989)(ウォルター・ミシェル(1930-2018)


「メアリー・エインズワース(Mary Ainsworth,1989)は、小さな子どもの幼児・親の愛着パターンを検討するために「ストレンジ・シチュエーション法」という研究方法を開発した(例:Ainsworth et al.,1978; Stayton & Ainsworth,1973)。ストレンジ・シチュエーション法は、小さな子どもと主要な養育者との関係における個人差を測定する。

 この状況において、子ども(約18カ月)は、主要な養育者であることが想定される母親と、知らない他人とともに、初めてのプレイルームへ連れていかれる。

そして、子どもは、母親がいて子どもとかかわっている状態から、母親がいて夢中になっている状態や、母親がいなくなる状態など、さまざまなレベルの母親の接近可能性を体験する。

子どもはストレンジ・シチュエーションの間に母親から二度分離される。一度は知らない他人と一緒に残され、もう一度は一人きりにされ、ストレスが高い状況がつくりだされる。そして、短い分離の後、母親が戻ってくるのである。

 三つの主要な行動のパターンがこの状況において見いだされる。

再会時だけでなく、実験の間中、母親を避ける子どもは不安定-回避型、A型の子どもとみなされる。再会時に母親を肯定的に出迎えることができ、その後、楽しんでいた遊びに戻り、手続きの間中、母親と望ましい相互作用を行う子どももいる。こうした子どもは安定型、B型の子どもといわれる。再会時に接触を求めるが怒りも表し、再会後になかなか機嫌がよくならない子どもは不安定-両価型、C型の子どもに分類される。

 注目すべきは、安定型の子どもも不安定-両価型の子どももどちらも、母親が出ていったときに泣くのである。しかし、このモデルによると異なった理由で泣いている。

安定型の子どもが泣くのは抗議反応の一部であり、母親が戻ってくるのに有益な行動であるために泣くのである。両価型の子どもは、母親が出ていったため、怒りや絶望から泣くのである。

大きな違いは安定型の子どもは、母親が戻るとすぐに快感情を示し、母親のいる前ですぐに環境の探索に戻ることである。両価型の子どもは、母親の存在によって快感情を示すことはなく、母親にしがみつき、泣き続ける。母親への接近可能性に自信がもてないため、遊びや探索に戻れないのである。

異なるタイプの子どもでは母親の反応の異なるパターンを経験していることが、家を訪ねてみると明らかになる。

例えば、安定型と評定された子どもの母親は、子どもに対して最も応答的である。抵抗的な子どもの母親は応答性において一貫していない。回避型の子どもの母親の応答性は文脈によって変化する。接触や快感情を得ようとすることに対して応答的ではないが、子どもの遊びに対し統制的で、邪魔をするのである。」

(ウォルター・ミシェル(1930-2018),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅲ部 精神力動的・動機づけレベル、第9章 フロイト後の精神力動論、pp.288-289、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

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