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2022年1月22日土曜日

政治哲学は、諸目的がたがいに衝突しあうような世界においてのみ、それは原理的に可能である。なぜなら、諸価値が対立せず一つの目標しか存在しなければ、手段についての議論は、技術的なもの、つまり科学的・経験的な性格のものとなるからである。(アイザイア・バーリン(1909-1997))

政治哲学の成立条件

政治哲学は、諸目的がたがいに衝突しあうような世界においてのみ、それは原理的に可能である。なぜなら、諸価値が対立せず一つの目標しか存在しなければ、手段についての議論は、技術的なもの、つまり科学的・経験的な性格のものとなるからである。(アイザイア・バーリン(1909-1997))


(a)諸価値が対立せず一つの目標しか存在しなければ、政治哲学は不要となる
 ただ一つの目標によって支配されている社会においては、目的に到達する最上の手 段についての議論だけしかありえないはずであり、そうした手段についての議論は技術的なも の、つまり科学的・経験的な性格のものである。


「ところで、このことは、少なくともひとつ重要な問題が含まれている。もしも「いかなる 世界において政治哲学――それを存立せしめるような議論や論議――は原理的に可能であるか」と いうカント的な問題が提起されるならば、「諸目的がたがいに衝突しあうような世界において のみ、それは原理的に可能である」というのがそれに対する答えでなければならない。ただひ とつの目標によって支配されている社会においては、原理的にはこの目的に到達する最上の手 段についての議論だけしかありえないはずであり、そうした手段についての議論は技術的なも の、つまり科学的・経験的な性格のものである。それは経験と観察とによって確定され、その 他の方法を用いても原因や相関関係を発見することができる。それは、少なくとも原理的に は、実証科学に還元されうるものである。そのような社会にあっては、政治的目的とか価値と かについての深刻な問題は生じえないので、ただ目標に達するためのもっとも効果的な道はな にかという経験的な問題しかないわけである。」(中略)「以上のようなわけで、伝統的な意 味における政治哲学、すなわち、たんに諸概念の明瞭化ということだけではなく、前提とか暗 黙裡の想定とかの批判的検討、先後の順序や究極目的などの究明にたずさわる研究が可能であ るような唯一の社会は、あるひとつの目的が全体には受けいれられていない社会であるという ことになる。ただひとつの目的が全体に受けいれられないことの理由はさまざまありうるであ ろう。単一の目的がじゅうぶんなだけ多数のひとびとによって受けいれられなかったとか、他 の諸価値がいつかひとびとの理性なり感情なりを引きつけないという保証は、原理的には、あ りえないゆえに、あるひとつの目的を究極的と見なすわけにはゆかないからとか、いかなる終 局的な単独目的も発見しえない――ひとが多くのちがった目的を追求しうるものである限り、そ のうちのひとつ、あるいは一部が、そのひとたちお互いにとって終局的な単独目的の意味をも つことはないからとか、その他。これらの目的のうちのあるものは公共的ないし政治的な目的 であるかもしれない。それらのすべてが、原理的にも、相互に矛盾なく両立するものでなけれ ばならぬと考えるべき理由はない。」
 (アイザイア・バーリン(1909-1997),『政治理論はまだ存在するか』,収録:『自由 論』,II,pp.467-469,みすず書房(2000),生松敬三(訳))

自由論 新装版 [ アイザィア・バーリン ]


アイザイア・バーリン
(1909-1997)




2022年1月15日土曜日

権力の問題は、観察、歴史分析、社会学的調査によって解決される経験的な問題であるが、政治哲学の対象はこれだけではない。それは本質的には、社会状況に適用された道徳哲学であり、人生の目的、人間の社会的、集団的目的を検討する。(アイザイア・バーリン(1909-1997))

政治哲学とは

権力の問題は、観察、歴史分析、社会学的調査によって解決される経験的な問題であるが、政治哲学の対象はこれだけではない。それは本質的には、社会状況に適用された道徳哲学であり、人生の目的、人間の社会的、集団的目的を検討する。(アイザイア・バーリン(1909-1997))

 
 「―――何が政治哲学の課題であると思いますか。  
バーリン
 人生の目的を検討することです。政治哲学は本質的には社会状況に適用された道 徳哲学です。この社会状況には、もちろん政治組織、個人の共同体・国家に対する関係、共同 体と国家相互の関係などを含んでいます。政治哲学は権力についての哲学だと、人は言いま す。私は反対です。権力は純粋に経験的な問題で、観察、歴史分析、社会学的調査によって解 決される問題です。政治哲学は人生の目的、人間の社会的、集団的目的を検討します。政治哲 学の仕事は、さまざまな社会的目標のもとに打ち出されてくるさまざまな主張の有効性を、こ れらの目標を特定し達成するための方法の正当性を検討することです。すべての哲学研究と同 様、これらの見解の枠組になっている言葉と概念を明確にして、人々が自分の信じているのは 何なのか、彼らの行動が何を表現しているのかを理解できるようにします。それは、人間が追 求しているさまざまな目的にたいする賛成反対の議論を評価し、先に私がマクミランを回想し て引用した「馬鹿げたことを言」わせないようにします。これが政治哲学の仕事であり、それ はいつもそうでした。真の政治哲学はこれをやらないで済ます訳にはいきません。」
 (アイザイア・バーリン(1909-1997),『ある思想史家の回想』,インタヴュア:R. ジャハ ンベグロー,第1の対話 バルト地方からテムズ河へ,理想の追求,p.75,みすず書房(1993), 河合秀和(訳))


2020年5月7日木曜日

憲法、制定法、あらゆる先例を整合的に正当化し得る原理の体系は、政治哲学、道徳哲学、様々な争点に関する判断を含み、裁判官や法学者ごとに不可避的に異なり、より具体的な階層の法理論に影響を及ぼす。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))

憲法理論

【憲法、制定法、あらゆる先例を整合的に正当化し得る原理の体系は、政治哲学、道徳哲学、様々な争点に関する判断を含み、裁判官や法学者ごとに不可避的に異なり、より具体的な階層の法理論に影響を及ぼす。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))】

(3.4)追加。

(3)立法趣旨とコモン・ローの原理
  裁判官は、制定法の立法趣旨、および判例法の基礎に存在するコモン・ローの原理、すなわち政治的権利を根拠に難解な事案を解決し、法的権利を確定する。法的権利は、政治的権利のある種の函数と言えよう。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))
 (3.1)立法趣旨
  ある特定の制定法ないしは制定法上の条項の「意図」ないし「趣旨」
  (a)権利は、制定法により創出される。
  (b)特定の制定法により、如何なる権利が創造されたかが問題となる難解な事案が発生する。
 (3.2)コモン・ローの原理
  判例法上の実定的法準則の「基礎に存し」、あるいはそれへと「埋め込まれた」原理
  (a)「同様の事例は、同様に判決されるべし」とする原理。
  (b)一般的法理が具体的に如何なる判決を要請するかが不明確な難解な事案が発生する。
 (3.3)難解な事案において、立法趣旨、コモン・ローの原理が果たしている機能
  (a)制定法は、法的権利を創出し消滅させる一般的な権能を有する。
  (b)裁判官は、判例法上の実定的法準則に従う義務が一般的に存在する。
  (c)政治的権利は、立法趣旨、コモン・ローの原理として表現される。
  (d)如何なる法的権利が存在するか、如何なる判決が要請されるかが不明確な、難解な事案が発生する。
  (e)裁判官は、立法趣旨およびコモン・ローの原理を拠り所として、自らに認められている自律性を受容し、難解な事案を解決する。
    難解な事案を解決するとき、裁判官たちの感ずる拘束を表現する比喩の例:「法全体に内在する新たな法準則」「法の内在的論理に拘束力を持たせる」「法にはそれ固有のある種の生命が認められる」(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))
   (i)裁判官たちは、以前の判決の効力の内実につき意見を異にする場合でさえ、その判決に牽引力が認められることについては意見が一致している。
   (ii)裁判官たちは、新たな法を創造していると自覚するときでさえ感ずる拘束を、次のような比喩で表現する。「法全体に内在する新たな法準則」「法の内在的論理に拘束力を持たせる」「裁判官は、法それ自体が純粋に作用するための機関である」「法にはそれ固有のある種の生命が認められる」。
  (f)したがって法的権利は、政治的権利のある種の函数として定義されることになる。

立法趣旨  コモン・ロー……政治的権利
 │    の原理      │
 ↓      ↓      │
制定法   判例法上の    │
 │    実定的法準則   │
 ↓      ↓      ↓
個別の権利 個別の判決………法的権利

 (3.4)憲法、制定法、あらゆる先例を整合的に正当化し得る原理の体系
  憲法、制定法、あらゆる先例を整合的に正当化し得る原理の体系は、政治哲学、道徳哲学、様々な争点に関する判断を含み、裁判官や法学者ごとに不可避的に異なり、より具体的な階層の法理論に影響を及ぼす。
  (3.4.1)垂直的な配列関係
   (a)憲法、最高裁判所やその他の裁判所の判決、種々の立法府の制定法といった配列関係である。
   (b)憲法理論は、政治哲学や道徳哲学に関する判断を含む。
   (c)憲法理論は、制度的適合性に関する複雑な争点についての判断を要求する。
   (d)憲法理論は、裁判官によって不可避的に異なったものになる。
   (e)垂直的な配列関係の高いレベルで認められるこれらの差異は、低いレヴェルで各裁判官が提出する理論体系に相当程度の影響力を及ぼすことになろう。
  (3.4.2)水平的な配列関係
   単にあるレヴェルでの判決を正当化すると解された諸原理が、同じレヴェルでの他の判決に与えられる正当化とも矛盾すべきでないことを要請する。

 「いまやなぜ私が、我々の裁判官をハーキュリーズと呼んだかがおわかりであろう。彼はあらゆるコモン・ロー上の先例に対して、そして原理により正当化されうるかぎりで憲法更には制定法上の規定に対しても整合的な正当化を提供する抽象的かつ具体的な原理の体系を構成しなければならない。我々はハーキュリーズが正当化しなければならない判例の膨大な資料の中で、垂直的な配列関係と水平的な配列関係を区別することによって、この企ての大きさを把握することができる。垂直的な配列関係は権限の上下関係、すなわち公的な決定が下級レヴェルでなされた決定に対し規制力を有すると考えられるような上下関係を区別することによって与えられる。アメリカ合衆国においては垂直的な配列関係の大雑把な性格を明白に把握することができる。憲法的構成が最も高いレヴェルを占め、次にはその構造を解釈する最高裁判所やおそらくその他の裁判所の判決、次には種々の立法府の制定法、そしてこの下にコモン・ローを発展させる様々な裁判所の判決がそれぞれ異なったレヴェルを占めることになる。ハーキュリーズはこれらのレヴェルの各々の段階で原理による正当化を組み立てねばならず、しかもこの場合、この正当化は、より高いレヴェルの正当化を与えると解される諸原理と矛盾しないものでなければならない。これに対し、水平的な配列関係は、単にあるレヴェルでの判決を正当化すると解された諸原理が同じレヴェルでの他の判決に与えられる正当化とも矛盾すべきでないことを要請する。
 さて、ハーキュリーズが彼の卓越した技量を利用して、予めこの完全な原理の体系を構築することを意図し、もしある特定の判決を正当化するために必要とあれば、この法理論をもって訴訟当事者に立ち向かおうとしたと想定してみよう。彼は垂直的な配列関係に従って、先ず、それまでに彼が用いてきた憲法理論を提示し、それを更に詳述することから始めるであろう。その憲法理論は他の裁判官が展開する理論とは多かれ少なかれ異なっているかもしれない。というのも、憲法理論は政治哲学や道徳哲学に関する判断と同時に、制度的適合性に関する複雑な争点についての判断をも要求し、したがってハーキュリーズの判断は不可避的に他の裁判官が行う判断とは異なったものになるからである。垂直的な配列関係の高いレベルで認められるこれらの差異は、低いレヴェルで各裁判官が提出する理論体系に相当程度の影響力を及ぼすことになろう。」
(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013),『権利論』,第3章 難解な事案,5 法的権利,B コモン・ロー,木鐸社(2003),pp.145-146,木下毅(訳),野坂泰司(訳),小林公(訳))
(索引:憲法理論,憲法,先例,制定法,政治哲学,道徳哲学,争点,法理論)

権利論


(出典:wikipedia
ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013)の命題集(Propositions of great philosophers)  「法的義務に関するこの見解を我々が受け容れ得るためには、これに先立ち多くの問題に対する解答が与えられなければならない。いかなる承認のルールも存在せず、またこれと同様の意義を有するいかなる法のテストも存在しない場合、我々はこれに対処すべく、どの原理をどの程度顧慮すべきかにつきいかにして判定を下すことができるのだろうか。ある論拠が他の論拠より有力であることを我々はいかにして決定しうるのか。もし法的義務がこの種の論証されえない判断に基礎を置くのであれば、なぜこの判断が、一方当事者に法的義務を認める判決を正当化しうるのか。義務に関するこの見解は、法律家や裁判官や一般の人々のものの観方と合致しているか。そしてまたこの見解は、道徳的義務についての我々の態度と矛盾してはいないか。また上記の分析は、法の本質に関する古典的な法理論上の難問を取り扱う際に我々の助けとなりうるだろうか。
 確かにこれらは我々が取り組まねばならぬ問題である。しかし問題の所在を指摘するだけでも、法実証主義が寄与したこと以上のものを我々に約束してくれる。法実証主義は、まさに自らの主張の故に、我々を困惑させ我々に様々な法理論の検討を促すこれら難解な事案を前にして立ち止まってしまうのである。これらの難解な事案を理解しようとするとき、実証主義者は自由裁量論へと我々を向かわせるのであるが、この理論は何の解決も与えず何も語ってはくれない。法を法準則の体系とみなす実証主義的な観方が我々の想像力に対し執拗な支配力を及ぼすのは、おそらくそのきわめて単純明快な性格によるのであろう。法準則のこのようなモデルから身を振り離すことができれば、我々は我々自身の法的実践の複雑で精緻な性格にもっと忠実なモデルを構築することができると思われる。」
(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013),『権利論』,第1章 ルールのモデルⅠ,6 承認のルール,木鐸社(2003),pp.45-46,木下毅(訳),野坂泰司(訳),小林公(訳))

ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013)
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