2018年8月11日土曜日

模倣による学習や、模倣による行為の再現のためには、ミラーニューロン系の存在が必要ではあるが、十分ではない。ミラーニューロン系を制御する他の皮質野の介入が必要である。(ジャコモ・リゾラッティ(1938-))

ミラーニューロン系の制御

【模倣による学習や、模倣による行為の再現のためには、ミラーニューロン系の存在が必要ではあるが、十分ではない。ミラーニューロン系を制御する他の皮質野の介入が必要である。(ジャコモ・リゾラッティ(1938-))】
 ミラーニューロン系を制御するシステムが必要で、このシステムには促進機能と抑制機能の二つの機能が欠かせない。
 (1) 他者が対象物へ働きかける運動行為を見るとき、その対象物をつかむ、持つといった運動特性に呼応した、観察者が知っている運動感覚の表象が自動的に現れる。この表象が行為の「意味」であり、他者の「意図」である。これは、ミラーニューロンにより実現されている。
 (2)抑制機能がないと、目にした運動行為が自動的に再現されてしまう。実際、前頭葉に広範囲の損傷がある患者は、目にした他者の行為、とくに治療してもらっている医師の行為を繰り返してしまう。また、他者の行為を反射的に模倣してしまう「反響動作症」という障害も存在する。
 (3)模倣による学習や、運動レパートリーに属している行為を実際に再現するためには、ミラーニューロン系以外の皮質野の介入を必要とする。また、潜在的行為を、実際の運動行為の実行へと移行される促進機能も必要である。

 「この分析は、どちらの模倣のかたちもミラー特性を持つ皮質野の活性化に頼っていることを示しており、これは、他者の行為を観察することで得た視覚情報を、それに対応する運動表象と結びつけるメカニズムが存在することを示唆している。サルとは対照的に、ヒトのミラーニューロン系は「他動詞的」な行動と「自動詞的」な行動の両方をコードし、観察した行為の時間的な側面を正確に把握していることがわかっている。したがって、ヒトはこの優れた運動レパートリーのおかげで、模倣、なかでも模倣による学習で、サルより大きな潜在能力を持つと考えられる。
 それでもやはり、運動レパートリーの豊かさだけが学習能力を決めることにはならないし、ミラーニューロン系の存在にしても同じだ。ミラーニューロン系が《必要条件》であるのは確かだが、それだけでは模倣を達成する《十分条件》にはならない。これは、つい先ほど見たようにミラーニューロン系以外の皮質野の介入を必要とする。模倣によって《学習する》能力に対して言えるだけでなく、他人がした行為で私たちの運動レパートリーに属している行為を《再現する》能力にも当てはまる。模倣にはミラーニューロン系を制御するシステムが必要で、このシステムには促進機能と抑制機能の二つの機能が欠かせない。ミラーニューロンによってコードされた潜在的行為を、観察者から求められたときに実際の運動行為の実行へと移行される促進機能は不可欠だが、同時に、この移行を抑える抑制機能も必要となる。もしそれが働かなかったら、自動的に行動が再現されてしまう。私たちが目にする運動行為がすべてたちまち再現されることになる。幸い、抑制機能のおかげでそうならずに済んでいる。
 ミラーニューロン系を制御するメカニズムの存在は豊富なデータ(そのほとんどが臨床データ)に裏づけられている。前頭葉に広範囲の損傷がある患者は、目にした他者の行為、とくに治療してもらっている医師の行為を繰り返してしまい、それがなかなかやめられないことが知られている。(いわゆる「模倣行動」)。このような制御メカニズムの障害の度合いがより深刻な患者に見られる場合のある病的行動として、「反響動作症」も挙げられる。この障害を抱えた患者は、他者の行為をただちに模倣せずにはいられない傾向を持っており、たとえそれが非常に奇異な行為であってもほとんど反射作用のように模倣してしまう。このように、前頭葉に損傷があると、前頭-頭頂回路によってコードされた潜在的行為の模倣行為への変換を遮断するブレーキ・メカニズムが排除されることがわかる。この遮断は、前頭-頭頂回路に全般的な促進機能を働かせると思われる前部内側領域(たとえば前補足運動野)の抑制によって引き起こされる。」
(ジャコモ・リゾラッティ(1938-),コラド・シニガリア(1966-),『ミラーニューロン』,第6章 模倣と言語,紀伊國屋書店(2009),pp.168-169,柴田裕之(訳),茂木健一郎(監修))
(索引:ミラーニューロン系の制御,反響動作症)

ミラーニューロン


(出典:wikipedia
ジャコモ・リゾラッティ(1938-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「みなさんは、行為の理解はまさにその性質のゆえに、潜在的に共有される行為空間を生み出すことを覚えているだろう。それは、模倣や意図的なコミュニケーションといった、しだいに複雑化していく相互作用のかたちの基礎となり、その相互作用はますます統合が進んで複雑化するミラーニューロン系を拠り所としている。これと同様に、他者の表情や動作を知覚したものをそっくり真似て、ただちにそれを内臓運動の言語でコードする脳の力は、方法やレベルは異なっていても、私たちの行為や対人関係を具体化し方向づける、情動共有のための神経基盤を提供してくれる。ここでも、ミラーニューロン系が、関係する情動行動の複雑さと洗練の度合いに応じて、より複雑な構成と構造を獲得すると考えてよさそうだ。
 いずれにしても、こうしたメカニズムには、行為の理解に介在するものに似た、共通の機能的基盤がある。どの皮質野が関与するのであれ、運動中枢と内臓運動中枢のどちらがかかわるのであれ、どのようなタイプの「ミラーリング」が誘発されるのであれ、ミラーニューロンのメカニズムは神経レベルで理解の様相を具現化しており、概念と言語のどんなかたちによる介在にも先んじて、私たちの他者経験に実体を与えてくれる。」
(ジャコモ・リゾラッティ(1938-),コラド・シニガリア(1966-),『ミラーニューロン』,第8章 情動の共有,紀伊國屋書店(2009),pp.208-209,柴田裕之(訳),茂木健一郎(監修))
(索引:)

ジャコモ・リゾラッティ(1938-)
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遅延刺激による遡及性の促進効果:遅延刺激が皮質への直接的な微弱な刺激の場合には、最大400msの遅れた刺激でも、先行刺激を遡及して強める。すなわち遅延刺激は、条件によってマスキング効果と促進効果の両方を持つ。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

遅延刺激による遡及性の促進効果

【遅延刺激による遡及性の促進効果:遅延刺激が皮質への直接的な微弱な刺激の場合には、最大400msの遅れた刺激でも、先行刺激を遡及して強める。すなわち遅延刺激は、条件によってマスキング効果と促進効果の両方を持つ。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))】

     2番目の刺激S2
     S1より強く感じられる
          ↑
          │
感覚皮質の活性化─促進
 ↑       ↑
2番目の刺激    │
 S2       │
 │       │
 │    3番目の刺激
 │       │
 │       │
  50~1000ms遅れ

(a)遅延する条件刺激は皮質への刺激
 1番目の刺激(テスト刺激の大きさを評価するための対照刺激)
  皮膚へ微弱な単発のパルスを与える。S1
 2番目の刺激(テスト刺激)
  1番目と同じ、皮膚へ微弱な単発のパルスを与える。S2
  1番目の刺激から、5秒間の間隔を置いている。
 3番目の刺激(条件刺激)
  電極を使って、皮質へ連発したパルスを与える。
  このパルスは、マスキングの時より、小さい刺激である。
  2番目の刺激S2から、50~1000ms遅れて与える。
 結果
  S2の後、最大400ms以上遅れていたとしても、S1よりもS2の刺激のほうが強く感じされると被験者は報告する。

 「また私たちは、遅延刺激が最初の皮膚感覚をマスキングする代わりに遡及的に促進、または強化することができるという、驚くべき発見をしました。これは、遅延刺激を生み出すのに、より小さい電極を使って感覚皮質に接触したときに発見しました。この実験では、最初の微弱な皮膚パルスとして、5秒間の間隔を置いた同一のパルスを二回送ります。被験者は、二番目の皮膚刺激(S2)が一番目(S1)と比べて同じか、弱いか、強く感じられるかを報告するように指示を受けます。二番目の皮膚パルスS2の後、50~1000ミリ秒間の間隔をおいて、遅延皮質刺激を与えます。ほとんどの試行において、皮質刺激が始まると、それがS2の後、最大400ミリ秒以上遅れていたとしても、S1よりもS2の刺激のほうが強く感じされると被験者は報告します。〔訳注=S1はS2に対して通常抑制的な効果を持ち、したがってS2は、S2を単独で提示した場合に比べ、弱く感じられる。しかし、この場合、皮質連発刺激によってS2はS1による抑制効果から解放され、より強く感じられる。先行刺激S1の有無と電極の大きさなどの要因によって、マスキングが起こるか促進が起こるかが決まる。〕
 その後、私たちは、テスト刺激と条件刺激の両方が、同じ電極を経て指の皮膚に与えられた場合の遡及性の促進(または強化)について、ピエロンとシーガル(1939年)がすでに報告していたことを発見しました。最初の刺激、または(二番目の)テスト刺激が閾値より下である場合に、効果が見られます。テスト刺激の後、20~400ミリ秒間の間隔を置いて閾値より上の条件刺激が続く場合、知覚可能になります。
 これは明らかに、微弱な皮膚パルスによって生じた意識感覚が、約500ミリ秒間遅れた二番目の入力によって遡及的に修正され得ることになります。このことは、皮膚刺激のアウェアネスを生み出す0.5秒間の脳の活動、という私たちが仮定した必要条件を十分にサポートします。
 遡及性の促進という発見が、重要な理論上の要因として、こうした考えをさらに支持することになりました。遡及性のマスキング/抑制については、遅れた皮質刺激がそれに先立つ皮膚刺激の記憶の形成を単に混乱させているだけだ、という主張がありました。この主張は、脳の広範な領域への全体的な強い電気刺激が(電気ショック療法の場合のように)最新の記憶を破壊するという事実に、ある程度基づくものです。しかし難治性のうつ病に罹っている患者への治療目的で与えられるこのような電撃によるショック療法では、脳の大部分が強く興奮するため、結果として発作が生じます。私たちが扱っている遡及性の効果を得る場合は、皮質の中に局所的な発作を起こすのに必要な強さよりもはるかに微弱な力で、感覚皮質の小さな領域に限局して、遅延刺激が与えられています。従って、遡及効果のあるマスキングが記憶を破壊するという主張は、非常に弱いものです。しかも、遡及性の促進では、記憶の喪失はまったくありません。被験者は二番目の皮膚刺激を、一番目の条件刺激よりも強いものとして記憶しているのです。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第2章 意識を伴う感覚的なアウェアネスに生じる遅延,岩波書店(2005),pp.60-63,下條信輔(訳))
(索引:遅延刺激による遡及性の促進効果)

マインド・タイム 脳と意識の時間


(出典:wikipedia
ベンジャミン・リベット(1916-2007)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「こうした結果によって、行為へと至る自発的プロセスにおける、意識を伴った意志と自由意志の役割について、従来とは異なった考え方が導き出されます。私たちが得た結果を他の自発的な行為に適用してよいなら、意識を伴った自由意志は、私たちの自由で自発的な行為を起動してはいないということになります。その代わり、意識を伴う自由意志は行為の成果や行為の実際のパフォーマンスを制御することができます。この意志によって行為を進行させたり、行為が起こらないように拒否することもできます。意志プロセスから実際に運動行為が生じるように発展させることもまた、意識を伴った意志の活発な働きである可能性があります。意識を伴った意志は、自発的なプロセスの進行を活性化し、行為を促します。このような場合においては、意識を伴った意志は受動的な観察者にはとどまらないのです。
 私たちは自発的な行為を、無意識の活動が脳によって「かきたてられて」始まるものであるとみなすことができます。すると意識を伴った意志は、これらの先行活動されたもののうち、どれが行為へとつながるものなのか、または、どれが拒否や中止をして運動行動が現れなくするべきものなのかを選びます。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第4章 行為を促す意図,岩波書店(2005),pp.162-163,下條信輔(訳))
(索引:)

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2.人間の科学と技術の営みを考えると、次の命題が正しいことを確信させる:世界3の対象は、世界2を経由して間接的に、物理的な世界1に働きかける。ゆえに、世界1を実在的と呼ぶならば、それに作用する世界3も実在的な対象である。(カール・ポパー(1902-1994))

世界3の実在性

【人間の科学と技術の営みを考えると、次の命題が正しいことを確信させる:世界3の対象は、世界2を経由して間接的に、物理的な世界1に働きかける。ゆえに、世界1を実在的と呼ぶならば、それに作用する世界3も実在的な対象である。(カール・ポパー(1902-1994))】

 科学理論の構築は、科学者による既存の理論の理解、新しい問題の発見、解決法の提案、批判的な議論など長い知的な仕事によるものだが、ここには個々の科学者の世界2の寄せ集めを超える世界が存在する。これが、世界3である。そして、これら科学理論の応用である人工物が、世界1に実現されて、地球表面を覆っていることを考えてみよ。これらが世界1の中だけで実現されていると考えられ得るか。世界2の寄せ集めだけで実現されていると考えられ得るか。このように考えると、世界3の実在性は確かなものに思える。

(再掲)
世界3
(a)世界3とは、物語、説明的神話、道具、真であろうとなかろうと科学理論、科学上の問題、社会制度、芸術作品(彫刻、絵画など)のような人間の心の所産の世界である。
(b)対象の多くは物体の形で存在し、世界1に属している。例として、書物そのものは、世界1に属している。
(c)しかし、人間の心の所産である対象が、人間とともに存在しているとき、そこに世界1、世界2とは異なる世界が生まれる。例えば書物には「内容」が存在する。この内容は世界1ではないし、読者の個人的な世界2でもない。これは、世界3に属している。内容は、本ごとや版ごとで変わりはしない。
(d)世界3の対象は、世界2を経由して間接的に、物理的な世界1に働きかける。ゆえに、世界1を実在的と呼ぶならば、それに作用する世界3も実在的な対象である。
(e)世界3の対象は、世界2と世界1を経由して、世界3の他の対象を作り出す。
(f)世界3の諸対象は、我々自身の手になるものであるが、それらは必ずしも常に個々人によって計画的に生産された結果ではない。

 「世界3の対象が実在的であるという見解に反対する者は、この分析への返答として、そこに含まれているすべては世界1の対象であると主張するかもしれない。

つまり、ある人がそのような対象を形作り、したがってそのことから他の人々が彼をまねるようになるのだから、そこにはそれ以上のものは含まれていない、と。

 私は別の、おそらくより納得のゆく例を出すことでこれに答えよう。

それは科学理論の構築と、その批判的な議論、その試験的な受容、そして地球表面を、したがって世界1を変化させるかもしれないそれの応用である。
 生産的な科学者は原則として《問題》から出発する。彼は問題を理解しようとするだろう。通常これは長い知的な仕事である――世界2が世界3の対象を把握しようと試みるのである。明らかに、そうする時には彼は書物(あるいはその他の世界1の物象化された形での科学的な道具)を用いるだろう。

 だが、彼の《問題》はそれら書物には述べられていないかもしれない。むしろ彼はそこに述べられている《諸理論》の中に理解しがたいことを見出すことで、それを問題として発見することだろう。これは創造的な努力、つまり抽象的な問題状況を把握するための努力を含んでいる。もし可能なら、以前になされたものよりさらによく把握しよう、という努力である。そして彼は彼の解決、彼の新しい理論を作り出すことになる。

 これは言葉によって多くの仕方で定式化できる。彼はそれらの一つを選ぶ。そして自らの理論を批判的に議論するだろう。その結果として理論を大幅に修正するかもしれない。そしてそれは出版され、論理的基盤に基づいて、そしてそれをテストするために行われる新しい実験をできる限り踏まえて、その他の人々によって論議される。そしてテストに失敗すれば、その理論は破棄されることになろう。このような真剣な知的努力をすべて行なった後ではじめて、だれか別の人が適用可能な進んだ技術的応用を発見し、これが世界1に働きかける。」
(カール・ポパー(1902-1994)『自我と脳』第1部、P2章 世界1・2・3、11――世界3の実在性(上)pp.67-68、思索社(1986)、西脇与作・沢田允茂(訳))
(索引:世界3)

自我と脳


(出典:wikipedia
カール・ポパー(1902-1994)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「あらゆる合理的討論、つまり、真理探究に奉仕するあらゆる討論の基礎にある原則は、本来、《倫理的な》原則です。そのような原則を3つ述べておきましょう。
 1.可謬性の原則。おそらくわたくしが間違っているのであって、おそらくあなたが正しいのであろう。しかし、われわれ両方がともに間違っているのかもしれない。
 2.合理的討論の原則。われわれは、ある特定の批判可能な理論に対する賛否それぞれの理由を、可能なかぎり非個人的に比較検討しようと欲する。
 3.真理への接近の原則。ことがらに即した討論を通じて、われわれはほとんどいつでも真理に接近しようとする。そして、合意に達することができないときでも、よりよい理解には達する。
 これら3つの原則は、認識論的な、そして同時に倫理的な原則であるという点に気づくことが大切です。というのも、それらは、なんと言っても寛容を合意しているからです。わたくしがあなたから学ぶことができ、そして真理探究のために学ぼうとしているとき、わたくしはあなたに対して寛容であるだけでなく、あなたを潜在的に同等なものとして承認しなければなりません。あらゆる人間が潜在的には統一をもちうるのであり同等の権利をもちうるということが、合理的に討論しようとするわれわれの心構えの前提です。われわれは、討論が合意を導かないときでさえ、討論から多くを学ぶことができるという原則もまた重要です。なぜなら討論は、われわれの立場が抱えている弱点のいくつかを理解させてくれるからです。」
 「わたくしはこの点をさらに、知識人にとっての倫理という例に即して、とりわけ、知的職業の倫理、つまり、科学者、医者、法律家、技術者、建築家、公務員、そして非常に重要なこととしては、政治家にとっての倫理という例に即して、示してみたいと思います。」(中略)「わたくしは、その倫理を以下の12の原則に基礎をおくように提案します。そしてそれらを述べて〔この講演を〕終えたいと思います。
 1.われわれの客観的な推論知は、いつでも《ひとりの》人間が修得できるところをはるかに超えている。それゆえ《いかなる権威も存在しない》。このことは専門領域の内部においてもあてはまる。
 2.《すべての誤りを避けること》は、あるいはそれ自体として回避可能な一切の誤りを避けることは、《不可能である》。」(中略)「
 3.《もちろん、可能なかぎり誤りを避けることは依然としてわれわれの課題である》。しかしながら、まさに誤りを避けるためには、誤りを避けることがいかに難しいことであるか、そして何ぴとにせよ、それに完全に成功するわけではないことをとくに明確に自覚する必要がある。」(中略)「
 4.もっともよく確証された理論のうちにさえ、誤りは潜んでいるかもしれない。」(中略)「
 5.《それゆえ、われわれは誤りに対する態度を変更しなければならない》。われわれの実際上の倫理改革が始まるのは《ここにおいて》である。」(中略)「
 6.新しい原則は、学ぶためには、また可能なかぎり誤りを避けるためには、われわれは《まさに自らの誤りから学ば》ねばならないということである。それゆえ、誤りをもみ消すことは最大の知的犯罪である。
 7.それゆえ、われわれはたえずわれわれの誤りを見張っていなければならない。われわれは、誤りを見出したなら、それを心に刻まねばならない。誤りの根本に達するために、誤りをあらゆる角度から分析しなければならない。
 8.それゆえ、自己批判的な態度と誠実さが義務となる
 9.われわれは、誤りから学ばねばならないのであるから、他者がわれわれの誤りを気づかせてくれたときには、それを受け入れること、実際、《感謝の念をもって》受け入れることを学ばねばならない。われわれが他者の誤りを明らかにするときは、われわれ自身が彼らが犯したのと同じような誤りを犯したことがあることをいつでも思い出すべきである。」(中略)「
 10.《誤りを発見し、修正するために、われわれは他の人間を必要とする(また彼らはわれわれを必要とする)ということ》、とりわけ、異なった環境のもとで異なった理念のもとで育った他の人間を必要とすることが自覚されねばならない。これはまた寛容に通じる。
 11.われわれは、自己批判が最良の批判であること、しかし《他者による批判が必要な》ことを学ばねばならない。それは自己批判と同じくらい良いものである。
 12.合理的な批判は、いつでも特定されたものでなければならない。それは、なぜ特定の言明、特定の仮説が偽と思われるのか、あるいは特定の論証が妥当でないのかについての特定された理由を述べるものでなければならない。それは客観的真理に接近するという理念によって導かれていなければならない。このような意味において、合理的な批判は非個人的なものでなければならない。」
(カール・ポパー(1902-1994),『よりよき世界を求めて』,第3部 最近のものから,第14章 寛容と知的責任,VI~VIII,pp.316-317,319-321,未来社(1995),小河原誠,蔭山泰之,(訳))

カール・ポパー(1902-1994)
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