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2022年1月13日木曜日

目的や目標に関して合意がある場合、その目的の役に立つかどうかで、あるものの価値(道具的価値)が判断できる。では、その目的や目標についてはどうだろう。単なる好き嫌いの違いである(主観的価値)と考えられる場合と、そのもの独自の本来的な価値(本来的価値)があると主張される場合とがある。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))

道具的価値、主観的価値、本来的価値

目的や目標に関して合意がある場合、その目的の役に立つかどうかで、あるものの価値(道具的価値)が判断できる。では、その目的や目標についてはどうだろう。単なる好き嫌いの違いである(主観的価値)と考えられる場合と、そのもの独自の本来的な価値(本来的価値)があると主張される場合とがある。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))




(a)道具的価値
 ある物の価値が、人々の欲する何か他の物を得ることに役立つという、その物の有益 性・能力に依存している場合、その物は道具的な(instrumentally)価値を有しているので ある。

(b)主観的価値
 またある物は、たまたまそれを望む人々にとってのみの主観的な(subjectively)価値を 有していることがある。私は、それらが嫌いな人々が何か誤りをしているとか、真に価値ある物に対し て当然払うべき敬意を払っていないとは考えない。彼らはたまたま私がすることを好きでない か、欲しないだけなのである。

(c)本来的価値
 反対にある物の価値が、人々がたまたま楽しんだり、欲したり、必要としたり、あるいは彼 らにとって良いものとされることとは独立した(independent)存在であるならば、そ の物は本来的な(intrinsically)価値を有しているということになる。たいていの人々は 少なくともある物や出来事を、そのような方法で本来的な価値があるものとして扱うのであ る。
(d)文化は本来的価値をもつ
 人々は、個々の絵画やその他の芸術作品だけでなく、より一般的に人類の文化(全体)を もそのような方法で扱うのであり、何らかの独特の文化形態――特に複雑で興味深いもの――が死 滅したり衰えたりする場合、それを恥ずべきことと考えるのである。


「◇価値の三つの種類――道具的価値、主観的価値と本来的価値  人間の生命には本来的な価値があると言う、のは、どういうことを意味しているのだろう か? ある物の価値が、人々の欲する何か他の物を得ることに役立つという、その物の有益 性・能力に依存している場合、その物は道具的な(instrumentally)価値を有しているので ある。例えばお金や薬は道具的にのみ価値がある。お金には人々が欲したり必要とする物を購 買する力以上の価値があるとか、薬には人々を治療する能力以上の価値があるとは誰も考えて いない。  またある物は、たまたまそれを望む人々にとってのみの主観的な(subjectively)価値を 有していることがある。スコッチ・ウィスキーを飲んだり、アメリカン・フットボールの試合 を観戦したり、日光浴をすることは、私のようにたまたまそれを楽しみとする人々にとっての み価値がある。私は、それれが嫌いな人々が何か誤りをしているとか、真に価値ある物に対し て当然払うべき敬意を払っていないとは考えない。彼らはたまたま私がすることを好きでない か、欲しないだけなのである。  反対にある物の価値が、人々がたまたま楽しんだり、欲したり、必要としたり、あるいは彼 らにとって良いものとされることとは《独立した》(independent)存在であるならば、そ の物は本来的な(intrinsically)価値を有しているということになる。たいていの人々は 少なくともある物や出来事を、そのような方法で本来的な価値があるものとして扱うのであ る。我々がそれらの物を尊重し保護すべきものと考えるのは、それらがもともと価値があるか らなのであり、我々や他の人々がそれらを欲するとか楽しむ場合やそれを理由とするからだけ ではないのである。  多くの人々は、例えば偉大な絵画には本来的な価値があると考えている。それらのものが価 値をもっており尊重され保護されるべきであるというのは、それらの芸術固有の属性 (inherent quality)によるのであり、人々がたまたまそれを見て楽しんだり、それらの 前で立ちどまって、何らかの知識や楽しい美的経験を見いだしたりするということによるので はない。一般に(このような場合)人々がレンブラント作の自画像の一つを見たいと思うの は、その絵がすばらしいからなのであり、人々がそれを見たいと思うからすばらしいのではな い、と言われている。」(中略)  「人々は、個々の絵画やその他の芸術作品だけでなく、より一般的に人類の文化(全体)を もそのような方法で扱うのであり、何らかの独特の文化形態――特に複雑で興味深いもの――が死 滅したり衰えたりする場合、それを恥ずべきことと考えるのである。くり返しになるが、文化 的な多様性が人々の人生を刺激あるものとすることに貢献しているという観点のみでは、この ことは十分には説明することができないのである。例えば人々が、美術館を創ってある種の原 始的な芸術形態を保護すると共にそれに対する関心を維持するのは、その作品がすばらしいと か美しいと思っているという理由や場合だけではなく、人類が作り出してきた芸術形態があた かも存在しなかったように失われてしまうならば、それは恐るべき破壊であると考えているか らでもある。  人々は、伝承文化や発達した工業文化の一部に対しても概ね同様の態度をとっている。例えば人々が、伝統工芸が消滅することに困惑するのは、その生産物を必要としている場合――おそ らく我々は必要とはしていないが――だけではなく、伝統工芸のもの想像力の全体像が消滅して しまうならば、それは深刻な破壊と思われるからでもある。」
(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013),『ライフズ・ドミニオン』,第3章 神聖さとは何か, 神聖さという思想,信山社(1998),pp.118-120,水谷英夫,小島妙子(訳))

ライフズ・ドミニオン 中絶と尊厳死そして個人の自由 [ ロナルド・ドゥウォーキン ]


ロナルド・ドゥオーキン
(1931-2013)

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