2020年5月18日月曜日

幼児は自分の不快に対してのみならず,他者の不快に対しても苦悩の身振りを示す。苦痛で顔をしかめたり泣いたりする家族に,幼児はその苦悩を経験するだけでなく,怪我の場所に手を当てたり撫でたりする(生後14ヵ月)(スコット・M・ジェイムズ(19xx-))

他者の不快への反応

【幼児は自分の不快に対してのみならず,他者の不快に対しても苦悩の身振りを示す。苦痛で顔をしかめたり泣いたりする家族に,幼児はその苦悩を経験するだけでなく,怪我の場所に手を当てたり撫でたりする(生後14ヵ月)(スコット・M・ジェイムズ(19xx-))】

 「道徳心への道のりは、いわば苦悩(distress)から始まる。幼児は人生最初の数時間のうちにすでに一連の感情を経験するようだが、ある一つの感情がとくに際立っている。それは苦悩の感情である。幼児は自分自身の不快に対してのみならず、他者の不快に対しても苦悩の身振りを示す。幼児は、周りの人の苦悩を反映するよう傾向づけられているように思われる。泣くときには、世界(周りの新生児たち)と一緒に泣くのである。心理学者のナンシー・アイゼンバーグはこの感受性を「原初的な形態の感情移入」(Eisenberg and Mussen 1989:789)として解釈している。あなたや私が他者に感情移入するとき、我々は単に他者の苦悩の状態について信念を抱くようになるというだけでなく(これは共感とも呼ばれる)、その状態の「薄れたコピー」を実際に経験する。我々は他者の痛みを《感じる》のだ。幼児は、おそらく隣人の感情についての信念をもっていないにもかかわらず、他者が感じていることに《共鳴する》ようだ。この苦悩テストが道徳の出発点となる。なぜなら、他者の痛みを感じることはただちに我々を行動へと駆り立てるからだ。我々は苦痛を止めたいと願う。(これを道徳的感情と呼ぶのはおそらく時期尚早である、なぜなら苦痛を止めたいと願うのには利己的な理由がありうるからである。)
 魅力的な一連の研究の中で、心理学者キャロライン・ザーン=ワクスラーら(Zahn-Waxler et al.1991)はこの反応が驚くほど幼い時期から始まることを示した。ザーン=ワクスラーらが発見したのは、生後一四か月の子どもが、他人の苦悩に反応して苦悩を経験するだけでなく、苦悩している人を楽にしようと、誰かに促されることなく動くということだった。ザーン=ワクスラーは子どもの家族に苦痛で顔をしかめたり泣いたりするふりをさせた。それに反応して子どもは、何らかの本能によってであるかのように、家族に手を当てたり、けがの場所を撫でたりしたのである。子どもがすでに反応の仕方を《教えられていた》か、適切な仕方で反応する他者を観察していたという事実によって説明されるならば、このような発見はそれほど驚くことではないだろう。しかし実際のところ、生後一四か月の子どもが言語を習得していることはありえない。そして、子どもたちを主に世話をしている人々が苦悩している姿を一度も見せたことがないにもかかわらず、彼らは同情的な反応を示したのである。」
(スコット・M・ジェイムズ(19xx-)『進化倫理学入門』第1部「利己的な遺伝子」から道徳的な存在へ、第5章 美徳と悪徳の科学、pp.126-127、名古屋大学出版会(2018)、児玉聡(訳))
(索引:他者の不快への反応,苦悩)

進化倫理学入門


(出典:UNC Wilmington
スコット・M・ジェイムズの命題集(Propositions of great philosophers)  「道徳的生物を道徳的たらしめるものには、いくつかのことが関係していると考えられる。以下のものが道徳判断の形成についての概念的真理を表すと思われる。
(1)道徳的生物は禁止というものを理解する。
(2)道徳的禁止は我々の欲求に依存しないように思われ、
(3)法律のような人間の取り決めに依存するようにも思われない。むしろ、それらは主観的ではなく客観的なもののように思われる。
(4)道徳判断は動機と密接に結びついている。ある行為は間違っていると心から判断することは、少なくともその行為をするのを《差し控えたい》という欲求を含意しているようである。
(5)道徳判断は功罪の観念を含意する。道徳的に禁止されていると知っていることをすることは、処罰が正当化されうるということを含意する。
(6)我々のような道徳的生物は、自身の悪事に対して、ある特有の《感情的》反応を示し、そしてこの反応はしばしば我々を、その悪事の償いをするよう駆り立てる。」
(スコット・M・ジェイムズ(19xx-)『進化倫理学入門』第1部「利己的な遺伝子」から道徳的な存在へ、第3章 穴居人の良心、p.81、名古屋大学出版会(2018)、児玉聡(訳))
(索引:)

スコット・M・ジェイムズ(19xx-)
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当該犯罪者と類似する潜在的犯罪を抑止するという前方視的な処罰理論と、応報または公正な報いのための後方視的な処罰理論に対して、人々は双方に理解を示すが、特定の事例では後者の理論に突き動かされる傾向がある。(スコット・M・ジェイムズ(19xx-))

応報または公正な報いか、抑止か

【当該犯罪者と類似する潜在的犯罪を抑止するという前方視的な処罰理論と、応報または公正な報いのための後方視的な処罰理論に対して、人々は双方に理解を示すが、特定の事例では後者の理論に突き動かされる傾向がある。(スコット・M・ジェイムズ(19xx-))】
 「しかしながら、処罰に関するこれらの研究のすべては、《なぜ罰するのか》という、より深遠な質問には答えていない。我々が他人を罰するとき、何が我々を突き動かしているのか。悪事を働く人に償わせることを、我々はいかにして(たとえば、自分自身に対して)正当化するのか。これらの疑問は、我々の道徳感覚における処罰の役割をより真剣に考えるように我々を促し、また我々の道徳感覚はやはり適応であったという考えを支持する一つの独立した論拠を提供するかもしれない。処罰の心理学は研究の非常に新しい領域であるが、いくつかの知見は示唆的である。
 心理学者のケビン・カールスミス、ジョン・ダーレイ、ポール・ロビンソン(2002)は、次の実験によって、我々の「処罰に対する素朴な真理」の本質を掴もうとした。そのテストは処罰の決定にあたって、道徳規範の侵犯がもつどの特徴が、我々に最も影響を与えるかを見るものであった。もっと正確に言えば、このテストは処罰についての競合する哲学理論のうちのいずれを人々が一般に支持しているのかを明らかにするようにデザインされていた。一つの処罰の哲学は、《抑止》モデルであって、「前方視的(forward-looking)」である。すなわち、我々は今後生じるよい結果のために罰する。それは《この》犯罪者のみならず、潜在的な犯罪者が将来似たような違法行為をすることを抑止するものである。もう一つの処罰の哲学は《応報または公正な報い》モデルであって、「後方視的(backward-looking)」である。すなわち、不正が犯されたがゆえに、また悪事を働いた者は罰せられるに値するがゆえに、我々は罰する。罰は罪と釣り合っている。なぜなら、狙いは「不正を正す」ことだからである。興味深いことに、被験者がこれら二つの処罰のモデルを与えられたときに、被験者は概して「両方に肯定的な態度」を持ち、「他方を犠牲にして一方を好む傾向をそれほど示さなかった」(Carlsmith et al.2002:294)しかしながら、被験者が、特定の悪事の行為への応答として、実際に処罰(全然厳しくないものから非常に厳しいものまで、あるいは無罪から終身刑まで)を与える機会が与えられると、被験者は「主として公正な報いという動機から」行動した(2002:289)。つまり、被験者はほぼ排他的に公正な報いモデルによって特徴づけられる点(たとえば、罪の深刻さと情状酌量の欠如)に反応しており、抑止モデルによって特徴づけられる点(たとえば、〔犯罪の〕発覚の可能性と〔事件の〕知名度)を無視しているように見えた。結論は次のとおりである。人々は異なる処罰の正当化に対して一般的な支持を表明するかもしれないが、特定の事例を扱うときには、ほとんど常に「処罰に値する罪を犯したかどうかに限定した立場」によって突き動かされている(2002:295)。」
(スコット・M・ジェイムズ(19xx-)『進化倫理学入門』第1部「利己的な遺伝子」から道徳的な存在へ、第4章 公正な報い、pp.104-105、名古屋大学出版会(2018)、児玉聡(訳))
(索引:応報または公正な報い,処罰の抑止モデル,道徳規範)

進化倫理学入門


(出典:UNC Wilmington
スコット・M・ジェイムズの命題集(Propositions of great philosophers)  「道徳的生物を道徳的たらしめるものには、いくつかのことが関係していると考えられる。以下のものが道徳判断の形成についての概念的真理を表すと思われる。
(1)道徳的生物は禁止というものを理解する。
(2)道徳的禁止は我々の欲求に依存しないように思われ、
(3)法律のような人間の取り決めに依存するようにも思われない。むしろ、それらは主観的ではなく客観的なもののように思われる。
(4)道徳判断は動機と密接に結びついている。ある行為は間違っていると心から判断することは、少なくともその行為をするのを《差し控えたい》という欲求を含意しているようである。
(5)道徳判断は功罪の観念を含意する。道徳的に禁止されていると知っていることをすることは、処罰が正当化されうるということを含意する。
(6)我々のような道徳的生物は、自身の悪事に対して、ある特有の《感情的》反応を示し、そしてこの反応はしばしば我々を、その悪事の償いをするよう駆り立てる。」
(スコット・M・ジェイムズ(19xx-)『進化倫理学入門』第1部「利己的な遺伝子」から道徳的な存在へ、第3章 穴居人の良心、p.81、名古屋大学出版会(2018)、児玉聡(訳))
(索引:)

スコット・M・ジェイムズ(19xx-)
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道徳的判断の特徴:(1)道徳は禁止を含む(2)道徳は欲求に依存しない(3)取り決めではなく客観的である(4)道徳は動機と密接に関連する(5)功罪を含意し処罰を正当化する(6)特有の感情が付随し、償いを促す(スコット・M・ジェイムズ(19xx-))

道徳的判断

【道徳的判断の特徴:(1)道徳は禁止を含む(2)道徳は欲求に依存しない(3)取り決めではなく客観的である(4)道徳は動機と密接に関連する(5)功罪を含意し処罰を正当化する(6)特有の感情が付随し、償いを促す(スコット・M・ジェイムズ(19xx-))】

 「道徳的生物を道徳的たらしめるものには、いくつかのことが関係していると考えられる。以下のものが道徳判断の形成についての概念的真理を表すと思われる。
(1)道徳的生物は禁止というものを理解する。
(2)道徳的禁止は我々の欲求に依存しないように思われ、
(3)法律のような人間の取り決めに依存するようにも思われない。むしろ、それらは主観的ではなく客観的なもののように思われる。
(4)道徳判断は動機と密接に結びついている。ある行為は間違っていると心から判断することは、少なくともその行為をするのを《差し控えたい》という欲求を含意しているようである。
(5)道徳判断は功罪の観念を含意する。道徳的に禁止されていると知っていることをすることは、処罰が正当化されうるということを含意する。
(6)我々のような道徳的生物は、自身の悪事に対して、ある特有の《感情的》反応を示し、そしてこの反応はしばしば我々を、その悪事の償いをするよう駆り立てる。」
(スコット・M・ジェイムズ(19xx-)『進化倫理学入門』第1部「利己的な遺伝子」から道徳的な存在へ、第3章 穴居人の良心、p.81、名古屋大学出版会(2018)、児玉聡(訳))
(索引:道徳的判断)

進化倫理学入門


(出典:UNC Wilmington
スコット・M・ジェイムズの命題集(Propositions of great philosophers)  「道徳的生物を道徳的たらしめるものには、いくつかのことが関係していると考えられる。以下のものが道徳判断の形成についての概念的真理を表すと思われる。
(1)道徳的生物は禁止というものを理解する。
(2)道徳的禁止は我々の欲求に依存しないように思われ、
(3)法律のような人間の取り決めに依存するようにも思われない。むしろ、それらは主観的ではなく客観的なもののように思われる。
(4)道徳判断は動機と密接に結びついている。ある行為は間違っていると心から判断することは、少なくともその行為をするのを《差し控えたい》という欲求を含意しているようである。
(5)道徳判断は功罪の観念を含意する。道徳的に禁止されていると知っていることをすることは、処罰が正当化されうるということを含意する。
(6)我々のような道徳的生物は、自身の悪事に対して、ある特有の《感情的》反応を示し、そしてこの反応はしばしば我々を、その悪事の償いをするよう駆り立てる。」
(スコット・M・ジェイムズ(19xx-)『進化倫理学入門』第1部「利己的な遺伝子」から道徳的な存在へ、第3章 穴居人の良心、p.81、名古屋大学出版会(2018)、児玉聡(訳))
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