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2020年7月7日火曜日

無意識の無数の認知機能が計算した確率的な推論結果からサンプルが抽出されるには、意識的な注意の働きが必要なことが、両眼視野闘争の実験などで示されている。ここには、量子力学の観測と類似の状況があるが、未解明である。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

意識的な注意の働き

【無意識の無数の認知機能が計算した確率的な推論結果からサンプルが抽出されるには、意識的な注意の働きが必要なことが、両眼視野闘争の実験などで示されている。ここには、量子力学の観測と類似の状況があるが、未解明である。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))】

(3.3)追記。

(3)気づきの外での情報選択
 無意識の無数の統計マシンが計算した、感覚データの原因となった外界の確率的な推論結果のうちから、その時点における最善の解釈を抽出して、意識を持ったたった一つの意志決定システムへ引き渡す。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))
 (3.1)入力:無意識の認知作用の確率的な推論結果
  無意識の認知作用は、感覚データの原因となった外界についての確率的な推論結果しか示さない。
 (3.2)出力:最善の解釈サンプルの抽出(全か無かのサンプル)
  あらゆる曖昧さを取り除き、その時点における外界の最善の解釈を抽出して、意思決定システムに受け渡す必要がある。私たちがさらなる決断を下せるよう、あらゆる無意識の可能性を整理して、たった一つの意識的なサンプルが抽出される。
 (3.3)作用の担い手:意識的な注意(精神の能動)
  (a)サンプリングは、意識的な注意の働きなくしては生じない。
  (b)例:両眼視野闘争
   (i)二つのイメージに注意を向けていると、それらは絶えず交互に意識に現われる。
   (ii)注意を別の対象に向けると、両眼視野闘争は停止する。
   (iii)サンプリングによる選択は、意識的な注意が向けられているときにのみ生じるらしい。
  (c)意識的な注意の量子力学における観測装置との類似性
   特定の対象に注意を向ける、まさにその意識の活動によって、さまざまな解釈の確率分布が収縮し、そのなかの一つだけを私たちは知覚する。このように意識の活動は、背後に存在する、無意識の計算の広大な領域のわずかな部分を垣間見せる、選別的な測定装置として機能する。
 (3.4)次の入力先:意識を持ったたった一つの意思決定者
  どんな生物も、確率のみに頼って行動できるわけではない。意識化されたサンプルを用いて、自発的行為のための意思決定を行う。

 「サンプリングは、意識的な注意の働きなくしては生じないという意味で、純粋にコンシャスアクセスの機能と考えられる。両目のおのおのに異なるイメージを提示すると生じる不安定な知覚、両眼視野闘争を考えてみよう。二つのイメージに注意を向けていると、それらは絶えず交互に意識に現われる。感覚入力はあいまいで、かつ固定しているが、私たちは一時にはどちらか一方のイメージにしか気づかないため、絶えず交替するものとしてそれらを知覚する。しかし重要なことに、注意を別の対象に向けると、両眼視野闘争は停止する。どうやらサンプリングによる選択は、意識的な注意が向けられているときにのみ生じるらしい。その結果、無意識のプロセスは意識のプロセスにより客観的になる。というのも、無意識の無数のニューロンが、外界の状況に関して真の確率分布を見積もるのに対し、意識はためらうことなく、それを全か無かのサンプルに還元するからだ。
 このプロセスは、奇しくも量子力学に似た側面がある(ニューロンのメカニズムが、古典力学のみに関係することはほぼ間違いないが)。量子力学によれば、物理的実体は、特定の状態で粒子が見出される確率を決定する波動関数の重ね合わせから構成される。しかし私たちが測定を行うやいなや、この確率は、全か無かの固定された状態へと収縮する。私たちは、半分生きていて半分死んでいるという、有名なシュレーディンガーの猫のような奇妙な混合状態を観察することはない。量子論に従えば、測定の行為それ自体によって、確率はたった一つの個別的な状態へと収縮するのである。脳内でも、類似の現象が起こる。つまり特定の対象に注意を向ける、まさにその意識の活動によって、さまざまな解釈の確率分布が収縮し、そのなかの一つだけを私たちは知覚する。このように意識の活動は、背後に存在する、無意識の計算の広大な領域のわずかな部分を垣間見せる、選別的な測定装置として機能する。
 とはいえ、この魅力的なたとえは、表面的なものにすぎないのかもしれない。量子力学の基盤となる数学が、意識的知覚の問題を扱う認知神経科学に適用できるかどうかは、今後の研究成果を待たねばならない。しかし人間の脳内ではそのような分業が至るところに見られ、無意識のプロセスが並行処理によって迅速な計算を実行する統計マシンであるのに対し、意識が緩慢なサンプリング装置であることは確実に言える。これは視覚のみならず言語の領域にも当てはまる。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第3章 意識は何のためにあるのか?,紀伊國屋書店(2015),pp.140-141,高橋洋(訳))
(索引:意識的な注意の働き,意識,注意,量子力学と意識,両眼視野闘争)

意識と脳――思考はいかにコード化されるか


(出典:wikipedia
スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「160億年の進化を経て発達した皮質ニューロンのネットワークが提供する情報処理の豊かさは、現在の私たちの想像の範囲を超える。ニューロンの状態は、部分的に自律的な様態で絶えず変動しており、その人独自の内的世界を作り上げている。ニューロンは、同一の感覚入力が与えられても、その時の気分、目標、記憶などによって異なったあり方で反応する。また、意識の神経コードも脳ごとに異なる。私たちは皆、色、形状、動きなどに関して、神経コードの包括的な一覧を共有するが、それを実現する組織の詳細は、人によって異なる様態で脳を彫琢する、長い発達の過程を通じて築かれる。そしてその過程では、個々のシナプスが選択されたり除去されたりしながら、その人独自のパーソナリティーが形成されていく。
 遺伝的な規則、過去の記憶、偶然のできごとが交錯することで形作られる神経コードは、人によって、さらにはそれぞれの瞬間ごとに独自の様相を呈する。その状態の無限とも言える多様性は、環境に結びついていながら、それに支配はされていない内的表象の豊かな世界を生む。痛み、美、欲望、後悔などの主観的な感情は、この動的な光景のもとで、神経活動を通して得られた、一連の安定した状態のパターン(アトラクター)なのである。それは本質的に主観的だ。というのも、脳の動力学は、現在の入力を過去の記憶、未来の目標から成る布地へと織り込み、それを通して生の感覚入力に個人の経験の層を付与するからである。
 それによって出現するのは、「想起された現在」、すなわち残存する記憶と未来の予測によって厚みを増し、常時一人称的な観点を外界に投影する、今ここについてのその人独自の暗号体系(サイファー)だ。これこそが、意識的な心の世界なのである。
 この絶妙な生物機械は、あなたの脳の内部でたった今も作動している。本書を閉じて自己の存在を改めて見つめ直そうとしているこの瞬間にも、点火したニューロンの集合の活動が、文字通りあなたの心を作り上げるのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第7章 意識の未来,紀伊國屋書店(2015),pp.367-368,高橋洋(訳))
(索引:)

スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)
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2020年5月3日日曜日

4.両眼視野闘争は受動的なものだろうか? それとも、意識的に決められるか? 意識的な注意が欠如すると、二つのイメージはともに処理され、競い合わない。両眼視野闘争には、能動的で注意深い観察者が必要なのだ。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

両眼視野闘争

【両眼視野闘争は受動的なものだろうか? それとも、意識的に決められるか? 意識的な注意が欠如すると、二つのイメージはともに処理され、競い合わない。両眼視野闘争には、能動的で注意深い観察者が必要なのだ。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))】

 「両眼視野闘争は受動的なものだろうか? それともどちらのイメージが戦いに勝利するかを意識的に決められるか? 争う二つのイメージを知覚する際、とめどないイメージの交替に、私たちはまったく受動的に従っているかのような印象を受ける。しかしこの印象は誤りであり、皮質における闘争の過程では注意が重要な役割を果たす。そもそも、どちらか一方のイメージ、たとえば建物より顔に注意を集中すると、そのイメージはいくぶん長い期間見え続ける。とはいえその効果は弱い。要するに、二つのイメージ間の闘争は、私たちのコントロールが及ばない段階からすでに始まっているのだ。
 しかしより重要なことに、勝者の存在自体は、私たちがそれに注意を向けることに依存する。つまり、戦いの舞台そのものは、意識を持つ心で成り立つ。その証拠に、二つのイメージが提示される場所から注意をそらすと、イメージの闘争は停止する。
 どうしてそれがわかるのか? 気を散らせている人にその状態で今何を見ているかを、もしくは二つのイメージが依然として交互しているかどうかを訪ねても意味はない。答えるためには、その場所に注意を向けねばならないからだ。注意を喚起せずに知覚の程度を見極めようとしても、無益な循環を引き起こすだろう。それは、鏡で自分の目の動きを確かめようとしたときと似ている。疑いなく目は始終動いているが、鏡でそれを確認しようとすれば、まさにその試みによって目は静止してしまう。これまで長いあいだ、注意を喚起せずに両眼視野闘争を調査する試みは、誰もいない森のなかで倒れる木の音や、眠りに落ちたまさにその瞬間の感覚について尋ねるのと同じように、自己矛盾を孕むと見なされてきた。
 しかし、ときに科学は不可能を可能とする。ミネソタ大学のパン・チャンらは、被験者に質問せずにイメージの交替を調査できることに気づいた。二つのイメージが競い合っているか否かを示す脳の徴候を見出しさえすればよいのだ。彼らはすでに、両眼視野闘争が続くあいだ、いずれかのイメージに反応してニューロンが交互に発火することを知っていた。被験者の注意を喚起せずに、それを測定できるだろうか? チャンは、特定のリズムで明滅させることで各イメージを標識づける、「周波数標識法」と呼ばれる技術を用いた。二つの異なる周波数標識は、頭部に装着した電極を通して記録される脳波図によって拾える。両眼視野闘争が続くあいだ、二つの周波数は排除し合う。一方の振動が強ければ、他方は弱い。これは、一時には一つのイメージしか見えない事実を反映する。しかし被験者が注意を欠いているときには、これらの競合は停止し、二つの標識は独立して同時に生じる。注意の欠如は闘争を妨げるのだ。
 純粋な内省を用いた他の実験でも、この結論は確認されている。競い合うイメージから注意を一定期間そらすと、注意を戻したときに知覚されるイメージは、その期間イメージが交替し続けてきた場合に知覚されるはずのものとは異なる。かくして、両眼視野闘争は注意に依存することがわかる。意識的な注意が欠如すると、二つのイメージはともに処理され、競い合わない。両眼視野闘争には、能動的で注意深い観察者が必要なのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第1章 意識の実験,紀伊國屋書店(2015),pp.49-51,高橋洋(訳))
(索引:両眼視野闘争)

意識と脳――思考はいかにコード化されるか


(出典:wikipedia
スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「160億年の進化を経て発達した皮質ニューロンのネットワークが提供する情報処理の豊かさは、現在の私たちの想像の範囲を超える。ニューロンの状態は、部分的に自律的な様態で絶えず変動しており、その人独自の内的世界を作り上げている。ニューロンは、同一の感覚入力が与えられても、その時の気分、目標、記憶などによって異なったあり方で反応する。また、意識の神経コードも脳ごとに異なる。私たちは皆、色、形状、動きなどに関して、神経コードの包括的な一覧を共有するが、それを実現する組織の詳細は、人によって異なる様態で脳を彫琢する、長い発達の過程を通じて築かれる。そしてその過程では、個々シナプスが選択されたり除去されたりしながら、その人独自のパーソナリティーが形成されていく。
 遺伝的な規則、過去の記憶、偶然のできごとが交錯することで形作られる神経コードは、人によって、さらにはそれぞれの瞬間ごとに独自の様相を呈する。その状態の無限とも言える多様性は、環境に結びついていながら、それに支配はされていない内的表象の豊かな世界を生む。痛み、美、欲望、後悔などの主観的な感情は、この動的な光景のもとで、神経活動を通して得られた、一連の安定した状態のパターン(アトラクター)なのである。それは本質的に主観的だ。というのも、脳の動力学は、現在の入力を過去の記憶、未来の目標から成る布地へと織り込み、それを通して生の感覚入力に個人の経験の層を付与するからである。
 それによって出現するのは、「想起された現在」、すなわち残存する記憶と未来の予測によって厚みを増し、常時一人称的な観点を外界に投影する、今ここについてのその人独自の暗号体系(サイファー)だ。これこそが、意識的な心の世界なのである。
 この絶妙な生物機械は、あなたの脳の内部でたった今も作動している。本書を閉じて自己の存在を改めて見つめ直そうとしているこの瞬間にも、点火したニューロンの集合の活動が、文字通りあなたの心を作り上げるのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第7章 意識の未来,紀伊國屋書店(2015),pp.367-368,高橋洋(訳))
(索引:)

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2018年8月14日火曜日

03.両眼視野闘争と連続フラッシュ抑制は、十分に知覚できるほど長い時間与えられた視覚イメージであっても、注意によって選択されなければ、意識的経験から完全に排除され得ることを示している。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

両眼視野闘争と連続フラッシュ抑制

【両眼視野闘争と連続フラッシュ抑制は、十分に知覚できるほど長い時間与えられた視覚イメージであっても、注意によって選択されなければ、意識的経験から完全に排除され得ることを示している。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))】

十分に知覚できるほど長い時間与えられた視覚イメージであっても、注意によって選択されなければ、意識的経験から完全に排除され得る。次のような現象が存在する。
(a)両眼視野闘争
 両目のそれぞれに知覚可能なイメージを同時に提示すると、実際には一方のイメージのみが知覚される。
(b)連続フラッシュ抑制
 二つのイメージのうちの一方を恒久的に視野から消すことができる。これは、他方の目に鮮やかな色の長方形を連続してフラッシュ(一瞬表示させること)すると、そちらのイメージの流れのみが見えるようになる。

(再掲)
無数の潜在的な知覚情報と記憶から、まず気づきの外で情報選択がなされ、注意によってある項目が意識にのぼる。特定の一時点においては、一つの意識的な思考のみが可能であるにすぎない。

意識的感覚
 ↑
どちらか一方のイメージのみが勝ち残る。
意識は同じ場所に位置する二つの対象を同時にとらえることができない。
 ↑
無数の潜在的な知覚情報が、意識による気づきを求めて絶え間なく争っている。
 ↑
両方の可能性が依然として認められる視覚処理の末梢的、初期的な段階

 「今日でも両眼視野闘争は、意識的経験の基盤をなす神経メカニズムを探究するための格好の素材になる。この現象を用いた何百もの実験が行われ、さらに多くのバリエーションが開発されている。たとえば、「連続フラッシュ抑制」と呼ばれる新たな方法によって、二つのイメージのうちの一方を恒久的に視野から消すことができる。これは、他方の目に鮮やかな色の長方形を連続してフラッシュ(一瞬表示させること)すると、そちらのイメージの流れのみが見えるようになる、というものである。
 両眼視野闘争を利用する意味はどこにあるのか? それは、次のような事実を教えてくれる。目に長期間視覚イメージを提示し、その情報が視覚処理を司る脳の領域に伝えられたとしても、そのイメージは意識的経験から完全に排除され得る。両目のそれぞれに知覚可能なイメージを同時に提示すると、実際には一方のイメージのみが知覚される両眼視野闘争によって、意識にとって重要なのは、両方の可能性が依然として認められる、視覚処理の末梢的、初期的な段階ではなく、どちらか一方のイメージのみが勝ち残る、もっとあとの段階であることがわかる。意識は同じ場所に位置する二つの対象を同時にとらえることができないために、脳は激しい競争の場になり、私たちのあずかり知らぬところで、二つのみならず無数の潜在的な知覚情報が、意識による気づきを求めて絶え間なく争っているのだ。そして、ある時点をとりあげると、それらのうちのどれか一つしか意識の舞台にのぼれない。闘争という表現は、コンシャスアクセスを求めているこの争いのメタファーとしてまったくふさわしい。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第1章 意識の実験,紀伊國屋書店(2015),pp.48-49,高橋洋(訳))
(索引:両眼視野闘争,連続フラッシュ抑制)

意識と脳――思考はいかにコード化されるか


(出典:wikipedia
スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「160億年の進化を経て発達した皮質ニューロンのネットワークが提供する情報処理の豊かさは、現在の私たちの想像の範囲を超える。ニューロンの状態は、部分的に自律的な様態で絶えず変動しており、その人独自の内的世界を作り上げている。ニューロンは、同一の感覚入力が与えられても、その時の気分、目標、記憶などによって異なったあり方で反応する。また、意識の神経コードも脳ごとに異なる。私たちは皆、色、形状、動きなどに関して、神経コードの包括的な一覧を共有するが、それを実現する組織の詳細は、人によって異なる様態で脳を彫琢する、長い発達の過程を通じて築かれる。そしてその過程では、個々シナプスが選択されたり除去されたりしながら、その人独自のパーソナリティーが形成されていく。
 遺伝的な規則、過去の記憶、偶然のできごとが交錯することで形作られる神経コードは、人によって、さらにはそれぞれの瞬間ごとに独自の様相を呈する。その状態の無限とも言える多様性は、環境に結びついていながら、それに支配はされていない内的表象の豊かな世界を生む。痛み、美、欲望、後悔などの主観的な感情は、この動的な光景のもとで、神経活動を通して得られた、一連の安定した状態のパターン(アトラクター)なのである。それは本質的に主観的だ。というのも、脳の動力学は、現在の入力を過去の記憶、未来の目標から成る布地へと織り込み、それを通して生の感覚入力に個人の経験の層を付与するからである。
 それによって出現するのは、「想起された現在」、すなわち残存する記憶と未来の予測によって厚みを増し、常時一人称的な観点を外界に投影する、今ここについてのその人独自の暗号体系(サイファー)だ。これこそが、意識的な心の世界なのである。
 この絶妙な生物機械は、あなたの脳の内部でたった今も作動している。本書を閉じて自己の存在を改めて見つめ直そうとしているこの瞬間にも、点火したニューロンの集合の活動が、文字通りあなたの心を作り上げるのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第7章 意識の未来,紀伊國屋書店(2015),pp.367-368,高橋洋(訳))
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