2018年5月4日金曜日

4.脅威を無視することができない状況にならない限り、否定的な自己関連情報の選択的注意により、肯定的で社会的に望ましい自己像を一貫して維持し、自己高揚的な肯定バイアスを持つことは、きわめて適応的で精神的に健康なパーソナリティである。(ウォルター・ミシェル(1930-))

否定的な自己関連情報への選択的注意

【脅威を無視することができない状況にならない限り、否定的な自己関連情報の選択的注意により、肯定的で社会的に望ましい自己像を一貫して維持し、自己高揚的な肯定バイアスを持つことは、きわめて適応的で精神的に健康なパーソナリティである。(ウォルター・ミシェル(1930-))】
 次のようなパーソナリティ次元が存在する。
(a) 否定的な自己関連情報は避け、日常的なストレスや不安に対してあまり敏感ではなく、自分には問題や困難がほとんどないと考える。肯定的で社会的に望ましい用語で、自分自身のより好ましい点を一貫して表現するように記述する。ただし、脅威を単に無視することが許されない状況になると、それに注意を向け始め、ひどく心配する。
(b) 否定的な自己関連情報に注意を向ける傾向があり、より批判的で否定的な自己像を描く。
 精神力動論は、(a)のような否定的な情報や脅威の抑圧と認知的回避を「抑圧性」と記述し、脆弱で傷つきやすいパーソナリティの顕著な特徴であり、(b)のような正確な自覚と、自己の限界・不安・欠点への気づきは、「鋭敏性」と記述し、健康なパーソナリティの重要な構成要素であると考えてきた。
 しかし、自己高揚的な肯定バイアスを持ち、多くの状況下で脅威となる情報を意図的に避ける情動的鈍感さという態度は、洞察に欠けている脆弱なパーソナリティというより、きわめて適応的で精神的に健康なパーソナリティなのである。 

 「抑圧性 - 鋭敏性における個人差はしばしば自己報告式質問紙(Byrne,1964)によって測定されてきた。

この尺度において、抑圧者とは自分には問題や困難がほとんどないと記述する人のことである。その人たちは日常的なストレスや不安に対してあまり敏感ではないと報告するが、一方、正反対のパターンの人は鋭敏者とよばれている。

この尺度が測定する個人差は、重要な個人情報に対する選択的注意を予測することができる。」(中略)

一般的に、鋭敏者は否定的な自己関連情報に注意を向ける傾向があるが、抑圧者はそれを避け、より楽しいことだけを考えることを好む傾向がある。そして、脅威を単に無視することが許されない状況になると、抑圧者はそれに注意を向け始め、そのことをひどく心配する(Baumeister & Cairns,1992)ようである。

 抑圧者と鋭敏者は、自己記述においても異なっていた。

すなわち、抑圧者は肯定的で社会的に望ましい用語で、自分自身のより好ましい点を一貫して表現するように記述するのに対し、鋭敏者はより批判的で否定的な自己像を描いた(Alicke,1985; Joy,1963)。

しかし最も興味深いことは、その後の良好な精神的、身体的な健康を予測できる、楽観的なパーソナリティ像とより適合しているのは、鋭敏者ではなく抑圧者であるということである。


 これは精神力動論にとって驚くべきことである。

正確な自覚と、自己の限界・不安・欠点への気づき、すなわち鋭敏であることは、健康なパーソナリティの重要な構成要素であると仮定してきたからである。

対照的に、否定的な情報や脅威の抑圧と認知的回避は、脆弱で傷つきやすいパーソナリティの顕著な特徴であった。

もちろん、フロイト派が考えてきた強力な情動的抑圧は、この尺度で見いだされた抑圧者を特徴づけるような自己高揚的な肯定バイアスとはまったく異なっているであろう。同様に、精神力動論が考えてきた自覚の強化や個人的不安への気づきはまた、この尺度における「鋭敏性」とはまったく異なっているであろう。

しかし次の節でも述べるように(Miller,1987)、また他の多くの研究が示すように(Bonanno,2001; Seligman,1990; Tayler & Brown,1988)、多くの状況下で脅威となる情報を意図的に避ける情動的鈍感さという態度は、洞察に欠けている脆弱なパーソナリティというより、きわめて適応的で精神的に健康なパーソナリティなのである。」

(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅲ部 精神力動的・動機づけレベル、第8章 精神力動論の適用と過程、pp.259-261、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))
(索引:否定的な自己関連情報への選択的注意)

パーソナリティ心理学―全体としての人間の理解



(出典:COLUMBIA UNIVERSITY IN THE CITY OF NEW YORK
ウォルター・ミシェル(1930-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「個人が所有する自由や成長へのわくわくするような可能性には限りがない。人は可能自己について建設的に再考し、再評価し、効力感をかなりの程度高めることができる。しかし、DNAはそのときの手段・道具に影響を与える。生物学に加えて、役割における文化や社会的な力も、人が統制できる事象および自らの可能性に関する認識の両方に影響を与え、制限を加える。これらの境界の内側で、人は、将来を具体化しながら、自らの人生についての実質的な統制を得る可能性をもっているし、その限界にまだ到達していない。
 数百年前のフランスの哲学者デカルトは、よく知られた名言「我思う、ゆえに我あり」を残し、現代心理学への道を開いた。パーソナリティについて知られるようになったことを用いて、私たちは彼の主張を次のよう に修正することができるだろう。「私は考える。それゆえ私を変えられる」と。なぜなら、考え方を変えることによって、何を感じるか何をなすか、そしてどんな人間になるかを変えることができるからである。」
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅶ部 各分析レベルの統合――全人としての人間、第18章 社会的文脈および文化とパーソナリティ、p.606、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

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