欺瞞者である神
【「我々がどんなものの認識にも到達し得ない」ということを否定する限り、我々が、我々の本性の創造者によって欺かれているかもしれないということは、否定される。(バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677))】「我々がどんなものの認識にも到達し得ない」ということを否定する限り、我々が、我々の本性の創造者によって欺かれているかもしれないということは、否定される。なぜなら、我々が自ら論証に導かれて到達した結論に導かれながら、同時にそれがまた否定されることになるかもしれないなら、いかなる認識にも到達し得ないからだ。 「我々がいかなるものについても確実であり得ないのは、我々が神の存在を知らない限りにおいてでなく(なぜなら、このことについては今問題になっていないから)、ただ我々が神について明瞭判然たる観念を持たない限りにおいてのみである、と。」では、神について明瞭判然たる観念とは、どのようなものか。
仮に、神が欺瞞者であるとしてみよう。このとき、「例えば三角形の本性に注意した場合、我々はその三角の和が二直角に等しいと結論せざるを得ないけれども、しかし我々が我々の本性の創造者によって欺かれているかもしれないということになれば、同じ結論はなされ得ないからである。」すなわち、我々はその三角の和が二直角に等しいということに導かれながら、同時にそれがまた否定されることになるかもしれない。「しかし我々は『それだから我々はどんなものの認識にも到達し得ない。』ということはこれを否定する。」ゆえに、神が欺瞞者であると考えることはできない。つまり、「全問題の核心は係って次の点にのみ存するからである。それは即ち、神が欺瞞者であると考えることも欺瞞者でないと考えることも等しく容易であるなどということがないように我々を決定する神の観念、そうした神の観念を我々は形成し得るということである。」
(バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677)『デカルトの哲学原理』デカルトの哲学原理第一部、pp.30-33、[畠中尚志・1959])
(索引:欺瞞者である神)
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(出典:wikipedia)
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「だから私の志す目的は、このような本性を獲得すること、並びに、私と共々多くの人々にこれを獲得させるように努めることにある。」(中略)「次に、出来るだけ多くの人々が、出来るだけ容易に且つ確実にこの目的へ到達するのに都合よいような社会を形成しなければならない。なお、道徳哲学並びに児童教育学のために努力しなければならない。また健康はこの目的に至るのに大切な手段だから、全医学が整備されなければならない。また技術は多くの難しい事柄を簡単なものにして、我々に、生活における多くの時間と便宜を得させてくれるから、機械学を決してなおざりにしてはならない。」(バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677)『知性改善論』(12)(13)(14)(15)、pp.17-19、岩波文庫(1968)、畠中尚志(訳))
バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677)
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