2021年11月13日土曜日

世界で出来事が生じるのは、あらゆるものが抗いがたくかき混ぜられ、いくつかの秩序ある配置が無数の無秩序な配置へと向かうからだ。全ては、宇宙の始まりの低いエントロピーを糧とする崩壊の過程である。太陽は低いエントロピーの豊かな源泉であり、生命も自己組織化された無秩序化過程なのである。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))

エントロピー

世界で出来事が生じるのは、あらゆるものが抗いがたくかき混ぜられ、いくつかの秩序ある配置が無数の無秩序な配置へと向かうからだ。全ては、宇宙の始まりの低いエントロピーを糧とする崩壊の過程である。太陽は低いエントロピーの豊かな源泉であり、生命も自己組織化された無秩序化過程なのである。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))

「生物も同様に、次々に連鎖するいくつもの過程で成り立っている。植物は、光合成を通じ て太陽からのエントロピーが低い光子を貯め込む。動物は、捕食によって低いエントロピーを 得る(エネルギーが手に入りさえすればよいのなら、餌をとる代わりに灼熱のサハラに向かう だろう)。生体の各細胞には複雑な科学反応網があり、そのなかのいくつもの扉が閉じたり開 いたりすることによって、低いエントロピー資源の増大が可能になる。分子は、触媒となって 過程を推進したり、制動をかけたりする。そして各過程でエントロピーが増大することで、全 体が機能する。生命は、エントロピーを増大させるためのさまざまな過程のネットワークなの だ。そしてそれらの過程は、互いに触媒として作用する。生命はきわめて秩序だった構造を生 み出すとか、局所的にエントロピーを減少させるといわれることが多いが、これは事実ではな い。単に、餌から低いエントロピーを得ているだけのことで、生命は宇宙のほかの部分同様、 自己組織化された無秩序なのである。」(中略)  「エネルギーではなくエントロピーが、石を地面にとどめ、この世界を回転させている。宇宙が存在するようになったこと自体が、シャッフルによって一組のトランプの秩序が崩れ ていくような、穏やかな無秩序化の過程なのだ。何か巨大な手があって、それが宇宙をかき混 ぜているわけではない。宇宙自体が、閉じたり開いたりする部分同士の相互作用を通じて少し ずつ自分をかき混ぜる。宇宙の広大な領域が、秩序立った配置に閉じ込められたままになって いるが、やがてそのあちこちで新たな回路が開き、そこから無秩序が広がる。  この世界で出来事が生じるのは、そして宇宙の歴史が記されていくのは、あらゆるものが抗 いがたくかき混ぜられ、いくつかの秩序ある配置が無数の無秩序な配置へと向かうからだ。宇 宙全体がごくゆっくりと崩れていく山のようなもので、その構造は徐々に崩壊しているのだ。  ごく小さな出来事からきわめて複雑な出来事まで、すべての出来事を生じさせているのは、 このどこまでも増大するエントロピーの踊り、宇宙の始まりの低いエントロピーを糧とする踊 りであって、これこそが破壊神シヴァの真の踊りなのである。 

 (カルロ・ロヴェッリ(1956-),『時間の順序』,日本語書籍名『時間は存在しない』,第3部 時間の源へ,第11章 対称性から生じるもの,pp.160-162,NHK出版(2019),冨永星(訳)) 







時間は存在しない [ カルロ・ロヴェッリ ]




この世界は、時間のなかに順序づけられていない出来事の集まりである。世界のそれぞれの部分は変数全体の、ごく一部と相互に作用していて、それらの変数の値が「その部分系との関係におけるこの世界の状態」を定める。 (カルロ・ロヴェッリ(1956-))

時間とは何か

この世界は、時間のなかに順序づけられていない出来事の集まりである。世界のそれぞれの部分は変数全体の、ごく一部と相互に作用していて、それらの変数の値が「その部分系との関係におけるこの世界の状態」を定める。  (カルロ・ロヴェッリ(1956-))

 「ここで、読者の方々がまだわずかでも残っておられることを期待しつつ、第9章と第10章 で歩んできた厳しい道のりをまとめておこう。

根本のレベルにおけるこの世界は、時間のなか に順序づけられていない出来事の集まりである。

それらの出来事は物理的な変数同士の関係を 実現しており、これらの変数は元来同じレベルにある。世界のそれぞれの部分は変数全体の ごく一部と相互に作用していて、それらの変数の値が「その部分系との関係におけるこの世界 の状態」を定める。
  一般に小さな系Sは、宇宙の残りの部分の詳細を区別しない。なぜならその系が相互作用す るのは、宇宙の残りの変数のごく一部でしかないからだ。Sにとっての宇宙のエントロピー は、Sには判別できない宇宙の(ミクロな)状態の数に対応する。Sにとっての宇宙の姿は、エ ントロピーが高い状態である。なぜなら(定義からいって)エントロピーが高い配置のほうが ミクロの状態の数が多く、実現確率が高くなるからだ。  先ほど説明したように、エントロピーが高い配置に伴う流れがあって、その流れのパラメー タが熱時間になる。小さな系Sにとっては、熱時間の流れ全体から見たエントロピーは一般に高いまま推移し、せいぜい上下に揺らぐくらいである。なぜならここで扱っているのは、結局 のところ固定された規則ではなく確率であるからだ。  ところが、わたしたちがたまたま暮らしている途方もなく広大なこの宇宙にある無数の小さ な系Sのなかにはいくつかの特別な系があって、そこではエントロピーの変動によって、たま たま熱時間の流れの二つある端の片方におけるエントロピーが低くなっている。これらの系S にとっては、エントロピーの変動は対称ではなく、増大する。そしてわたしたちは、この増大 を時の流れとして経験する。つまり特別なのは初期の宇宙の状態ではなく、わたしたちが属し ている小さな系Sなのだ。 


 自分たちのこの筋書きが妥当だという確信があるわけではないが、寡聞にして、これに勝る 説を知らない。この筋書きを認めなければ、宇宙が始まったときにはエントロピーが低かった はずだ、という結果を既成事実として受け入れるしかない。以上終わり、なのだ。  わたしたちはここまで、クラウジウスが主張し、ボルツマンが最初に解読したΔS≧0 という 法則に導かれて進んできた。エントロピーは決して減少しない。そして、この世界の一般法則 を探すなかで一度は見失ったこの法則を、特殊な部分系に対する視点が影響しているのかもし れないということで再発見した。だから改めて、ここから出発することにしよう。」

 (カルロ・ロヴェッリ(1956-),『時間の順序』,日本語書籍名『時間は存在しない』,第3部 時間の源へ,第10章 視点,pp.154-155,NHK出版(2019),冨永星(訳))









時間は存在しない [ カルロ・ロヴェッリ ]





なぜ世界は変化しているように知覚されるのか。系が変化しているとみなせるのは、系の別の状態が、時計として指示された他の系(ある特別な脳部分系)の別の時間固有値と相関しているかぎりである。この特定の基底の選好は、私たちの意識の性質に起源を持つ。(マイケル・ロックウッド(1933-2018))

意識される時間の流れ

なぜ世界は変化しているように知覚されるのか。系が変化しているとみなせるのは、系の別の状態が、時計として指示された他の系(ある特別な脳部分系)の別の時間固有値と相関しているかぎりである。この特定の基底の選好は、私たちの意識の性質に起源を持つ。(マイケル・ロックウッド(1933-2018))

  「この章のはじめの方で、時間の流れ、あるいは時間を通じてのわれわれ自身の発展という 感覚は、単なる錯覚でないとしたならば、とにかくパースペクティブに呼応した現象、すなわ ち意識的な主体自身の観点からのみ生じると言えるにすぎないと主張した。しかしながら、い までは、もっと過激なことを主張している。少なくとも、時間とともに世界の状態が変化する ということ、未来のさまざまな集まりにはさまざまな時刻がむすびついているということは、 客観的で、観測者によらない事実でなければならないと考えるであろう。しかし、その仮定も また、最前のいくつかの段落での議論が疑いを差しはさんだものなのである。呼応状態の方法 を論理全体は、系が変化しているとみなせるのは、系の別の状態が、時計として指示されたほ かの系の別の時間固有値と相関しているかぎりであるという結論にむかっている。われわれ自 身は、ものの状態をわれわれ自身のある選好された状態に照らしあわせるというそれだけで、 世界を変化しているものと知覚しているのである。しかもこれらの選好された状態は、われわ れ自身の脳の「時計の読み」をふくみ、かつその基礎のうえでなりたっているのである。

   このことすべては、ヘンリー・フォードの「歴史は、まやかしだ」という論評についてのお どろくべき証明になっているのかも知れない。しかし、もちろん、歴史はまやかしなどではな い。私は、本当は何ごともいままでに起こりはしなかったなどと主張してはいない。むしろ、 逆であって、呼応状態の理論では、(物理的に)起こりうるすべてのことが、宇宙波動関数の どこかに見出せるという意味で、絶対起こるのである。私が世界の《まぎれも》ない歴史と考 えているものは、本当は、特定の伝記、しかも私の多くの伝記のうちのひとつにすぎないもの に呼応した世界の歴史なのである。その意味で、ふつう考えられるような歴史は、無数のおこ りうる歴史をふくんで横たわっている母胎から《抽出された》なにかなのである。また、この 全体系が、それだけで変化したり進化したりしている(あるいは、していない)という仮定 は、よく言って根拠のない、悪くいえば無意味なことなのである。アルキメデスは、てこの原 理についてこう言ったと伝えられている。「われに支点をあたえよ。されば地球をも動かさ ん。」しかしながら、そのような場所は存在しないし、原理的にすら、全体としての宇宙が定 常状態にあるのか否かをそれだけで決定できるような観測をすることのできるアルキメデス的 な地点も存在しない。最も抽象的な理論化においてのみ、われわれは、世界から自分自身を解 放できるし、しかも、ネーゲルのことばでは、どこにもない場所から景色を見たりできるので ある。」

 (マイケル・ロックウッド(1933-2018)『心、脳、量子』(日本語名『心身問題と量子力 学』)第15章 時間と心、pp.414-415、産業図書(1992)、奥田栄(訳))







脳のなかで起こっていることの一面だけが、なぜ意識に銘記されるのか、これが問題である。何らかの量子的状態の観測が意識化だとすると、ある特別な脳部分系のオブザーバブルの集合の固有状態が意識的現象に対応していることになる。特定基底の選好は意識の性質に起源を持つ。(マイケル・ロックウッド(1933-2018))

意識と量子的状態

脳のなかで起こっていることの一面だけが、なぜ意識に銘記されるのか、これが問題である。何らかの量子的状態の観測が意識化だとすると、ある特別な脳部分系のオブザーバブルの集合の固有状態が意識的現象に対応していることになる。特定基底の選好は意識の性質に起源を持つ。(マイケル・ロックウッド(1933-2018))


「要するに私は、特定の基底は選好されるということを、物理世界一般の性質というよりは むしろ、意識の性質に根源をもつものと理解しているのである。私は、一般に、どのような方 法でまたどんな理由で、ほかのものはそうでないのに、両立可能な脳オブザーバブルの特定の 集合の固有状態が現象的パースペクティブに対応しているのか、あるいは、そのなかにあらわ れるのか知っていると言うつもりはない(もっとも、第15章の時間についての議論は、この問 題とあるかかわりをもつではあろうが)。しかし、私にとって、なぜ脳のなかで起こっている ことの一面だけが意識に銘記されるのかという、量子力学とは独立に生じる問題にくらべてこ の問題がより神秘的であるとは思えないのである。どちらの場合も、われわれが経験している のは、現在の無知な状態では、任意とも思える選択性である。しかし、こうした選択性が存在 するということは、汎精神主義に踏み切らない理論という観点からすると、意識についてのの がれようのない事実なのである。肌理の問題は、この選択性のひとつのあらわれである。すな わち、なんらかの意識状態の現象的内容が、なんらかのもっともらしい対応する脳状態の微細 構造に鈍感であるように見えるという事実である。

 しかし、ここで、われわれは、選択性の古典力学的および量子力学的あらわれの強力な統一 の産物をもっているということを主張したい。というのは、双方ともたしかに、意識が特別な 脳部分系のうえの脳オブザーバブルの特別な集合を選好するという唯一の考察につつみこむこ とができるからである。実際、肌理の問題は、ひとたび、意識の内容が量子力学的《オブザー バブル》の集合の同時固有状態に対応すると要請されることを正しく理解しさえすれば、その 牙をうしなってしまうように思える。というのは、量子力学では、どんなオブザーバブルもア プリオリには特別扱いされることはないし、ほかのものよりも基本的であるとみなされること はないからである。また、意識が選好するのは、空間的あるいは時空的領域にわたるある程度 の《平均》をふくむオブザーバブルであると仮定することは自由である。(実際、このような 平均は、量子力学では不可避なのである。すなわち、《場の量子論》の文脈では、正確に決 まった点での電磁場の強さを観測することには意味がない。それは、初等的な量子力学におい て、位置の正確な観測や運動量の正確な観測に意味がないのとおなじことである。)もうひと つ、このことは、意識にうかぶものは見地によるという性質を反映しているのである。しか し、私が第11章で強調したように、それは決して、基礎になっている神経生理学的実在にかん してその客観性あるいは直接性を減じるものではない。その仮定は、その精神においてラッセ ル的なままである。

 ともあれ、意識のレベルでこのような選好基底を仮定すると、《われわれの知覚するとき に》、それが感覚知覚の対象自身に反映されるであろうということが容赦なくみちびかれる。 われわれが、日常の、古典的で、マクロなオブザーバブルと考えるものは、両立可能な脳オブ ザーバブルの選好集合の固有値と、感覚知覚の機構によって相関させられた固有値をもつもの であろう。したがって、われわれは、不可避的に、これらのオブザーバブルの決まった固有値 をもつものとして対象を見るであろう。ちょうどそれは、色のような第二性質をもったものと して対象を見るようなものである。」

(マイケル・ロックウッド(1933-2018)『心、脳、量子』(日本語名『心身問題と量子力 学』)第13章 量子力学と意識的観測者、pp.338-340、産業図書(1992)、奥田栄(訳)) 







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